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2008年12月30日火曜日

今年の本のベスト3

今年読んだ本ですが、旧刊にも 近世大名家臣団の社会構造 のように面白いものはたくさんありました。
でも年末なので、今年出版された本で私の読んだものの中からベスト3冊をあげるとすると、 以下の三冊になるでしょうか。順不同です。
来年も面白い本と読む時間がたっぷりありますように。

牧民の思想 小川和也著 平凡社選書229 分かりやすく書かれた思想史の本で、材料と料理の仕方に感心しました。

日本に古代はあったのか  井上章一著 角川選書426 世界史との関連を重視して、日本史は中世から始まると考えようという、その発想がとても刺激的

ベルリン終戦日記  山本浩司訳 白水社 敗戦後に自分が受けたレイプのことまでが詳細に淡々と描かれていて驚き

2008年12月29日月曜日

武士はなぜ歌を詠むか


小川 剛生著 角川叢書40
2008年7月発行 本体2600円

鎌倉将軍から戦国大名までというサブタイトルがついています。武士はなぜ歌を詠むのか、文学として歌を詠むということよりも、歌は人とのお付き合いに必要な道具だったということのようです。国文学の方が書いた本ですが、面白く読めました。

第一章の鎌倉幕府の将軍としては、頼朝はじめ源氏の三代についても触れられていますが、主には親王将軍宗尊が扱われています。京から迎えられ、鎌倉の御所で成長し、やがて歌会を頻繁に開いて鎌倉歌壇の主となりました。しかし、得宗一門や得宗に近い人はそのメンバーではなく、京都からの廷臣に加え、武士としては非主流の人たちが集まる場となったそうです。宗尊将軍自身が得宗に対する反逆を考えたことなどなかったのでしょうが、人の集まりの中心になったのは確かで、これが廃立追放の原因だろうとのことです。

第二章は足利尊氏とその周辺の人たちが扱われています。天皇主催の和歌御会に招かれた尊氏は出席を固持したそうです。強いての招きに、自作を懐紙にしたためて進めることはしましたが、出席は一度もしなかったとか。著者は、厳格な故実・約束事のある「公家の世界に立ち入る勇気が無かったとしても不思議ではない」と書いています。なんか、分かるような気がしますね。生まれ・育ちが全く違う人たちに立ち交わるのって気苦労のみ多そう。そうすると、三代目で生まれつき公家との交際のあった義満にしてようやくそれを克服し、公武合体から簒奪なんてことまで考えられる余裕が生まれたということなのでしょう。

第三章は太田道灌と関東の武士が対象。太田道灌は戦いに明け暮れる名将でしかも土着の人ではなく傭兵のような面を持っているとして、三十年戦争で活躍したヴァレンシュタインと著者は比較しています。ただ、悪名を残したヴァレンシュタインとは違って、道灌は歌詠みとしても上手で、歌会などによって関東の国人たちとのつながりを築くとともに、著明な文化人が訪問して来て記録を残してくれたことで、伝説化されました。

第四章は駿河・甲斐・近江などで「田舎わたらい」を20年以上経験した冷泉為和を中心に、今川氏親・義元、武田晴信などの大名当主やその家臣たちが扱われています。歌道師範としての収入や実際の指導、また外交の仲立ちをしたことなど、この第四章は面白いエピソードがたくさんありました。

2008年12月28日日曜日

今年の有馬記念は人出が多い様子

昨日から冬休みに入りました。今日は東京に買い物に行こうと思い、9時ころ家を出ました。立川駅に行く途中、ウインズの前まで来ると、すでに人がたくさん歩いていました。自分が休みに入ったものですから、てっきり競馬ももうおしまいになってるのかと思いましたが、まだやってるんですね。年末だから、有馬記念でしょうか。朝9時頃としてはふだんよりずっと多い人通りでした。午後に通ったときも、11月のG1がたくさんあった頃より、今日は混雑していました。不景気ということもあって、最後に有馬記念で一攫千金と考えた人が多いんでしょうね。

2008年12月27日土曜日

衰退のレギュラシオン


岡本哲史著 新評論
2000年12月発行 本体4700円

チリ経済の開発と衰退化1830ー1914年というサブタイトルがついています。19世紀には1人当たりGDPなどからみて日本よりもはるかに豊かだったチリが、20世紀には開発途上国としての特徴を定着させていったのは何故かという点について、これまでは20世紀の輸入代替工業化の失敗とする議論が多かったのだそうです(たしかに、昨年読んだ ラテンアメリカ経済史もそういう本でした)。それに対して著者は、19世紀の反映時代からすでに、衰退の種がまかれていたのだと本書で論じています。

「チリの長期の経済政策を大雑把に振り返ってみると、『植民地期の重商主義的な保護主義→十九世紀の(限定的な)自由放任主義→両大戦間期以後20世紀70年代までの保護主義的輸入代替化政策→クーデター以後1990年代までの自由化政策』」というように、どの時代の政策もその前の時代の政策の失敗の記憶に支えられていたという点を著者は強調しています。また、経済史の分析にあたっては、新古典派はもちろん、その他の非主流派・異端派経済学的な方法と比較してもレギュラシオン・アプローチが優れているとして、本書は書かれています。

著者の主張する衰退のレギュラシオンの実態は、①銀・小麦・銅・硝石と輸出品の主役は交代しながらも輸出依存経済が続き、海外の景気変動に影響されやすいなど外向的蓄積体制の脆弱さを持っていた、②中間層が少なく、地主オリガルキアなどが力を持ち、しかも支配層は産業化を目指す資本家としてのエトスを持たず、外貨を輸入奢侈品に浪費した、③国家が一貫した工業化政策をとらなかった、④太平洋戦争(日米戦ではなく、チリvs.ペルー・ボリビアの戦争)で獲得し、1880年代以降の輸出の主役となった硝石産業の繁栄の時代は外資に支配されていた、などになるようです。

