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2010年6月26日土曜日

江戸図屏風の謎を解く


黒田日出男著 角川選書471
2010年6月発行 本体1800円
明暦の大火(1657年)以前の江戸を描いた歴博本江戸図屏風と江戸天下祭図屏風とを対象にした本です。まず、江戸初期を描いた屏風を論じるために、命令の大火以前の江戸の様子を示し、複数残されている寛永江戸図について、誤字や描写などからその系譜を明らかにし、古い寛永江戸図については確かに明暦の大火以前に版行されていたことを論じています。
歴博本江戸図屏風については、描写の様式から後世に作られたものではなく、また家光の姿が描かれていること、きれいな姿で伝来していることから、家光の御成りの際に家光に見せるためにつくられたもの、おそらく知恵伊豆と呼ばれた松平信綱が作らせたものだろうとしています。
江戸天下祭図屏風は、山王祭りの行列が江戸城内を練り歩く様子と見物する人々、大名屋敷を描いた屏風です。こちらについては、画面に取りあげられた大名屋敷の中で紀州藩上屋敷が中央に大きく描かれ、そこには初老の男女が主人公の様な姿で見物しています。著者はこの男女を紀州藩初代藩主徳川頼宣とその正妻瑤林院(加藤清正の娘)としています。そして、この屏風は明暦の大火後に紀州に戻る頼宣が江戸に残る妻に対して贈るために作成したものとしています。瑤林院は加藤清正夫妻とともに日蓮宗の信者で、京都の本圀寺に縁がありました。この屏風はその本圀寺に伝来したものですが、妻の死去後に遺品として本圀寺に贈られたのだろうと推測しています。
これらの屏風に関する先行研究はあまりないそうですが、その少ない先行研究に対して率直な批判を加えながらの立論は、説得的ではあります。ただ、これらの作品に対しては、作成を指示した人・絵師・作品を享受した人・伝来などについても明らかにすべしという著者の主張はどんなものでしょう。幸い、この二つの屏風には、作成の時期や主人公などを示唆する情報が多いのでそれも可能でしょう。しかし、ただの花鳥風月を描く作品だったら困難。作成を指示した人・絵師・作品を享受した人・伝来についてまで語ろうとしたら、まずそういった議論にふさわしい作品だけを論じる才覚が必要ですし、それをし難い分野の専門家もいるでしょうし。でもまあ、謎解き洛中洛外図に続いて、面白く読める本でした。

