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2013年3月21日木曜日

近代中国研究入門


岡本隆司・吉澤誠一郎編
東京大学出版会
2012年8月31日初版

憶い出してみると、先日読んだ中国経済史入門をはじめ、海域アジア史研究入門、日本経済史研究入門など、~入門というタイトルのつけられた本をかなり多数読んでいることに気付きます。ほかにも、古典籍研究ガイダンス、日本植民地研究の現状と課題のように「入門」という言葉がつけられていない入門書もあるので、これらも含めると年に数冊は入門書を読んでいる勘定になります。きっと多い方ですよね。では、こんなふうに私が入門書を読む理由はなにかというと、それらの本が対象としている学問分野について、主なテーマや現状・研究史などについて学びたいからです。本来ならそういった知識は大学で学んで得るべきものなのでしょうが、私は学生ではなく、またこれから学生になる予定もないので、とりあえず本で代用しています。

多くの入門書は、一般人ではなく少なくとも学生、どちらかというと院生以上を対象にしているようで、その分野の主要テーマごとに研究史と現状をまとめ、テーマの選択についてアドバイスし、研究に必要な機器、情報の探し方・在処などを紹介する内容になっています。本書もその例に漏れないわけですが、それに加えて本書には研究者の卵に研究の心構えを説くという色彩が、類書と比較してかなりつよく出ていました。もちろん研究史の紹介もされているのですが、紹介することが目的というよりも、心構えを語る材料として提示されているように感じたのです。おそらく、各章の執筆者たちには、若手の研究者や自分の指導した院生に対する不満・危機感がかなりあり、そういった若手の腐った状況を改善したいがために本書を編んだということなのだと思います。もちろん具体的な個人名は書かれていませんが、ある特定の顔を思い浮かべながら「近頃の若いものは...」とつぶやきながら書いたのではなかろうかといった記載も見受けられました。

各学問分野で~入門といった学生・院生を対象にしたマニュアル的入門書が続々出版されつつあるという事実は、本書ほどはっきり述べてはいなくとも、「近頃の若いものは...」現象が高等教育・研究機関に蔓延していることの現れなのだと感じます。きっとその背景には、国立大学法人化、研究費の獲得の仕組みの変化、少子高齢化による学生数の減少などなどがあるのでしょう。本書に書かれている主張は至極当然なものばかりですから、本書を読んだ若手が襟を正し、執筆者たちの求めるような真っ当な研究者として一本立ちしていってくれることを私も期待します。しかし、たとえそういった執筆者たちの意図が実現しなかったとしても、数十年後には本書が出版されたことそれ自体が、21世紀初頭の日本の研究者の世界の大きな変化とそれに対する研究者たちの反応をビビッドに物語る史料として珍重されるようになることでしょう。

2013年3月7日木曜日

中国経済史入門


久保亨編
東京大学出版会
2012年9月20日 初版

中国経済史入門というタイトルがつけられていますが、実質は中国近代経済史入門でした。第1部アウトラインと研究案内では、中国近代経済史が18の領域に分けられ、各領域ごとに一章ずつがあてられ、研究史の整理と、その分野の代表的な論文・著書が紹介されています。かつての見方とは違って、戦間期に至る中国経済の成長が著しかったことがどの章でも強調されている印象をもちました。歴史にifはありませんが、日中戦争、国共内戦、大躍進などの障害がなければ、軽工業品の輸出市場で中国が日本の強力なライバルとなっていたかもしれず、そうであれば日本も決してあれほど順調な経済成長を遂げられなかったかもしれません。