約一世紀にわたる経済史の分析ですので、500ページ余の本書でも、多少の議論の荒さはやむを得ないのかなと思います。でも、この構図ってそんなに説得的なのでしょうか。例えば、「当時のチリ経済が、今日の開発途上国経済のような深刻な資本不足に悩む国ではなかったという点であろう。むしろ逆に、銀行の貸し出し余力の点からみても、硝石輸出から生じた財政黒字という点からみても、当時のチリには硝石の長期的開発に必要な資本は十分に存在していたといってよい。しかし、問題は、このような資本を借り入れリスク・テイキングな投資を行うだけの野心的な起業者がいなくなったことなのである」と著者は書いています。戦間期の日本が貿易赤字と新たな外債起債に苦心していたことを考えると、だいぶ有利ですよね。

著者は資本家としてのエトスや野心的な起業者の欠如も衰退のレギュラシオンとして論じていますが、これはさらなる分析が可能だと思うのです。まず、日本とチリとでは人口にかなりの差があります。本書では、日本の1880年人口が3665万人、チリの1885年人口が249万人とされています。著者はチリで繊維や造船のような基礎的な産業が育たなかったことや、創業された製鋼業が発展しなかったことなどを問題視していますが、人口の差からくる市場規模を考えると当然なのではないでしょうか。特に日本の場合には、川勝平太氏の主張するように、アジアの太糸圏の中で工業産品としての綿製品を輸出できる好条件があったから綿工業が輸入代替工業化だけにならずに済んだわけですし、また鉄鋼業にしても日本の軍事費の支出が高率であったこととは切り離せないでしょう(チリも太平洋戦争に勝利したのですから南米の国の中では軍事費が多かったのでしょうが)。また、日本の場合にはアヘン戦争の衝撃を受けての開国・新政権樹立という歴史があったので、独立戦争に勝利して一安心というチリとは、政治家・地主・資本家の対外的な警戒心の程度が違っていて、貿易の外商支配・産業鉱業の外資支配を嫌ったのは当然だったでしょう。このての本はどうしても日本のことを考えながら読んでしまうので、日本の方が特殊な条件を備えすぎていたのかなとも感じてしまいます。

この当時のチリ程度の人口規模の国で、産業化に成功して先進国に伍してゆくことがヨーロッパの国以外に可能だったのでしょうか。また、この当時、工業化・GDPの成長といったことが政治の主たる目標として、多くの国で一般的に求められていたものなのでしょうか。本書を読んで、この辺りが気になってしまいました。もし、19世紀チリの政治・経済的動向が一般的なもので、それにも関わらず「衰退」の途を歩まざるを得なかったというのなら、ふつうの国がふつうにしていて衰退してしまうということですから、従属論・システム論を見直す必要があるのだろうと思うのです。

2008年12月26日金曜日

まだ緑のイチョウ

街路樹は大きいので、通りを歩いていると自然と目がゆきます。花が咲いている季節でなければ葉っぱを観察することになります。葉っぱを眺めていてもいろいろと気づくことがあるわけで、先日 葉の寿命の生態学を読んでみたのも、そんな興味からでした。


このイチョウ、少し色褪せ始めてはいますが、まだ葉っぱが緑色をしています。ふつうのイチョウはもうほとんど葉を落とした時期だと思いますが、この通りのイチョウはこんな感じにまだ葉っぱがついています。ここの街路樹は9月はじめにかなり強烈に剪定されました。その後、ふつうなら葉がつきそうにない幹や太い枝の付け根当たりに小さな葉が新生してきました。それらの葉がまだこうして残っているわけです。今日のような寒さの中でも、樹が枯れないように精一杯がんばっているように見えます。


残っている理由として考えられること。まず、①葉が出てからある一定の期間たたないと落葉するメカニズムができていない・働かないというのが想像されます。でもそれより、②来年の春に必要となる量の光合成産物を幹に蓄積した後でないと落葉を可能とするメカニズムが動き出さない、という方がありそうな感じがします。

①が正しそうかどうかは、強く剪定する際に大きめの枝を一本残しておいて、その枝の葉と、剪定後に新生してきた葉の落葉の様子を比較すれば、ある程度分かりそう。②が正しそうかどうかは、幹の貯蔵物質量を測定することが必要かも知れません。

2008年12月22日月曜日

葉の寿命の生態学 個葉から生態系へ


菊沢喜八郎著 共立出版
2005年3月発行 本体3500円

2003年の日本生態学会50周年を記念して刊行されたモノグラフシリーズの一冊なのだそうです。A4で212ページと小さく薄めの本なので、3500円という価格は買うときにかなり高いなと感じました。しかも、文献リストと索引が40ページもあって、本文は170ページほどしかありません。しかし、体裁的にはページの上下と横の余白がかなり狭く、文章がつめこまれています。そして、実際に読んでみると中身の濃さにびっくりします。医学をはじめ自然科学系の雑誌には総説やreview articleが掲載されることが多いと思いますが、この本は170ページの総説をそのまま出版したという印象です。文献リストが長いのも当たり前です。葉の寿命の定義や調査方法、葉の特性や環境条件と寿命の関係、常緑性と落葉性などなどに関する本当に多数の報告が簡潔に紹介されていて、とても勉強になります。

