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2007年10月31日水曜日

シャワーの水栓

以前は何も感じなかったのに、最近になって何となく不便を覚えることが増えてきてます。例えば、このシャワーの水栓。下の方にでっぱりがあって、一見これで十分のようです。でもシャンプーなんかのついてる手でこれを廻そうとすると、かなり滑るんで困ってました。

そこで、買い物で包装に使ってあったちょっと太めの緑の輪ゴムを巻いてみました。ばっちりです。石けんやシャンプー中にも滑らなくなりました。きっと、同じような役割をさせる道具が100円ショップなどでも売っているのでしょうが、無料で済んでグーです。

私がこれに不便をかじるようになったのは、老人力がつき始めてきたせいなんだろうと思います。年はとりたくないけれど、以前は気にならなかったことに気付くようになったと考えれば、必ずしも悪いいこととはいえないのかも知れません。

ともあれ、私より高齢な人は世の中にいっぱいいるわけで、バリアフリーへのさらなる配慮がメーカーさんには必要ですね。

2007年10月30日火曜日

アルバムアートワーク

カバーフローがさびしい件ですが、その後ネットで調べてみたら、iTunesをつかってアップルのサーバーからアルバムのイメージをダウンロードすることができるとのことです。

iTunesからミュージックを選択し、曲の名前がずらっとリストされたところで、⌘+Aですべてを選択。そしてコントロール+クリックでコンテキストメニューを出すと、「アルバムアートワークを入手」という項目があるので、そこを選びます。早速ダウンロードが始まりました。

iPodを同期してみてみると、たしかに以前よりはアルバムのイメージの数が増えていました。しかし♫のままな曲もかなり残ってます。アルバムアートワークがアップル社のデータベースにないのはどんな曲かと見てみると、ベスト盤からリッピングした曲はだめなもの多いようです。

あと、当たり前の話かも知れませんが、ソニーからCDを出しているミュージシャンもだめ。BARBEE BOYSはお気に入りのグループで8枚もアルバム入れてあるのに、♫のまま。正規にCD買ってるんだから、このへんはソニーさんに早く何とかしてほしいところです。

2007年10月29日月曜日

iPodの音の大きさ

昨日に続いてiPodのお話。

CDから取り込んだ曲をiPodで聞くときに感じるのですが、曲によって音の大きさがすごく違うんですね。一般的な傾向として古いCDの方が音量が小さいようです。ミュージシャンごとに違うのかというとそうでもないようで、長いことCDを出し続けているユーミンなどでは昔のアルバムと比較的最近の曲とでははっきり違います。松任谷由実時代の曲を電車の中で普通のボリュームで聴いていると、荒井由美の頃の「私のフランソワーズ」とか「ひこうき雲」なんかは走行音に紛れてほとんど聞こえないっていうくらい違うのです。

iPodの設定の中の「音量の自動調節」をオンにしてみてもあまり改善しない感じだし、歩きながらiPodで聞いていることが多いこともあって、ボリュームを調節する機能のついてるヘッドフォンをつかってみるのは面倒そうだし、どういうものかなと疑問に思っていました。

調べてみると、「超入門!音楽業界のしくみ」っていうサイトの音圧を出すってところに「音を大きくして、有線やラジオ、コンビニなどで流れた時に、耳に残るようにするためです。現在の音楽業界では、このマスタリングでむりやり音圧を上げる傾向があります」との記載が。こういう理由があったんですね。

iPodの中には、iTMSからダウンロードした曲は少しで、ほとんどはCDからリッピングした曲です。この状態だとカバーフローがすごくさびしいんですね。iTunesはCDをリッピングする際にタイトルやアーティスト名をDBから自動的に探してきてくれますが、ジャケットも同じように手に入るようにはならないんでしょうか。

2007年10月28日日曜日

オリジナルのiPod

今月初めにPBG4からMacBook Proに乗り換えたのを機に、iPod classicを使い始めることとなり、6年間のお役目を終えて初代のiPodは引退することとなりました。我が家の初代と2台目のiPodの違いなど気付いた点をまとめてみます。

