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2009年3月15日日曜日

前工業化期日本の農家経済の感想の続き

地主制を扱った第5章に引用してあった次の文章
農地改革で土地を取りあげられた百姓は(巨大な不在地主や封建地主は、この場合勿論、論外である)、その時にたまたま家族数が不足していたがために、耕作段別がその所有段別に比して少なかったものであり、逆に土地を入手することのできた百姓は、その時の家族数が所有段別に比して多く、従って余剰の家族労働を、小作に向けていたものであった(松好貞夫著「村の記録」岩波新書1956年)
が印象的でした。

農家のライフサイクルに従って小作地がやりとりされていたという著者の主張を裏付けてくれている文章ですが、戦争で若い男手がたくさん兵隊にとられていた直後の改革ですから不利を被った農家も多かったのでしょうね。また、実質的に小作が禁止されたことも悪影響をもたらしたに違いないですし、農地改革の負の面についてもっと勉強しなければと自覚させられた感じです。

2009年3月14日土曜日

前工業化期日本の農家経済


友部謙一著 有斐閣
2007年3月発行 本体4000円
「18世紀から20世紀初頭にかけての日本では、ほかのアジア諸国で見られる『農民層分解』ーー土地なし層の増大ーーの明瞭な形跡は見あたらず、その一方で1870年代以降小作地化が顕著に進展するという特徴を持っていた。この観察事実だけから地主小作関係が日本の小規模な農家経済の維持に少なからず貢献したというのは性急なことかも知れないが」

この本の白眉は、この記述だと感じました。私が本書を読んで学んだことは、耕作可能な耕地の面積は農家の中の働き手の数に応じて変化すること、しかも死亡・出生・成長などによって農家の中の働き手の数が変化するので、ライフサイクルの各時点に応じた適切な耕地面積を維持するために自作と小作と組み合わせて対応したこと、村を構成する各農家のライフサイクルはそれぞれずれているので耕地をお互いに小作に出したり受けたりしたことなどでしょうか。ふつうに見聞きしたことのある地主制論では、農民層の分解で地主・不在地主と小作が出現し、日本資本主義の半封建的な性格につながり、寄生地主による高率な小作料が労働者の低賃金とも関連し、 小作争議で後退し始めるという感じでしょうか。そうじゃない見方があるという点で、とても勉強になりました。

そのほか、第一章の近世日本における農家経済の成立では、太閤検地にともなう近世初頭の小農自立について、流浪・非定着性の中世→親方宅への下人としての住み込み→同棟別居により下人が世帯を形成し、さらに別棟別居へという過程で下人の「家」が経済的にも独立していったことが論じられていて勉強になります。また、夢であった世帯が持てるようになり、その世帯を存続させるための勤労意欲がもたらされた点や、別居によるプライベートな空間をもつ世帯が多数創出されたことによって、17世紀の人口増加がもたらされたことなども説得的です。

次の数章にわたって、ロシア・ソ連の経済学者で後にスターリンに粛清されたチャヤーノフさん流の小農家族経済論が展開されます。チャヤーノフ理論では基本的な分析単位が農家世帯です。実際の農家でも農作業と副業にどう従事するかを決定していたのは農家の個々の構成員ではなく家長夫婦でしょから、良い分析法ですね。チャヤーノフさんの理論を人類学者のサーリンズさんがまとめた三つの法則、
①農家の消費力・労働力と生産額が正の相関にある
②同一の消費力をもつ農家同士では、より多くの労働力をもつ農家の方が協力による成果でより多くの生産を獲得して、より高い消費水準を実現する  
③同一の労働力をもつ農家を比較すると、より多くの消費力をもつ農家の方が、労働強度を増やすことにより、より多くの生産を獲得する
 が、世界や江戸期と近代日本の史料で検討されています。
①②は別にして、③は被扶養人数の多い農家の人の方がたくさん働かなきゃならないということだから当たり前だと思ってしまいました。多くの史料にあたって、確認した労作という点が重要なのでしょうか。あと、著者がチャヤーノフさんにこだわるのは、チャヤーノフさんの「農家の所有耕地面積は農地/労働力に応じて循環的に変動する、この状況では古典的な農民層分解が起きにくい」という主張があるからなのでしょうね。