単位面積あたりの葉の重量を示すLMAという指数があって、LMAと葉の寿命には正の相関があります。厚くて丈夫で化学防御物質をたくさん含んでいたりする葉は長持ちするわけですね。逆に、光合成速度と葉の寿命には負の相関があります。葉というものは作られてから時間がたつとともに光合成の効率が低下してゆくものなのだそうです。なので、光などの条件のよいところでは長持ちする、つまり高価なLMAの大きな葉をつけるよりも、粗末な葉を短期間で使い捨てどんどん新しいものに取り換えることの方が有利になるそうです。

黄葉・紅葉について、葉が黄色くなるのは窒素再吸収のためにクロロフィルが分解されて、元からあったカロテノイドの色が目立つようになるからだそうです。それに対してカエデなどの紅葉は、落葉の比較的直前にアントシアニンが生成されることで赤くなるそうです。アントシアニンは強光障害によって生じるフリーラジカルが窒素やリンの移動を阻害して、落葉前の栄養塩類の再吸収を阻害するのを防ぐという説が妥当だろうとされていました。

食害を防ぐためにアルカロイドを含んでいたり丈夫につくられている葉は、落葉してからも分解されにくくて、栄養塩類のリサイクルという点では不利になるのではと以前から思ってました。同じように考える人がいて、近年報告があったそうです。さらに進んで、アルカロイドを含んでいたり丈夫につくられている葉を食害防御を弱めてから落葉させるような適応はないものかとも想像しているのですが、そこまで触れた報告はないようでした。

葉は最終的に落葉するわけですが、個葉の落葉する時期がどのように決定されているかというメカニズムについても知りたいところです。また、葉自体が時分の引退時期を悟って落葉する準備を始めるのか、枝や樹木の他の部分から落葉するように引導を渡されるのかにも、興味があります。

しかし、本書には「一つの木の中に、光のよく当たる(よく稼げる)場所に枝をもっていれば、光のよく当たらない枝から資源を運び込んで光のよく当たる枝の光合成を高めたほうが個体全体としては有利である。ここで資源といっているのは、窒素のような直接光合成に関与する酵素類を作るための元素を考えている。実際こういうことが起こるメカニズムとしては、植物個体がホルモンなどを情報物質として使うことによって、枝の伸長を調節していると考えることが出来る。また、明るい元気な枝と暗い場所の元気のない枝とが資源をめぐって競争した結果このように差が出るのだと解釈したほうがよいかもしれない」という記述があるくらいです。生理学の本ではなく生態学の本だからなのかも知れませんが、この点はちょっと食い足りなく感じました。

2008年12月20日土曜日

室町・戦国時代を読みなおす


中世後期研究会編 思文閣出版
2007年10月発行 本体4600円

14世紀から16世紀の中世後期を対象とした研究について、研究史・現状・課題について論じた本です。南北朝期の公武関係、幕府ー守護体制、戦国大名、織豊政権、在地領主、在地の金融、比較中世都市論、中世後期宗教史などに関する13本の論考が納められています。こういった研究史のreviewの本は読んでて勉強になります。

非専門家の現代人の私が中世に対してもつ最大の疑問の一つは、中世後期で途切れずに天皇制が存続できた理由です。今谷明や網野善彦の著書が一般向けに人気があったのも読みやすく面白いからというだけでなく、今谷さんの義満皇位簒奪計画論や戦国期天皇権威浮上論、網野さんの供御人や職人由緒書と天皇との関連の議論が多くの人の関心を呼んだからでもあるでしょう。でも本書では「論点をとりあげるにあたっては、全てのテーマを網羅的に扱うのではなく、ここ数年でも相次いで出されている研究史整理の論考とは出来るだけ重複しないように」ということで、天皇制存続だけについての論考はありませんでした。政治史に関しては公武関係と伝奏に関する論考が納められていて、今谷さんの著作も触れられてはいますが。

13本の中で一番面白かったのは、早島大祐著の「ものはもどるのか ー中世の融通と徳政ー」です。かつて、徳政の際に土地が戻ることの説明として画期的だったのが勝俣鎮夫説です。土地を「おこす」行為つまり開発行為は、「おこす」と「いき」が同根の言葉であることから分かるように、土地に生命を吹き込むことであり、売られた土地でも徳政によって息を吹き込んでくれた開発者のもとに戻ろうとするのだというのがその骨子だったと思います。早島さんによると、その後の研究でこの勝俣説は否定されてゆくのですが、それではなぜ徳政でものが戻るのかということに対して、納得できる説明がなされてこなかったのだそうです。彼はこの論考で、過去の研究史の整理だけでなく、在地での借金が担保・証文なしの内輪の融通から、質券や売券を書かされての借金へというように金銭融通行為の変遷があり、これが徳政で土地が戻ることと関連したという自説を披露しています。なかなか説得的に感じました。

清水克之著の「習俗論としての社会史」は、「1990年代になって日本中世史の勉強をはじめた私にとって、当時、最新の日本中世史の世界を学ぶということは『社会史』を勉強することだった。それほどまでに、80年代以降の日本中世史研究において社会史研究は一世を風靡していた。というより、当時、社会史は日本中世史という枠組みを超えて、人文科学・社会科学のなかでも最も活気のある〝花形〟の研究テーマのひとつであるように思えた。前後する時期に研究をはじめた方々には想像もつかないかもしれないが、ちょうど初学者だった私にとって日本中世史の勉強とは、そうした百花繚乱の『社会史』から成果や方法論をどう学び取ってゆくか、というものだったのである。しかし、しばらくすると『社会史』という言葉は急速に耳にすることがなくなり、気づけば『社会史は一過性の流行現象』であったとされ、いまや、『社会史は終わった』とされているらしい」という記述で始まっています。

