tag:blogger.com,1999:blog-21753708841596585552024-03-13T10:02:07.994+09:00日々の記憶 気付いたこと、不思議におもうこと、想い出すこと、学んだことsomalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.comBlogger638125tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-68577298186054797762019-04-01T20:41:00.003+09:002019-04-01T20:41:44.301+09:00令和の残念<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">新しい元号が発表されました。「令和」と聞いて感じる違和感。ラ行で始まるやまとことばはないし、漢字を組み合わせて命名されてきた元号にもラ行で始まるものはなかったような気がするので、このあたりが違和感の原因なのかなとは思います。M行、T行、S行、H行を避けての命名という制約があったとはいえレイワは響きがいまひとつ。でもこのレイワにもそのうち慣れてゆくでしょうからまあいいとして、それにしても残念至極というのが私の感想です。</span></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">個人的には、日常生活で元号をつかわなくなって30年以上になります。書類に年を記載する際はいわゆる西暦をもちい、また明治・大正・昭和・平成と印刷されている紙に記入する際にもそれを抹消して西暦を書き込むことにしています。例外は死亡診断書くらい。死亡診断書専用の記載用紙(どこの医療機関にも同じ紙製の同じ様式のものが常備されているようなのであれは厚生労働省謹製なのかな)の生年の欄にも明治・大正・昭和・平成と印刷されています。死亡診断後のおごそかでありたい雰囲気下に、抹消線のある診断書を交付するのも申し訳ないかなと感じて、そのまま丸印を付けるようにしています。</span></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">年齢早見表を置いてある診察室をよくみかけますが、ああいった早見表を使う必要があること自体、日常生活で元号をつかうことの不便さをよく表していると思います。それに元号だと、元号が使われ始める以前の年、例えば神武天皇のご即位の年を表すこともできないでしょ。まことに不便。</span></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">もちろん紀年法としてはいわゆる西暦のほかにもヒジュラ暦とか仏滅紀元とか、あと皇紀とかいろいろあります。どれをつかってもいいのでしょうが、わたしが西暦を選んでいる理由はべつにキリスト教に敬意を表しているからではなく、単に世界的にも多数派なのかなと感じているからです。本当は世界標準時とかメートル法とかと同じように、みんなで協議して決めるべきものなのだと思います。</span></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">元号が日本の「伝統」だということで使い続けられていることにも強く反対したいつもりもありません。でも、伝統というのならきちんと伝統を継承して欲しいもの。これまでの元号はすべて中国の古典を典拠とされていて、それが日本の元号の伝統だったはず。やまとことばをもとにした元号とするのなら万葉集が典拠でもよかったかもしれませんが、漢字2文字の新元号の典拠に万葉集なんていう発表はまったく残念。</span></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal; min-height: 18px;">
<span style="font-kerning: none;"></span><br /></div>
<br />
<div style="-webkit-text-stroke-color: rgb(0, 0, 0); -webkit-text-stroke-width: initial; font-family: "Hiragino Kaku Gothic Pro"; font-size: 12px; font-stretch: normal; line-height: normal;">
<span style="font-kerning: none;">ネットの情報によると帰田賦、蘭亭序なんかにも由来するそうですから、伝統に従って新たな元号も中国の古典を典拠としていると発表すれば「漢字を廃止した国も多い中で日本は漢字を使い続けているし、新しい元号もうちの古典を典拠としたというし、いまでもうちの国の古典に敬意を表しているのだな」と中国のひとたちも悪い気はしなかったはず。</span><span style="-webkit-text-stroke-width: initial;">日中関係の将来を考えても負担なく無料でできるこういったおもてなしの機会を逃すてはなかったのに。</span><span style="-webkit-text-stroke-width: initial;">不便な元号にメリットをみいだすとしたら、この点のアピールくらいしかないだろうと私は思うので、まったく残念至極と感じた次第です。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-83797116632565761042016-02-27T06:40:00.002+09:002016-02-27T06:40:11.467+09:00ジュンク堂立川店とオリオン書房ノルテ店<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">きのうオープンしたばかりのジュンク堂立川店のある立川高島屋は、これまでこの地域での一番大きな書店だったオリオン書房ノルテ店とはモノレールをはさんで向かい側に位置しています。まさに殴り込みといった感じなのですが、フロア面積もそれほど極端には違わないこの2つのお店は今後どうなってゆくのでしょう。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">オリオン書房ノルテ店がいつ開業したのかはっきり憶えてはいませんが、開店当初の棚の様子は憶えています。とはいってもよく憶えているのは日本史の棚だけなのですが、ボール紙製の箱に入った専門書がたーくさん陳列してありました。それも、一般的にも有名な出版社のものではなく、この分野でのみ有名な出版社(たとえば校倉書房さんとか)の、そんな本をローカルなマーケットを相手にするこの規模の書店に並べても買う人はいないんじゃないだろうかというものばかり。各分野の棚づくりのベテランが不足しているかまったくいない状況で、オリオン書房はじまって以来の大きな書店をオープンしなければならない、それでもいちおうは隙間なく本をならべておかなければならないといった苦しい状況がにじみ出るような棚づくりでした。その後数年が経過し、ノルテ店の品揃えは徐々に向上してきています。おかげで、私も東京方面にまで本を買い出しに行く頻度がかなり減りました。かなり助かってはいたのですが、ノルテ店の棚が魅力的だったかと問われると素直に「はい」とはこたえにくかったのも確かで、まだまだ発展途上にあったというのが妥当なところでしょう。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">それでもそのまま順調に発展して行ってくれればよかったのですが、ここ1-2年オリオン書房さんの店作りには気がかりな点が散見されました。まずはTポイントカードの導入。そして、駅ビルにあるルミネ店は改装を機に本屋さんから本以外も手広く扱うお店に変身しています。おかげで私にとっては買いたくなるような本のほとんど置かれていない、訪れる意味のないお店になってしまいました。また旗艦であるノルテ店にも喫茶コーナーができたりして、本の展示スペースは減らされました。書店の経営が難しくなってきていて、本以外の商品・サービスの提供で稼がなければといった事情があることもわかるし、ルミネ店がその流れで改装されたのは理解できるのですが、在庫されている本の数の多いことをウリにしなければならないはずの地域一番店ノルテ店さんまでこれでは困るなと思っていたのも確かです。 Tポイントカードの個人情報管理の問題や武雄市立図書館の問題など、良くない噂の多いCCCのアドバイスで今後どんどんこの方向に進むことを危惧していました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ちょうどそのタイミングでのジュンク堂立川店さんの開店。池袋店なんかよりはずっと売り場面積が狭いはずですが、20世紀に出版された専門書も多く陳列しなければならない旗艦池袋店の棚の停滞感と比較すると、郊外都市の書店であることを割り切って軽快な棚を展開した立川店は魅力ある品揃えに成功したと感じます。というわけで、私個人としては今後ノルテ店さんを利用することがほとんどなくなりそうです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">でも私のような活字中毒ともいうべき本好きは数が少なく、世の中にはたまに本を買いに書店に立ち寄るという人の方がずーっとたくさんいるわけです。例えば、昔とは違ってレジに本を持って行くと、カバーを掛けるかどうか尋ねられます。出版社がその本用にあつらえたカバーでさえ読むのには邪魔だと感じる私ですから、 書店さんのカバーはお断りしています。また邪魔なだけではありません。カバーの紙も1枚なら大したことはありませんが、数千冊分数千枚が集まるとかなりの体積と重量になります。その体積を節約すれば本棚に余計に何冊か収納できるでしょうし、また本の重さに床が耐えられるのかどうか常々不安に感じている身としては書店カバーの重量は有害無益としか思えません。でも、レジで周囲を眺めるとカバーを希望する人の方が圧倒的に多いのはたしかです。そういった多数派を対象に、本といっしょにそれ以外の商品・サービスも利用してもらおうというオリオン書房さんの選んだ方向も、ジュンク堂立川店さんと正面衝突しないという意味では賢いやり方(ジュンク堂がやって来ることを承知していたのかな?)なのではと感じます。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">先日来、取次の自主廃業やそれに連鎖した多数の書店の報道があり、またきのうにはその取次の自主廃業のきっかけとなった高田馬場の芳林堂の倒産が報道されました。本に関係する業界にとって厳しい時代ではありますが、立川の大型書店2つが共存してゆくことを願っています。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-54987348485891309092016-02-26T16:07:00.002+09:002016-02-26T16:07:23.557+09:00ジュンク堂立川店オープン<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">立川高島屋の6階にジュンク堂書店がオープンしました。IKEAやららぽーとやドンキホーテができても行ってみたいという気にはならなかった私ですが、本好きな人間にとってジュンク堂はやはり気になるお店であり、さっそく行ってきました。お店に着いたのは昼前頃だったのですが、思ったより混んでいました。開店日はきのうだとばかり思いこんでいたのですが、実は今日がオープンで人出が多かいのは当たり前でした。でも、買い物に来たのではなさそうな、背広を着て話し込んでいる人も多数。ちょっと邪魔な印象も受けましたが、出版社の営業の人たちが オープン初日にお祝いにやってきたのならこちらも当然ですね。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ジュンク堂は池袋と新宿店しか知りませんが、立川店の店内の様子は、池袋とは全く違います。フロア3つもあった新宿店よりはだいぶ狭いはずですが、並べられているモノとしての本棚など、今はなき新宿店に似た雰囲気です。また、商品のラインナップの方も、なんとかオープン初日に間に合わせたといった感じは全くなく、(少なくとも私が興味を持っている歴史や人文書の棚は)かなり充実していました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">例えば、今日は3冊ほど買いましたが、そのうちの1冊は昨年11月発行の平凡社の本で、これまで立川の地域一番店だったオリオン書房ノルテ店ではついぞみかけなかったものです(もしかするとすぐに売れてしまって目につかなかったのかも。ただ、私があまり売れ筋そうでない1冊しか置かれていない新刊書を買っても、ノルテ店さんはわりとすぐに補充していることが多いから、最初からなかった可能性も否定はできません)。また1冊は昨年夏発行の高志書院の本で、これは昨年後半に複数回ジュンク堂の池袋店に行った時にもみあたらなかった本でした。どちらもAmazonさんに頼らずに買うことができて良かったと思っています(洋書なら迷わずAmazonさんにオーダーするのですが、和書の場合はなるべくリアルの本屋さんで買うようこころがけています)。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">今日はお会計も混んでいました。レジの人は本当の新人さんみたいで、手が震えていたくらい。早く慣れるといいですね。またオープン初日と言うことで、購入者にはなにやら記念品を配っていました。でも、こういうのって本当に粗品で使いようがないことが多く、ゴミ屋敷の原因となるばかり。リアルの書店の経営が難しい時期ですから、こういう無駄な経費は節減して、充実した棚つくりに努めてもらいたいものです。ともあれ、品揃えにはかなり満足できたので、本を買いにわざわざ東京や池袋まで足を伸ばす機会はさらにぐっと減りそうです。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-9176814359756485762013-06-20T08:37:00.002+09:002013-06-20T08:37:20.766+09:00「謎解き判大納言絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻の謎」<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">黒田日出男さんの「謎解き判大納言絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻の謎」の2冊を続けて読みました。前者は2002年、後者は2005年発行と、もう10年も前の本ですが、近所の本屋さんで売られていました。残念なことに2冊とも小口を研磨された状態でした。小口を研磨された本を買うくらいなら、amazonさんで中古を買った方がましだと考える人もいるかもしれません。でも出版された当時に買わなかった自分の不明を反省する意味もあるし、また営業不振になって店を畳まれたりしても困るので店頭に現物がある本はなるべく近所の本屋さんを利用するようにしています。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2冊とも丁寧に鑑賞・研究史をたどり、2つの絵巻のどちらにも詞書と対応しないように見える絵が存在している(=謎)ことを指摘します。絵巻というものは大人のための絵本のようなものでしょう。しかもこの2つの絵巻は偉い人(後白河法皇らしい)の委嘱で作成されたものですから、その偉い人が謎解きを主眼にした作品を注文したのでもない限り、委嘱者やその取り巻きの人たちが楽しく無理なく鑑賞できるように描かれたはずです。それなのになぜ「謎」の絵が存在するのか、従来の研究ではその点が充分に説明されていませんでした。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">著者は2つの絵巻をモノとしてしっかり観察し、両者に錯簡と、それを証す補筆のあることを指摘します。錯簡を正してみると「謎」だった絵とその近くの詞書がしっかり対応するようになり、理解できるというのがこの2冊での著者の主張で、とても説得的だと感じました。また黒田さんのストーリーテラーとしての才能はこの2書にも発揮されていて、とても面白い本でもあります。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">でも読み終えたあとになんの疑問も感じなかったかというとそうではありません。著者の説明で「謎」自体ははたしかに解消しそうですが、その背後にある錯簡と補筆については新たな疑問が生じます。例えば、800年も前につくられた絵巻ですから、紙と紙の貼り合わせ部が剥がれてしまっても不思議はありません。でも錯簡が生じるということは、巻物を開いた時に同時に2カ所以上の剥がれた箇所が発見され、その補修の際に誤って接合したということになります。巻物だからいったん剥がれても、剥がれた紙どうしの関係を見失いにくいような気がしますがどうなんでしょう。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">また補筆しているということは、紙面をじっくり観察し、補修で接合した紙同士の並び方に整合性がないことを認識し、それを糊塗するため実施したに違いありません。すると、錯簡を生じた補修の行われた時期と、補筆の行われた時期とはかなり離れていたとしないとおかしなことになります。でも錯簡を正すのではなく、補筆で辻褄を合わせるという選択がされたのはなぜなんでしょう?</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">錯簡が生じ、補筆が行われたのはいつ頃のことだったのでしょう?宝物として大切に保管されてきた絵巻も、作成されてから長い年月が経過し、数ヶ月とか数年に一回しか鑑賞されなくなったが故に、所有・管理者も補修にあたる技術者も、絵と詞書を正しく対応させることができなくなった。作成されてからそのくらい長い時間の経過した頃に補修(=錯簡の出現)が行われ、さらに長い時間が経過して補筆が行われたということなのでしょうか?こういったあたり、この2冊ではまったく触れられていません。この2冊が出版されてから10年ですから、新たな研究が発表されているのかも知れませんが。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-84690676226392385682013-03-21T14:47:00.001+09:002013-03-21T21:36:24.873+09:00近代中国研究入門<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-I2TuAhacvaM/UUqe51e5INI/AAAAAAAAFl4/u-JXPaZPDqk/s1600/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%85%A5%E9%96%80.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://4.bp.blogspot.com/-I2TuAhacvaM/UUqe51e5INI/AAAAAAAAFl4/u-JXPaZPDqk/s200/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%A0%94%E7%A9%B6%E5%85%A5%E9%96%80.jpg" width="141" /></a></div>
<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">岡本隆司・吉澤誠一郎編</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">東京大学出版会</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年8月31日初版</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">憶い出してみると、先日読んだ中国経済史入門をはじめ、海域アジア史研究入門、日本経済史研究入門など、~入門というタイトルのつけられた本をかなり多数読んでいることに気付きます。ほかにも、古典籍研究ガイダンス、日本植民地研究の現状と課題のように「入門」という言葉がつけられていない入門書もあるので、これらも含めると年に数冊は入門書を読んでいる勘定になります。きっと多い方ですよね。では、こんなふうに私が入門書を読む理由はなにかというと、それらの本が対象としている学問分野について、主なテーマや現状・研究史などについて学びたいからです。本来ならそういった知識は大学で学んで得るべきものなのでしょうが、私は学生ではなく、またこれから学生になる予定もないので、とりあえず本で代用しています。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">多くの入門書は、一般人ではなく少なくとも学生、どちらかというと院生以上を対象にしているようで、その分野の主要テーマごとに研究史と現状をまとめ、テーマの選択についてアドバイスし、研究に必要な機器、情報の探し方・在処などを紹介する内容になっています。本書もその例に漏れないわけですが、それに加えて本書には研究者の卵に研究の心構えを説くという色彩が、類書と比較してかなりつよく出ていました。もちろん研究史の紹介もされているのですが、紹介することが目的というよりも、心構えを語る材料として提示されているように感じたのです。おそらく、各章の執筆者たちには、若手の研究者や自分の指導した院生に対する不満・危機感がかなりあり、そういった若手の腐った状況を改善したいがために本書を編んだということなのだと思います。もちろん具体的な個人名は書かれていませんが、ある特定の顔を思い浮かべながら「近頃の若いものは...」とつぶやきながら書いたのではなかろうかといった記載も見受けられました。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">各学問分野で~入門といった学生・院生を対象にしたマニュアル的入門書が続々出版されつつあるという事実は、</span>本書ほどはっきり述べてはいなくとも、<span style="letter-spacing: 0px;">「近頃の若いものは...」現象が高等教育・研究機関に蔓延していることの現れなのだと感じます。きっとその背景には、国立大学法人化、研究費の獲得の仕組みの変化、少子高齢化による学生数の減少などなどがあるのでしょう。本書に書かれている主張は至極当然なものばかりですから、本書を読んだ若手が襟を正し、執筆者たちの求めるような真っ当な研究者として一本立ちしていってくれることを私も期待します。しかし、たとえそういった執筆者たちの意図が実現しなかったとしても、数十年後には本書が出版されたことそれ自体が</span><span style="letter-spacing: 0px;">、21世紀初頭の日本の研究者の世界の大きな変化とそれに対する研究者たちの反応をビビッドに物語る史料として珍重されるようになることでしょう。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-47437516764546020812013-03-07T13:34:00.003+09:002013-03-07T13:34:54.756+09:00中国経済史入門<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-O9Wd_cYJLdE/UTgY186a3YI/AAAAAAAAFiI/5Boyz2kwMYg/s1600/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8F%B2%E5%85%A5%E9%96%80.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://2.bp.blogspot.com/-O9Wd_cYJLdE/UTgY186a3YI/AAAAAAAAFiI/5Boyz2kwMYg/s200/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%8F%B2%E5%85%A5%E9%96%80.jpg" width="142" /></a></div>