2001年の10月下旬に発売された初代のiPod。私はそれまで歩きながら外で音楽を聴く習慣はなかったのですが、見た瞬間に「これだ」っていう感触を覚え、その年の11月にアップルストアのサイトから買いました。4万7800円とかなり高価だったし最初はMacユーザーだけに向けた商品だったので、初めはあの白いイヤフォンをつけている人をほとんどみかけませんでした。正月に実家で妹と会った時に妹も同じiPodを持っていたので、やるなって感じたくらいです。

クリスマスシーズンにむけての発売だったということもあるのでしょうが、写真のようにオリジナルiPodのパッケージはとても凝ったもので、使い始める前からわくわくさせてくれました。iPod classicのパッケージは黒くてしゃれた外装だけど、結局は単なる箱なわけで、当時とのアップルの意気込みの違いが感じられます。また、ボックスの表示を見ると台湾製です。今は中国製ですね。

オリジナルのiPodで驚いたことの一つは電源専用のケーブルがないことでした。もちろん電気がないと動かないのですが、FireWireケーブルで接続すると自動的に充電もされるようになっていました。パソコンの周辺機器では当たり前かも知れませんが、オーディオ機器としてはとっても斬新に感じたわけです。Mac以外のPCとの接続を考えてか、iPod classicでFireWireがUSBになっていましたが、発想は同じですね。

あの白いイヤフォンのデザインは変化がないのかな。風があったりコードが引っかかったりすると耳からはずれやすいし、音がしゃかしゃかした感じなので、私は別に耳たぶをはさむかたちのヘッドフォンを別に買って使っています。また、オリジナルiPodのホイールは実際にぐるぐる回転させるものでした。PowerBookのトラックボールがトラックパッドに進化したように、ホイールは機械式でないものに変わっていて、iPod classicを最初手にしたときにはびっくりしました。

オリジナルのiPodは丈夫でした。落としてしまったことも何度かあったり、表面に小さなすり傷はたくさんついたけれど、一度も故障せずに6年間元気に働いてくれました。iPod classicを買うときにはお店の人にAppleCareも一緒に買うようにかなり薦められたのですが、今時のiPodは故障しやすいんでしょうかね。iPodに着せる服もたくさんお店に売ってたけど、みなさん表面に傷がつくのはいやなのかな。

オリジナルiPodの発売時にはiTMSはなかったのですが、iTunesはもちろんありました。一枚一枚CDから曲を取り込むのですが、当時はアーティストや曲の名前などの情報は自分で入力したんです。今はリッピングの時にDBからそういった情報を探しだしてくれるから簡単で、この点はiTunesの進化に感動させられました。

iTMSはiPod classicに乗り換えてから利用し始めました。もう新譜をおいかけてCDを購入する年齢でもないので、iTMSはとても手軽でいいですね。できれば20世紀の曲をもっと充実させてほしいとの、早くソニーでCD出してるミュージシャンの曲も買えるようになってほしいものです。

2007年10月27日土曜日

10月下旬の台風

台風20号の接近で昨日から雨が降っています。外に出ると、風は気にならない程度しか吹いていないので静かな雨ですが、上着がほしい気温です。こんなに涼しくなっても、南の海上は暖かいんでしょうか、台風が発生するくらいだから。

路上で近くを見ても霧が出てるようには見えないけれど、ベランダから眺めるとぼんやりとかすんでいて、遠くの建物や丘は雲の中に消えてゆくように見えます。視界5キロメートルくらいでしょうか、飛行機で雲の中を飛んでいる時のような雰囲気です。

2007年10月26日金曜日

フィンランド軍入門

齋木伸生著  イカロス出版  税込み2800円 2007年8月発行

ソ連との冬戦争でのフィンランドの健闘には以前から興味があり、読んでみました。グスタフ・アドルフのスウェーデン軍にフィンランド人の部隊があった話から、日露戦争・第一次世界大戦でのマンネルヘイムの活躍、ロシア革命・フィンランド独立時の内戦、そして冬戦争・第二次世界大戦、大戦後といった流れが簡潔にわかりやすく記載してあります。また、ミリタリー選書と銘打ったシリーズの一冊であるだけに、軍艦・戦闘機から軍服・水筒にいたるまでのフィンランド軍の装備や階級章・博物館などについて幅広く記載があります。