これってかなり私の経験にも重なっていて、感慨深く読みました。1980年代は網野さんをはじめ、社会史関連の面白い本がたくさん出版されていました。私は医学部に入って、80年代後半を街一番の本屋さんにもまともな本があまり置かれてないような、地方のごく小さな都市で過ごしました。そこにもさすがに岩波の本は置いてあって、87年から岩波が出版し始めた全8巻の「日本の社会史」を、ポリクリ中はひまだったこともあって、刊行されるごとに読んだことを想い出します。私がアナール派の著作を読むようになったのも、同じ社会史という言葉のつながりからです。

この清水さんの論考は、アナール派とは独立に戦後歴史学の中に萌芽があったこと、高度成長からバブルの頃の日本の思想状況と「社会史」関係、80年代に中世前期の法制史から始まった習俗論としての社会史がその後に経済史や中世後期にも広がっていった状況、などをうまく解説してくれています。

2008年12月18日木曜日

緑色のねこじゃらし


ふだん使っている踏切のわきにあるねこじゃらしです。夏から秋にかけては緑に生い茂っていましたが、早いものは11月のうちに枯れ始めていたと思います。そして、12月に入ってからは枯れたものがほとんど。それなのに、今週はじめの寒さの後でも、まだ緑色を保っている個体がいくつかあります。踏切待ちしながら観察してみると、緑色を保っているものには小さいという特徴があります。

厳冬期を過ぎても枯れずにいる個体を見かけたことはないので、ねこじゃらし・エノコログサは一年草でしょう。で、一年草が枯れるのって単純に寒くなるからだと思っていました。でも、こんな風に枯れているものと緑のままのものが同じ場所に見られるっていうことは、寒さや霜だけが枯れることの原因ではないようです。

なぜ小さいものは遅くまで緑のまま残っているのかを説明できそうな仮説で思いつくもの。まず、一年草が存続してゆくのに大切なことは、個体が枯れて死んでしまう前に種子をつくることでしょう。だとすると、花から何らかのシグナルが出ていて、枯れる時期を制御している可能性があります。①種子の形成が終わるまで出され続け、種子が成熟すると出されなくなる、枯死しちゃダメというシグナルか、②種子の形成が終了したことによって出され始める枯死してもOKというシグナルのどちらか。まあもしかすると、それ以外のことが原因、例えば③似たように見えても大きいエノコログサと小さいものとでは種が違っていて、種子の成熟や枯れる時期に差があるのかも知れません。

③のように種の違いだったりするとそこで話はおしまいですが、①②のようなシグナル説だとどちらが正しそうか実験することが可能に思えます。晩夏から秋のまだどの個体も枯れていない頃に種子成熟途上の花穂を切り取って枯れてしまうかどうかで①が、また今の時期にまで緑を保っている個体の花穂を切り取って枯れるのかどうかで②が検証できそう。小学生の自由研究にちょうどいいレベルかも。

2008年12月15日月曜日

流通と幕藩権力


吉田伸之編 山川出版社
2004年11月発行 本体4000円

7人の筆者による紬、紙、石灰・蛎殻灰、蜜柑などの流通の状況に関する論考が収められています。史学会シンポジウム叢書と銘打った一冊で、先日読んだ「『人のつながり』の中世」が面白かったので買ってみたのですが、こちらはイマイチでした。内容が悪いと言うわけでは全然ないのですが、史料に則したことだけが論じられていて、その史料が大きな展望の中でどういう意味を持つのか・持たせたいのかが述べられていないのが、つまらなく感じた理由です。非専門家の私にとっては、個々の史料から読み取れる細かい事態そのものより、大きな構造の方が興味あるところなのです。江戸時代は史料も多いので、大風呂敷を広げにくい事情があるのかも知れません。

現代では企業にその利益に応じて法人税が課されていますが、江戸時代には流通業から適正額を算出して税金をとるうまいやり方がなかったので、会所仕法のように特定の商人に特権を与えて見返りに税金を徴収するか、藩自ら専売制をしくような形を試みたのだろうと思っています。会所制にせよ専売制にせよ、それまでなかった規制が流通に加えられるわけですから、生産者や特権に預かれない流通業者からの反発があるのは当たり前で、本書にとりあげられた事例でも会所仕法などの規制はみんなうまくいかなかったようです。

江戸で使う漆喰の原料の石灰(もしかすると「いしばい」と読むのかな)には八王子石灰と野州石灰の二つの産地があり、その代替品として江戸で貝殻を焼いて作られる蛎殻灰も使われていました。当時は蛎殻灰が安さから販売を伸ばしていて、八王子石灰は販売不振だったそうです。八王子石灰は江戸城普請時につかわれ、その関係で幕府に納める御用灰にもなっている由緒正しい石灰なので、利潤を生まなくなっても生産が続けられていたとか。この辺は不思議。

2008年12月10日水曜日

日本人の経済観念


武田晴人著 岩波現代文庫 社会174
2008年11月発行 本体1100円

1999年に単行本として出版されたものを、現代文庫として再出版したものだそうです。日本論というと、一般的には日本のユニークさを強調するものが多いと思います。本書では、日本経済の特徴としてよく挙げられる、企業の永続性を求める考え方、競争と協調、信頼に基づくあいまいな契約、勤勉な日本人像、日本企業の国益思考などが、江戸時代以来のいろいろな史料をもとに検討されています。