2010年6月24日木曜日

内奏




後藤致人著 中公新書2046
2010年3月発行 本体760円
サブタイトルが「天皇と政治の近現代」となっていて、古代と幕末は話の枕として触れられているだけです。本書の前半は主に大日本帝国憲法下の事例について説明されていて、主に昭和天皇のエピソードが中心です。後半は敗戦後・日本国憲法下での事例が取りあげられていますが、これも平成より昭和の方が主な対象となっています。
戦前は憲法に両議院が上奏する権利を持つ旨の記載がありましたが、その他の機関については憲法による規定はなかったそうです。ただ、公式令・軍令などや政治的慣習にしたがって、天皇に対する上奏・奏上・内奏などが行われていました。上奏・奏上・内奏などの区別についても必ずしも規定があったわけではなく、例えば軍は帷幄上奏を行えたわけですが、陸軍は上奏したのに対し、海軍は上奏よりも扱いが軽くて済む奏上と呼ばれる行為を行ったのだそうです。官僚制のなんたるかが表現されているようで、面白いですね。
昭和天皇は張作霖爆殺事件の田中義一首相の上奏(天皇は上奏と受け取ったが、田中首相は裁可を伴わない上奏=上聞と考えていたらしい)に対して不快を表し、辞職に追い込んだことがありました。これを反省して、自分が反対意見をもつ上奏に対してもかならず裁可することにしたのだそうです。しかし、上奏以前の段階の内奏に対しては、率直な御下問を行い、内奏する側の軍などはそれへの対応に苦慮した点があったそうです。
敗戦後、芦田首相は天皇への内奏を廃止して天皇を元首ではなく象徴として遇したい意向を持ち、また昭和天皇の退位も望んでいたそうです。しかし昭電事件で退陣を余儀なくされました。続く吉田首相は首相や閣僚による内奏を復活させ、その後の内閣の下でも内奏やご進講を行う職種は増えていきました。昭和天皇が内奏に対して御下問という形で意見を表明するのは敗戦前と同様で、政治家はこれによる影響を少なからず受けたようです。
本書には「上奏が日本国憲法施行後に消滅するのに、なぜ内奏は残るのだろうか。これが本書の基本的な問題意識であった」書かれています。それに対して、昭和天皇が在位し続け、しかも内奏という慣習にこだわったからだと著者は解答しています。私もこれが正解だろうと思います。
敗戦後に昭和天皇は退位しませんでした。私が思うに、昭和天皇は大日本帝国憲法下でも立憲君主であったと自身をみていたこと、輔弼機関の上奏に対しては基本的にすべて裁可する方針だったこと、また憲法第三条には天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラスとあることなどから、敗戦に対して責任を負う必要を全く感じなかったのでしょう。また日本国憲法下でも、象徴という名前の立憲君主であり続けるもりだったでしょうから、憲法に定められた国事行為を行うためにも、内閣による内奏というかたちの助言があって当然と感じていたのでしょう。また、敗戦後から高度成長期の政治家は、天皇を現人神として感じた経験のある人たちだったので、象徴という名前の立憲君主に対して内奏を続けることに違和感を感じず、御下問という形の天皇の意見を可能なら尊重しようと考えたのだろうと思います。

2010年6月22日火曜日

iOS 4 の壁紙

今日はiOS 4の解禁日。iTunesにつないでみましたが、「お使いの iPhone ソフトウェアは最新です。 iTunes は 10/06/25 にもう一度アップデートを自動的に確認します。」と表示されるだけでした。でも、アップデートを確認のボタンを押すと、アップデートできました。うちではだいたい13分くらいで終わりました。



ロックを解除して見てみると、こんな感じに、これまでロック解除時の画面の壁紙にしていたものが、ホーム画面の壁紙としても表示されています。ホーム画面にも壁紙を表示できるようになったのがiOS 4の特徴ですが、私はもともとの黒いバックの方が落ち着いていて良かったと感じます。なので、240x360の大きさの真っ黒なイメージをつくり、iTunesでiPhoneに転送しました。設定ボタンの壁紙を使うと、ロック中の画面とホーム画面の壁紙は別々に設定できるようになっています。ホーム画面は元通りの黒バックに戻しました。
まだそれほど多くのアプリをつかった訳ではありませんが、いまのところどれも問題なく動きます。また、iOS 4にアップデートして遅くなったと感じることも、今のところはありません。

2010年6月21日月曜日

海軍護衛艦物語





雨倉孝之著 光人社
2009年2月発行 本体1800円
日本海軍の対潜水艦戦の歴史を扱った本です。第一次大戦で地中海に派遣された駆逐艦隊から説き始め、戦間期、そして太平洋戦争での破局に至るまで、とても分かりやすく解説されています。日本海軍は艦隊決戦主義に凝り固まっていて、海上通商保護についてはまったく等閑視していたものと思ってしまいます。確かに、財政的な問題もあって、実際には大した施策は実施されず、多くの海軍軍人が通商保護については無視していたのは確かです。しかし本書を読むと、第一次大戦中の経験や戦間期においても、海上通商保護の重要性を認識して、その強化を訴える海軍軍人(将官にも)がいたことがよく分かりました。
また太平洋戦争中、護衛艦の艦長や幹部の多くは兵学校出の海軍将校ではなくて、海軍予備員だった予備将校が任じられました。予備役の海軍将校と、本来は商船に乗り組んで仕事をしている海軍予備員とは全く違うものでした。イギリスに倣って明治時代に設けられた海軍予備員制度ですが、太平洋戦争の開戦まで、定期的な教育などのまともな能力向上の施策が行われていませんでした。こういったことも本書には分かりやすく説明されています。
太平洋戦争開始後、しばらくしてから商船・船員の被害が増え始めるわけですが、そのあたりを読んでいると、もっと早く降伏できなかったのかと感じてしまいます。まあ、特攻や大和の沖縄行きまでさせてしまう人が指導していた国だから無理なのは分かりますが。
クルマにはねられて脳挫傷になり、しばらく入院していました。退院後もいくつか症状が残っているのと、気力・根気の面で硬い本を手に取る気にならない状態なのですが、それでも比較的、気軽に読める本でした。大井篤さんの海上護衛戦を読む際の基礎知識も得られるので、おすすめです。