ほとんどの章の執筆者は、担当した領域の研究史を上手にまとめ、メリハリあるストーリー展開とともに語ってくれています。特に総論や、第2章農畜産物貿易史、第7章在来綿業史、第9章その他の産業・企業史はとても興味深く読めました。でも例外もあります。ひとつは第18章中国における近現代経済史研究で、これは中国の人の作品の日本語訳ですから、もともとの執筆方針が他の章とは違っていて、それが違和感をもたらしていたとしても不思議はありません。もう一つは第8章農村経済史。こちらは日本人が書いているので編集方針を理解できていないということはないはずですが、山田盛太郎級のごつごつした悪文でとても読みにくく感じました。私は素人なので、第8章の執筆者の研究者としての業績などについては知りませんが、入門書にこういう文章を書いていて平気なようでは教育・指導者としては失格なんじゃないでしょうか。その他の章ではあらためて気付かされた点が少なくなく、いくつか例をあげてみます。
1920年代前半、日本の鶏卵消費の約3分の1を中国産が占めたとされる(第2章 農畜産物貿易史)
農畜産物の貿易というと茶、生糸、大豆三品くらいは頭に浮かぶのですが、鶏卵がかなりの規模で貿易されていたとは知りませんでした。しかも冷凍卵なんてものがこの時代にすでに商品化されていて、ヨーロッパにまで輸出されていたとは。日本ではこの後、三井物産や農業団体の努力で、国内の鶏卵消費を国産品でまかなえるようになったということなので、生産費の問題ではなく、洋食の普及のスピードに日本国内の養鶏業の拡張が間に合わなかっただけなのかもしれません。
1890年代以降、世界貿易は全般的に拡大期に入り、中国はこの時期に輸出を急増させながら、その内容構成を多角化させていった。中国と日本では19世紀中葉の開港が与えた影響にかなりの違いがあり、中国は1890年代まで基本的に貿易無反応型に近かった。この違いを説明する上で見逃せないのが市場構造の問題である。領主制商品流通と交錯しながら展開する日本の農民的商品経済と比べて、中国の市場は求心性に乏しい重層的な構造であったと考えられ、1890年代からの茶や生糸といった特定の素材ではない農産物一般の需要増こそが開港場への輸出吸引を引きおこし、はじめて中国の小農経済を世界市場に連結させることになった。中国にとって1890年代は実質上の開港であった(第2章 農畜産物貿易史)
日本と中国の開港後の貿易の様子に違いが存在したこと、またそこから両者の経済構造の違いを導くことは、常識的なんでしょうか?これ、とても魅力的な説だけに気になりました。貿易無反応型というのは、外国からの輸入に対応するだけで、積極的に輸出市場を開拓することがないという意味でしょうか。だとすると、中国は1890年代まで基本的に貿易無反応型とありますが、アヘンなんかはかなり早くから国産品が増えていたと思います。そういった例外はあるが、「基本的に」無反応型だったということなんでしょうか。また先日読んだ「海の近代中国」の306ページに厦門からオランダ領東インドから廈門への輸入品のひとつとしてツバメの巣や油粕、牛革、籐とならんで牛骨が挙げられていました。このうち、解説されなくとも用途の分かる油粕については肥料であると説明があるのに、牛骨が何に使われたのかは言及がなく、とても不思議に感じていました。本書32ページには骨粉にしたらしいことが書かれていて、肥料としてつかわれたことが分かりすっきりしました。でも、牛骨って、腱が付着して骨髄を含んだ骨そのままで輸入されたんでしょうか?東南アジアから何日もかけて船で輸送したら、腐ってしまって臭気がひどいだろうと、今度はそっちが気になってしまいます。
上海華界および江蘇各地の発電所は小資本かつ経営不安定なものが大半を占めた。よって紡績・製粉工場の公共租界集中現象は必然であった・エネルギーの需要と供給をめぐって、外国資本と土着資本の間には生産力構造内部における「共生」が確認され、外資の電力は民族系企業(特に近代部門)の発展を支えていたのである(第9章 その他の産業・企業史)
という指摘も目から鱗でした。在華紡が租界に立地したのも単に日本政府の保護を受けやすいからというだけではなく、こういったインフラ条件も考慮してのものだったということなのですね。

第11章財政史には、中国の国家財政がその経済規模と比較すると小さかったことが述べられていました。清朝の統治期、中央政府派遣の官僚に直接地域を支配する能力はなく、地域の有力者や有力な商人・団体に統制・徴税させる代わりに、利権・特権をみとめる手段をとらざるを得なかったそうですが、国家財政の小ささとこれは関連があったのでしょう。また政府の支配が社会の中でどの程度強力に貫徹していたのかについての客観的な指標を見いだすことはなかなか困難ですが、この財政と経済規模の比はその代用指標ともなりうるものだと思います。清朝の数値は江戸時代の幕府の数値よりも低いというのを他の本で読んだことがありますが、できれば同時期のアジア・ヨーロッパの国々との比較を知りたいものです。
筆者の問題関心とはすなわち、日本が満州に構築した戦時動員体制が、中国共産党の内戦発動および内戦勝利・権力樹立を可能とさせた重要要因であったのではないかということである(第13章 戦時満洲と戦後東北の経済史)
という記述。これってとても当たり前のことのように思っていましたが、未解決なんでしょうか。また、この点に関しては経済史的な裏付けの有無にかかわらず、当時の中国共産党の指導者がどう認識していたかを同時代資料や聞き取り・回想録などで明らかにすればいいだけのような気もします。
現在の中国政府は、広大な国土の経済を把握するために、統計部門に10万人の職員を抱えている。それでも「中国の統計は信頼できない」という声は後を経たない。しかし、今から100年前、中国海関(税関)を調査した日本人は、そこで作成されている貿易統計をみて、「それが信頼できることは誰もが認めている。何事にも秘密・隠匿を得意とする中国では、希有のことだ」と感嘆を込めて賞賛している(第17章 海関統計に基づく貿易史)
とあります。執筆者のいうように、中国の現在の統計数字は粉飾されているともっぱらの評判です。いまから数十年後には、現在の中国の統計数字を対象に、粉飾の実態を明らかにしようとする研究が行われることでしょう。そう考えると、海関の統計資料は別として、それ以外の過去の統計数値を対象に、どの程度信頼できるのか、また粉飾の痕を見出すような研究がされていて当然な気もします。その種の研究はないのでしょうか。
地域経済研究の実証密度があがればあがるほど、どの地域であれ、都市から農村に至るまで、市場の変貌は国際貿易が契機となっていた点があらためて確認されている。
とあります。「西洋の衝撃」論は否定さるべきものなのかもしれませんが、日本にしろ清朝中国にしろ、ヨーロッパが中心となった世界市場・近代世界システムに組み込まれることなしに、自律的に桎梏から抜け出して経済成長を開始することなど、すくなくともあの年代にはまだ無理だったに違いないと私は思っています。アジア間交易の重要性はもっともですが、アジア間交易が活発に行えるようになったのも、アジアをも含んだ世界市場に嫌々ながらも組み込まれていったからですよね。