先日亡くなった加藤周一の日本文学史序説が主張するように、日本の文化に他とは違った特徴が存在するのは確かだろうと思います。しかし、市場経済が浸透した江戸時代以降の経済観念にそれほど日本特有のものがあるとも思えない気もします。庶民まで経済的な効率を重視するようになっていったわけですから、表面的には独特に見える習慣・慣行・考え方でも、実はきちんと市場経済への適応を果たしていて、外国の経済観念と通底するものが多いでしょう。本書も、比較の対象の外国(特にアメリカ)の方が特殊なんじゃないのとか、歴史的に変遷があるから日本の特徴と言えないでしょなどという風に、どちらかというと「日本は特別」といった主張をたしなめるようなつくりになっているように読めました。

あと、筆者が論拠として取り上げている史料が比較的ユニークで面白く読めました。府中の大国魂神社の毎年一回の市に通って3年越しで鍋一個を買うエピソードなど宮本常一がいくつか引用されていたり、笠谷和比古の主君押込めの構造があったり。また、渡り職人や鉱夫の話などは、引用元の本の方も読んでみたくなりました。でも、入手困難なものが多そうなのが残念。

2008年12月7日日曜日

「人のつながり」の中世


村井章介編 山川出版社
2008年11月 本体4000円

昨年開催された同名のシンポジウムをまとめて出版された本です。8本の論考が収められていますが、村井章介・桜井英治といった有名な人のものよりも、若手の人の書いたものの方がずっと面白く感じられました。特に興味深かったのが2本。

呉座勇一さんの書いた「領主の一揆と被官・下人・百姓」は一揆契状のなかの「人返」規定を扱っています。階級闘争史観の華やかなりし頃、この規定は「他所に移動した従者・百姓を元の主人・領主に返還するという措置であり、長らく『農民の土地への緊縛』を目的としたものと解釈されてき」ました。しかし、研究が進んでどうもそうではないことが分かってきても、それではどう解釈するのかという定説がなかったのだそうです。呉座説によると、国人一揆の中での人返規定は農民を対象としたものではなく、国人配下の被官が勝手に主君を他の国人に変えてしまうことを防ぐためのものだったということです。被官は良い条件を示す国人を主君としたいはずですから、国人同士がカルテルを結んで支配を安定化させていたわけですね。その後、国人が戦国大名にまで進化する頃には被官層への支配は安定するので、戦国大名の出した人返規定は被官が対象ではなく、労働力確保のための百姓の人返を意味するようになっていくそうです。なかなか説得的な論考でした。

佐藤雄基さんの「院政期の挙状と権門裁判 権門の口入と文書の流れ」。中世、荘園内部の紛争の裁判は本所が行っていたのですが、異なった本所に属する勢力間の紛争は幕府や朝廷での裁判に委ねられました。その際に、紛争の当事者からの訴状に添えて、本所が幕府や朝廷に裁判よろしくねと差し出す文書が挙状です。ただ、このように挙状が使われるようになったのは、訴訟制度の確立した鎌倉中期以降のことだそうで、この論考ではそれ以前の挙状の歴史的変遷を対象としています。それによると、九世紀に王臣家が在地の紛争に介入する事態が増え、またそれが寄進地型荘園が広まる機縁ともなったそうです。法制度上は裁判権限を持たない王臣家による介入は、訴状が「事実者」(ことじちたらば)請求の通りにしてほしいという推挙状(挙状)を、本来の権限者に送る形で行われました。この種の口入は、裁判権をもつ機関に圧力をかけらる訳ですから、推挙状といっても実質は裁許状と非常に近しいものと考えることができ、あたかも権門が権限の範囲外を対象に裁判をおこなったかのようにも見えます。しかし、こういう縁を頼っての権門の判断が外側から在地に持ち込まれることによって在地の紛争が解決することは希で、敗訴者が別の縁を求めて別の権門を頼るなど、口入が在地に問題をもたらすことが明らかとなっりました。そのため、鳥羽院政末期〜後白河院政期に立荘がピークを迎えた段階において荘園制を安定化させようとする動きがみられ、権門の口入を自制する本所法が制定されるようになったのだそうです。そして、挙状の最終的な進化の形は、本所から上位の裁判権者に送る文書になったのだそうです。

この二つの論考が、ことじちたるか否かの判定は、専門家ではない私にはできません。ただ、ある制度がどんなものだったかを、時間の変遷とともに変化していることを踏まえて論じる姿勢にとても好感が持てますし、また論証の過程・結論ともに興味深く読めました。

2008年12月6日土曜日

加藤周一の訃報

昨日、加藤周一さんが亡くなったそうです。 これで、戦後を感じさせる進歩的文化人では、あと鶴見俊輔が残るくらいになってしまいました。私は彼らが精力的に活躍し影響力を持っていた時代よりかなり後に大人になった世代ですが、それでも「戦後は遠くなりにけり」と感じてしまいます。

彼の作品の中では、日本文学史序説がほんとに面白いのでおすすめです。タイトルに序説とついていますが、他の著者の本にもXXXX序説というのがいくつもあるので、恐らくこの評論が書かれた頃には序説と銘打つのが流行だったのでしょう。で、実際の内容は序説と言うには広範な、万葉集から戦後文学までの日本の文学、それに加えて日本文化全般に関する評論になっています。

この中で彼は日本文化の特質をいくつか指摘しています。抽象的な思考が苦手で独自のものを生み出すことはほとんどなく、輸入の抽象思考、たとえば仏教などもやがては世俗化されてしまったこと。新旧交代ではなく、旧い形式と並行して、新しい形式が付け加わって行くこと。全体の統一より、細かい部分に遊びを見いだし、細部にこだわること。集団の内外の区別の鋭い意識を共有する仲間の集まりが存在したことなどなど。こういう特徴は、現在の日本のガラパゴス的進化を遂げていると言われるケータイ電話機の仕様・性能や、アニメ、コミケ。2chなどにも充分当てはまるような気がします。