とても勉強になった点のある本ですが、欠点もたくさんあります。まず、この著者の日本語はとても下手で読みにくいのです。特に序章とか第7章とかひどい。また、第8章数量経済史から見た幕末百姓一揆では、Rekishowという著者も関係しているオーサリングツールによる一揆の時代による変遷が、ちらっと紹介されています。その説明と本書唯一のカラーページである口絵の図とをみてもほとんど意味不明です。著者はよく分かっているのでしょうが、知らない読者に紹介するスタンスではなく、自己満足でしかない感じ。さらに、この第8章では一揆の頻度・マグニチュードと地域ごとの都市化・市場階層間バランスの関係が論じられているのですが、途中の議論と解釈の間がまったくつながらない印象です。大学の紀要ってこんなレベルのいい加減さでもいいのかと驚き入った次第です。

2009年3月11日水曜日

BANG & OLUFSEN Earphones 一年四ヶ月つかってみて

使い始めてから一年四ヶ月ほどたちましたが、満足しています。BANG & OLUFSEN Earphonesの音の良さの秘訣は、イアーパッドが小さい点にあります。ふつうのヘッドフォンは耳をルーズに覆うだけですが、こいつはイアーパッドが小さいので外耳孔に密着してくれます。また、ヒトの外耳道は外耳孔から垂直に奥に向かっているのではなく少し前上方を向いていますが、イアークリップの自由度が高いので、イアーパッドを外耳道の向いてる方向にきちんと固定させることができ、低音までしっかり聞こえてくるのだと思います。カナルタイプのイアフォンと似ていますが、外耳道の中にプラグを挿入するわけではないので、湿性耳垢の人が使っても汚れないのも良い点ですね。あと、基本的に外を歩く際に使うので、適度にクルマの音などが聞こえるのも良い点です。


ただ、長く使っていると問題もないわけではありません。イアーパッドはふかふかした感触のスポンジみたいなモノでくるまれているのですが、耳と金属に長年はさまれているせいでこんな風にすり切れてしまいました。このまますり切れの部分が広がると、いずれはスポンジの保護なしで使うことになりそう。なので、この2週間ほど試しに左側だけスポンジを外してつかってみました。その感想はというと、耳のあたりの皮膚ってかなり鈍感なので、スポンジありの右も金属がじかに接触する左も、この寒い時期の使用でも装着感に違いは感じられませんでした。また、音的にも大きな違いはありませんでした。

2009年3月9日月曜日

日本史の快楽


上横手雅敬著 角川ソフィア文庫
2002年5月発行 本体600円

高名な中世史家である上横手さんが、週刊現代に毎週1ページでコラムを連載していたものを70回分集めた本です。「武士=ヤクザ」論だとか、明治前半の歴史教科書では南北朝が平等に扱われたり「後醍醐の失政」が取り上げられていたりだとかいろいろですが、気軽に読める本です。

一つ一つは短い文章ですが、なかなか鋭い指摘もあります。例えば建礼門院について、自分の母親である徳子が自分の息子である安徳天皇を連れて入水しようとした際に、自分の息子を助けることができなかった人だと。徳子にしても建礼門院にしても安徳天皇にしても、入水などしなくても殺される心配はなかったろうと言うのです。たしかに、承久の乱の首謀者の後鳥羽天皇でも流罪になっただけですから、幼児の安徳天皇もどこかで余生を送れただろうという指摘にはうなづかされました。

