このページの記事一覧   

2010年4月29日木曜日

体制移行の政治経済学







中兼和津次著 名古屋大学出版会
2010年3月発行 本体3200円




「なぜ社会主義国は資本主義に向かって脱走するのか」というサブタイトルがつけられていますが、「脱走」という言葉の選び方は別にして、この設問自体が研究対象になることにちょっと驚きを憶えたこともあり、本書を買ってしまいました。
ソ連崩壊後に物心ついた人ならいざ知らず、東側が存在していた時期に大人になった者としては、社会主義が実は桎梏と化していて、東側の人たちが選択の自由のある民主主義・資本主義を求めていたことは自明なことのように感じていました。でも、リンゴはなぜ落ちるのかということだって、重力の発見につながったわけですから、社会主義に関するこういった研究テーマもあり得るわけですね。
現存した社会主義に対する著者の評価はきびしいものです。ロシア革命の成果について、E.H.カーは、遅れた農業主体のロシアを工業国に変身させたことを評価していますが、そうであれば韓国の朴政権の開発独裁ももっと高く評価されるべきと著者は述べています。ロシア革命とその後のスターリンの治世下で多くの人命が失われたことを考えると、その通りですね。また、後進国の経済発展を促す効果はあったとしても、イノベーションをもたらす能力には全く欠けていて、東側発の世界的なヒット商品がルービックキューブしかなかったという指摘にも頷かされます。
1960年代以降に社会主義国の経済的なパフォーマンスは低下し、いろいろな改革が試みられました。例えば、計画経済を運営する当局の情報処理能力の不足への対策としてPOSシステムのようにコンピュータを利用することもその一つです。しかし、社会主義国では企業から中央に報告される数値自体に多くの虚偽が含まれていたことがもっと根本的な問題で、コンピュータを利用してもそれは改善できません。また、ユーゴスラビアでみられたような労働者自主管理モデルがもてはやされたことがありますが、実際に労働者がその企業の意思決定権を持つことは難しく、労働者の要求と企業の発展・存続との間には乖離があり得ることや、責任者の不明確化で無責任体制になってしまいがちだったそうです。結局、私有制・市場経済の利点に匹敵するものは見いだせず、それでいて公有制・計画経済からの脱走を許さなないためには、政治的な自由の制限が必要だったわけですね。
体制移行は多くの国で行われ、過程はその国の事情によっていろいろ。ポーランドなどのようにショック療法をとった国々と中国の社会主義的計画経済への移行との違い、体制移行の成果の問題などなど広範に取りあげられていて、勉強になりました。特に、体制移行と腐敗についての考察や、体制移行と開発・援助との比較などはとても面白い。
第8章「体制移行の評価」では、これらの国々も含んだ世界各国で2007年に行われた意識調査が紹介されています。「次の世代は今よりよくなっているか」という設問に対して、スロヴァキア・ブルガリア・ウクライナ・ポーランド・ロシア・チェコ・中国では44~86%の人が良くなると答えていて、日本の10%(!)、ドイツの17%、アメリカの31%に比較してずっと高い数値です。他のいろいろな分析よりも、この数値が体制移行20年の成果に対する移行諸国の人々の高い評価を表しているように感じました。経済的にはロシアの失敗、中国の成功という印象がありますが、その地のひとびとは必ずしもそうは感じていないようです。
中国は高成長を遂げたわけですが、漸進的に移行したからということよりも、東欧やロシアとは違って発展途上国だったことが大きいようです。中国は社会主義市場体制と称していますが、腐敗の問題ともあわせて「社会主義」の部分に大きな疑問が残ります。実態は「中国的特色のある資本主義」という著者の評価はふさわしい。

キューバは全く触れられていないけれど、何の変化もないという評価なんでしょうか。

2010年4月9日金曜日

Win版のSafari 4がおかしい


iPhone OS 4.0が発表されたおめでたい日なのですが、我が家のSafariにはトラブルが。といってもMacのSafariではなく、Winの方です。

2日くらい前、Apple Software Updateのおすすめに従って、Win用Safariのアップデートをしました。でもそれ以来、Safariの挙動が変です。ページの表示がおかしく(文字が虫食い状に抜けちゃう)なったり、こんな風にクラッシュしたり、Gmailでうまく添付ファイルをダウンロードできなかったりなどなど。
これはうちだけ?
いっしょにおすすめされた、iTunesとQuickTimeをアップデートしなかったからこうなったの??