<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">久保亨編</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">東京大学出版会</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年9月20日 初版</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国経済史入門というタイトルがつけられていますが、実質は中国近代経済史入門でした。第1部アウトラインと研究案内では、中国近代経済史が18の領域に分けられ、各領域ごとに一章ずつがあてられ、研究史の整理と、その分野の代表的な論文・著書が紹介されています。かつての見方とは違って、戦間期に至る中国経済の成長が著しかったことがどの章でも強調されている印象をもちました。歴史にifはありませんが、日中戦争、国共内戦、大躍進などの障害がなければ、軽工業品の輸出市場で中国が日本の強力なライバルとなっていたかもしれず、そうであれば日本も決してあれほど順調な経済成長を遂げられなかったかもしれません。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ほとんどの章の執筆者は、担当した領域の研究史を上手にまとめ、メリハリあるストーリー展開とともに語ってくれています。特に総論や、第2章農畜産物貿易史、第7章在来綿業史、第9章その他の産業・企業史はとても興味深く読めました。でも例外もあります。ひとつは第18章中国における近現代経済史研究で、これは中国の人の作品の日本語訳ですから、もともとの執筆方針が他の章とは違っていて、それが違和感をもたらしていたとしても不思議はありません。もう一つは第8章農村経済史。こちらは日本人が書いているので編集方針を理解できていないということはないはずですが、山田盛太郎級のごつごつした悪文でとても読みにくく感じました。私は素人なので、第8章の執筆者の研究者としての業績などについては知りませんが、入門書にこういう文章を書いていて平気なようでは教育・指導者としては失格なんじゃないでしょうか。その他の章ではあらためて気付かされた点が少なくなく、いくつか例をあげてみます。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
1920年代前半、日本の鶏卵消費の約3分の1を中国産が占めたとされる(第2章 農畜産物貿易史)</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">農畜産物の貿易というと茶、生糸、大豆三品くらいは頭に浮かぶのですが、鶏卵がかなりの規模で貿易されていたとは知りませんでした。しかも冷凍卵なんてものがこの時代にすでに商品化されていて、ヨーロッパにまで輸出されていたとは。日本ではこの後、三井物産や農業団体の努力で、国内の鶏卵消費を国産品でまかなえるようになったということなので、生産費の問題ではなく、洋食の普及のスピードに日本国内の養鶏業の拡張が間に合わなかっただけなのかもしれません。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
1890年代以降、世界貿易は全般的に拡大期に入り、中国はこの時期に輸出を急増させながら、その内容構成を多角化させていった。中国と日本では19世紀中葉の開港が与えた影響にかなりの違いがあり、中国は1890年代まで基本的に貿易無反応型に近かった。この違いを説明する上で見逃せないのが市場構造の問題である。領主制商品流通と交錯しながら展開する日本の農民的商品経済と比べて、中国の市場は求心性に乏しい重層的な構造であったと考えられ、1890年代からの茶や生糸といった特定の素材ではない農産物一般の需要増こそが開港場への輸出吸引を引きおこし、はじめて中国の小農経済を世界市場に連結させることになった。中国にとって1890年代は実質上の開港であった(第2章 農畜産物貿易史)</blockquote>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本と中国の開港後の貿易の様子に違いが存在したこと、またそこから両者の経済構造の違いを導くことは、常識的なんでしょうか?これ、とても魅力的な説だけに気になりました。貿易無反応型というのは、外国からの輸入に対応するだけで、積極的に輸出市場を開拓することがないという意味でしょうか。だとすると、中国は1890年代まで基本的に貿易無反応型とありますが、アヘンなんかはかなり早くから国産品が増えていたと思います。そういった例外はあるが、「基本的に」無反応型だったということなんでしょうか。また先日読んだ「海の近代中国」の306ページに厦門からオランダ領東インドから廈門への輸入品のひとつとしてツバメの巣や油粕、牛革、籐とならんで牛骨が挙げられていました。このうち、解説されなくとも用途の分かる油粕については肥料であると説明があるのに、牛骨が何に使われたのかは言及がなく、とても不思議に感じていました。本書32ページには骨粉にしたらしいことが書かれていて、肥料としてつかわれたことが分かりすっきりしました。でも、牛骨って、腱が付着して骨髄を含んだ骨そのままで輸入されたんでしょうか?東南アジアから何日もかけて船で輸送したら、腐ってしまって臭気がひどいだろうと、今度はそっちが気になってしまいます。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
上海華界および江蘇各地の発電所は小資本かつ経営不安定なものが大半を占めた。よって紡績・製粉工場の公共租界集中現象は必然であった・エネルギーの需要と供給をめぐって、外国資本と土着資本の間には生産力構造内部における「共生」が確認され、外資の電力は民族系企業(特に近代部門)の発展を支えていたのである(第9章 その他の産業・企業史)</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">という指摘も目から鱗でした。在華紡が租界に立地したのも単に日本政府の保護を受けやすいからというだけではなく、こういったインフラ条件も考慮してのものだったということなのですね。</span></div>
<div style="color: #ce3b00; font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第11章財政史には、中国の国家財政がその経済規模と比較すると小さかったことが述べられていました。清朝の統治期、中央政府派遣の官僚に直接地域を支配する能力はなく、地域の有力者や有力な商人・団体に統制・徴税させる代わりに、利権・特権をみとめる手段をとらざるを得なかったそうですが、国家財政の小ささとこれは関連があったのでしょう。また政府の支配が社会の中でどの程度強力に貫徹していたのかについての客観的な指標を見いだすことはなかなか困難ですが、この財政と経済規模の比はその代用指標ともなりうるものだと思います。清朝の数値は江戸時代の幕府の数値よりも低いというのを他の本で読んだことがありますが、できれば同時期のアジア・ヨーロッパの国々との比較を知りたいものです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
筆者の問題関心とはすなわち、日本が満州に構築した戦時動員体制が、中国共産党の内戦発動および内戦勝利・権力樹立を可能とさせた重要要因であったのではないかということである(第13章 戦時満洲と戦後東北の経済史)</blockquote>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">という記述。これってとても当たり前のことのように思っていましたが、未解決なんでしょうか。また、この点に関しては経済史的な裏付けの有無にかかわらず、当時の中国共産党の指導者がどう認識していたかを同時代資料や聞き取り・回想録などで明らかにすればいいだけのような気もします。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
現在の中国政府は、広大な国土の経済を把握するために、統計部門に10万人の職員を抱えている。それでも「中国の統計は信頼できない」という声は後を経たない。しかし、今から100年前、中国海関(税関)を調査した日本人は、そこで作成されている貿易統計をみて、「それが信頼できることは誰もが認めている。何事にも秘密・隠匿を得意とする中国では、希有のことだ」と感嘆を込めて賞賛している(第17章 海関統計に基づく貿易史)</blockquote>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">とあります。執筆者のいうように、中国の現在の統計数字は粉飾されているともっぱらの評判です。いまから数十年後には、現在の中国の統計数字を対象に、粉飾の実態を明らかにしようとする研究が行われることでしょう。そう考えると、海関の統計資料は別として、それ以外の過去の統計数値を対象に、どの程度信頼できるのか、また粉飾の痕を見出すような研究がされていて当然な気もします。その種の研究はないのでしょうか。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
地域経済研究の実証密度があがればあがるほど、どの地域であれ、都市から農村に至るまで、市場の変貌は国際貿易が契機となっていた点があらためて確認されている。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">とあります。「西洋の衝撃」論は否定さるべきものなのかもしれませんが、日本にしろ清朝中国にしろ、ヨーロッパが中心となった世界市場・近代世界システムに組み込まれることなしに、自律的に桎梏から抜け出して経済成長を開始することなど、すくなくともあの年代にはまだ無理だったに違いないと私は思っています。アジア間交易の重要性はもっともですが、アジア間交易が活発に行えるようになったのも、アジアをも含んだ世界市場に嫌々ながらも組み込まれていったからですよね。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-49547795529578707022013-02-28T13:36:00.000+09:002013-03-01T17:35:05.161+09:00海の近代中国<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-a_rVsEriXLs/US7TJzbceJI/AAAAAAAAFfA/CbBq4M_bxDQ/s1600/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://3.bp.blogspot.com/-a_rVsEriXLs/US7TJzbceJI/AAAAAAAAFfA/CbBq4M_bxDQ/s200/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%B8%AD%E5%9B%BD.jpg" width="141" /></a></div>
<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">村上衛著</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">名古屋大学出版会</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2013年2月15日 初版第1刷発行</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">海の近代中国というタイトルはすこし大風呂敷過ぎる印象ですが、福建人の活動とイギリス・清朝というサブタイトルが本書の内容をよく表しています。イギリス領事の報告を主に、中国の官僚の作成した文書やその他の史料もつかって、廈門を中心とした地域の興味深いできごとがさまざま紹介されています。そして、それをもとにこの時期の中国の特徴がわかりやすく説明・解明されていました。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">素人目には強力な中央集権国家にみえる清朝も地方支配の実態はかなりルーズでした。官僚に直接地域を支配する能力はなく、地域の有力者や有力な商人・団体に統制・徴税させる代わりに、利権・特権をみとめる手段がとられていました。アヘン貿易が銀流出の原因であると判断した清朝は取り締まりを試みましたが、牙行に依存する貿易管理体制では課税不可能な禁制品であるアヘンの貿易にうまく対応できません。禁止を前面に打ち出すと取引は零細化して地下に潜り、かえって把握が困難になってしまいます。こういった状況を打開するための強硬手段が引き起こしたアヘン戦争での、夷敵に対する敗北は衝撃的だったはずですが、</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
当時の知識人が戦中から戦後にかけて、アヘン戦争を意図的に過小評価するようになった可能性がある</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">のだそうです。 中国の当時の知識人たちも一人一人は人間ですから、心理学的な意味での防衛機制が働いたのでしょうか。知識人に及ぼした衝撃という意味では、かえって日本の方が強かったのかもしれません。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
清朝側はイギリス軍の艦船と大砲の能力は認識していたが、陸上における戦闘能力を認めていなかったため、陸戦における敗戦の原因をイギリスの軍事力以外に求めなければならなかった。ここに「漢奸の活躍」が始まる</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
19世紀中葉、イギリスをはじめとする欧米諸国とその人々を利用しつつ、秩序の再編が進められた。その際に導入された制度は自由な空間を狭め、人を特定の枠の中に押し込めていき、開港場体制はそのために機能した。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
清朝は、いわばイギリス海軍を「招撫」することによって中国人海賊を招撫するよりも軽い財政負担で確実に沿岸秩序を回復したといえる</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">敗戦の責めを負うべき沿海の大官たちが漢奸を「発見」し、責任を逃れる。しかも、条約港に領事館が置かれイギリス軍艦が常駐するようになったことを奇貨として、華南沿岸の秩序回復、ひいては徴税に利用する、その手際には感心させられました。<span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre;"> </span>福建省沿岸では海賊が横行し、また廈門では苦力貿易が盛んでしたが、こういった手法により抑えられ、福建省からはさらに多くの人が東南アジアへ移民することになったそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">移民先の東南アジアでイギリス植民地籍を獲得した華人、また生まれながらにイギリス籍を持つイギリス植民地出生の華人の中には、商用や故郷の訪問・滞在目的で中国に戻る人が少なくありませんでした。条約上、外国人には内地旅行や土地獲得などの制限がありましたが、これらの華人は中国人として振る舞い制約を逃れていました。しかし、ひとたびトラブルが起きると、イギリス籍であることを理由にイギリス領事の保護を求めました。領事館も手を焼き、人身だけは保護しても財産は保護してくれなかったとか。そういったわけで、魅力の無いイギリス籍ではなく、台湾籍を選択する人が出現することになったのだそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書を読んでみて、アヘン戦争により開港を勝ち取ったイギリスが万々歳だったわけではなく、清朝の能力・体質にかなり閉口させられていたこと、またアヘン戦争の衝撃が開始点ではなかったものの、この地域に変化をもたらしたことがよく分かった気がします。そういう点で、とても勉強になった本でした。ただ、疑問に感じた点がなかったわけではなく、特に廈門の経済面に関する記述がそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この期間の廈門港の商品輸入はおおむね横ばいでしたが、輸出に関しては大きく減少しました。それにはいくつか理由があるそうです。もともと廈門の後背地は広くはありません。また廈門界隈の小さな港でおこなわれていたアヘンの非正規な取引がアヘン戦争後はより大きな港に集約されました。また廈門の主力輸出品だった茶は、土地がやせていたこと、混雑物が多いなど低質な商品だったこと、台湾での生産が伸びたことから、競争力を失いました。砂糖もジャワ産などには勝てず、機械制製糖場を導入しようとする試みも地元での反対に遭いました。廈門が中心だった台湾との中継貿易も、日清戦争により失われました。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">このうち、台湾が日本領になったことなどは</span>理由として理解しやすいのですが、その他、たとえば茶の輸出が振るわなくなった理由などについては不思議です。以前は盛んだった茶の移出・輸出がこの時期に振るわなくなった理由が低品質なのだとしたら、品質が低下したのもこの時期のことだったんでしょうか?もしそうならなぜ?また、他の産地と違って福建だけが品質の低下を来していたのだとしたらなぜ?また砂糖も、競争に勝てず移出・輸出が減ってしまったのだとしたら、生産地での加工が原則であるサトウキビの栽培もきっと大幅に減少したことでしょう。減ったサトウキビの代わりとして農民はその農地で何を生産したんでしょうか?輸出向けでない農作物?東南アジアへの移民が多くなったからといって、耕作する農民の数が足りなくなったなんてことはなかったでしょう、きっと。それとも、東南アジアの華人からの仕送りで、移民を送り出した地域では働かずに食べていけたんでしょうか?</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この時期の中国の「商人間の取引は常に零細化する傾向」があって「零細な経済活動を秩序化する仲介者」の存在があったことが記されています。こういった「傾向」をもつ地域に、アヘンの取り締まりのような仲介者の立場を掘り崩すようなことがなされると、秩序が不安定化してしまうわけです。また、零細であるがために資本の集積には向かず、資本主義化には不利だったのだとか。しかしこれは「なぜ中国は18世紀には経済成長し、19世紀に危機に至り、20世紀末以降、経済発展に成功しているのか」という問いに対する答えとして不十分だと感じました。零細な資本・少ない資本では工場制企業や鉄道や大きな海運会社を立ち上げるのはたしかに無理でしょう。しかし日本で新在来産業と呼ばれているような業種の製造業であれば、充分の起業・成長の余地はあったと思うのですがどうなんでしょう。それがこの時期に族生し得なかったのは、もっと別の理由があるように感じます。自然資源の制約、政治、治安などなど。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