角川ソフィア文庫というのは知らない名前でした。でも、同じ角川ソフィア文庫の所には今昔物語などもありましたから、古典だとか学者の書いたものだとかをまとめたのかも知れません。で、気になったのはこの本の値段です。236ページの文庫で本体600円はちと高いような。ふつうの角川文庫とは違ってあまり売れそうにないやつ(これも増刷されてないようです)を高めに値付けするために、ソフィアなんていうシリーズにまとめたのかもとも勘ぐってしまいます。

2009年3月7日土曜日

銀山社会の解明


仲野義文著 清文堂
2009年3月発行 本体1900円

近世石見銀山の経営と社会というサブタイトルがついています。山師たちが間歩を請け負って鉱山経営する際の契約、現物徴収される税の収め方、労働者の勤務形態・賃金、毎年の銀の生産量、生産に使う栗の坑木や燃料の炭の供給地、職業病などなどいろいろ解説されています。職業病になって働けなくなった人に米や味噌が代官所から支給されたこと、江戸時代後期に人口減が問題化して子供の養育手当が支給されたことなど、初めて知ってすこしびっくりしました。

気絶(きだえ?とでも読むのか)という職業病については、粉塵の吸入の影響だけではなく、照明は電気ではなく何かを燃やしたのでしょうから煤や一酸化炭素の影響もあるのでしょう。また、坑道の規定の大きさは高さ四尺から三尺五寸・幅2尺から一尺八寸ということで、およそ高さ120と幅60センチメートル程度しかありません。押し入れならこの大きさの中にはいることも苦ではないけれど、何十メートルも続くこの大きさの暗いあなの中に入って行くのは私なら怖くてできそうにありません。

石見銀山は江戸の初めが最盛期で年間一万貫(38トン)以上の銀産がありましたが、その後衰退して江戸時代後半には年間百貫目(380キログラム)程度の産出になってしまいました。佐渡金山でも同じような経過があったと以前読んだ記憶があります。富鉱が枯渇したこと、地下深くまで坑道を伸ばさなければならず経費がかさむとともに通風・排水が困難になったことがその原因ですが、ほかに幕府の銀貨改鋳も影響していたとのことです。銀貨の改鋳で銀安銭高の相場になりますが、生産された銀は改鋳後の銀貨で買い上げられたのに対して、労働者の飯米など生産に必要な資材は銭で買わなければならず、山師たちの採算を悪化させました。そして、初期は山師たちによる請負で鉱山が運営されていましたが、採算の悪化・生産量減少から代官所による出資・経営の下で山師たちが下請けになるような形態に変化していったのだそうです。

内容から言って、この本は専門家向けではなく一般の人向けに書かれていると思われます。石見銀山は世界遺産に登録されて観光客も増えているでしょうから、銀山を訪れてくれた観光客にビジターセンターやおみやげ屋さんで販売するようにつくられたのでしょうか。でも、そうだとすると本書には大きな欠点があります。石見銀山に関して使われる特殊な単語の解説がないのです。間歩は他の鉱山の本でもよくお目にかかるのでいいのですが、それ以外にも鏈とか鉉とか金偏に外と書くMacでは扱えない漢字とかが頻出するのです。一般の人向けの本では、こういう特殊な単語は初出時に読み方と意味を示すのが作法だと思います。この著者はそういった配慮ができない人のようです。まあ、この欠点を除けば、値段に見合った価値は充分にある本です。

鏈・鉉の読み方と意味はたぶんこうなんだろうと思います
鏈 くさり 掘り出した銀鉱石
鉉 つる  銀の鉱脈

2009年3月4日水曜日

定額給付金への感想

定額給付金の財源を確保するための財源特例法案が衆議院で再可決されました。いよいよ実施が決まったわけですが、この施策は昨年夏に定額減税として提起された時からうさんくさい感じでした。なんといってもかつての地域振興券を想い出させますから。でも減税ということなら、まあ了解できる範囲かなとも思っていました。それが、いつのまにか「定額減税は『給付金』方式とし、全世帯を対象に実施。規模は約2兆円。標準的な夫婦子ども2人の4人世帯で給付額が6万円程度になる」とのこと。町中にたくさん貼られているこのポスターの政策キャッチコピーのトップには今でも「定額減税の実施で家計を守る」と書かれていますが、どういうつもりなのかしらん。