2010年4月4日日曜日

東ドイツのひとびと




ヴォルフガング・エングラー著 未来社
2010年3月発行 本体3800円



日常生活に重点をおく社会史は、過去を無害化し、おさまりのよいセンチメンタルなものにしてしまう恐れがある。
東西ドイツの統一からもう20年以上がたち、今では東ドイツの存在を知らない人もいるかも知れません。でも、私にとっては、物心ついてからずっと、東ドイツを含めた東側の国々は確固たる存在で、あんな風にあっけなく変化してしまうなんて思いもよらなかったというのが実感でした。本書は東ドイツのひとびとに焦点を当てた本ですが、「おさまりのよいセンチメンタルなもの」どころではなく、日本人である私にとっては非常に新鮮かつ刺激的な知識を与えてくれました。たとえば、

新しいドイツのために全力をつくすことで、自分たちが、というよりは自分の親たちが、ロシア兵やその家族に未払いのままに残している借金を返すのだ。こうした精神的な借財返済のエネルギーにすがって、東ドイツ分裂国家は長い間かろうじて食いつないでいくことができたのである。
東ドイツ市民の第二世代と呼ばれる、1930年代に生まれ戦後に大人になった人たちが、特にこういった意識を持つことになりました。そして、この倫理的に立ち直るための労働という意識はスローガンともなって、政治に利用されもしたのです。

ナチスドイツの第三帝国を公式に法的に継承したのは、西ドイツ、つまりドイツ連邦共和国だった。それによって西ドイツのひとびとは、賠償責任を負うことになったのである。だがこの賠償は順調に実行され、しかも算定可能なものだったので、良心も経済もしだいに安らぐ事が出来るようになった。
だが東ドイツ、つまりドイツ民主共和国の場合はそうではなかった。この国は、ナチスの第三帝国の法的継承を拒んだ。だが、東ドイツのひとびとは、すでに前もって課されていた勝利者への賠償義務からは逃れられなかった。そして東ドイツでは、この算定の難しい「不文律」の賠償形式が課されたことで、集合的良心も経済も緊張し続けることになる。しかも、経済や生活水準もためらいがちなペースでしか上昇しなかったために、現在はむしろ過去の延長という様相を帯びることになった。
ナチスドイツに迫害されて亡命したり国内で雌伏していた人たちが東ドイツ建国に際して、第三帝国とは無縁と主張したことは理解できます。しかも、東ドイツの地域は占領ソ連軍による略奪や専門家の強制移送と言う形で講和の以前に少なからず「勝利者への賠償義務」を負担していたにもかかわらず、西ドイツと比較すると安らぎを得られなかったというのは、一種の逆説でもあります。賠償を受け入れた国々との関係を考えると、日本人としてもよそ事とは思えない指摘です。

いま自由を求めて叫んでいる大衆は、かつて選挙を通じてナチスを政権につかせ、積極的に支持したか、少なくとも大目にみてがまんした。一方、国家と党の指導的立場にあるのは、そのような誘惑に屈しなかっただけではなく、禍に立ち向かうのに命を賭けるのもいとわなかったひとたちだった。つまり東ドイツの党指導者たちは、追放されて戦後、東ドイツにもどってきた文学者や思想家たちと同じ経歴と政治的背景をもっていたのである。両者が社会的危機に対し、ともに手をたずさえたのも無理はなかった。
1953年の東ベルリンでの労働者の反政府デモに際して、知識人たちは、過ちをおかす支配者との連帯のほうを、誤りを暴いている民衆との連帯より重くみていました。その結果、1956年のスターリン批判後の知識人の異議申し立ての活動に対して労働者は連帯せず傍観しました。ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアと違って、東ドイツでの反政府運動は目立った印象を与えなかったことの一因は、労働者と知識人の間の連帯の欠如にあったというのが本書の指摘です。