当該期を「近代」と呼ぶならば、華南沿海の「近代」とは、牙行に依存した清朝の貿易管理体制のように、16~17世紀の変動を経て形成され機能してきた制度が、世界的な変動によって変容を迫られていく時代であった。この制度変容の契機となったのが、18世紀末以降の世界的な貿易の拡大である。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">著者が書くように、アヘン戦争は起点ではなく「制度変容を決定的に加速させたのがアヘン貿易」だった、また制度変容の契機が18世紀末以降の世界的な貿易の拡大だという点はその通りだと私も思います。でもこれだと、別の意味での西洋の衝撃論になっていないのかなとも感じます。私自身は世界システム論が好きですから、西洋が主導した18世紀末以降の世界的な貿易の拡大により中国も世界システムに組み込まれてしまった、</span>そして組み込まれることにより既存の制約・桎梏を乗り越えることができるようになった<span style="letter-spacing: 0px;">と考えることに異論はありませんが。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-72831619272314624122013-02-17T18:19:00.001+09:002013-02-19T17:10:56.050+09:00近代技術の日本的展開<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-wGcPY-XZMD8/USCgmUQfxrI/AAAAAAAAFVk/dK5La5PDgwE/s1600/%25E8%25BF%2591%25E4%25BB%25A3%25E6%258A%2580%25E8%25A1%2593%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E7%259A%2584%25E5%25B1%2595%25E9%2596%258B+.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-wGcPY-XZMD8/USCgmUQfxrI/AAAAAAAAFVk/dK5La5PDgwE/s1600/%25E8%25BF%2591%25E4%25BB%25A3%25E6%258A%2580%25E8%25A1%2593%25E3%2581%25AE%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E7%259A%2584%25E5%25B1%2595%25E9%2596%258B+.jpg" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中岡哲郎著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">朝日選書896</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2013年2月25日第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">後発工業国日本の工業化の特徴が、エピソード・人物の紹介とともに説明されています。各エピソードにはきちんと出典が示してあり、そういう点でもしっかりしていますが、もとは朝日新聞の「一冊の本」というPR誌に連載されていたものだそうですから物語としても面白く書かれています。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">同じく朝日選書として出版された「日本近代技術の形成」などと同じく、日本経済の生産技術・流通など江戸時代までの到達が明治以降の工業化・貿易に反映されていることが分かりやすく述べられていました。第二次大戦のあたりなどで細かな事実誤認は見受けられましたが、気軽に読むには良い本だと思います。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">江戸時代の日本の労働集約的農業の到達を「勤勉革命」と呼ぶむきがありますが、本書の中で著者は「ことばの遊びではないか」と切って捨てていました。たまたま英語のindustrialとindustriousが似ているからといって、勤勉革命なんて呼ぶのはちゃんちゃらおかしいですよね。単に土地と資源の制約から抜け出せなかった江戸期日本の苦し紛れの対応に過ぎないものの、いったいどこが革命なんだか。この著者の指摘には私も同感です。他方、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">「「日本の産業革命」を主張する多くの人は、厳密にイギリスを先頭に西欧で進行した社会経済の発展過程を研究し、そこから抽出した「世界史の発展法則」のさまざまな指標にあてはめて、この時期が産業革命期であることを示そうとする。だが最初に工業化した国の発展過程と、既に工業化した国々の影響を受けて工業化を開始する国の発展、すなわち「後発工業化」は決して同じにならない。そこから見えてくる違いが、後発工業化の個性であり独自性であるのに、「日本の産業革命」論者の多くは、それを、日本の産業革命の歪み、後進性の残存、あるいは日本資本主義の例外性などと論じてきた。」</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と述べている点に関してはちょっと厳しすぎるかなと感じます。日本の工業化を産業革命と呼ぶのは、いちばん最後に帝国主義国化を果たしてアジアを侵略したという流れの中での表現なのだと思うのです。著者のお説の通り、韓国の産業革命とかフィリピンの産業革命という呼び方はナンセンスで、それら諸国については後発工業化と呼ぶしかありませんが、日本の場合には産業革命と呼ぶ意味が充分にありそうな気がしますし、産業革命という用語を使用する論者もその含みで使っているのだと思います。1970年代頃までとは違って、今では日本の工業化の特徴を「歪み」「後進性の残存」として論じるような人はもういないんじゃないでしょうか。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本の工業化の特徴の一つは、江戸時代の日本が蘭書・漢籍や生薬などの日本国内では生産できない品目以外、生糸・木綿・砂糖などの生産技術の改良による輸入代替を達成していて、開港後にその生糸が主要輸出品目となり、大恐慌の頃まで工業化に必要な外貨のかなりの部分を獲得してくれた点。またもう一つは、マッチや雑貨など、新在来産業と呼ばれる業種の生産物の市場が近隣にあった点だと思います。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本の後発工業化の特徴を捉えるには、なにかと比較することが必要になります。日本より早く工業化を果たした諸国との比較はもちろんですが、同じ時期に工業化を試みた国、具体的にはラテンアメリカ諸国と比較することが有益だろうと私は思います。ラテンアメリカ諸国と比較すると、外貨を獲得する一次産品を持っていたことだけでは順調に経済が成長するとは限らず、近隣に輸出市場を持っていたことが日本の有利な点だったことが分かります。ラテンアメリカはヨーロッパの出店ですから、モノの嗜好もすでに産業革命を果たしたヨーロッパに似ていて、欲しいものがあればヨーロッパから輸入してしまいます。それに対して、太糸と厚地綿布に代表される日本で好まれる商品の中には、東アジアの周囲の国でも受け入れられ輸入してもらえるものが少なくなかったのだと思います。蘭癖大名や豊田喜一郎を始めとした人々の好奇心と努力などももちろん大切ですが、19世紀の状況を考えると、日本は幸運にも恵まれていたなと感じるのです。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-23686994767419252062013-02-11T17:38:00.001+09:002013-02-12T18:15:38.453+09:00経済大陸アフリカ <br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">平野克己著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中公新書2199</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2013年1月25日発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">冒頭で、永らく低迷してきたアフリカ経済が21世紀になって成長を始めたことと、同じ頃から中国が資源確保を目的にアフリカ諸国に積極的に投資してきたことが述べられています。これはなにも中国の投資のおかげだけでアフリカが成長し始めたということではなく、中国などBRICsの経済成長に起因する世界的な資源の不足が価格体系の変化を招き、アフリカから輸出される燃料・鉱産物の価格が上昇したため、アフリカへの投資が見合うようになったということだと思われます。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">いま、アフリカでもっとも評価されている援助国はおそらく中国だ。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><span style="letter-spacing: 0.0px;">ガバナンスこそが経済成長のパフォーマンスを左右する決定的要因だと主張していた1990年代の開発論は、この現実をみるかぎりまちがっていたといわざるをえない</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と著者は指摘しています。経済成長が実現するには競争力を持った商品を生産して付加価値を生み出す主体の存在が不可欠で、ODAによってそれを生み出すことはできないというのは正しいのでしょう。ただ、ODAは本当に効果の期待できないものだったんでしょうか?というのも、本書の中に示されているグラフを見ると、21世紀になってアフリカに流入する国外直接投資(FDI)の額は、20世紀後半にアフリカに向けられたODAの額よりずっと多いように見えるからです。ODAが目に見えた成果をもたらさなかった原因のひとつに、単にその供与額が不十分だったという理由がなかったのかどうかは気になります。また、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">経済が急速に成長しているにもかかわらず、アフリカの行政の質は良くなっておらず、所得分配の不平等度もおそらくは悪化している。「資源の呪い」はそれほどまでに強い力で作用するものなのか</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">成長するアフリカでも農業のパフォーマンスは相変わらず不良で、コスト高の食糧、それも都市が必要とする量を供給できていないことが述べられています。このためアフリカには豊富な低賃金労働というものは存在せず、製造業はかえって停滞しているそうです。農村が取り残されているだけではなく、拡大する都市の住民の中でも良い職に就けない人たちには経済成長の恩恵は行き渡っていないのでしょうね。とはいっても、経済が全く不振だった時期に比較すれば、中国製の消費財が少しづつ庶民の手にも届いてはいるのでしょうが。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">従来とのちがいは、国外からの投資が急激に増えてアフリカの生産力をおしあげていることだ。それを可能にしたのは、うけ手としてのアフリカの投資環境が改善されたからではなく、だし手としてのグローバル企業の投資能力が向上したことにあるというべきだろう</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">これも鋭い指摘です。本書では「低開発問題を世界システムから説く議論」が一世を風靡した20世紀半ばの南北問題解決策は成功しなかったことが述べられています。ただ、私としては「低開発」の根底にはそれを導く世界システムがやはり厳然として存在していると思うし、世界システム論自体がダメだったとは思えません。現在が価格体系の変動期であり、しばらくは一次産品の相対価格が上昇する時代が続くという著者の味方は正しいのでしょう。しかし、BRICsなどによる一次産品需要増が永久に続くわけではなく、また価格の上昇した原材料を節約したり代替したりする技術革新が必ず出現するはずで、いつかは一次産品の相対価格が低下する時期がふたたびやって来るだろうと思います。その頃までに南アフリカ共和国以外のアフリカの国の中から半周辺への移行を成功させる国がもしかすると出現するかも知れません。しかし、ほとんどの国は低開発状態、周辺の地位から抜け出せてはいないでしょう、きっと。いま、成長を謳歌するサブサハラ・アフリカ諸国の首都にそびえる高層ビル群は、マナウスのオペラ劇場のようなもの。19世紀の一次産品が高価だった時代に繁栄を謳歌した南アメリカ諸国が、周辺の地位から抜け出せなかったのと同じことだと思うのです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">最後の章では、BOPビジネスのフィールドとして格好の存在であるアフリカ、アフリカや資源価格の上昇前のソ連・ロシアと同じく長期の経済停滞に悩む日本の分析、そして日本のアフリカへのアプローチの仕方の提案まで触れられていました。アフリカに対する見方を変えてくれる本であるとともに、いろいろなことを考えるようしむけてくれるという意味で、とても刺激的な本でした。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-16415356847062612012013-02-09T22:19:00.001+09:002013-02-09T22:19:09.796+09:00平家納経の世界<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-tRn1fG9T7cw/URZMueTgleI/AAAAAAAAFP0/PsQdS8vy-c4/s1600/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%B4%8D%E7%B5%8C%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://2.bp.blogspot.com/-tRn1fG9T7cw/URZMueTgleI/AAAAAAAAFP0/PsQdS8vy-c4/s200/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%B4%8D%E7%B5%8C%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C.jpg" width="137" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">小松茂美著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中公文庫</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1995年12月3日印刷 </span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1995年12月18日発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">冒頭の「一 平家納経の成立ドラマ」ではタイトルにあるとおり、平家納経について物語風に語られています。平清盛がその絶頂期に感謝を込めて厳島神社に納経したのかと思い込んでいましたが、まだ権中納言の時に企画されたものだったのだとか。その他にも知らなかったエピソードがいろいろと書かれていて興味深く読めました。しかし、本書で本当に面白かったのは、平家納経と出会いや、それをきっかけとして古筆学の確立にまで至った著者の個人史を語った部分です。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中学校卒業後に家庭の事情で進学できず、父と同じく鉄道省の鉄道員に就職。召集されるも職業と健康状態から即日帰郷となり運が良いと思う間もなく、広島で原爆に被爆。一時は原爆症で死の宣告も受けたそうです。その後も鉄道で勤務していましたが、被災後の広島駅前の闇市に店を出していた古本屋で池田亀鑑さんの「土佐日記原典の批判的研究」と運命的な出会いをします。同じ頃、秘蔵の平家納経を見たという記事が新聞に掲載され、著者も拝観を希望します。立場上、貴重な品を安易に見せるわけにはいかない宮司に熱心に頼み込み、占領軍の命令ならやむを得ないというアドバイスをもらって、広島地区の司令官の大佐を厳島神社見学に誘い出すようなこともありました。ようやく平家納経を実見することの出来た著者は、その研究を決心したのでした。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">国鉄で勤務しながら学ぶ著者には大学などで学んだ経歴がありません。また身近に指導者や参考図書・文献が揃っているわけでもなく、池田亀鑑や東京国立博物館の学芸部長石田茂作など多くの専門家たちに教えを請う手紙を出す「無知の蛮勇」も発揮して勉強を続けたのだそうです。こういった行為は学問の世界だと20世紀半ばには蛮勇と呼ぶべき行為となってしまっていたのかも知れませんが、純粋に趣味の世界で考えると珍しくはないような気もします。例えば同じ頃に、藤子不二雄のお二人は手塚治虫さんにファンレターを書いたり会いに行ったりしていたことをまんが道という作品に描いていました。まんがや音楽やゲームや鉄道やプラモデルなどといった趣味の世界では、これと似たようなことは21世紀の今でも蛮勇にはなっていないでしょう、きっと。目指す世界は違っていても、著者にとっては平家納経・古筆などの研究は大好きな趣味だったということなのだと感じます。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">著者は国鉄から分離した運輸省広島陸運局の総務課観光係に移って「いつくしま」という観光用小冊子を編集し、その後はかつての上司を頼って上京し運輸省自動車局総務課に転勤させてもらい、書跡の研究に志す者が少ないという理由で学芸部長石田茂作に頼んで東京国立博物館に出向させてもらって、そして最終的には国立博物館に入職し活躍します。その後の章では著者の主な研究について簡単に披露され、最後の章では著者の確立した「古筆学」がどんなものなのか、国文学に資する点の大きいことが分かりやすく説明されていました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">先日「ある老学徒の手記」で鳥居龍蔵さんの半生を読んだときにも同じような感想を持ちましたが、ふつうに進学するコースから学問の道に入ったのではなく、自力で道を切り開いていった著者のバイタリティに感心させられました。ただ、国鉄時代には同僚に「敬遠」されていたとか、博物館入職後にも「中傷」されたとか、著者自身も書いていますが、本業の方を疎かにして趣味の方に打ち込んでいる人というのは、周囲の人から見たら変人としてみられたのもやむを得なかったのかなとも感じました。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-76414635802059419232013-02-05T18:10:00.004+09:002013-02-05T18:10:38.906+09:00ある老学徒の手記<br />
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-aqiR-ngnPdw/URDMTtBYEkI/AAAAAAAAFMY/pwvwiVIbmV8/s1600/%E3%81%82%E3%82%8B%E8%80%81%E5%AD%A6%E5%BE%92%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; display: inline !important; float: left; font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em; text-align: center;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-aqiR-ngnPdw/URDMTtBYEkI/AAAAAAAAFMY/pwvwiVIbmV8/s1600/%E3%81%82%E3%82%8B%E8%80%81%E5%AD%A6%E5%BE%92%E3%81%AE%E6%89%8B%E8%A8%98.jpg" /></a><span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; letter-spacing: 0px;">鳥居龍藏著</span><br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">岩波文庫 青N-112-1</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2013年1月16日 第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">だいぶ昔のこと、岩波書店発行の世界にこの鳥居龍藏さんの評伝がしばらく連載されていたことがあります。その頃は鳥居さんのことをまったく知らなかったので、明治大正の日本には変わった学者がいたんだなと感じただけで終わりました。しかし、その後朝鮮史や満州の本の中に鳥居さんの名前を目にすることが少なくないことに気付くようになりました。そんなわけで、本屋さんに平積みされていたこの文庫本を見かけて、彼がどんな人だったのか知りたいと思い、読んでみることにしました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">岩波文庫のカバーには簡単な内容紹介がつけられていて、この本にも「小学校を中退し、独学自修した」「民間学者の自伝」と記されています。ただ、この記述はミスリードの感なきにしもあらずです。子供の頃から江戸期に出版された本を多数読んだりなど、早熟な鳥居さんは小学校をつまらなく感じていただけで、決してできない子だから留年・退学したわけではありません。また、独学自修の過程で考古学に興味を持つようになり、上京して東京帝国大学理科大学人類学教室で仕事と研究をする機会を得て、やがては帝大の講師や助教授にまでなったわけですから、最終的には自らの名前を冠した研究所を設けたとはいえ、民間学者というのもどうかと思います。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この本の原著が1953年に出版された時には「考古学とともに六十年」というサブタイトルがつけられていたそうです。最終的には考古学者であると自他ともに任じていたということなのでしょうが、本書に記された調査旅行の様子を読むと、必ずしも考古学的な発掘調査だけをしていたわけではなく、各地の人の体格を測定したり、風俗を記録したりなどなどの活動も行っています。現在では考古学も民俗学も人類学もそれぞれ確固とした独立の学問分野ですが、明治の頃はそうではなかったらしいことがよく分かります。また、もしかすると分化・細分化してきた現在の学問水準からすると、彼の調査・研究の成果はいまや取るに足りないものになっているのかも知れません。しかし、彼のようなパイオニアの活躍が現在の学問の基礎になったことは確かでしょう。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">「小学校中退」で留学歴もない彼が帝大所属で活躍できたのは、もちろん彼の才能の然らしむるところでしょう。しかし本書を読むと、それだけが理由だったわけではないように感じました。というのも、彼がしょっちゅう東アジアの各地(モンゴル、満州、沖縄、台湾、樺太、朝鮮、沿海州)に、それも現地の民家に泊まり込むことも珍しくない、数ヶ月にも及ぶ調査旅行に出かけているからです。時には配偶者や、生まれて間もない乳児を連れてでかけたこともありました。きっと、こんな風にフィールドワークが好きで、しかもモンゴルなど多くの言葉をものにしている人というのが当時の日本のアカデミズムの世界では得難たかったから、帝大で活躍できたのかなと感じました。また、彼は調査旅行に際して、満鉄や台湾・朝鮮総督府や陸海軍の支援を各地で受けています。この分野で活躍できた背景には、明治・大正・昭和の日本の東アジアへの拡張があったことは見逃せません。そういう意味で、あの時代が育んだ人ですね。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-63234516871269153772013-01-18T18:06:00.002+09:002013-01-18T18:06:21.590+09:00古典籍研究ガイダンス 王朝文学をよむために<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-Zs7-J4ZhrUc/UPkQcFS2UGI/AAAAAAAAFCE/FtOHqjGbNhU/s1600/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E7%B1%8D%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%AB%E3%82%99%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%99%E3%83%B3%E3%82%B9.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://3.bp.blogspot.com/-Zs7-J4ZhrUc/UPkQcFS2UGI/AAAAAAAAFCE/FtOHqjGbNhU/s200/%E5%8F%A4%E5%85%B8%E7%B1%8D%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%AB%E3%82%99%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%82%99%E3%83%B3%E3%82%B9.jpg" width="140" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">国文学研究資料館編</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">笠間書院</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">平成24(2012)年8月15日第2刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br />
