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2019年4月1日月曜日

令和の残念

新しい元号が発表されました。「令和」と聞いて感じる違和感。ラ行で始まるやまとことばはないし、漢字を組み合わせて命名されてきた元号にもラ行で始まるものはなかったような気がするので、このあたりが違和感の原因なのかなとは思います。M行、T行、S行、H行を避けての命名という制約があったとはいえレイワは響きがいまひとつ。でもこのレイワにもそのうち慣れてゆくでしょうからまあいいとして、それにしても残念至極というのが私の感想です。

個人的には、日常生活で元号をつかわなくなって30年以上になります。書類に年を記載する際はいわゆる西暦をもちい、また明治・大正・昭和・平成と印刷されている紙に記入する際にもそれを抹消して西暦を書き込むことにしています。例外は死亡診断書くらい。死亡診断書専用の記載用紙(どこの医療機関にも同じ紙製の同じ様式のものが常備されているようなのであれは厚生労働省謹製なのかな)の生年の欄にも明治・大正・昭和・平成と印刷されています。死亡診断後のおごそかでありたい雰囲気下に、抹消線のある診断書を交付するのも申し訳ないかなと感じて、そのまま丸印を付けるようにしています。

年齢早見表を置いてある診察室をよくみかけますが、ああいった早見表を使う必要があること自体、日常生活で元号をつかうことの不便さをよく表していると思います。それに元号だと、元号が使われ始める以前の年、例えば神武天皇のご即位の年を表すこともできないでしょ。まことに不便。

もちろん紀年法としてはいわゆる西暦のほかにもヒジュラ暦とか仏滅紀元とか、あと皇紀とかいろいろあります。どれをつかってもいいのでしょうが、わたしが西暦を選んでいる理由はべつにキリスト教に敬意を表しているからではなく、単に世界的にも多数派なのかなと感じているからです。本当は世界標準時とかメートル法とかと同じように、みんなで協議して決めるべきものなのだと思います。

元号が日本の「伝統」だということで使い続けられていることにも強く反対したいつもりもありません。でも、伝統というのならきちんと伝統を継承して欲しいもの。これまでの元号はすべて中国の古典を典拠とされていて、それが日本の元号の伝統だったはず。やまとことばをもとにした元号とするのなら万葉集が典拠でもよかったかもしれませんが、漢字2文字の新元号の典拠に万葉集なんていう発表はまったく残念。



ネットの情報によると帰田賦、蘭亭序なんかにも由来するそうですから、伝統に従って新たな元号も中国の古典を典拠としていると発表すれば「漢字を廃止した国も多い中で日本は漢字を使い続けているし、新しい元号もうちの古典を典拠としたというし、いまでもうちの国の古典に敬意を表しているのだな」と中国のひとたちも悪い気はしなかったはず。日中関係の将来を考えても負担なく無料でできるこういったおもてなしの機会を逃すてはなかったのに。不便な元号にメリットをみいだすとしたら、この点のアピールくらいしかないだろうと私は思うので、まったく残念至極と感じた次第です。