80年代になると、労働者にしても職人にしても、女店員にしても同僚にしても、いままでどおりに政治路線の正しさを確信している者に出会うことはなくなった。党幹部でさえも、内々ではそれを認めていた。結局まったくの徒労だったのだ。仮面舞踏会はまだつづいていたが、ひとびとはみな宗旨替えをしていて、それぞれ別の世界で生きていたのである。
たしかに反政府活動は盛んではなかったかも知れませんが、支配の正統性があまねく承認されていたわけではありません。日常生活で人々が規律にしたがって生活するのは、家族や職場などなど種々の社会集団が規範を維持するように指せている面があります。しかし東ドイツでは、国家から自立したそのような中間集団の存在が希薄でした。このため、国家は賃金や生活水準の面で妥協せざるを得ず、経済的な破綻へとつながりました。また、中間集団ぬきに国家が個人を管理することには大きな困難が伴い、それが大きなシュタージ・国家保安省を必要とさせたのでした。

下級職務グループの多くがSEDを避けた理由は、入党すれば確実に個人の自由を失うからである。しかもそれは、ごく単純であからさまな自由の喪失だった。したいことをしたり、またはしなかったりすることができなくなるのである。この「自由」は下層から上層にいくにつれてしだいに小さくなり、形式的な決定権と政治的委任が組み合わさった場合には、ほとんど消えてなくなってしまった。SED入党は、その意味ではドン・キホーテ的行為であり、下層にとどまりながらもまるで上層にいるかのように「不自由」な生活を送らなければならなくなることを意味していた。
中国でもソ連でも、地位の向上や収入を伸ばすことなどを目的に支配政党に入党したがる人が当たり前で、希望してもなかなか入党できないものなのだろうと思っていました。それだけに、SEDへの入党を一般の人々が望まなかったというのには驚かされます。反政府活動が活発でなかった代わりに、支配政党への入党の希望者も少ないというのは、ひとびとの意識の健全さを示しているようにも見えます。ただ、それだけ希望のない社会だったと言うことなのかも知れませんが。

ざっと、政治に関する面で面白く感じた点をあげましたが、本書の後半ではジェンダー、性の自由化(西側より進んでいた)、世代間対立などもとりあげられています。著者は東ドイツの人だったからか、こういった話題でも意外な面を明らかにしてくれます。早すぎるかもですが、今年のベスト3には入りそう。ぜひ読むべき一冊と感じました。

東ドイツの人々ではなくひとびと。本文のなかでもこんな風にひらがな書きが多く、この本の訳者はあまり漢字を使わない人のようです。

2010年4月1日木曜日

Time Capsuleの故障と無償交換の情報

Time Capsuleが故障しやすいという噂は、それとなく目にしていましたが、 TidBITS日本語版の3月22日号にまとまった記事が載せられていました。それによると、熱でコンデンサーが劣化しやすく、Time Capsuleの平均寿命は19ヶ月20日なのだとか。ただ、故障したTime Capsuleユーザーの活動により、無償交換が行われているそうです。
次の場合 Apple はあなたの Time Capsule を無償交換するという、あなたがどの機器でもいいから 3 年間の AppleCare 契約を持っている;一年以内にコンピュータを購入した (それに一年間の保証が付いてくるのでそれを Time Capsule に適用);或いはその Time Capsule のシリアル番号が特定の範囲に適合する場合。

うちのTime Capsuleは2008年3月27日から稼働中です。もう23ヶ月めですが、熱が問題だとすると今年の夏くらいが危ないのかもしれません。今夏なら、MacBook ProのAppleCareがまだ有効なので、日本国内でもこの無償交換プログラムが実施されているといいなと思います。

この記事の中で、
症状と原因-- この広範囲に拡がる不具合はどうも September 2008 に始まった様であるが、これは最初のユニットが販売されてからおよそ 18ヵ月後になる。代表的な症状は Time Capsule の電源を入れて立ち上げることが出来ない事である。
と書かれていますが、「18ヶ月後」ではなくて正しくは8ヶ月後ですね。Time Capsuleの発表されたのが2008年1月のMacWorldですから。