彼は89歳で亡くなったそうですが、つい最近まで朝日新聞に夕陽妄語というタイトルの文章を月に一回、連載していました。仕事柄、高齢者と接することは多いのですが、この年齢の男性でしっかりしている人って女性と違ってとても少ない印象です。90歳近くまで知的能力をあまり低下させずに過ごせたのは、なぜだったねしょうか、興味があるところです。

2008年12月4日木曜日

Addison病と陽だまりの樹

訪問診療の患者さんで、食思不振・嘔気を訴える方がいました。H2ブロッカーなどをつかっても改善せずにいたところ、偶然に骨折を合併して入院となりました。退院後、久しぶりに往診してみるとお顔の色がかなり濃くなっていることに気づきました。陽の当たる病室だったので日焼けしたとおっしゃるのですが、舌にもウシのような地図状の色素沈着があるのを発見し、陽だまりの樹を想い出しました。

陽だまりの樹は手塚治虫の幕末を扱ったマンガで、一読をおすすめしたい傑作です。彼の曾祖父の手塚良庵が狂言回しの役どころで登場しますが、駆け出しの蘭方医でもある良庵は、漢方医の妨害を受けながらも父の良仙とともに種痘所の創設にも尽力します。

当時の将軍は13代家定で、私は観ていませんが、NHKドラマの篤姫にも登場しているのでしょう。彼は非常に病弱だったそうで、陽だまりの樹では奥医師が診察する場面があり、口腔粘膜に複数の黒子のような色素沈着があるように描かれています。オランダ渡りの新しい内科書には口腔粘膜の色素沈着を来す疾患としてAddison病が記載されていることになっているのですが、漢方の奥医師たちにはこの所見の意味が不明で、治療も奏功せず家定はやがて亡くなってしまうのです。

この家定Addison病説は漢方に対する蘭方医の優位を示すために手塚治虫がこしらえたフィクションでしょう。Addisonさんが最初に報告したのが1855年なので、当時の最新の病気ということで手塚治虫はこの疾患を登場させることにしたのかも知れません。

ともあれ、このエピソードは当時はまだ学生だった私に内科学の教科書よりずっと深い印象を残したのでした。で、前述の患者さんですがACTHを調べてみると4桁の異常高値で副腎不全でした。しかし、高K血症などの生化学検査にの異常がまったくなく、入院中には診断にはいたらなかったようです。

ここ数年、医療をとりあげたマンガ・ドラマなど増えてきていますが、それらもいつかこんな風に誰かの役に立つことがあるのかも知れません。

2008年12月3日水曜日

南武線の新駅

南武線の谷保と分倍河原の間に西府駅という新しい駅が建設中です。3年以上前から建設が続いていたと思いますが、今年度中に開設の予定だそうで、昨日通過した際に電車の中から見るとエスカレータやエレベータの設置も終わっていて、まだ看板類はありませんでしたが、駅の施設は完成に近いようです。大きなビルなんかと違って、駅の施設は屋根とプラットホームと跨線橋と駅前広場くらいしかないので、もっと短い期間で建設できてもおかしくないような気がするのですが、JRや府中市の予算の関係で単年度に使える資金に限りがあるから複数年かけて完成するものなんでしょうか。

駅自体は複線の線路の両側に上り用と下り用の別々のプラットホームがあって、それを跨線橋がつないでいる、谷保駅なんかと同じようなタイプです。おそらく、跨線橋の上に券売機や改札や事務所なんかがあるのでしょう。こういう、両側にプラットホームがあって改札が一つしかないタイプの駅では、2つのプラットホームと改札口をつなぐ手段が必要ですが、JRの場合には跨線橋が設置されていることが多いと思うのです。でも、この地域の南武線は高架ではなく地上を走っているので、跨線橋ではなく地下道でつなぐ方がいいのではと感じます。

というのも、跨線橋だと電車の架線を越えるだけの高さになってしまいますが、地下道にすれば人間の背丈に見合った深さを掘るだけでいいから、階段の上り下りが少なくて済みそうに思えるからです。新宿など大きなターミナル駅だと地下連絡通路も天井がそれなりに高いので深くなってるように思えますが、乗降客の少ない駅ならそれほど深くせず階段を短めに出来そうな。

エレベータ・エスカレータは設置されていても全員が利用するわけではないと思うので、バリアフリー的にも階段が短いことって重要です。営業運転中の線路の下に地下道を掘るのが困難なのかとも一瞬思ったのですが、この西府新駅から少し離れた線路の下に連絡地下道が新設されていたので、そういう問題ではないようです。メンテナンスの費用とかが問題なんでしょうかね。

2008年11月26日水曜日

牛乳の殺菌とコク

生協の牛乳を10年ほど前から飲んでます。75℃15秒の低温殺菌が売りの牛乳です。でも、これを飲み始めた頃は味にかなりの違和感を感じました。というのも、それまで飲んでいたスーパーなどで売ってる牛乳と違った味だったからです。それも、脂肪を添加した特濃の牛乳じゃなくて、ふつうの成分無調整牛乳と比較して、なんというかコクが足りないように感じていたのでした。

最近は、長いこと生協の牛乳を飲み続けて慣れたせいか、時々スーパーで買った牛乳を飲んで味の違いを感じることはあっても、コクのなさに違和感を覚えることまではなくなりました。でも、スーパーの牛乳どうしはどこのブランドのも同じような味なのに、乳脂肪の量自体は違わないはずの生協の牛乳の味がかなり違うのはどうしてなのか、疑問に思っていました。