<br />
<br />
<br />
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書の前半では、代表的な作品を対象とした研究の成果とその手法のエッセンスが分かりやすく紹介されています。また後半では古典籍に関連する言葉の説明が解説されていました。どの項もだいたい12ページ前後とコンパクトにしかも読みやすくまとめられていました。本書のintroductionには</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書は何よりもまず、王朝文学研究に関心を寄せる若い世代の皆さんに手にとっていただきたい、ということで企画編集されました</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と書かれています。国文科の学生さんを主なターゲットとして書かれた本なのでしょうが、私のような国文科とは縁のない、学生でもなく若者でもない読者でも楽しく読めました。どんな点が楽しく読めたかというと、たとえば土左日記(土佐日記ではなくむかしはこう書かれていたのだそうです)。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">土左日記は、蓮華王院宝蔵に収められていた紀貫之自筆本を書写したとされる定家筆本がながらく最良のテキストとされてきました。しかし昭和初期以降、定家筆本と同じように紀貫之自筆本を写したと思われる写本や、 紀貫之自筆本を書写した写本から写した写本があいついで発見されました。それら為家書写本、松木宗綱書写本、三条西実隆書写本を定家筆本とを比較検討することで、紀貫之自筆本を再現しようという研究が行われて成果を挙げるとともに、国宝定家筆本にも異文、仮名づかい、漢字や仮名の別、踊り字の使用などの独自性があり、定家が書写に際してある種の改変を加えていたことが明らかになったのだそうです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この項は論証も比較的ストレートですが、短いページの中でわくわくするような謎解きが展開されている項もたくさんあったので、数式や英語が苦手でもこういった研究ならできそうかなと感じたり、こういう興味深い研究の余地がある学問分野なら自分も身を投じてみたいと学生さんが感じてくれるようなら本書の編者の方々も大喜びでしょう。私は学生ではないので、残念ながらそうは感じませんでしたが、それでもこの項を読んでいて、疑問というか調べてみたいタネがいくつかみつかりました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">まず、蓮華王院宝蔵に収められていた紀貫之自筆本というのが不思議です。仏教関係の著作や勅撰集などは別にして、平安時代の文学作品で著者自筆本の残っているものはありません。そもそも各作品に著者による定稿が存在していたのかどうか自体にも疑問が残ります。紀貫之自筆本土左日記はその例外なんでしょうか?土左日記を発表後、貴族社会で評判が拡がり、天皇から自筆本を献上するようにという命令が下された時点で書き上げた本で、朝廷の図書収蔵庫(文殿?)に収められ、やがて蓮華王院宝蔵に移されて定家の生きた時代までのこったということなんでしょうか?それとも一度は誰か廷臣の手に渡り、それが後白河法皇に贈られて蓮華王院宝蔵に収まることになったんでしょうか?</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">鎌倉時代初期に土左日記がどのていど普及していたのかは知りませんが、もし貴族の蔵書としてあるていど普及していたとするなら、それら謂わば流布本とこの蓮華王院宝蔵の紀貫之自筆本との間には、きっとテクストの違いが生じていたでしょう。紀貫之自筆本は定家の記録によると比較的きれいな状態だったようですから、秘蔵されていたものと思われます。土佐日記執筆から約300年が経過した鎌倉時代初期の流布本にはそれなりの変化があったはずです。古写本で、この「流布本」の様子を伝えてくれるようなものがあれば面白そうな気がします。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">源氏物語青表紙本や古今集などのように、藤原定家の書写した写本が現存するもっとも権威ある古写本として扱われている作品は少なくないのだろうと思います。定家本の尊重される理由の一つは、書写に際して元の本の本文に積極的に手を入れるようなことをしなかった点なのだと何となく理解していました。しかし、この土左日記についていうと、他の写本と比較して、定家筆本には独自性があり、定家が書写に際してある種の改変を加えていたことが明らかです。こういった改変は他の作品の書写に際しても積極的に行われたと考えるべきなのか、それともこの土左日記の書写にだけ特別な事情があってのことだったからなのでしょうか?などなど、きちんと勉強し始めれば考える材料がたくさんみつかりそうです。そういう魅力を伝えてくれる本でした。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-46308981489042991902013-01-09T17:07:00.003+09:002013-01-10T08:40:05.275+09:00新版 匠の時代4<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-gCe5LU7VkW8/UO0lTMZOmAI/AAAAAAAAE8M/aRvQk_z3Z6I/s1600/%E5%8C%A0%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A34.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://4.bp.blogspot.com/-gCe5LU7VkW8/UO0lTMZOmAI/AAAAAAAAE8M/aRvQk_z3Z6I/s1600/%E5%8C%A0%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A34.jpg" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">内橋克人著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">岩波現代文庫 S220</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2011年7月15日 第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">国鉄のいろいろな職種のできる人たちをとりあげた軽い読み物に仕上がっていますが、ただそれだけ。各人の技能や国鉄の技術が深く掘り下げられているわけではないし、国鉄の抱えていた問題や労組のもたらした問題などへの言及は少なく、また叙述の仕方もリアリティを狙ったスタイルではありません。</span>例えば、著者がその場で実際に聴いたはずのない登場人物の会話が、カギ括弧で囲まれた直接引用の形で書かれているのです。こういうのって、事実を語るというよりもエンターテインメントを重視した、小説にふさわしい作法だと私は感じます。こういった見てきたような嘘を語る手法をつかった作品には、例えば坂の上の雲があります。しかし坂の上の雲なら、読んで明治の日本を学んだ気になってはいけないとは言えても、エンターテインメントとしてはよくできた作品だから売れています。しかし本書は、高度成長期日本の一面を学ぶにも、暇つぶし以上のエンターテインメントとしてもよくできた作品とは言えず、「匠の時代」というタイトルは分不相応かなと感じました。</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">もともとは夕刊紙の連載コラムだったものが書籍として出版され、その後講談社文庫、そしてこの岩波現代文庫として出版された履歴があると記されていますが、岩波が21世紀のこの時期になぜわざわざ現代文庫として出版したのか、その意図が読めません。時代背景の書き込みが乏しいのは、同時代の読者には不要だったからだと思いますが、当時を知らない読者にはおすすめできない、とうに賞味期限の過ぎた本だと思うんですがね。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-32428314528746830762013-01-05T17:06:00.000+09:002013-01-05T17:06:23.546+09:00船舶解体<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-WuauZzSWvco/UOfe8Vgge6I/AAAAAAAAE4k/dqzwJR6YKWI/s1600/%E8%88%B9%E8%88%B6%E8%A7%A3%E4%BD%93.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-WuauZzSWvco/UOfe8Vgge6I/AAAAAAAAE4k/dqzwJR6YKWI/s1600/%E8%88%B9%E8%88%B6%E8%A7%A3%E4%BD%93.jpg" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">佐藤正之著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">花伝社</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2004年11月30日 初版第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">鉄リサイクルから見た日本近代史というサブタイトルがつけられているように、船舶解体だけでなく、解体によって得られる鋼材・鉄屑の利用について、戦間期から現在までの状況を扱っている本でした。第一章では、潜水艦との衝突で沈没したえひめ丸が調査のために引き上げられながら、その後は解体されずにふたたび沈められたエピソードとともに、人件費の低くない国では船舶は解体できなくなっていることが紹介されていました。現在の日本で解体される船は自衛艦のように秘密保持の目的のものくらいなのだそうです。世界の船舶解体に占めるシェアも、第二次大戦後しばらくは日本が一位だったものの、石油危機前後には台湾・韓国のシェアが大きくなり、現在ではインド・パキスタン・バングラデシュの南インド3カ国と中国が大部分を占めています。これらの国でも人件費が上昇し、また解体にともなって排出されるアスベストなど有害物質も問題視されるようになってきていますから、廃船を解体してくれる国がなくなってしまうのではとも危惧されるのだそうです。AppleがMacの生産の一部をアメリカに移すことを発表したように、機械化が進んだ製造業では人件費よりも他の経費を重視して先進国に戻る動きが増えてくるでしょうが、人手の関与する部分が大きく、しかも3K職場の典型のような船舶解体業ではそうはいかないでしょうね。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">まだ鉄屑の発生量が少なく、盛んに船舶が解体されていた頃の日本には、解体する対象として船舶を輸入することも行われました。船舶解体業者は用船で得られる運賃と解体で得られる鉄材鋼材の価格とを比較して、輸入した船舶を運用・傭船にまわすこともあったのだそうです。また戦前でも輸入規制のあった時期には便宜置籍船(変態輸入船と呼ばれた)として運用されたりもしたのだとか。さらに解体された場合にも、製鉄の原料として輸入された鉄屑と同じように、船舶解体によって得られる鋼材も溶かされて高炉や電炉で再利用されるのかと思っていました。しかし、程度の良いものは伸鉄業にまわり加熱・成型して建築用の丸棒などとして販売されました。JISの整備で公共工事に伸鉄材からつくった丸棒がつかえなくなったことも日本での船舶解体の衰退に繋がったのだそうです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">これまで知らなかった分野が取り上げられたとても興味深い本でした。ただ、製鉄や造船といった大企業の多い華々しい業種とは違って、静脈産業である船舶解体業には中小企業が多く、まとまった史料が残されていないようです。本書にも著者が資料探しに苦労したことが書かれていました。船舶解体業で活躍した人たちに直接インタビューすることができれば、きっと面白いエピソードをたくさんきくことができたでしょう。でも、それら取材すべき人たちが元気でいたのはおそらく半世紀は前のこと。本書にも船舶解体業で活躍した人たち子供の世代が親の思い出話を語った部分が少し載せられていますが、正直なところ興ざめ。21世紀に発行された本書は、オーラルヒストリーという意味では遅過ぎます。オーソドックスな史書の流儀で書いた方が良かったのではとも感じました。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-72181479009348130792013-01-02T18:28:00.003+09:002013-01-02T18:28:18.046+09:00モノが語る日本対外交易史 七 — 一六世紀<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-FAzPzpGMnNQ/UOP9eJC8dnI/AAAAAAAAE2k/2MaKKzWENYw/s1600/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%8B%E3%82%99%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AF%BE%E5%A4%96%E4%BA%A4%E6%98%93%E5%8F%B2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://2.bp.blogspot.com/-FAzPzpGMnNQ/UOP9eJC8dnI/AAAAAAAAE2k/2MaKKzWENYw/s200/%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%81%8B%E3%82%99%E8%AA%9E%E3%82%8B%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%AF%BE%E5%A4%96%E4%BA%A4%E6%98%93%E5%8F%B2.jpg" width="140" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">シャルロッテ・フォン・ヴェアシュア著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">藤原書店</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2011年7月30日 初版第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br />
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">大和朝廷の頃から室町・戦国時代までの日本の対外交易を扱った著作です。 著者はまず序章で「海は道なり」というブローデルの言葉を紹介し、西洋の海のルートである地中海との比較研究の可能性を示唆して本書を始めています。ブローデルの地中海も多くの研究者の研究成果に依拠した著作ですが、本書もこれまでに多くの日本人研究者が積み重ねてきた成果をまとめ、大和朝廷の時代から室町・戦国時代までの通史としています。そして、具体的にはタイトルにもあるように</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">筆者はモノの需要は各時代において国際交流の主たる要件であると考える。換言すれば「モノが人を動かす」でのある。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と述べられていて、交易されたモノに着目している点が本書の特色です。口絵の写真や、本文中に取り上げられている品物を眺めながら読むだけでもワクワクしますが、扱われている10世紀間を通観して受けた印象としては</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<ul>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">平安時代の頃までは、中国や朝鮮半島から輸入されたモノは唐物として天皇や貴族たちのあいだだけで消費され、彼らの間で贈答品として交換されることはあっても、商品として日本国内を流通することはなかった。日本から輸出されたモノとしては、絹製品もあったが金や水銀、真珠などの一次産品が中心だった。また初めは朝貢、その後の交易は中国や渤海や朝鮮半島の商人によってになわれた。交易船の往来の頻度は少なかった。</span></li>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">本書の対象とする期間の後半になると、日本から交易に出かける人が多くなり、朝鮮や中国は日本からの交易船の来港を制限しようとしたほどだった。日本から中国への輸出品をみると、金、硫黄、特殊な木材などの一次産品もあったが、金額的には手工芸品が主となった。たとえば明が輸入した品を資源・天然材料、単純工芸品、高級工芸品の三つに分けると朝貢国の中で「美術工芸品を大量に明に輸出するのは日本だけであった」。日本の輸出における「工芸品の比重が大きく、その売り上げによって日本は利益を獲得し続けたのである」。</span></li>
</ul>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">7世紀以前の日本は、縄文時代から住んでいた人と、江南から移住してきた人と、朝鮮半島からの人と、台湾から九州南部へ移住してきたオーストロネシア語族の人とが次第に融合しつつはあっても、中国や朝鮮半島と比較すると文明化は遅れていたのだと思います。商品生産などはまだまだ無理で、交易に出せるような品もたいしてなかったから、卑弥呼の時代には生口を献じたのでしょう。本書の対象となる期間の初めの頃も事情は大して変わっていなかったはずで、中国人の欲しがるようなモノを用意できない土地だったから、交易に来てくれる船も少なかったということなのだと思います。しかし、時代が進んで室町・戦国時代になると、日本国内でも商品の生産・流通が盛んになり、なんといっても銭貨が強く需要されるようになっていました。さいわい、手工業の技術も一定程度は進み、売れるモノが日本国内でもまあまあ生産できるようになってきたので、銭貨を求めて日本人主体の交易船が大挙して押し売りに行ったんでしょうね。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-22381225481852068152012-12-31T12:50:00.002+09:002012-12-31T12:50:22.249+09:00近世米市場の形成と展開<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-vsSZe1_MoYk/UOELXDGOkBI/AAAAAAAAE1k/tManrOLeTu4/s1600/%E8%BF%91%E4%B8%96%E7%B1%B3%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%A8%E5%B1%95%E9%96%8B.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://1.bp.blogspot.com/-vsSZe1_MoYk/UOELXDGOkBI/AAAAAAAAE1k/tManrOLeTu4/s200/%E8%BF%91%E4%B8%96%E7%B1%B3%E5%B8%82%E5%A0%B4%E3%81%AE%E5%BD%A2%E6%88%90%E3%81%A8%E5%B1%95%E9%96%8B.jpg" width="141" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">高槻泰郎著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">名古屋大学出版会</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年2月10日 初版第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br />