フィンランド軍が冬戦争でのソ連からの鹵獲兵器を使用していたことは知っていましたが、継続戦争中にはフランス・ソ連からドイツが鹵獲した兵器を購入までして使用していたとの記載があり、自国ですべての兵器を製造できない点を補う工夫に感心しました。

冬戦争ではマンネルヘイム線を突破された時点で、冷静に譲歩してソ連と講和し独立が保てました。また、継続戦争ではドイツと組んでソ連と戦い、その後ドイツの戦況が悪化するとソ連と講和してドイツと戦うことになった訳ですが、同様の経過をたどったイタリアとは対照的に、このラップランド戦争では傀儡国家がつくられることもなく、戦闘を国土の北辺にうまく限局させています。また、戦後にはフィンランド化などと揶揄されることはあったものの、東欧諸国などとはレベルの違う独立が保たれました。この難局の連続した時代に、状況を冷静に洞察して国の行く道を誤らせなかったマンネルヘイムという人の能力には、感銘を覚えます。

ふりかえって我が祖国はどうか。ロシア・中国・韓国との領土問題や北朝鮮との拉致問題での対応をみると、政治家のレベルの違いなのか、マスコミ・国民の問題なのか。暗澹とさせられます。

2007年10月25日木曜日

棕櫚

往診に行っていた頃、ある程度の敷地を持った元・現農家のお宅には必ず棕櫚の木が植わっていることに気づき、これがどうしてなのか不思議に思っていました。

その後、木の語る中世(朝日選書664)を読んだところ、洛中洛外図屏風や平安時代の年中行事絵巻などから大寺社の社前に棕櫚が植えられていたことや、15世紀には紀伊国に棕櫚の自生地があったことが古文書から確認でき、江戸時代にはシュロ縄づくりが産業になっていたことなど、宝前の棕櫚というコラムにまとめられていました。古くから社前に植えられたくらいの木ですから、ありがたい木ということで一般の家の敷地にも植えられるようになったのかなとも思っていました。

同じ疑問を抱いた人は私以外にもいるようで、Hatena :: Questionに「棕櫚(しゅろ)の木ブームは、どのように起きたのでしょうか?住宅街を歩くと、どんなショボイうちでも、棕櫚の木が植えてあるうちがタクサンあります。いつごろ、どうして、この「棕櫚の木ブーム」は起きたのでしょうか? また、それを解説してある本・サイトなどはあるでしょうか?」という質問がありました。棕櫚の木ブームっていうのは聞いたことがないけれど、本当にあったのかな。でも、抱いてる疑問は私と同じようです。 

これに対する回答が、和歌山県の棕櫚産業について説明したサイトを示して、「戦時下の影響で栽培数が増え、物品の製造と関連性がなくなった後にも特に伐採されずに徐々に定着していったものだと思われます。ですから、比較的新しい民家には棕櫚を植えている姿を見かけません。」としています。

前記の本ともあわせて、和歌山県の棕櫚産業が江戸時代以来続いてきてることがわかってとても興味深く読みました。でも、東京のこの近辺の農家でも棕櫚製品またはその材料を出荷していたかという点に関しては少し疑問が残るところです。もしかすると、シュロ縄など自家用に作るための材料として棕櫚の木を植えてあったということなのかも知れません。

ただ、実際の理由はもっと別のところにもあるのかも。上の写真は歩道の植え込みの中に生えてきた棕櫚の木が伐られてしまった様子です。実は棕櫚って、農家の敷地以外のいろいろな場所にありますよね。鉄道の線路際の敷地や校庭や公園などなど。そのすべてが人によって植えられたわけではなく、鳥が実を食べて種子を運んだケースも多いのだろうと思います。この歩道の植え込みの棕櫚もきっとそうでしょう。だから、ある程度以上の広さの敷地には自然と生えてきてしまうのかも知れません。

それにしても、同じ高さのふつうの木に較べると葉の量がとても少なく思える棕櫚の木ですが、競争にうちかつ秘密は何なんでしょう、これも気になります。

2007年10月24日水曜日

ブロッコリー

通勤で歩く道ばたにある畑。一ヶ月くらい前に何か植えられ、葉っぱが2-3枚になるとアブラナ科の野菜だなと判明。そのうちにキャベツよりももっとしっかりした大きな葉が何枚も出てきて、ブロッコリーだった。株によって蕾をつける時期に早い遅いがあるようで、まだ蕾のつき始めている株はほんの少し。この写真のブロッコリーもまだピンポン球大で、食べるにはもうしばらく時間がかかりそう。