2010年5月18日火曜日

スターリン 青春と革命の時代




サイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著
白水社 2010年3月発行 本体5200円
生い立ちからロシアの10月革命の時期までを描いたスターリンの評伝で、以前に紹介したスターリン 赤い皇帝と廷臣たちの時期的に前編にあたる本です。これまで、スターリンがグルジア人で神学校を中退したということだけは知っていたのですが、どういう経緯でソ連の指導者になれたのかについては全く知りませんでした。その点で、とても勉強になった本です。
彼は子供の頃から集団のボスになれる魅力と能力を持っていた少年だったそうです。神学校でも当初はトップの成績でした。また聖歌隊で活躍したり、結婚式で歌うバイトをしたり、歌がとても上手で、これはこの後もいろいろな場面で披露されます。さらに文学的才能もあって、彼の詩が地元の新聞に掲載されたこともありました。しかし在学中にマルクス主義に目覚め、ロシア社会民主労働党に入党します。20歳で神学校を飛び出すことになります。
コーカサス地方で非合法活動に参加することになります。印刷所を設けて新聞を発行したり、論説を書いたりなどに加えて、労働者を煽動(指導)してストライキを組織したりなど。1902年にバトゥミ(バクーからの石油を受け入れ、ヨーロッパ向けに積み出す黒海岸の都市)で組織したストライキは大規模で、弾圧により13名に死者を出すほどでした。
国外のレーニンのために資金を獲得することも彼らの仕事でした。コーカサス地方のボリシェビキの組織は、ヤクザに似たところがあって、富豪や石油会社などからみかじめ料を得ていたそうです。またこれに加えて、海賊行為や銀行強盗も行っていました。1907年にチフリス(トビリシ)での現金輸送馬車襲撃は爆弾で多くの死者を出し、世界的にも報道されました。日本でも戦前の共産党が資金獲得のために銀行強盗を行いましたが、単に思いついてやったというわけではなく、スターリンというお手本に学んだのでしょうね。
彼はレーニンの著作に惹かれてボリシェビキの立場に立つこととなり、こういった非合法活動を通してレーニンの知己を得ます。やがて、ロンドンなど国外で開催されるロシア社会民主労働党にも代議員として参加するようになり、ボリシェビキの有力者になっていったわけです。
こういった活動はロシアの秘密警察(オフラーナ)の注意を惹くことになり、彼は何度も逮捕されています。ロシア帝国というと、後進的な専制国家で弾圧がきびしかったという印象を持っていたのですが、本書を読むと、政治犯に対する処遇が手ぬるいように感じてしまいます。スターリン自身も帝政の寛大さを軽蔑して、「監獄はむしろ保養所に似ている」と述べていたそうです。スターリン時代の強制収容所の処遇の厳しさは、帝政時代の監獄をや流刑を反面教師としているようです。
戦前の日本でスターリン級の大物が逮捕されたらきっと死刑にされてしまったのではないかと思うのですが、どうでしょう。また、流刑でさえ刑期が最長5年で、しかもお金を外部から送ってもらえれば比較的文化的な生活が送れました。また、その気になれば簡単に脱走することもできました。そのため、 彼は何度も流刑になったわけです。
スターリンがオフラーナのスパイだったという説もありますが、著者はそれを採りません。しかし、ボリシェビキの内部にオフラナのスパイがいたことは確かで、革命後にそれが発覚した高位の人物もいます。スパイの存在とスパイ対策の必要性がもともと非合法活動に手を染めていたスターリンの考え方に影響を与え、その後の大弾圧につながった面があるのですね。オフラナはロシア革命の阻止自体には失敗しましたが、ボリシェビキが存在しない裏切り者を30年以上にわたって探し続けさせる成果を上げたとも言えます。
革命後、スターリンがボリシェビキの指導者の一人となっていった理由として、もともと非合法活動でレーニンに貢献し知己を得ていたことに加えて、「彼の背後に地方出身の無数のリーダーたちが控えていること」が挙げられます。基本的に国内で活動し続けたスターリンは地方のボリシェビキ指導者の突出した典型だったわけです。この点、ユダヤ人でスター性のあるトロツキーとは革命以前から相容れない存在でした。
以上の政治的な事柄に加えて、スターリンが魅力的で女性にもてたこと、複数の子供を儲けていたことなども書かれていて、興味深く読めました。本書はソ連崩壊後に利用できるようになった公文書館の史料なども加えて叙述している点が特色なのですが、侵すべからざる最高指導者のゴシップや庶子の存在を示す史料まで保管している公文書館が存在しているロシアの国柄には感心しました。