<br />
<br />
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">米切手とは何なのか、大阪の米市場での取引の仕組み、米切手を利用した金融活動、幕府の米価政策・米市場に対する統制策の変遷などが分かりやすく解説されていました。米切手の取引の仕組みについては、本書にも引用されている、宮本又郎さんの書いた「近世日本の市場経済――大阪米市場分析」や石井寛治さんの「経済発展と両替商金融」などを読んだことがあります。でも正直なところ、すっきり理解できたとは言いにくい状態でした。その点、本書の説明は素人にも理解できるよう丁寧にかみ砕いて書かれていて、私でも大丈夫。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<ul>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">米切手には蔵の中の特定の米とのつながりはなく、そのおかげで先物取引に利用されたり、また米の保有量以上の切手を発行することで大名家の資金調達手段としても利用されるようになっていた</span></li>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">幕府は空米切手の発行を抑制する政策を掲げていたが、田沼政権期には米切手所持人の蔵米請求権を保証して米切手が円滑に流通することを実質的な政策目標としていった</span></li>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">幕府は大名側からの「御国持方御領分御自由」という主張を崩せず、各大名の蔵屋敷の中に現物の米がどれくらい貯蔵されているのかを明らかにすることができなかった</span></li>
<li><span style="letter-spacing: 0px;">米飛脚や大阪の市況に関する相場状を状屋と呼ばれる業者が地方の商人に向けて頻繁に発送していた。のちには旗振り通信が出現し、大阪と大津の米相場をその日のうちに連動させるようになった</span></li>
</ul>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">などなど、非常に興味深く感じ、学べました。ところで本書を読みながら疑問を感じた点もいくつかあります</span><span style="letter-spacing: 0px;">まず、 米切手が米と引き替えられずに市中に滞留していたのはなぜなんでしょう。広島・筑前・肥後・加賀といった大手の蔵屋敷が米の入札を行う時期は限定されているのに対し、米の実需は年間を通して存在している。実需者の買いに米の卸売業者が対応するためには、米を在庫しておかなければならないが、米切手という形態で在庫しておけば、蔵屋敷が保管してくれるので、米実物を自分の倉庫に保管するより安く上がるという理由だけなんでしょうか。というのも、本書で引用されている史料のなかに「切手之儀は盗難之愁無之候ニ付、金銀よりも切手ニ換、所持致候」と書かれているものがありました。こういった理由で米切手を所有していた人も本当にいたんでしょうか?</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">米切手は蔵屋敷の中の特定の米との縁がないということは、米切手を持参して払い出しを受けるまでどんな米が渡されるのかわからないということだろうと思います。もちろん、虫食いや水濡れなど傷んだ米は別扱いだったかもしれませんが。卸売業者から米切手を買う実需者・小売業者はこれで困らなかったんでしょうか。それともこの当時、米の品質というのはあまり重視されていなかったんでしょうか。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この大阪の米市場での取引手数料や両替手数料などの収入で米仲買、両替商など多数の人が生活していて、かなり大きな商人もいたようです。それら商人の収入などは米の取引高のどれくらいにあたったんでしょうか?また、本書の最後の方では、大阪米市場の効率性が検証されていて、幕末に近づく頃以外は、おおむね効率的な市場だったことが述べられています。 米市場の効率性を確保するためのコストはどのくらいかかったんでしょうか。米会所の存在、奉行所による司法の提供、情報提供業者などなど。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">米切手には引換の期限がありました。期限が来れば無効になるので、それまでにはすべて米と引き替える請求がなされること必至です。それなのに、地元からの登米以上の米切手を発行してしまうのがなんとも理解しにくいところです。兌換紙幣やその類似物(例えば銭荘の発行した銭票)なら支払い準備以上に発行されることがあるのは当然ですが、米と引き替えることが運命づけられているはずの米切手でそれって変ですよね。米との引換ができない騒動に及んだ事件が本書にもいくつか紹介されています。資金調達の目的で発行された空米切手が騒動を引き起こしたんだと思いますが、そういった有り米量より多くの米切手を発行した蔵屋敷の関係者・蔵役人は騒動の後で、藩の名誉を傷つけたとして藩によって処罰されたんでしょうか?それとも藩命で米切手を発行して資金を調達し、しかも約束通りには返済せず、示談でかなり長期の債務にすることができたということで褒美を受けたんでしょうか?その辺も気になりました。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-58781192790056450202012-12-20T13:45:00.001+09:002012-12-20T13:45:09.684+09:00ポーランドを生きる ヤルゼルスキ回顧録<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-av6fFpCHh-8/UNKXGK4_ALI/AAAAAAAAEsw/HtapaH9bMug/s1600/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://1.bp.blogspot.com/-av6fFpCHh-8/UNKXGK4_ALI/AAAAAAAAEsw/HtapaH9bMug/s200/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BB%E3%82%99%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AD%E5%9B%9E%E9%A1%A7%E9%8C%B2.jpg" width="138" /></a></div>
<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ著</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">河出書房新社</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1994年5月10日 初版印刷</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1994年5月20日 初版発行</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ワルシャワ蜂起 1944の感想にコメントしてくれた方のご推薦でこの本の存在を知りました。この回顧録が日本で出版されたのは1994年のことで、とうの昔に新刊書店からは姿を消しています。しかし、ググってみると中古品はAmazonさんで販売されていて、値段もわずか200円。早速注文したところ、2日後には入手できました。インターネットのありがたみを感じるのはこういう時ですね。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">東欧の民主化運動について、私にはプラハの春の記憶はありません。しかし1981年のポーランドの戒厳令は憶えています。訳者あとがきに「あの悪者の書いた回想など読みたくもない、まして日本語にするなどは論外と感じたのが正直な話である」と書かれていましたが、私もヤルゼルスキさんには、正義の味方である「連帯」を弾圧するサングラスをかけた悪漢という印象をもっていました。しかし本書を読み始めると、私の浅薄な理解は変わり始めました。もちろん回顧録ですから割り引いて読まなければならない点もあるでしょうが、まじめで誠実な人なのかなと感じるようになったのです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ヤルゼルスキさんは数百ヘクタールという大きな農地を所有する階層の出身です。貴族と訳されていましたが、彼のお父さんは領地の農作業に従事する雇用労働者を自分で監督していたそうです。またその領地は電気もきていない田舎にあったそうで、中等教育はワルシャワにある学費のお高い寄宿制の聖マリア修道会の学校で受けました。この学校はワルシャワ蜂起 1944でも触れられていてとても有名な学校だったそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ドイツのポーランド侵入後、著者の一家はまず東に避難し、ソ連参戦の報を聞いてリトアニア国境を越え、しばらくリトアニアで過ごすことになりました。しかし独ソ開戦後、ソ連によってシベリアに強制移住させられ、はじめはタイガで伐採作業をしました、しかし、つらさに逃げ出して倉庫やパン屋さんに勤務。独ソ開戦後、アンデルス軍への参加を希望しましたが父の死もあって合流に間に合わず、ポーランド愛国者同盟の部隊に参加します。リャザンの新編成ポーランド軍士官学校へ向かう際の著者の感想は</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
理由や状況は異なるにせよ、私たちは全員が歴史の辛酸を嘗めていた。それでもロシア人を、また奇妙なことにはソビエト人一般を恨んでいなかった。公言はせずともソ連体制を嫌悪するものが私たちのなかにいたのは間違いない。しかし遺恨はロシア人に向けたものではなかった。これはシベリアで接した人々の態度によるところが大きい。彼らは私たちに悪意や嫌悪を示すことが一度としてなかった。強制移住であろうと流刑であろうと囚人であろうと収容所送りであろうと、その境遇はロシア人の大半とさほどの違いはなかった。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">というものです。この回顧録ではソ連に遠慮する必要はなかったでしょうから、本当にソ連を嫌っていたのならそう書いていたはずで、著者がまだ若かったので逮捕・拷問などの対象にはならなかったことと、ソ連人自体もシベリアに送られることが当たり前だったスターリン体制という時代とが、こういう感想を抱かせたのでしょう。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">著者はポーランド部隊のとびきり若い将校として戦闘を続けます。ワルシャワ蜂起の際にはヴィスワ川の前面まで達していましたが、前進に次ぐ前進で疲労や補給の不足という問題があり、またドイツが装甲師団を投入したことでさらなる前進は無理だったとしています。もちろん、著者らはワルシャワで戦っている人たちに許され範囲で援助を行いました。でも、スターリンの同意がなければ本格的な支援の手を差し伸ばすことはできなかったということです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
白ロシア、西ウクライナでの数週間、生き残ったポーランド人や住民と接触した結果、これらの地方でポーランド人がいかに異邦人であるかを思い知らされた。1939年の避難の際、つとに私が感じたことだ。白ロシアの住民がロシア兵を解放者として迎え入れる現場に私は立ち会ったのだ。そののちリトアニアでもいく世紀にもわたるポーランド・リトアニア両国間の係争の重圧がひしひしと感じられた。大戦後、ポーランドはその歴史と起源にふさわしい国境線を見いだしたと私は信じている。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ポーランドの新しい国境線に関する著者の感想は、書物でふつう目にするものとは違っていて、すこし驚かされます。こういう考え方をしているポーランド人はどのくらいいるんでしょう?ソ連に押し付けられたものと書かなかったのは、ドイツとの西部国境、オーデル・ナイセ線が正当なものであることに疑念を抱かせないために自己規制したのかなとも感じますが、どうでしょう。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
戦後ポーランド社会の貧窮は今日では共産党政権の責任とされる傾向があるが、全国土の38パーセントが戦争により破壊された事実を忘れている。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ポーランドの大戦による被害の大きさには気付きにくく、この著者の指摘は重要だと感じました。物的被害のみならず、独ソともポーランドの若年労働者を強制的に狩り出し、また将校や大学教授などの知識人を計画的に殺害しした。戦後の復興に必要な若年労働力と知識人層の不足がポーランドに与えた影響は大きかったであろうことは理解できます。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">戦後、著者は軍に残る選択をします。戦闘経験の豊富な著者は歩兵研修所(高等歩兵学校の前身)に入学しますが、ここでは士官としての知識だけでなく、戦争中には経験できなかった読書など知的刺戟が得られました。こういった経験で覚醒した著者は入党することにしたのだそうです。この時期について著者は</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
1947年1月の選挙は残念ながら完全に民主的とは言えなかった。だが45年から47年まで、わが国の政治はおおむね民主的だった。野党も存在した(野党を抹殺したのは48年のスターリン主義への方向転換である)。西側に戦禍を逃れた政治家、知識人の帰国が相次いだ。大物の帰国は華々しく報道された。祖国再建の大事業に人々が結集するという確信は深まった。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
この時点で思いとどまっていたなら、50年代の状況下でも入党を決意したかどうかは確言できない。いずれにしろ47年当時、政治は希望に満ち、思想的自由も存在した。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
しかし誤解されては困る。44年から48年が政治的に牧歌的な時代だったと言うのではない。それは熾烈な闘争の時代だった。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
不法な逮捕、不当な強制移住、不正な裁判、裁判なしの処刑など、おそるべき不正の支配した時代である。だが「ポメラニアの壁」戦、ベルリン包囲戦を戦い、チェコ国境警備についていた私たちは、[ソ連の]人民内務委員部や悪名高いポーランドの公安局(UB)の活動を知るよしもなかった。こうした治安機関の暴虐が明るみに出るのは後年のことであり、なかにはつい最近、白日のもとにさらされた事実もある。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と書いています。これまでポーランド亡命政府の側からの見方しか知らなかったので、1945年から47年の時期をおおむね民主的とする著者の評価には驚かされます。ポーランド統一労働者党のトップまで勤めた人だからこう書かざるを得なかったのか、それともシベリアでソ連の実情を見た後に東部戦線でソ連側で戦った著者のような人には「ソ連よりはましだ」という当たり前の見方なのか、どちらなのか私には分かりません。ただそれにしても、NKVDやポーランドの公安局の活動を知らなかったとする著者の弁はさすがに信じ難い気がします。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
その晩、私が最初に感じたのは不思議な満足感だった。言ってみれば、ポーランド人がオリンピックで思いがけず金メダルを獲得したかのような感じだった・・・。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1978年のポーランド人教皇誕生に対する著者の感想ですが、とても素直。</span>さて、軍という機関で軍人という専門職に徹し、政治や党内の派閥争いとは距離を置いていた著者は、軍政治本部長、国防次官、参謀総長、国防大臣と昇進してゆきます。そして食料品の値上げに端を発したストと連帯の結成に際して首相に、ついには党第一書記に就任します。党に対する信頼が失われ、民主化運動に加わる党員の中も現れる状況に対して、ソ連や周囲の社会主義国からは正常化をもとめる強いプレッシャーがかけられます。プラハの春の際にドゥプチェクと会談した著者は</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
私はのちにこの会議のことをしばしば思い起こした。ドゥプチェクのこと、それからチェコスロバキア指導部の態度について、[「連帯」全盛の]1980年末と81年はとくにそうだった。彼らの弱腰が災いを招いたことを承知していたから、われわれが国内情勢を統御していないかのような印象は決して与えないよう私は心に誓った。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">のだそうです。これは口からでまかせといった種類のものではないと感じます。東側からは圧力、他方西側からは</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
いつも同じ励ましの言葉――お願いだから、「連帯」と力を合わせて、ソ連の戦車がポーランドの街に乗り込むような事態は絶対に招かないように</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">という、ちっとも役には立たない言葉のみ。さらに著者が戒厳令の準備を命じていた大佐(ベトナム停戦監視団勤務時から20年にわたってアメリカのスパイ組織に協力していた)が、準備中にアメリカに亡命してしまいました。しかし</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