ブロッコリーとカリフラワーを比べると、ブロッコリーの方が好き。お湯でゆでると甘みが出るのでそのまま食べてもいいし、また他の温野菜といっしょにドレッシングで食べるのもおいしい。東京で露地栽培しているのは冬にかけてのようだけど、夏でも北海道産や輸入品があるので入手しやすい。カリフラワーはちょっと硬めな印象があり、自分で使うとしたら煮込む料理になっちゃうので、冬しか買わないかな。

野菜を考えてみると、葉付き大根とか小松菜のように畑に植わってる植物としての姿と八百屋さんで売っている商品の姿がそれほど違わないものがある一方、このブロッコリーや果菜類のように畑に植わっている植物の一部しか商品として店頭に並ばないものもある。蕪なんかは葉付きのまま売っていることが多いし、茎も葉も食べられる優等生の野菜。

それに対してブロッコリーの場合、茎の元にちっちゃな葉っぱがついてることはあっても、光合成の主力となっているあの大きな葉っぱがついたまま売られているのを目にしたことはない。ブロッコリーの株は膝上くらいまである大きな植物だが、そのほんの一部しか人間の口には入らないわけで、残りがどうなってしまうのか気になっている。飼料や肥料の原料として有効利用されているのか、それとも収穫が終わった後は集めてゴミになるのだろうか。

2007年10月22日月曜日

武士から王へ  お上の物語

本郷和人著  筑摩書房(ちくま新書)  税込み756円  2007年10月発行

権門体制論を批判する東国国家論を継承する二つの王権論、理論としては未熟であるが、これを出発点として内実を構築していけば、汎用性の高い中世国家像を指し示すことができるのではないか、という壮大な構想の下に書かれた本書。私の感想はどうかといえば、がっかりです。

黒田氏の「日本中世の国家と宗教」も佐藤氏の「日本の中世国家」もともに読み進むうちに、その論の展開に引き込まれてしまった記憶があります。人を納得させる魅力的な筋立てが二人の著書にはありました。しかし、本書にはエピソードの提示はありますが、それが二つの王権論にどうつながるのか非専門家の私にまで分かりやすく提示されているとはいえませんし、権門体制論へ批判にもなっていないと思います。私も東京生まれ東京育ちですので、東国国家論・二つの王権論を魅力的に感じるのですが。

・「実力主義」「現実が先行する」
   なぜ、武士の中から将軍が出現せずに、頼朝が将軍になったの?
・ 「武力に拠って立つ鎌倉と平泉の王権は、性質が似通うために併存することができず」
   東国と朝廷は相互補完しながら併存したということになるのでは
・「初め、武士たちは統治権を効率よく行使することができなかった」
   簡単な漢字しか書けず仮名文字の日記を残したことが、その根拠になるの?
・「彼らの長たる将軍は、あくまでも武人として出発した」
   初代の将軍源頼朝は武人なの?武人の定義って?
・「永仁の徳政令。従来の研究は、かくも不条理な法令がどうして成立し得たのか、社会に受け入れられたのか、と問うた。そうではない。この法令はただに理不尽であり、身勝手なのである」
   御家人救済のために別の方法ではなくなぜこの方法がとられたのかを問う研究は非常に重要なのでは

 などなど、新書として発行されているが私のような非専門家には不思議に感じる点が少なくありません

152ページにある室町王権の限界は重要な指摘だと思います。日本列島(主に本州と四国と九州)の広さが統治効率に与える影響、その歴史的変遷みたいな分析はどなたかに期待したいものです。

2007年10月21日日曜日

ニッポンの素 ルポ「今」を支える素材産業

 武田 徹著  新宿書房  税込み3990円  2005年2月発行

鉄・アルミ・絹・化学繊維などさまざまな素材の歴史と現在を、主に生産者を中心に現場を訪ねて、聞き書きしたものです。もとは雑誌グッズプレス(徳間書店刊)に連載していたルポを一冊にまとめたものだそうです。