2010年5月9日日曜日

トレイシー




中田整一著 講談社
2010年4月発行 本体1800円

日本兵捕虜秘密尋問所というサブタイトルがついています。なにも拷問などが行われたから「秘密」というわけではありません。本書を読めば分かるように アメリカの日本兵捕虜に対する待遇は、日本の捕虜収容所のそれに比較して数等上でした。ただ、普通の収容所での捕虜に対する尋問と違って、このトレイシーにあった施設では盗聴も行われていて、それがジュネーブ条約に違反するので、近年まで秘密にされていたということです。

捕虜秘密尋問所は、東海岸にもドイツ兵向けのものがあったそうです。そして、この種の施設を設けること、尋問のテクニック、盗聴などの技術は、もともとイギリスが対独戦で使用していたものがアメリカに供与されたものだそうで、イギリスの手練手管には感心するばかりです。それに対して、生きて虜囚の辱めをうけるなということのみ強調し、実際に捕虜になった際の対処法を教育しなかった日本軍の非合理性が浮き彫りにされ、情けないかんじがしました。緒戦の日本兵捕虜の士気の高さが強調される一方、サイパン玉砕頃から日本兵の士気の低下がアメリカ側にもはっきりわかったそうです。その後の戦いでも死ぬまで戦ったのは、捕虜となることが許されず、死ぬほかに道がなかったということなのでしょうね。

なので、たまたま捕虜となる機会があれば、鬼畜と教えられてきたアメリカ人から比較的寛大に扱われることで、いろいろと尋ねに応じてしゃべるようになったことはやむを得ないと思われます。それにしても、皇居の中の建物の配置や、日米開戦後に開設された飛行機やエンジン工場の様子などまでアメリカ側が知っていたとは本当に驚きです。

とても面白い本でした。このトレイシーを経験した元日本兵捕虜で近年まで生存している人が複数いて、90歳台の彼らのインタビューまで試みていることには脱帽します。

で、130ページに操縦士がゼロ戦について証言していますが、携行弾数が20ミリ機関砲一基につき200~300発、7.7ミリ機銃一基につき70発と書かれています。これは逆ですよね。20ミリ機関砲は大威力だけれども携行弾数が少ないのが欠点だったはずですから。故意に捕虜が嘘を証言したのか、アメリカ人尋問者のミスか、この本の著者の間違えか、どれでしょう。