アメリカは沈黙を守った。白状するが、本当に助かったという思いだった。アメリカは、「連帯」指導部に警告しようともしなかったし、何かのシグナルを送って(その手段はあった)計画の断念をわれわれに強いることもなかった。アメリカのこうした対応についてはいまなお自問することがある。最も理屈にあった説明と思われるものは、ポーランド当局が(いかなる方法であれ)自分のやり方で危機を打開するほうがソ連の軍事介入よりもましである、とアメリカが考えたことである。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">アメリカが戒厳令の阻止にむけての積極的な動きをみせかなかったこと自体が、ポーランドに対する戒厳令OKというメッセージだと著者が感じたとしても不思議ではありません。また本書の解題には、ソ連がポーランドへの軍事介入が切迫していなかった証拠がある旨書かれています。しかしポーランド党のトップだった著者に当時それを確認する術はなく、著者はポーランドを救うために戒厳令を布告する決断をしました。政権交替がルールとなっている西側の国と違って、社会主義兄弟国への配慮も必要な政府のトップとしては、ほかにやりようがなかったのでしょう。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">戒厳令布告をソ連や東側諸国は歓迎しましたし。しかしこれで民主化を希求する動きがおさまったわけではなく、著者をトップとするポーランド統一労働者党と政府は、連帯、教会などとともに円卓会議をもち、部分的な自由選挙の実施に合意します。その後も政権を維持できるだろうという著者たちの思惑を裏切って、選挙は連帯の圧勝に終わります。その後は大きな流血を伴わない政権の交替につながったわけですから、著者の功績は小さくないものと感じました。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書の中にはヨーロッパの国や指導者に対する言及がたくさんみられます。しかし日本とポーランドの遠さを反映してか、日本に対するものは2つだけ。著者が大統領として会った指導者のリストに「中国の鄧小平」の前、後ろから2番目に「日本の中曽根」と書かれていました。また大統領として出会った実業家として<span class="Apple-tab-span" style="white-space: pre;"> </span>「斉藤」という名前が挙げられていますが、これは誰なんでしょう?この頃経団連会長だった斎藤英四郎さんかな。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-74586231688249467692012-12-16T09:24:00.003+09:002012-12-16T16:37:42.540+09:00国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩はどこから来たのか?<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-Bid8r59-PRQ/UM0UxIEeNtI/AAAAAAAAEpM/Edj4sgkMO8o/s1600/%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8F%B7%E5%BA%83%E9%9A%86%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9%E3%81%AF%E3%81%A8%E3%82%99%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://1.bp.blogspot.com/-Bid8r59-PRQ/UM0UxIEeNtI/AAAAAAAAEpM/Edj4sgkMO8o/s200/%E5%9B%BD%E5%AE%9D%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8F%B7%E5%BA%83%E9%9A%86%E5%AF%BA%E3%81%AE%E5%BC%A5%E5%8B%92%E8%8F%A9%E8%96%A9%E3%81%AF%E3%81%A8%E3%82%99%E3%81%93%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%8B%EF%BC%9F.jpg" width="141" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">大西修也著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">静山社文庫</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2011年5月5日 第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">静山社って聞き覚えのない名前ですが、ハリーポッターの出版社なんですね。タイトルに国宝第一号なんてわざわざつけられると下品な印象しか受けませんが、内容はとてもしっかりしていました。仏像の形態の意味、様式の変遷などから、日本にある仏像のルーツを中国の南北朝や朝鮮半島の三国にたどれることが述べられています。日本で生まれ育った人が拝するに価する威厳ある正しい様式の仏像をつくるには、そのお手本となるものが必要でしょう。例えば、法隆寺金堂の釈迦三尊像は止利仏師のチームがつくったものですが、その止利仏師も渡来人の孫で日本で生まれ育った人ですから、外国にある仏像を直接自分の眼で見たことはなかったはずです。 もしかすると設計図にあたる絵図面も中国・朝鮮から渡来していて、それを参考にしたこともあったのかもしれませんが、それよりも渡来した小さな仏像をお手本に大きな仏像をつくる方がずっと容易だし自然です。古代の日本でつくられた有名な大きな仏像と面影や様式の似た仏像が外国や日本の他の地で見つかるのはそういった関係なのかなと理解しました。広隆寺の弥勒菩薩だけでなく、善光寺如来、法隆寺の釈迦三尊、東大寺の大仏様などなどについても触れられ、関連するエピソードも豊富なので面白く読めました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ただし、親切とはいえない論の進め方も見受けられます。たとえば、冒頭では「いつ日本に仏教が伝えられたのか」として、仏教の公伝について538年説と552年説があることを紹介します。当然、著者がどちらの説を正しいと考えるのかを次に論じるものと期待しますが、そうは続きません。日本書紀に552年説が採られたことがその後に与えた影響として、200年後に東大寺大仏の開眼会、500年後に平等院が建立されたことが述べらているのです。肩すかしを食らった感じ。また、その200年後、500年後であることが当時の人に本当に意識されていたのかどうか文献的根拠が挙げられるのかと思うとそうではなく、そのまま他の話題に転じてしまいます。そして、大仏開眼会が200年後を意識していたという説を唱える人のいることが紹介されるのはようやく179ページも後のことで、しかもその根拠についてはやはり一切言及がありません。これには不満。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">また第10章は、熊本県の「鞠智城址出土の百済仏」持物が蓋付きの円筒形の容器でめずらしいこと、仏舎利を入れた容器は宝珠と同じ意味をもつこと、わが国の宝珠捧持菩薩を代表する作品は法隆寺東院夢殿の救世観音像と話をふり、救世観音のルーツや他の法隆寺の仏像について話が展開します。しかし読者としては話が展開する前に、話の枕として出された鞠智城址出土の仏像がなぜ百済仏と同定できるのか、なぜめずらしい様式の仏像が熊本県から出土したのかについて疑問なまま読むことになってしまいます。ようやくその答えが示されるのは25ページも飛んだ第10章末で、しかもそこでも、冒頭でとりあげられた仏像についての疑問に対する答えという書き方にはなっていません。思わせぶりに興味をひいておいて素知らぬ顔をする、こういうあたりはとても下手くそ。素人向けの本を書いた経験が少ないんだろうなと感じました。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com1tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-67165465068778519612012-12-10T18:28:00.003+09:002012-12-10T18:28:41.060+09:00ワルシャワ蜂起 1944 下<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ノーマン・デイビス著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">白水社</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年10月10日印刷</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年11月10日発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第2巻はワルシャワ蜂起の終焉とその後を描いています。戦闘員の資格を確認してもらってドイツ軍に降伏した人たちだけでなく、地下に潜った人も、戦線のソ連側に逃れた人も、逮捕されて拷問や過酷な収容所生活を経験したり、また戦後にも引き続きつらい生活を余儀なくされる場合が多かったも触れられていました。ずいぶんとむかし、アンジェイ・ワイダ監督の地下水道、灰とダイヤモンドを観たことがありますが、その時には彼のいいたいことの10分の1も理解できていなかった感じ。この本を読み終えた今なら、なぜああいう映画が撮られたのかを考えることのできる観客になれそうです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書の終章は中間報告と銘打たれています。著者はワルシャワ蜂起失敗の原因がソ連だけにあるわけではないと述べていますが、スターリンの悪意にもとづく無作為に最大の問題でしょう、やはり。また、チャーチルをはじめ、イギリス政府の中にはワルシャワ蜂起を充分に支援できなかったことに対する後悔があります。ワルシャワ蜂起の時期、イギリスがソ連にもっと強い態度に出ることができなかったのはなぜなんでしょう。すでに第2戦線は開いたし、1944年春夏の頃ならソ連がドイツと講和を結んでしまう可能性なんてゼロでしょう。それとも終章に述べられているように、イギリスは戦争も国民生活の維持もアメリカに大きく依存していたから、日本へのソ連の宣戦布告を希望するゆえか否かは不明だが、ソ連に対して融和的なルーズベルト大統領はじめアメリカの意向を考慮して、ソ連に対して遠慮しなければならなかったということなんでしょうか。だとするとアメリカの責任も小さくはないわけですね。また、もっと根本的な問題として、ポーランドへの侵入を理由にドイツに宣戦布告したイギリスとフランスが、同じようにポーランドとの条約を破ってポーランドに侵入したソ連に対しては宣戦布告しなかった理由がなんだったのか不思議に思え、本当はこのへんのイギリスの対応にも遠因があるのだろうと感じます。ドイツだけで手一杯で、できればソ連とドイツを戦わせたかったのは分かるんですが、当時、それへの宣戦布告は検討されなかったのか、気になってしまいました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書のテーマからは少しはずれますが、本書からもスターリンのソ連は際立って異常だと感じてしまいました。スターリンが異常な人だったのは確かですが、弾圧を実行するには末端で実際に手を下す人たちが多数必要なわけで、スターリンが異常だっただけではなく、NKVDなどの下っ端職員も含めて異常だったんだと思います。もちろん中には自分の身を守るため、生活のために仕事をしただけという人もいるのでしょうが、それだけではああいうことにはならなかったのではないか。スターリンだけでなくソ連の抑圧旗艦の職員にも、理想の社会を作り上げるためには敵と敵からの妨害を排除しなければならないという使命感があったからこそ、ああいったことが実行できたんでしょう、きっと。戦後のポーランドの初期の施政者の中には同じような使命感をもった人が少しはいたのかも知れませんが、その下の公務員たちはやはり生活のために働いていただけなんだろう、だからポーランドの統一労働者党政権が長期間の安定をみることはなかったんでしょう。世紀を単位とした長い目で見ると、スターリンの奸策もポーランドの人のロシアに対する見方をさらに一層厳しくしただけに終わったと感じます。</span><br />
<span style="letter-spacing: 0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0px;"><a href="http://somali-present.blogspot.jp/2012/12/1944.html">ワルシャワ蜂起 1944 上</a>の感想</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com3tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-66353900062847646022012-12-01T16:38:00.000+09:002012-12-10T18:29:34.845+09:00ワルシャワ蜂起 1944<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://2.bp.blogspot.com/-hZsaNOGiUjY/ULmznV7Wx4I/AAAAAAAAEa4/BWiw-vT4hZw/s1600/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E8%9C%82%E8%B5%B71944%E4%B8%8A%E5%B7%BB.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://2.bp.blogspot.com/-hZsaNOGiUjY/ULmznV7Wx4I/AAAAAAAAEa4/BWiw-vT4hZw/s1600/%E3%83%AF%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AF%E8%9C%82%E8%B5%B71944%E4%B8%8A%E5%B7%BB.jpg" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ノーマン・デイビス著</span><br />
<span style="letter-spacing: 0.0px;">染谷徹訳</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">白水社</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年10月10日印刷</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年11月10日発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br />
<br />
<br />
<br />
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">近所の書店で平台に並べられていた本書。だいぶ前に同じ著者のヨーロッパ史を扱った4巻本を読んだことがありますが、ポーランド史の専門家だったとは知りませんでした。 ワルシャワ蜂起というテーマに惹かれて、まずは上巻を購入してみましたが、上巻だけで556ページもある厚い本です。そのうちの373ページはワルシャワ蜂起よりはるか昔、チュートン騎士団やリトアニア・ポーランド王国の頃からポーランド分割、第一次大戦、戦間期のポーランドなどの歴史を説明する第一部にあてられています。著者は</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中東欧地域の多数の国々では、第二次大戦の終結は、ひとつの全体主義国家による占領の終わりではあったが、同時に別の全体主義国家による占領の始まりでしかなかった。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">蜂起が終焉を迎えた時点、または1945年5月の時点で物語を打ち切り、その後に生き残った人々が幸せに暮らしたかのような書き方をするとしたら、それは決して公平なやり方とは言えない</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と記していて、第一部に書かれているような知識が基礎にないと、ワルシャワ蜂起や第二次大戦後のポーランドについての理解が難しいと考えているようです。でもまあ、私はそういったあたりではなく本書には汗握る場面の方を期待していたので、多少じれったく感じたのも確かです。第一部には歴史に加えて開戦後の様子も描かれています。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">地下国家が機能し得たのは、すべての国民が抵抗運動を支えることを暗黙のうちに了解していたからである</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">イギリスから飛行機で潜入したポーランド亡命政府の密使がワルシャワで国内軍の秘密会議に出席し、会議のあと街に出たところでゲシュタポに呼び止められ、どこから出てきたんだと尋ねられます。咄嗟に彼は近くの歯科で治療をして出てきたと答えました。ゲシュタポは裏を取るためその歯科に電話を入れますが、歯科医はそういった人をたしかに今まで治療していたと答え、見ず知らずの人を亡命政府の密使とは知らずに助けます。戦闘シーンだけでなく、こういったエピソードの中にもポーランドの人たちの気持ちがみえるようです。</span><br />
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第二部ではワルシャワ蜂起のありさまがイギリス、ソ連の意向など外部の状況ともあわせて述べられていました。本書の特長の一つは、ワルシャワ蜂起をいろいろな立場で経験したポーランドやドイツやイギリスなどの人々の日記や手記を、囲み記事として紹介していることです。これらに記されたエピソードにはとても興味を持ちました。もっとたくさん載せて欲しいくらいですが、生き残った人は少なそうですから、そうも行かなかったしょうね。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">さて、本書の文章はこなれた日本語で、翻訳臭さはほとんど感じません。そういう意味ではよくできているのですが、問題点も多々あります。まずは訳語で、本書冒頭の口絵写真の説明文をみたところで、がっかりしてしまいました。ドイツの軍用車輛の説明文なのですが、自走強襲砲StuGとか機甲兵員輸送車っていうのはないでしょう。当然、慣用されている訳語である突撃砲、装甲兵員輸送車と訳すべきで、そうでないと雰囲気ぶちこわしです。なぜ訳者が自分独自にあみだした言葉を使うのか、その意図が分かりません。また本文中にも、例えばテレタイプを「電信印刷機」と訳していたり(どうしても商品名を使いたくないのなら、Printing Telegraphなんだから印刷電信機とすべきでしょう)、二重星形エンジンを「双座星形エンジン」と訳したりなど、訳者独自の用語が散見されます。同じ訳者の「スターリン 赤い皇帝と廷臣たち」を読んだ際にはちっとも気づかなかったのに、ひとたび気になるとこういう違和感は強くなるばかりです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">誤訳と呼ぶべきものも見受けました。例えば、ノルウエー戦の「ナルヴィクでは、またポーランド海軍の戦艦三隻が作戦に参加した」とか、フランス敗北後にアルジェのフランス艦隊がイギリス部隊に攻撃され「戦艦数隻が撃沈され」たとか。事情を知らない人が読んだら、ポーランドは3隻も戦艦を保有していたんだとか、ほんとうに戦艦が沈没したんだと思っちゃうでしょう。プロの翻訳者ならば戦艦ではなく軍艦と訳してほしいものです。ただ、このあたりは原文が想像できるからまだましな部類です。読んでいて本当に困るのは誤訳なのか、原文に誤りがあったのか判断に迷うような文章です。いくつか例をあげると、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">1944年当時、無線電信と無線電話の開発はまだ始まったばかりだった。 29ページ</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日露戦争についての本ならばいざ知らず、1944年の時点で無線電信の開発が始まったばかりだったはずはなく、一読しておかしいと感じる内容をもつ文章です。ただおかしさの原因が、原文の「1944」という数字に誤りがあったからなのか、上記の例のように「無線電信」という単語が一般的に使われているものと違った意味を持つ訳者独自の日本語の単語の使用によるものなのか、判断に苦しみます。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">パレスチナに到達したアンデルス軍は予備役部隊として英国第八軍に編入された 79ページ</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ソ連からイラン経由で脱出したポーランド軍団についての説明ですが、予備役は変。きっと予備として控置されたということなのだろうと想像します。でも著者独自の「予備役」の用法なのかもしれないし、また原文に予備役と書かれていた可能性も否定はできないし、どちらがこのおかしな文章の原因なのか私には分かりません。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">強制移送作戦のために親衛隊集団指導ユルゲン・シュトロープ中将に率いられてゲットーに入った約3000人のドイツ軍兵士と武装警官に対して、手榴弾と銃弾の雨が降り注いだ。 315ページ</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ユルゲン・シュトロープさんはワルシャワ蜂起の鎮圧に失敗したSS指揮官の後任としてワルシャワに赴任した人物のようですが「親衛隊集団指導」っていう肩書きは何なんでしょう?親衛隊指導者というのが親衛隊の中将に相当する階級のようですから「者」を落としてしまっただけでしょうか。ワードプロセッサの入力ミスみたいなのはほかにも散見されますからそうなのかもしれません。でも上記のような訳者独自の単語の可能性も完全に否定はできず、ふだん見慣れない単語だけに迷います。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ワルシャワ郊外の鉄道線路上には機甲列車が配置され、高性能爆弾の一斉砲撃に最適の地点を探して移動していた 397ページ</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">機甲列車なんていう日本語の単語にはお目にかかったことがないし、当然、一般的につかわれる「装甲列車」と訳すべきでしょう。事実430ページには装甲列車という単語がつかわれていますし。また高性能爆弾の一斉砲撃という表現にも違和感ありあり。砲撃につかうのは砲弾で爆弾ではないでしょう。原文にはhigh explosiveとあったので高性能爆弾としてしまったものかもしれませんが、榴弾とすべきですよね。</span><br />
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<a href="http://somali-present.blogspot.jp/2012/12/1944_10.html">ワルシャワ蜂起 1944 下</a>の感想</div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com4tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-85118395751449702442012-11-22T21:07:00.002+09:002012-11-22T21:07:48.552+09:00東アジア書誌学への招待<br />