グッズプレスという雑誌がどういうものか知らなかったので、ぐぐってみるとカタログ雑誌のようです。表紙からはかなりこてこて物欲系の雰囲気が漂っていて、書店でこの表紙を見るだけで私はまず絶対手に取らない感じです。そういう意味ではこいう連載を一冊にまとめた本って重要ですね。

日常生活ではさまざまな工業製品に囲まれて生きていますが、あらためてその素材にまで思いを及ばすことはまずありません。たとえば、先月までPBG4をメインに使っていました。このPBG4は高価なチタン製のケースに入っていた点が発売時には話題になったものですが、しかしなぜ高価なのかまでは知りませんでした。今回この本で、チタンの精錬ではわざわざ塩素と化合させてからマグネシウムで還元するということを知り、納得できた次第です。

個人的には経済史・産業史に対して興味もあり、素材産業の過去(近世・近代)に関する本はそれなりの数読んできました。しかしそれら産業の現状がどうなっているのに関しては知らないことも多く、興味をもたせる役割を果たしてくれる、しかも気軽に読める本として良かったと思います。

新宿書房さんの出版物を買ったのは今回が初めて。というか、これまでにお目にかかった記憶のない出版社さんでした。

2007年10月20日土曜日

彼岸花

毎日歩いているみなれた風景の中に、その真っ赤な花を見かけると秋を実感する。細い緑の花茎が成長している間はちっともその存在に気づかず、開花が突然のように感じられる花だからなおさらだ。ふつう目にするのは赤い花だが、今年は府中市内で初めて白いヒガンバナを見ることもできた。

花のある時には葉のないヒガンバナ、一ヶ月たってどうなっているか見てみると御覧の通り、短めの葉が生えそろい、花茎の方は枯れかけている。花はもともと種子をつくるために咲くはずのものだが、その種子に栄養を供給する葉が生えそろう時期に花茎が枯れてしまうのは不思議な感じがする。日本にあるヒガンバナは3倍体で種子ができないとのことだが、不稔の花には栄養が送られないようにするためにわざと花茎を枯らしてしまうのだろうか。

種子のできない日本のヒガンバナは球根で分布を広げるとのこと。田んぼのあぜ道などに植わっている光景はとてもリーズナブル。Wikipeiaによると、水田の畦に多いのはネズミ、モグラ、虫などがその鱗茎の毒を嫌って避ける(忌避)ように人手によって植えられものが多い、とのこと。

でも街の中でもいろいろなところで目にする。この写真は歩道の街路樹(サクラ)の根元。また公園の植え込みの中だとか中学校の敷地のすみっこなんかで見かけたこともある。小動物を忌避するために植えられたとも思えず、その花を愛好する人がそっと球根を植えて広めているのかも知れない。

2007年10月19日金曜日

コンビニのおにぎり

お昼にコンビニのおにぎりを食べることがよくある。あの両側から包装のフィルムをひっぱる海苔パリパリのおにぎりも悪くはないけれど、海苔がじかに巻いてあるおにぎりの方が落ち着く。フィルムを引っ張るのに失敗してご飯がふたつに分かれちゃったり、海苔がちぎれたりする心配もないし。

また、いろいろな具のおにぎりがあるけれど、やはりタラコやしゃけといった定番が好み。運悪く、マヨネーズとか焼き肉とかツナとかいった色物しか棚に残ってなかったりするとがっかりしてしまう。このへんの好みは年齢の影響なのだと思う。

しゃけのおにぎりはどこのコンビニにもあるから、セブンイレブン、ファミリーマートなどいくつか食べ比べてもみた。その中で一番のおすすめは、ローソンの新潟コシヒカリおにぎり・焼き鮭ハラミ。海苔直まきのおにぎりで、適度に脂ののったしゃけの塩味がほどほどで、焼き鮭といから焼いてあるのだろうけどしっとりしたしゃけの食感がなかなかのもの。お昼はだいたいこれ一つと飲み物で済んでしまう。おなかが空いてて2個食べたい気分の時には、海苔パリパリ系の辛子高菜とのコンビを買う。