2010年5月5日水曜日

帝国日本と財閥商社



春日豊著 名古屋大学出版会
2010年2月発行 本体8500円

恐慌・戦争下の三井物産というサブタイトルがついています。生糸、石炭、砂糖、金物、機械など有力な商品をラインナップに持ち、1920年代には遊資をかかえるほど三井物産は安定していました。しかし、世界恐慌の影響による最重要商品である生糸の価格の低下、日中戦争で重化学工業化や日本国内の統制の動き、日独伊三国同盟・第二次世界大戦の影響、日米通商航海条約の破棄、対英米開戦などの時代の変化に対応を余儀なくされていきます。

ただ、三井物産は傘下の企業数、信用力、資金力、支店ネットワークなどの点で他の商社に比較して有利でした。このため、世界的な不況に対しては国内市場での拡大を図ったり、統制の動きに対してはカルテルへの参加や生産者に対する投資などで対応したり、太平洋戦争開戦後にも植民地での投資や占領地での活動を慫慂されたり進んで行うなど、戦争末期まで事業規模を維持・拡大させ続けたというところが本書で述べられていることでしょうか。

他の主要商社に比較して三井物産が不況の1920年代にも安定した利益をあげていたのは、石炭、機械などが高い利益率だったからだそうです。特定商品の取り扱いに特化した商社と総合商社という対比からすると三井物産は総合商社だったのかも知れませんが、実態としては複数の有力な分野を持った商社だったように読めました。また、東南アジアからアメリカへのゴムや錫の輸出、麻原料・麻袋のインドから満州への輸出、満州からヨーロッパへの大豆の輸出など、三国間貿易で少なからぬ利益を出していた点などは三井物産の力量を示していますね、たしかに。

ただ、弱点もあったはずで、比較的高学歴・高収入の社員が多かったことからくるコスト髙の影響などもあったのではと想像されますが、どうなんでしょう。また、メーカーに対する融資や資本参加によって原料の一手購入、製品の一手販売権を得るのが三井物産のやり口だったわけですが、東芝の自販への志向に苦慮していたことや、生糸の有力メーカーだった群是・片倉の製品を無口銭で取り扱ったというエピソードなどが書かれています。恐慌や戦争の影響が大きかったこの時期に限らず戦後も含めて、長い目で見ればメーカーの成長によって商社の仲介が不要となる分野は多いのでしょう。

第二次大戦開戦後にドイツの希望するシベリア鉄道経由の貿易をイギリス・カナダによる報復的禁輸を恐れて当初は控えたということ、アメリカの資産凍結後は従来少なかった南アメリカへ食い込みを計ったことなど、興味あるエピソードです。あと、591ページに中国四大産品として生糸・茶・桐油・鶏卵で、鶏卵加工品が中国第二の輸出品と書いてありますが、鶏卵の輸出がそんなに多かったとは驚き。

日中戦争開始後の統制の強化に対応して、統制組織の中に入り込む努力がなされました。また、日米開戦後は中国占領地や南方で物資の収買や軍受命の活動が多くなされました。そして、対日期待物資の供給が不可能となる太平洋戦争後半の時期には、中国占領地・満州・朝鮮などで生産事業会社の設立に出資することまで求められるようになっていったそうです。

敗戦の予想というか、出資が全て無駄になる予感はなかったんでしょうか。文書として残せるような事柄ではないので、史料からは読み取りにくそうではあります。また、実際に占領地で仕事をした人たちからの聞き取り、オーラルヒストリーも敗戦後65年も経過しているので、生物学的に不可能なのかも知れません。でも、そういう人たちの残した記録類もあるはず。本書はその方面に関してはほとんど触れていません。そういう種類の本は他にあって、本書は三井文庫の史料を活用するためのものだと言われればそれまでですが。

「本書は、断続的に発表してきた論考を大幅に修正・加筆し、それに新たに書き下ろした論考を合わせて」とあとがきに書かれています。しかし、単に既発表の論文をまとめただけではないというわりに、同じ事項が繰り返し書かれている傾向があって、読んでいて多少うんざりする感じを持ちました。800ページちかい大冊なのですが、そうすればもっと短くなったのでは。