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://4.bp.blogspot.com/-3VtC7WCRM0Q/UK3XhvU7CPI/AAAAAAAAESA/2-oKmJD2o8E/s1600/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%99%E3%82%A2%E6%9B%B8%E8%AA%8C%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://4.bp.blogspot.com/-3VtC7WCRM0Q/UK3XhvU7CPI/AAAAAAAAESA/2-oKmJD2o8E/s200/%E6%9D%B1%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%82%99%E3%82%A2%E6%9B%B8%E8%AA%8C%E5%AD%A6%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%8B%9B%E5%BE%85.jpg" width="140" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">大澤 顯治編著</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">東方書店</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2011年12月20日 </span><br />
<span style="letter-spacing: 0.0px;">初版第一刷発行</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国や日本の書誌学者が学習院大に招かれて行った漢籍に関する連続講義を二分冊にまとめたものです。この第一巻は、漢籍の基礎的な知識を扱った第一章、中国国内や日中間などでの漢籍の移動を扱った第二章、学習院大学に所蔵される漢籍コレクションの来歴・内容などをまとめた第三章に別けられ、それぞれ数人の筆者が執筆しています。漢籍に関するオーソドックスな知見も読んでいて勉強になりますが、専門家ではない読者の私の興味をひくのは雑学の方。いくつか例をあげてみます。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
中国で当たり前にいう「西漢、東漢」という言い方が日本ではまず用いられないのも知識人のフィルターに掛けられた中国知識の性格を示している</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本では漢(前漢)・後漢と呼ばれる王朝が、中国では西漢、東漢と呼ばれていることを不思議に思っていました。日本で中国の歴史書を読んだのは知識人ばかりだったので漢書・後漢書を手に取った、中国では一般の人も白話で書かれた史書を読み、それら俗な史書の書名や記述に西漢、東漢がつかわれていたので、それが続けて使われることになったのだそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
広東語由来の表記をする日本語と上海語由来の表記をとる現代中国語で漢字表記が異なるようになった</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">仏国と法国、米国と美国といった具合に、日本と中国とでは異なる漢字表記をする国名がありますが、これもなぜなのか不思議でした。もともとは広東語による漢字表記が一般的で日本はそれを使い続けているのに対して、その後さらに広く普及した上海語による漢字表記が中国では一般化したからなのだそうです。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote class="tr_bq">
日中間の古典籍の流れは両国の政治情勢や社会経済の活動と密接な関係があり、一般的に言えば、古典籍の貴重書は経済的な実力があり、比較的安定した地域に流れていった。そのため、日本にあった中国の古典籍は明治初期には大量に中国にわたったが、明治30年代以降になると、流れの方向が徐々に変わり、中国の社会経済の衰退と政治情勢に不安定とを背景として、とくに1900年の義和団事件と1911年の辛亥革命などの戦乱や革命の影響によって、大量の古典籍が安い価格で日本に渡ってきた。</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<blockquote>
日本所在の宋、元版漢籍の価値は高い</blockquote>
</div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">漢籍の中でも古く貴重な宋本・元本を所在地ごとにみてみると、中国に3500、日本に1000、台湾に712、アメリカに125くらい。韓国とベトナムについてはしっかりした統計がないそうですが「いくらか」しかないそうです。朝鮮半島にはかなりたくさんあるのかなと思っていたのと、日本にこんなにたくさんあるとは知らなかったのでとてもびっくりしました。またこれらの貴重な漢籍の日本への流入は、明治以降ずっと続いていたのかなと思っていましたが、明治30年代頃までは流出していたという指摘にも驚かされます。でも明治維新で多くの人々が</span><span style="letter-spacing: 0px;">漢籍からヨーロッパの文物に目を転じた事情</span><span style="letter-spacing: 0px;">を考えれば、これは当たり前ですね。</span></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px; min-height: 18.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font: 12.0px Hiragino Kaku Gothic Pro; margin: 0.0px 0.0px 0.0px 0.0px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本に1000あるという宋本・元本を、日本への輸入時期ごとに分類して数を示した研究なんかもあったら面白いだろうなと思います。平安・鎌倉時代には古典籍としてのプレミアムはついていなくとも、最先端の技術の産物ということでやはり高価ではあったでしょう。また、江戸時代に輸入された宋本・元本があったのかどうかも気になります。この頃にはすでに相当のプレミアム付きでないと輸入できなかったでしょうから、日本人が買い付けにいったわけでもなく、見込みで仕入れる中国人輸入商が運んできてくれたものかどうなのか。また江戸時代については漢籍の年ごと・船ごとの漢籍のおおまかな輸入数を推定した論考が本書に載せられています。数の推定ができると、次には金額の推定も欲しくなります。生糸や砂糖や漢方薬原料の国産化がいったん完成した時期、書籍の輸入額は日本の対中国輸入額のどのくらいを占めていたのか。などなど、まあいろいろと興味をかきたててくれる本でした。</span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-31593725405302990282012-11-09T08:29:00.001+09:002012-11-09T08:29:13.006+09:00イスラエルとは何か<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-GnULtP8oxWc/UJw_zpHLc9I/AAAAAAAAEE0/efrRvfPzgfE/s1600/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://1.bp.blogspot.com/-GnULtP8oxWc/UJw_zpHLc9I/AAAAAAAAEE0/efrRvfPzgfE/s200/%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%81%8B.jpg" width="123" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ヤコブ・M・ラブキン著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">平凡社新書643</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">イスラエルとパレスチナおよびその周囲の国々の関係をみていて不思議なのは、アメリカ合衆国をはじめ西側先進国のイスラエルに対する依怙贔屓とも思える態度です。古くはバルフォア宣言以来、イスラエルにはイギリスなどからの支持がありました。その支持を背景に六日戦争、ヨム・キプール戦争に勝利し、エジプトと平和条約を締結してその地位を盤石なものとしたかに思えたイスラエルですが、パレスチナの人々との関係を安定させることはできませんでした。パレスチナ側にとって厳しい条件のオスロ合意に対してもイスラエル国内での合意は得られず、インティファーダにつながってしまいました。遠くの日本に住む私の目からは、狭い自治区に押し込め、外部との交通を制限し、低い生活水準・高い失業率をパレスチナ人に余儀なくさせているイスラエルの理不尽な仕打ちが諸悪の根源だとしか思えません。それなのになぜ自由と人権を旗印にしているはずのアメリカ合衆国や西側先進国がイスラエルを支え続けるのか?という私の疑問に本書は</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">西洋がイスラエルに差し伸べてやまない支持の背景には、実際に移住を目的として生まれてきたこの最新の植民地国家が、いくつもの点で、かつてイギリスとフランスが世界中に所有していた植民地の歴史にもつうじる深いヨーロッパ的性格にねざしたものであるとの認識が横たわっています。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">シオニスト国家が西洋との間に保つ――そして絶えず補強に努める――同族感情の有機的な絆に目を向けるならば、イスラエルが、ヨーロッパの諸列強や、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどヨーロッパの旧植民地から身を起こした大国の側から常にとりつけている一種の免責特権もおおかた説明づけられるでしょう。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">依怙贔屓にも似たイスラエルの処遇には、かつてナチス・ドイツが手を染めたジェノサイドの蛮行について西洋が抱き続ける罪悪感が関係していると見る論者もいますが、この要因も、今日イスラエルが中東地域において肩代わりしている西側の利害関係に比べるならばさしたる重みをもたないように思われます。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と答えてくれていました。ナチス・ドイツの蛮行に対する償いが主な理由ではないという指摘は意外な感じがしましたが、最後の植民地国家だと説明されれば、ああそうかと納得できます。さらに</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">イスラエル=パレスチナ紛争に持続可能な解決策を求めるなら、それは一種の脱=植民地化のかたちを取らざるを得ないはずです。しかし、シオニストの入植者たちは、かつてのアルジェリアにおけるフランス人入植者とは異なり、もはやほかに帰る場所をもたないわけですから、パレスティナの脱=植民地化は、南アフリカ共和国の先例を参考にする以外にないでしょう。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">という指摘も、とても鋭いと感じました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">本書の出版の経緯について訳者あとがきには、「トーラーの名において」のフランス語版オリジナル原稿を大幅に圧縮し、そこへ新たに以下の四章を付け加えるかたちで、日本語の新書版を念頭に置きながら書き下ろしたものです、と解説されていました。2012年7月に読んだ「トーラーの名において」もとても勉強になる本でしたが、税込み5670円と安くはありません。その点、本書は924円とふつうの新書の値段です。しかも日本人の私から見ると同じものとして捉えてしまいがちな、ユダヤ教とシオニズム、ユダヤ教徒とイスラエル国民、イスラエルといったものの関係を分かりやすく説き明かしてくれていますから、まずこちらを手に取ることをオススメします。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><a href="http://somali-present.blogspot.jp/2012/07/blog-post_19.html">「トーラーの名において」を読んだ</a>とき、著者と同じような立場に立つユダヤ教徒がどのくらいの数いるのか、少数派だとしてもイスラエル、アメリカ合衆国、ヨーロッパなどのユダヤ人のなかでどのくらいの比率を占めているのか、知りたく思いました。本書には</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">シオニズムの支持者との比較においていうならば、それに異を唱える人々は少数にとどまり、世界全体でもおそらく数万人の域を出るものではないでしょう</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と書かれてあって、予想よりかなり少ないようです。近代は人が宗教に依存しなくなる時代なので、こういった考えを支持する人の基盤である敬虔なユダヤ教徒の数自体が減ってきているのでしょうから、こういった数字なんでしょうね。また著者によるとユダヤ教の平和主義は徹底したもので、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">もしもシオニズムの罪がなかったら、ヨーロッパの惨劇は起こらなかったであろう。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">破壊は、シオニストたちの罪に対する報いとして起きたのだ。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">というように、ヒトラーとナチズムさえもシオニズムの直接の帰結と解釈します。そういった悲劇に武器をとったり、新たな国を建てることで立ち向かおうとするのではなく、正しいユダヤ教の信仰を守ることで悲劇を防ごうとするものなのだそうです。日本国憲法の平和主義は平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼してというものですが、ユダヤ教の方は諸国民がどうかは問題とせず自らの信仰を信頼するというものですから、もっと徹底しています。日本でも平和ボケなんていう言葉で平和主義を馬鹿にする人がいますが、周囲の国との緊張がさらに高く、うちにもパレスチナ人や被ユダヤ教徒の住んでいるイスラエルでは「平和ボケ」以上にきつい口調で著者等の立場を受け入れない人が多いのかもしれません。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-73511521993992236222012-11-04T16:57:00.000+09:002012-11-04T17:05:07.307+09:00新しいiPad(第4世代)買いました<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">新しいiPad(第4世代)を買ってきました。miniではなくて、大きい方のiPadです。2011年5月にiPad2を手に入れてからまだ1年半ほどしかたっていませんが、自宅でのweb siteの閲覧にはiPad2が欠かせません。しかし、7月にretinaのMacBook Proを買ってretina displayに眼が慣れてしまうと、iPad2のディスプレイでは満足できなくなってきました。これまで長い時間おつきあいしてくれたiPad2さんにはとてもとても感謝しつつも、第3世代の「新しいiPad」にすこし興味がわいてきながら、さすがに2世代続けて購入するのはどうかなと思っていたところ。ちょうど、そんなところに、予想されていたiPad miniに加えて、このA6搭載の新しいiPadが発表されたわけですから、もう我慢できずに買いに行ってしまいました。近くのビックカメラにiPad miniの在庫はありませんでしたが、iPadはふつうに買えました。iPad2は64GBモデルをもっていたのですが、私の使用状況だとメモリが半分以上あまっていたので、今回は32GBモデルを選択しました。色は当然、黒。ディスプレイの周囲が白は下品です、私的には。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ごく短時間ですがつかってみての感想をいくつか。箱から取り出したときから99%充電されているのは親切ですね。そして、母艦のrMBPとつなぐのにLightningコネクタを使いましたが、これって細くて短くて頼りない感じがします。接続コード一般に、コネクタとコードの接続部がだめになりやすいと思うんですが、Lightningコネクタは、コネクタ自身と本体との関係が心配。でも本当は、みかけや触ったかんじよりもっと丈夫にできているのかもしれませんが。あと、うちのiPhoneは4Sなので、しばらくLightningコネクタと30pinコネクタの両方を用意しなければならないのが少し面倒ではあります。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ディスプレイに指が触れると、iPad2よりもしっとりしていました。持ってみると、iPad2より重く感じました。実際に重さをはかってみると、iPad2は594.5gで、新しい方は648.0gでした。自宅内だけで使用している者の希望としては、充電の回数が増えてもいいから、もっと軽くして欲しい。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">文字がくっきりしていて、retinaディスプレイは美しい。また、iPhone用アプリの2倍モードの時の文字のぎざぎざがずっと目立たなくなりました。大満足です。私のiPadは、自宅内でなにか読むのに使うことがほとんどですから、ディスプレイの美しさ、文字の読みやすさはとてもありがたいのです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">アップル製品のいいところは、買い換えた後の設定が楽なこと。iTunesにつないで「バックアップから復元」とすれば、一般的な設定はそれでおしまい。そしてiPadの起動が済んでからもう一度iTunesにつなぐと、今までのiPad2でつかっていたアプリなんかを全部コピーしてくれます。iPad2の方のSafariで開いていたページまできちんとそのまま再現してくれるんですから、こういうところは本当に良くできています。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ところで、iPad miniを買う人たちはどんな風につかうんでしょうか?外に持って出るという用途であればiPad miniもありだとは思いますが、自宅内でしかつかわない私にとっては小さすぎます。ふつうのiPadを縦長にweb siteをみるんでも、小さいと感じることがあるくらいなので。</span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-11079118216356403572012-10-22T21:50:00.001+09:002012-10-22T21:50:18.124+09:00近代日本語の思想<br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://3.bp.blogspot.com/-A3-byOH1daM/UIVAz-SzNNI/AAAAAAAADzo/DGsSfLWhTXU/s1600/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="200" src="http://3.bp.blogspot.com/-A3-byOH1daM/UIVAz-SzNNI/AAAAAAAADzo/DGsSfLWhTXU/s200/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3.jpg" width="133" /></a></div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span>
<span style="letter-spacing: 0.0px;">柳父章著</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">法政大学出版局</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2011年5月10日 初版第2刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br />
<br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">翻訳文体成立事情とサブタイトルにあるように、私たちがふだんつかっている近代日本の書きことば(現代口語文とも呼ばれるが話しことばとしてはつかわれない)は、西洋語の翻訳をとおしてつくられたのだということが、たくさんの実例とともに示されていました。たとえば「主語」が翻訳でつくられたことの証拠として大日本帝国憲法をあげ、各条文のほとんどが「~ハ」ではじまる様子を悪文だと述べるとともに、文体の調べの異常さを十七条憲法や武家諸法度と比較して示しています。「主語」、過去を表すとされている「た」、終止形の起源など、どれもこれも納得させられてしまう説明ばかりでした。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ひとつ疑問なのは、新しい書きことばがつくりだされた理由です。明治以前にも、抽象的な議論を記した文章やそれを集めた書物が存在していました。それらに用いられていた文体、漢文の書き下し文・和漢混淆文に西洋語から単語だけを借用して、西洋由来の近代的な概念を表現することはできなかったのでしょうか?</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">たとえば「~は」という文体で抽象的な概念を扱った文章というと、私の貧弱な知識の中でも、高校の漢文の時間に習った孟子の四端説のところの書き下し文「惻隠の心は仁の端なり、羞悪の心は義の端なり、辞譲の心は禮の端なり、是非の心は智の端なり」が思い浮かびます。こういった表現があったのだから、この流儀だけで西洋文翻訳を行うことはできなかったのか。また大日本帝国憲法も</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第二条 皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ繼承ス</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">ではなく</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第一条 大日本帝国ノ事 万世一系ノ天皇之ヲ統治スベシ</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">第二条 皇位ノ事 皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承スベシ</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">などと書いてもよかったのではと思うのですが、どうなんでしょう?まあ、そういった旧来のやり方も不可能ではなかったけれど、単に時代の気分が新しい文体を求めていたということなのかもしれませんが。</span><span style="letter-spacing: 0px;">あと、本筋からははずれますが、『我が輩は猫である』は、斬新高級ハイカラな「~ハ」文体への風刺だという指摘など、鋭い指摘もたくさんあって、とても勉強になりました。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