今日ローソンに行ってみると見ると、期間限定商品として新潟コシヒカリおにぎり・伊達の銀鮭というのが売られていたの。具が宮城県産のブランド銀鮭「伊達のぎん」なのだそうだ。早速、購入して食べてみると、ごはんは定番のの新潟コシヒカリおにぎりと同じ感触で良いのだが、具のしゃけの味が微妙に濃い感じ。自分的には定番の焼き鮭ハラミのほうがいい。新潟コシヒカリおにぎり・焼き鮭ハラミが末永く販売されんことを。

2007年10月18日木曜日

銀杏

私の通った中学と高校の敷地には、校舎に沿ってイチョウの大木がたくさん植えられていた。私の在学中に3階建ての校舎よりも高い樹だったから、戦前に植えられたものだったのだろう。大学の敷地にもやはりイチョウの樹はたくさんあり、キャンパス内の道の街路樹の役割も果たしていた。秋になると銀杏が足下のそこここに見られ、近所の人が銀杏拾いに来ていたものだった。

今年は9月に9号台風が関東を襲い、台風の通過後に街を歩くと路上にかなりの銀杏が落ちているのを見かけた。しかし、全部が落ちてしまったわけではなく、やはりこの季節になると歩道に街路樹から落ちた銀杏の皮の踏み跡をみかける。銀杏そのものを見かけることは多くはないから、やはり拾い集める人がいるのだろう。自分で拾った経験はないが、街路樹産の銀杏をきれいに処理したものをもらうと、焼いてビールのつまみとしておいしくいただく。

イチョウの木には雌雄があって銀杏は雌株にしかできないが、雌株雄株の比はどれぐらいが自然なのだろう。幹の太さが一抱え以上もあるような古い大木の植わっている道路では、根元に銀杏の落ちてる木の比率が半分くらいはあるような気がする。それに対して直径20-30センチ程度の街路樹の道路では根元に銀杏を見かける比率はずっと低い印象。実生なら雄株雌株を区別して植えるのは困難だと思われるが、挿し木ならそれも可能だろうから、新しく作られた道路の街路樹では歩道に銀杏の皮が落ちるのを嫌がられて、雄株だけを植えるようにしているのかも知れない。ただ、そういう道路でも全く雌株がゼロではないのがちょっと不思議だが。

銀杏は黄色く色づいた落ち葉とともに落ちていた印象がある。しかし温暖化の影響か今日現在のイチョウの葉っぱはまだまだ緑色。

2007年10月17日水曜日

戦後日本の技術形成

 中岡哲朗編著 日本経済評論社 本体3200円 2002年2月発行

昨年、日本近代技術の形成(朝日選書)を読んでから、中岡哲朗さんの関わった本をたどっています。今年夏に出版された日本産業技術史事典(思文閣出版)も少しずつ項目を追って読んでいるのですが、その中のレファレンスにこの戦後日本の技術形成が出ていて、面白そうなので購入しました。

模倣か創造か、というサブタイトルがつけられていて、炭素繊維・液晶ディスプレイなど5つの事例(と、反面教師としてか戦中のレーダーの事例)についてまとめられています。高度成長期には外国の技術を導入して発展した企業が多々あると思いますが、ここでとりあげられているのは、どれも日本の企業が新しい対象に取り組んでその努力が実を結んだケースです。ただし、プロジェクトX的な扱いとはひと味もふた味も違います。必ずしも、辛抱する木に花が咲くとは限らないのです。

未来から振り返っている身の自分としてはついつい見落としがちな点ですが、研究開発はあらかじめ設定された目標への到達競争ではない、同一の効用を実現する方法には複数の選択肢がありそのどれが勝つかということは結果としてしかわからない、事前に予測できなかった事態が進路を左右することがある開発にかかる時間の不確実性、商品化に際しての市場の不確実性など、研究開発に内在する不確実性に関する指摘には納得させられました。

2007年10月15日月曜日

ブローデル歴史集成第3巻 日常の歴史



藤原書店 本体9500円 2007年9月刊

700ページを超える大冊で、前の二巻よりもかなり厚くなっています。しかも内容的には前の二巻よりも取っつきにくい感じです。というのも、フランスの歴史・歴史教育に関する文章や、書評、フランスなどの歴史家の追悼文などが多数含まれているからです。もともと晦渋な文章のブローデルですが、この第3巻に登場する歴史家で一冊でもその著作を読んだことのある人は数名しかいないので、ちと話についていきにくい状態でした。でも、方法的にも絶賛されるものかと思っていたグベールの歴史人口学序説に対する評価などは、そういう見方もあるのねと感心させられます。