また、この定額給付金のうさんくささをさらに増幅させたのは麻生首相の一連の発言です。高額所得者は受け取りを辞退すべきで「矜持の問題」などと言ったり、支給に所得制限を設けるかどうかは地方自治体の判断に任せると言ったりなどなど。まあ、定額給付金という施策がもっとも役立ったのは、麻生首相の政治家としての資質を明らかにしてくれた点なのかも知れません。

世論調査でも、マスコミの論調でも、野党だけでなく自民党の議員にまでも大不評の定額給付金ですが、それにも関わらず実現にまでこぎつけたのは、ひとえに連立パートナーの公明党に対するおもてなしが理由なのでしょう。でも、公明党はどうしてこんなに評判の悪い政策を実現させたがるのか、とても不思議です。


そこで想い出すのが昨年から市内に貼り出されている公明党のポスター。高齢者の旅行補助金制度を創設したと誇らしげです。私なんかはこのポスターを一目見て、こんな子供だましのばらまきの制度で喜ぶ人なんかほとんどいなかろうと感じてしまいました。こんなことに費やす税金があるのなら、介護の充実などに使ってほしいと感じる人の方が一般的なのではないでしょうか。このポスターは、ばらまきの愚策の宣伝をして、公明党に対する評判を悪くするだけなんじゃないかと心配にもなるくらいです。でもでも、きっと公明党を支持している人たちは、この「公明党が実現しました!」を高く評価するのでしょうね。だからこそ、ポスターにまでして愚策を進めたことを公開するのでしょうから。

そう考えると、定額給付金についても同じ構図の存在が推測できます。どれだけ世間で評判の悪い愚策だとしても、「公明党が実現しました!」ということで支持者はさらに支持を固くしてくれる。たとえ新たな層に支持を拡げることができなくとも、これまでの支持者だけを手堅くまとめる内向きの戦略と考えれば納得できます。

でも、そうは言っても総額2兆円にもおよぶ定額給付金。個人消費を増やすために使うというのなら、私の希望としては介護の分野に支出して欲しかった。21世紀世界大恐慌の影響によって失業者が増加する一方で、介護・福祉の業界では慢性的な人手不足が続いていて。その緩和のためにもインドネシアやフィリピンから外国人介護労働者の受け入れが始まります。外国人労働者の受け入れについては論点がいろいろあるのでおいとくにしても、失業者と人手不足の共存はどう考えても変。で、この問題を解決するには介護労働者の給与の低さの是正がぜひとも必要です。厚生労働省が来年度に行う3パーセント程度の介護給付費の引き上げ改定では全く焼け石に水。でも、日本全国の一年間の介護保険給付費の総額は5兆円程度ですから、今回の2兆円を投入すれば給与水準ははっきり上昇してミスマッチはかなり改善するに違いありません。まあ、一年ぽっきりのばらまきと違って、こういった制度的な改善には連年の2兆円支出が必要になってしまうので、与党にはとりあげてもらえないのでしょうが。

2009年3月1日日曜日

比較経済発展論


斉藤修著 岩波書店
2008年3月発行 本体5200円

歴史的アプローチというサブタイトルがついていて、著者が1985年にプロト工業化の時代を出版して以来もっていた、「過去数世紀のあいだにおこった経済発展を歴史的現象として理解したい」と考え続けてきたいくつかの論点をまとめたものだそうです。面白く感じた点をいくつか。