somalihttp://www.blogger.com/profile/13579721540059041562noreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-2175370884159658555.post-9125705301593327122012-10-14T09:05:00.000+09:002012-10-14T09:05:27.504+09:00日中危機はなぜ起こるのか <div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="http://1.bp.blogspot.com/-DcX1EW0WSmY/UHn_vMIodyI/AAAAAAAADuM/px3vdF0AD1k/s1600/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9B%E3%82%99%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B.jpg" imageanchor="1" style="clear: left; float: left; margin-bottom: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" src="http://1.bp.blogspot.com/-DcX1EW0WSmY/UHn_vMIodyI/AAAAAAAADuM/px3vdF0AD1k/s1600/%E6%97%A5%E4%B8%AD%E5%8D%B1%E6%A9%9F%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9B%E3%82%99%E8%B5%B7%E3%81%93%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B.jpg" /></a></div>
<span style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; letter-spacing: 0px;">リチャード・C・ブッシュ著</span><br />
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">柏書房</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">2012年1月25日 第1刷発行</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">今年の尖閣諸島をめぐる日中間のトラブルを予見するかのように、本書は2年前に書かれました。著者は日本人でも中国人でもなくアメリカ人で、この問題の背景にある日中両国政府の情報・意思決定システムなどの機能不全、両国の国民感情、領土問題の解決を難しくさせている歴史問題など、両国の事情を比較しやすいかたちで説明してくれています。日本とアメリカとは日米安全保障条約を結んでいますから、アメリカ人を公平な第三者とみなすことはできません。しかし本書の内容を読むと、とても公平に書かれていると私は感じました。勉強になった点は、以下のようにたくさんあります。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">もし台湾と中国のあいだの政治的紛争から突如、衝突が勃発し、アメリカが台湾防衛に駆けつけることになれば、アメリカの同盟国である日本は、最終的に中国と戦争することもありうる。実際には、中台間に紛争が起こる可能性は、2008年の台湾の政権交代以降、大きく減少しているため、最初の二つの争点の方が気がかりである。</span></blockquote>
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<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">二つの争点というのは尖閣諸島/釣魚島の領有権問題と、海上油田とガス田の開発権問題です。アメリカ人の著者の目からも、現在では台湾海峡をはさんだ二国(台湾も国家)間の問題よりも日中間の問題の方がより厄介なものにみえるわけで、それは本書のサブタイトルが「アメリカが恐れるシナリオ」となっていることからも明らかです。尖閣諸島周辺では海上保安庁と中国海監総隊という法執行機関同士が対峙しています。海上保安庁が警察行為として最初に武器を使う可能性は小さくないと著者は指摘しています。たしかに、最近も巡視船が台湾の船に対して放水を行っていますから、日本の主張する領海に侵入・上陸しようとする「民間人」が武器を所持していたりすれば、それが巡視船側の武器使用に結びつく可能性は否定できません。さらに法執行機関の後ろ盾として両国海軍の艦艇が介入し、その現場指揮官の独断専行により衝突が段階的に拡大する。目にしたくない光景ですが、たしかにあり得るシナリオです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">衝突が長引くほど日本側が戦術的勝利をおさめる可能性が高いと考える専門家もいる</span></blockquote>
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<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">と著者は述べていますが、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本が緒戦の勝利を受けて和解の用意を示しても、人民解放軍が強硬で強制的な対応(沖縄上空へのミサイル発射、尖閣諸島占領など)を要求する</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">こうなると和解は実現しがたく、強硬な姿勢を声高に主張する者に発言権が移り、日本は苦境に陥いることになります。事態をこう展開させないためにはどうすべきなのか。両国の政府・国民やそれぞれの背景をみてみると、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0px;">日本は人民解放軍の増強とその照準に相矛盾した感情を抱く。どのように対応するべきなのか。友好関係に期待するのか。自国の軍事力を増強するべきか。それともーー戦後ずっとそうしてきたようにーーアメリカとの同盟関係をあてにするのか。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">アメリカ政府にとって、同盟国を守るか、それとも世界的な協力を求めている新興大国との関係を維持するかという選択は、悪夢である。アメリカがこの選択を迫られた場合、国益についての明確な認識、紛争を激化させる誘惑を避けるための決意と技能が必要となる。紛争の激化を防ぐためには、そもそも紛争がはじまる可能性を下げるために、すべての当事者が努力しなければならない。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本が特別な民主主義体制、中国が権威主義体制という両国の政治体制の違いにもかかわらず</span></blockquote>
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">見捨てられることを怖れる日本と、戦う準備をせず同盟の責任を果たさない日本の紛争に巻き込まれることを怖れるアメリカ。先だっては尖閣諸島も日米安保条約の適用範囲だとアメリカから口先介入がありましたが、実際に実力行使の応酬となったときにアメリカは何をしてくれるのか。せいぜい停戦を呼びかけるくらいでしょうか。本書の中で著者は日本を「特別な民主主義体制」と述べています。「特別な民主主義体制」はなんぞや?特に定義は述べられていませんが、当然ふつうの西欧民主主義国とは別物という認識でしょう。日本をサポートするとしても喜んでというよりは、見捨てると他の同盟国に対して示しがつかないからということになるのだと思います。フォークランド紛争でイギリスに対して示したほどのサポートは期待できないところ。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国も日本も、外部の者に信じさせようと思っているほど、あるいは外部の者が期待するほどには軍事作戦行動において平和主義者ではないのである。中国は日本よりも明白な戦略文化をもっている。専制的な性格の文化である。そのうえ、人民解放軍は自衛隊よりも文民当局から自立して戦略文化を作る自立性がある。しかし、みてきたように、日本の戦略文化の防衛的かつ妥協的な側面は、任務が国内に近づくにつれて目立たなくなり、もっと攻撃的で専制的な態度がはっきりみえてくる。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本は東アジアの海上における現状に比較的満足している。その点はアメリカと同じだ。自国と、自国の安全保障に対して認められる潜在的脅威のあいだに、より大きな戦略的緩衝地帯を築くために現状を変えようとしているのは中国である。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この空間には、両大国を誘い込み衝突の危険を発生させる摩擦点がいくつか存在する。人民解放軍にも自衛隊にも、衝突を封じ込めるのではなく激化させうる制度上の特徴がある。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国と日本の実力組織が衝突する可能性は低いかもしれないが、両政府が衝突を封じ込めて外交的危機を防げる見通しは、低いと断定できる二つの理由がある。まず、どちらの政府も危機管理体制が整っていない。また、どちらの国でも、日中関係に関する政治はすぐにとげとげしくなり、それが危機を封じ込めようとする政策決定者の手を縛る。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">この夏の中国国内の反日デモを見ても分かるとおり、この二つの理由のうちの後者は重要です。両国政府の能力と、両国国民の相手の国に対する感情を考えると、いったん武力の応酬が起これば事態の収拾は極めて困難になってしまうでしょう。たとえ中国政府が善意に満ちていたとしてもです。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日本と中国の国防組織にも文民政府にも、政治指導者による対外関係の処理を面倒にする側面があるが、両国の政治がそれをさらにむずかしくしている。日中間の偶発事件に両国の世論が大きく反応すると、選択枝が狭まり、両国の強硬派が勢いづき、両政府が互いに強攻策をとる誘因となる。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国世論の一部が日本に抱いている敵意はあまりにも強く、政治行動に繋がる潜在力があるため、日中の軍事組織の舞台が衝突した場合、中国の指導部は抑制された対応をとるのが困難になる。世論の圧力のため、強力に対応せざるを得ないと結論するだろう。そのうえ、国家主義的な大衆の一部は、体制側が管理できないサイバー攻撃能力を有している。</span><span style="letter-spacing: 0.0px;">中国に対する国民感情はかなり否定的である。他方、中国は日本の政治においてとくに目立つ争点にはなっていない。メディアは国民感情の形成に重要な役割を果たしているが、それも日本人の恐怖につけ込む形である。両国の軍隊のあいだで衝突が起きた場合には、その力学が働くだろう。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">中国についての日本人の世論は二十五年前には好意的だったが、いまはまちがいなく相当に否定的である。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">反中感情は日本の行動の原因というよりも中国の行動に対する反応である。いい換えれば、北京の言動が日本人に以前の肯定的見方に疑問を抱かせるにつれ、日本人の中国についての考えはますます否定的になっている。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">客観的な利害のためには両国が瀬戸際から撤退する必要があるとはいっても、指導者は降伏したとの印象を与えるような結末よりも、紛争の拡大のほうがましだと思うかもしれない。瀬戸際からの撤退をやり遂げるには高いスキルが必要だ。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0px;">日本政府は過去を十分に償っていないと批判されることも多いが、実際には(朝鮮の)植民地支配と(中国などに対する)軍事的侵略を謝罪しており、過去の日本の行いを償おうとしてきた。しかし、日本の懺悔の程度は、最も適切な比較対象であるドイツに遠く及ばない。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">和解の最大の障害は、歴史問題を長引かせることで政治的利益を得る勢力が両国に存在するという現実だ。</span></blockquote>
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<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日中間の問題を難しくさせている大きな原因に歴史問題があります。土下座外交だとか日本はもう充分に謝罪したではないかという日本人もたくさんいます。でも、西ドイツのブラント首相はワルシャワで文字通り跪いたし、ヴァイツゼッカー大統領は過去に目をつぶる者は未来に対しても盲目となると演説しました。日本の政治家はそれに匹敵するようなパフォーマンスはしてこなかったし、国内からは施政者の努力を無にする批判が絶えませんでした。20世紀前半の日本の中国に対する行為が謝罪に値することは確かだし、謝罪というのは相手側の赦しを得ることで完成するものなのに。たしかに中国の人たちや国家から赦しを得ることが困難だったことは分かるし、謝罪を続けることを苦痛に感じる日本人のいたことも理解できないわけではありませんが、日本の国益を考えるなら、中国の赦しを得ておくことが上策でした。敗戦から数えてももう70年近くになるのに、それを達成できなかったことは日本外交の失敗です。そして中国の現状をみると、今後もこの上策の達成はまず不可能でしょう。上策の実現が無理なら、せめて中国以外の世界の国々から、日本は充分に謝罪したからもうこれ以上の謝罪は不要だと声をかけてもらえる状態にするのが次善の策だと私は思います。この次善の策を実現してゆく過程で、日本国内から謝罪疲れなどと発言をするのは、国益に反する妨害行為だと私は思います。謝罪という行為に対してどういう考えをもっているにしろ、日本のためを思うならせめて口をつぐんでいてほしいものです。こういう事態になった主な責任は20世紀前半の日本の政治家にあるわけで、戦後の施政者が無能だったからではありません。あの人たちが馬鹿なことをしなければ謝罪は必要なかったし、尖閣諸島や竹島どころか台湾も朝鮮半島も日本領のままでした。植民地独立の波に乗って朝鮮・台湾が独立していったとしても、その際には日本の思った通りの国境線を画定することが充分に可能だったでしょうから、こんな小さな島の問題で争う必要なんてなかったのに。</span><br />
<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">また、中国側の尖閣問題の取り扱い方もけっして上手だとはいえないと私は思います。様々な社会問題を抱えた中で国内の統合をはかるため、領土問題と歴史問題で日本を敵として国民を団結させる政策をとって、日本の世論を敵にまわしたこと、世界のリーダーを目指す国としての度量を示せなかったことは、中国が将来、東アジアや世界でリーダーとして振る舞う時にきっと不利益をもたらすことになるでしょう。日本人だけではなく、世界中、特に南シナ海上で中国と係争中の国々、チベット、インドもこの問題を注視しているでしょうから。でも、</span><span style="letter-spacing: 0px;">日中危機の解決に立ちはだかる問題点は複数あって、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0px;">第一は、両国の軍事組織と統治機構の問題だ。日本と中国が何らかの形で衝突すれば、両国の機構・制度は事件を封じ込めるよりも激化させる方向に作用するだろう。第二は、国内政治の問題だ。とくに中国では、衝突事件自体よりも大衆の反応のほうが深刻な事態を招くだろう。</span> </blockquote>
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0px;"></span><span style="letter-spacing: 0.0px;">米中和解が成功したのは、何よりもまず毛沢東が、もうろくしていたとはいえ、確固たる最高指導者だったからだ。第二に、当時の中国に世論は存在しなかった。第三に、米中両政府は完全な秘密外交を行うことができた。今日では、どんなに素晴らしい外交政策も、統治機構と国内政治に由来する要素によって実施を妨げられるだろう。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">また国際仲裁については、</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<blockquote class="tr_bq">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">日中が自分たちだけで実質的な合意に達する可能性を諦めて、国際法廷にこの問題の審判を仰ぐ手法だ。しかし、両国が同じように受け入れ可能な判決よりも、どちらか一か国には受け入れられない判決が下る可能性の方が高い。実際のところ、日本は中国よりも多くを勝ち取ることを期待して、国際仲裁を歓迎するようだ。そこで中国は二国間交渉の方を選ぶ。二国間交渉は進まないが、国際仲裁の結果は対日関係を改善するどころか悪化させる可能性が高いので、良い選択枝ではない。</span></blockquote>
</div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">とのこと。著者が本書ラストの第13章「何をなすべきか」で示している打開的な進展の提案も、「中国で政治が主導しなければならない」と繰り返されていて、日本側ではなく中国側がその気にならなければ進展しないものです。最後まで読んでみて、日中危機に容易な解決策のないことがよく分かりました。さらに著者が指摘するように、この問題の解決を国際的な組織に委ねることを中国が拒むのだとしたら、素直に白旗を掲げる、つまり尖閣諸島が日本の領土だという主張は取り下げ(中国領だとみとめると台湾に申し訳ないが)、日中間の国境を画定させるくらいしか手がないような気がしてしまいます。国際仲裁を拒むなんて中国人はひどい奴らだと感じる人もいるでしょうし、私もそう感じはします。でも、満州事変のリットン調査団の報告に対して「連盟よ、さらば」と席を立った松岡洋右を歓呼で迎えた日本のマスコミ・国民のことを思うと、そうそう中国を批判もできませんよね。</span></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px; min-height: 18px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;"></span><br /></div>
<div style="font-family: 'Hiragino Kaku Gothic Pro'; font-size: 12px;">
<span style="letter-spacing: 0.0px;">あと気になるのは、尖閣諸島問題について、沖縄の人たちはどう考えているのかという点です。とくにまとまった見解というのはないのかしらん。なんでこんなことを気にするかというと、沖縄に独立の動きがあるのなら私はそれに反対しない立場だからです。米軍基地の移転問題などで独立をなんとはなしに考え始めた沖縄の人は少なくないでしょう。もし本当に独立の途を歩むのなら、私はサポートするつもりです。そして沖縄に独立の見込みがあるのなら、尖閣諸島の将来については、北緯27度線以北にすむ日本人ではなく、沖縄の人が中国や台湾と交渉して決めるべきで、沖縄の人の希望が実現するよう支持することに徹するべきだろうなと思うのです。</span></div>
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<span style="letter-spacing: 0.0px;"><br /></span></div>
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