ブローデルはブラジルの大学で教職に就いていたことがあるそうで、南米・ブラジルについての文章はおもしろく読めました。また、異端として始まり正統として評価されるようになるまでのアナール派の経緯などについての文章も含まれているのですが、とても興味深いものです。

2007年10月14日日曜日

ジュンク堂池袋本店に行ってみた

本を買う際、ふだんは自宅近くの書店で、また新たな発見を得たいときには新宿まで出かけることにしている。ほかの用事のついでに神田の三省堂や丸の内オアゾの丸善を利用することもあるが、本が目的の時には休日の特別快速の時刻にあわせて出かければお店まで45分ほどで到着する新宿に行くことが多い。しかし昨日は池袋まで足を伸ばしジュンク堂池袋本店に行ってみた。

ある本の参考文献に出ている本を読みたくなり探してみると、紀伊国屋やジュンク堂の新宿店にはなく、ジュンク堂の池袋本店に一冊だけ在庫があると表示された。そこで初めてのこのお店に行ってみることにした。

歴史の棚と産業の棚をさらっとのぞいてみただけだが、かなり充実した品揃えで、すぐに目的の本以外にも2冊を手にすることにした。じっくり見てしまうと荷物がさらに増えそうな気がしたので、ここで探索中止。またいつか来ようということで、レジを探す。フロアを一回りしたが、レジが見あたらない。張り紙がしてあって、レジはまとめて一階でするそうな。こういうシステムの書店は初めてなので、とまどった。備え付けのプラスチックのかごに3冊を入れて一階まで降り、無事にお会計まで終了。

利用してみての感想だが、あれだけの規模の書棚を充実させておくには、それなりにその分野をよく知った人がたくさん必要そうに思える。ただ単に、売れた本の代わりに同じ分野の新刊書を入れるなんてことをしていたら、もっとつまらない棚になってしまいそう。レジや各フロアにいる店員さんを見ると、若くてバイトなのかなと思える人ばかりだったが、品揃え担当の人が別にいるんでしょうか。POSシステムがあるから、書棚充実担当は店舗でなく本部にいるとかなのかな。

2007年10月13日土曜日

MacBook Proを持ち歩くバッグ

MacBook Pro17"が我が家に届いてからようやく一週間。新しいMacを買うのは2001年3月にPBG4を買って以来なので、6年半ぶりになる。PBG4はずっとMacOS9のまま使い続けていたので、OS Xを使うのは初めて。すべてが新しく、ようやく少し慣れてきた感じ。

ノート型のMacを選択しているのは、職場などへの持ち運びを考えてのこと。これまでは、普通のショルダーバッグにPBG4を詰め込んで持ち運んでいた。その同じバッグにMacBook Pro17"を入れてみるととても窮屈で、バッグがゆがんで引き延ばされるような感じになってしまう。ほかに適当なバッグがないのでそのまま肩にかけて出かけてみたところ、はやくも自宅マンションのエレベータの中で壁にバッグ(というこはMacBook Proのはじっこ)がなにげにぶつかってしまった。慣れたクルマを運転している際には、車幅感覚のおかげでクルマをぶつけたり擦ったりしないようになるけれども、ショルダーバッグの場合にも同じようなのかな。急に中身のMacが大きくなったので、頭がついて行けてない様子。バッグは薄いキャンバス布製なので、ぶつけるたびにMacBook Proを破損してしまうことが心配になってきた。

やはり、新しい酒には新しい革袋が必要。ということで仕事帰りに探してみたが、なかなか適当なバッグが見あたらない。ネットでみてみると、やはり17インチのMacBook Proユーザーはバッグ選びで同じような悩みを経験しているようだ。

いくつか見て歩いて、立川の伊勢丹でTUMIのラージ・コンピューター・メッセンジャーに決定。これ、パッド付きのコンピュータ収納スペースがついているけど、MacBook Pro17"は全然入らなくて、ふつうの収納スペースにようやく収まる状態。でもバッグの側面の布は厚めなので、今のところ問題なく持ち運べている。