中兼和津次著 名古屋大学出版会
2010年3月発行 本体3200円
「なぜ社会主義国は資本主義に向かって脱走するのか」というサブタイトルがつけられていますが、「脱走」という言葉の選び方は別にして、この設問自体が研究対象になることにちょっと驚きを憶えたこともあり、本書を買ってしまいました。
ソ連崩壊後に物心ついた人ならいざ知らず、東側が存在していた時期に大人になった者としては、社会主義が実は桎梏と化していて、東側の人たちが選択の自由のある民主主義・資本主義を求めていたことは自明なことのように感じていました。でも、リンゴはなぜ落ちるのかということだって、重力の発見につながったわけですから、社会主義に関するこういった研究テーマもあり得るわけですね。
現存した社会主義に対する著者の評価はきびしいものです。ロシア革命の成果について、E.H.カーは、遅れた農業主体のロシアを工業国に変身させたことを評価していますが、そうであれば韓国の朴政権の開発独裁ももっと高く評価されるべきと著者は述べています。ロシア革命とその後のスターリンの治世下で多くの人命が失われたことを考えると、その通りですね。また、後進国の経済発展を促す効果はあったとしても、イノベーションをもたらす能力には全く欠けていて、東側発の世界的なヒット商品がルービックキューブしかなかったという指摘にも頷かされます。
1960年代以降に社会主義国の経済的なパフォーマンスは低下し、いろいろな改革が試みられました。例えば、計画経済を運営する当局の情報処理能力の不足への対策としてPOSシステムのようにコンピュータを利用することもその一つです。しかし、社会主義国では企業から中央に報告される数値自体に多くの虚偽が含まれていたことがもっと根本的な問題で、コンピュータを利用してもそれは改善できません。また、ユーゴスラビアでみられたような労働者自主管理モデルがもてはやされたことがありますが、実際に労働者がその企業の意思決定権を持つことは難しく、労働者の要求と企業の発展・存続との間には乖離があり得ることや、責任者の不明確化で無責任体制になってしまいがちだったそうです。結局、私有制・市場経済の利点に匹敵するものは見いだせず、それでいて公有制・計画経済からの脱走を許さなないためには、政治的な自由の制限が必要だったわけですね。
体制移行は多くの国で行われ、過程はその国の事情によっていろいろ。ポーランドなどのようにショック療法をとった国々と中国の社会主義的計画経済への移行との違い、体制移行の成果の問題などなど広範に取りあげられていて、勉強になりました。特に、体制移行と腐敗についての考察や、体制移行と開発・援助との比較などはとても面白い。
第8章「体制移行の評価」では、これらの国々も含んだ世界各国で2007年に行われた意識調査が紹介されています。「次の世代は今よりよくなっているか」という設問に対して、スロヴァキア・ブルガリア・ウクライナ・ポーランド・ロシア・チェコ・中国では44~86%の人が良くなると答えていて、日本の10%(!)、ドイツの17%、アメリカの31%に比較してずっと高い数値です。他のいろいろな分析よりも、この数値が体制移行20年の成果に対する移行諸国の人々の高い評価を表しているように感じました。経済的にはロシアの失敗、中国の成功という印象がありますが、その地のひとびとは必ずしもそうは感じていないようです。
中国は高成長を遂げたわけですが、漸進的に移行したからということよりも、東欧やロシアとは違って発展途上国だったことが大きいようです。中国は社会主義市場体制と称していますが、腐敗の問題ともあわせて「社会主義」の部分に大きな疑問が残ります。実態は「中国的特色のある資本主義」という著者の評価はふさわしい。
キューバは全く触れられていないけれど、何の変化もないという評価なんでしょうか。
キューバは全く触れられていないけれど、何の変化もないという評価なんでしょうか。