古典派経済学者の多くがマルサス以来の人口原理と収穫逓減にとらわれていたのに対して、アダム・スミスは、人口増加があってもそれによる市場の拡大から、分業の進展→中間財の市場拡大という迂回生産によって収穫逓増がもたらされることを示唆していたのだそうです。プロト工業化論は、この「アダム・スミス的分業に基づく発展の途が地域間分業の形をとって進行した歴史的過程をモデル化した点で意義を有すると言える」のだそうです。しかもこの理解なら西欧だけでなく、綿作地帯と主穀生産地帯の分離や繊維産業の地方への拡散、白木綿のような中間生産財に特化した地域が出現したりした江戸期日本や、都市化や科学技術の発展が止んだ宋朝以降にも江南などでの地域間分業が進展した中国にも充分あてはめることができます。

昨年読んだThe great divergenceは、18世紀までの東アジアと西欧の発展水準は同等で、両地域間の大分岐が出現するのは産業革命以降のことだと主張しています。この本は、近世にはすでに西ヨーロッパの優位が確立していたとする東西比較に関する常識に疑問を投げかけ、「この分野の研究に強い衝撃を与え」て論争が行われたのだそうです。でも、現在とは違って賃金の統計も完全ではなく購買力平価の算出も不可能な時代の生活水準を比較することはなかなか困難でした。

で、本当のところはどうだったのか?第3章には生存水準倍率(welfare ratio)法という新しい方法による比較が紹介されています。これは、一日あたりの総栄養摂取量1940キロカロリー・タンパク摂取量80グラムを満たすような食品の組み合わせ・バスケットを想定し、その食品の各地の価格から名目賃金を補整するデフレータを算出するものです。ヨーロッパと東アジアでは食習慣によってバスケットを構成する品目が異なっています。この方法自体、うまいこと考えたものだと感心しました。これによると、16世紀以降、ヨーロッパ内でも北西欧と中南欧グループに生活水準は分岐(divergence)していったのだそうです。また、日本と中国はだいたい同じレベルで、中南欧グループと遜色ない生存水準だったことになります。ポメランツがThe great divergenceで主張したことは半分はあたっていたのかも知れません。

幕末の長州藩でまとめられた風土注進案は有名ですが、第5章ではこの統計をもとに身分階層別の所得格差の算出が試みられています。かなり仮定することが多い計算ですが、それによると徳川日本では身分階層間の所得格差が同時期のヨーロッパやインドや、明治以降の日本と比較してもかなり小さかったのだそうです。昨年読んだ近世大名家臣団の社会構造によると、農業からの収入もある足軽一家の方が、藩から支給されるサラリーのみで暮らす徒士の家族より経済的には豊かだったそうですから、全くその通りなのでしょうね。また、遠隔地交易・海外貿易により商人が富を蓄積する機会が乏しかったことも、著者は身分階層間の所得格差が小さかったことの原因として挙げています。もちろん、江戸期の日本も海外貿易をしていなかったわけではありませんが、大商人たちが遠隔地交易で富を蓄積したフェルナン・ブローデルの「資本主義」にあたるような存在はなかったわけですね。

第III部の近代の分岐と収斂では、イギリスに続く諸国の工業化が取り上げられ、西欧諸国についてはガーシェンクロンの後発国のキャッチアップに関するモデルが有効とされています。そして、日本の工業化に関しては「収斂に潜む分岐の要素を見出す」として、部門間生産性の格差、在来的経済発展論、労働集約型とスキル集約型の工業化などが検討されています。ヨーロッパとアメリカを比較すると、アメリカが互換性部品の組み立てによる大量生産方式というスキル節約型の経路をたどったことは理解しやすいのですが、日本に関するスキルの議論はどうもすっきりしない読後感です。本書で紹介されている谷本さんや杉原さんの著作も読んでみなければ。

このほかにも、論点盛りだくさんの本です。特に経済学・経済学史についてはほとんど知識がないので、勉強になりました。ただ、出版元の岩波書店には文句を言いたい。330ページ以上ある本をどうしてフレキシブルバックにするのでしょう。文庫や新書ならわかりますが、本体だけで5200円もするんですよ。読みにくくて仕方がない。