大手メーカ製の牛乳は、生協のと違って130℃2秒間殺菌を行っているものがほとんどのようです。マギー・キッチンサイエンスによると、生協の牛乳の75℃15秒間殺菌はHTST殺菌(高温短時間殺菌)と呼び、大手ブランドの130℃2秒間はUHT殺菌(超高温殺菌)と呼ぶそうで、どちらも昔から行われていた62℃以上で30-35分間かけるLTLT殺菌(低温長時間殺菌)に比較すると、乳清タンパク質の変性と硫化水素ガスが生じる点が欠点なのだとか。ただし、「米国内の消費者は今ではむしろこの風味を望むようになった」ので、より加熱臭がつくように牛乳のメーカは殺菌により高い温度を使用するようになってきているとのことです。

生協の牛乳にコクがないように感じられるのは、殺菌温度が大手メーカより低くて加熱臭が少ないからなのでしょうね。子供の頃から長いこと慣れ親しんだ風味なので、加熱臭ではなく香ばしさと呼ぶべきなのかも。

2008年11月25日火曜日

マギー キッチンサイエンス


ハロルド・マギー著 共立出版
2008年10月発行 本体6000円

単なるhow toやレシピをのせた料理の本ではありません。いろいろな食材の説明も載せられていますが、調理科学っていう学問分野があるのかどうか知りませんが、主には調理や食品の加工について物理・科学的に説明してくれている本です。出版元もお料理の本というより、自然科学書の出版で有名な共立出版で。

例えば、卵の泡立て方が5ページにもわたって述べられています。卵を泡立てると「卵やカスタードが熱で固まるのと同じく、物理的ストレスによってタンパク質の構造がほどけ互いに結合しやすくなることにより、卵の泡は安定になる」のだとのことです。卵白の中では折りたたまれて存在していたタンパク質がほどけて、卵白の液体と空気の境界面に、疎水性の部分は空気側に親水性の部分は液体側に向けて位置することによって泡を固定させる訳です。
泡立てる際に泡を強化する方法としては、小麦粉・ゼラチンなどを加えて粘度を高める他に、銅製のボールをつかう18世紀のフランス以来の方法があります。銅製のボールを使うと卵白タンパクのSH基が銅と結合して、他のタンパクと強く結合するのを阻害するのだそうです。また、卵白一個に対して酒石英小さじ1/8またはレモン汁1/2程度の酸を加えてSH基から水素がとれにくくするのも同様に泡を丈夫にしてくれます。
逆に、卵の泡立ての大敵は卵黄・脂肪・洗剤です。界面活性剤がいけないようですね。プラスチックのボールは表面に脂肪や洗剤が残りやすいので使わない方がいいと言われていますが、プラスチックから卵白にそれらがうつりやすいこともないでしょうから、ふつうに洗ったプラスチックのボールなら差し支えないでしょうとの著者の見解でした。
卵は古くなると卵白がさらりとしてくるので、卵白と卵黄を分離しやすいし、短い時間で泡立ちます。ただし、卵は保管しておくと二酸化炭素が脱けて次第にアルカリ性が強くなっていきます。なので、古い卵よりアルカリ性の度合いの低い新鮮な卵の方が、より安定した泡が出来やすいとのことです。

また例えば、ふつうの有塩バターですが、あの塩味はおいしさのためだけにつけられているものと思っていました。だって薄塩だし食品保存のためとは思えないでしょ。でも、大部分が脂肪で出来ているバターの中で、加えられている2%の食塩は水の中にのみ分布し、この水相中では12%の濃度に相当するので十分な抗菌作用があるとのことです。目から鱗の印象でした。こんな感じで多くの加工食品や調理法・調理のこつが科学的に説明されている点には本当に感心しました。お料理好きの人には一読の価値ありでしょうし、私のように大した料理などつくらない者にとっては雑学として面白い本でした。

また、本書には食材がたくさん説明されていますが、単なる食材の事典として使うにはいまいちかも知れません。索引まで合わせると850ページ以上もある本書ですが、食材ってたくさんあるので、全部に詳しい説明がある訳ではありません。また、本書にはカラー図版は全くなく、モノクロのイラストが少数載せられているだけです。なので、野菜・ハーブ・スパイスなどなど、個々の食材について知りたければネットを利用した方がいいでしょう。

アメリカで出版された本なので、調理法の科学的解説という点ではアメリカやヨーロッパ料理が主な対象となっています。ただし、食材・加工食品関連では、茶碗蒸し・鰹節・柿・豆腐・醤油・味噌・日本酒など日本の食品もかなりたくさん取り上げられていました。和食が流行っているのはたしかなようです。

2008年11月20日木曜日

元厚生事務次官の殺人事件

元厚生事務次官の殺人事件ですが、 犯行声明が公開されているわけではないのに新聞やテレビでは年金がらみのテロ事件として報道されています。私も報道で年金テロという憶測を聞かされる前から、同様の事件が二つ続いたことを知った瞬間に、年金がらみのテロ事件だろうなと思ってしまいました。これって、私以外の人の多くもそう感じたんじゃないでしょうか。

もしかすると二件が全く別々の事件、例えば強盗殺人・強盗殺人未遂という可能性もまだ残されています。また、被害者に目撃された犯人が30歳代くらいだったとのことですから、二件が関連しているとしても、年金とは全く別のことで犯行に及んだのかも知れません。そういう可能性が絶無という訳ではないのに、マスコミをはじめ私を含めた多くの人が年金がらみの事件かもしれないと感じて納得してしまうのは、年金問題がそれだけひどくグダグダで、テロの原因になっても不思議がないなとみんなが思っているからでしょう。

で、この納得しちゃう気持ちというのは、もう少し進むと犯行を是認する感情につながり、もっともっと進むとテロに喝采を送るようにもなっていくのだと思います。もちろん、今回の事件では犯人が逮捕されても広範な共感がわきおこるようなことはないでしょう。しかし、犯行を是認する気持ちが多くの人に共有されるようになると、昭和前期のテロ事件のように犯人に対して多くの人から減刑嘆願が出されたりなどするようになってしまうでしょう。

インタビューに対して、テロは良くないと麻生首相も民主党の小沢党首も答えていました。テロが良くないというのは当たり前なことで、私も含めて多くの人が考えていることです。テロはいけないことだと言うこと以上に政治家に求められているのは、現在のようにテロが起きても不思議ではないだろうというみんなの気分を変えて行くこと、それが無理でも少なくともテロを是認させるような気持ちやテロを擁護するような気持ちに変化してゆかないようにすることだと思います。でも、期待できるというと、疑問かも。

大恐慌と不安定な政治のもとで政治的なテロが起きる。遠い昔には日本でもあったできごとですが、まさか現実にこの目でみることができるようになるとは思ってもいませんでした。もう少し長生きして、この先どうなっていくのかも見てみたいものです。

2008年11月19日水曜日

寒さとまぶしさ

昨日の天気予報では今朝がこの冬一番の寒さになるのことだったので、ハーフコートと手袋をとり出してみました。ただ、ドアを開けた瞬間、それほど寒いという印象はなし。歩き始めてからも、大して風がないのでラクでした。セーターを着ないで、コートの下はシャツだけで正解だったようです。でも、今朝はコートを着ている人も多く、冬が来たのは確かなようです。

寒さもそうなのですが、光も冬の到来を感じさせてくれるようになりました。歩いて通勤していますが、職場はうちから東南東の方角にあたるので、東に向いて歩く時間が長くなります。日の出の時間が遅くなって太陽の高度が低くなってくると、東向きに歩くのは夏と違ってまぶしく、前を向いて歩くのがつらい感じ。なので、これから数ヶ月の晴れた朝はiPodで音楽を聴きながら、地面を見て行くことになります。

2008年11月15日土曜日

ガス台点火用の電池

うちのガス台は、ダイアルを押して回すと火がつくようになっています。このところ、火が付くまでに数秒、長いときには5秒以上かかっていました。先日、台所掃除中にガス台の手前の所を見ると蓋が付いていて、中には単2の電池が一個入っていました。この電池で放電して点火させているようです。いまのところに住み始めて10年ほどになりますが、以来一度も電池を交換したことがなかったので、なかなか点火しなくなったのだろうと思い、新しいのを買ってきて交換してみました。

これまではチカッ、数秒おいてチカッとまた音がして、流れ出ているガスにボッと火がつく感じだったのですが、交換後は一瞬チカチカ音がして、パッと即座に点火するようになりました。毎日使っていると、点火に時間がかかるようになっても少しづつの変化だからあまり気になっていなかったのですが、さすがに10年もつかうと電池がへたってしまっていた訳ですね。ただ、10年だと一万回以上は使っているはずなので、長持ちしたと考えるべきなのでしょう。

単2の電池ですが、近所のスーパーでは2個一組で売っていました。一個は使いましたが、もう一個は使い道がありません。包装には5年保証と表示されていたので、5年くらいたったら交換用に使えばいいのかもしれませんが、できれば一個ずつでも買えるようにしておいてほしいかな。

2008年11月12日水曜日

イチョウの黄葉


今週になってかなり寒くなってきました。多摩地区でも、街路樹の葉がかなり色づいてきています。葉が色づくのは、樹にとって有用な物質を葉から回収してゆく過程で起きる変化なのでしょう。ですから、葉っぱの付け根から一番遠い先端から色づいてゆくのが自然なのかなと思うのですが、必ずしもそんな風に色が変化している葉っぱばかりとは限りません。

その点、イチョウはこんな感じに先っぽの方から黄色くなっているものが少なくないようです。イチョウの葉は葉脈が付け根から先端まで枝分かれせず素直に伸びているから、こうなれるのでしょうか。理由はどうあれ、私の好みの色づき方です。

2008年11月11日火曜日

日本の経済成長と景気循環


藤野正三郎著 勁草書房
2008年4月発行 本体6400円

江戸期以降の日本の景気循環をあつかった本です。主に江戸時代を対象とした第1部と、明治以降を対象とした第2部とからなっています。江戸時代の景気・経済成長を考える際につかえる史料として最も一般的な物は物価で、物価をもとにした研究はこれまでにもありました。ほかには役に立つような経年史料がないかと思っていましたが、本書ではこれまでにつかわれていないような史料が材料とされています。

例えば、土木学会がまとめた「明治以前日本土木史」という本には、江戸時代の農業建設活動の工事数が各年度各地方ごとに表として載せられています。著者はこの工事数を農業生産成長の指標として活用しています。ほかに、ある海域での商船の難破数、日本海航路のある港の廻船入港数・取引品目・取引数、関東地方各地での絵馬の各年の奉納数などを経済活動の指標ともしています。

その結果、1800年以降にはいわゆる長期波動が検出されるようになり、1830年以降には中期循環に加えて、西日本では短期循環もはっきりと見いだされるとのことです。また、東日本と西日本の景気は完全には連動しておらず、全国市場の成立は明治以降、通説どおり1900年頃になるそうです。

近世初期の日本の人口は、速水融さんの推計以来980-1200万が通説になっていたと思います。しかし、本書では1800万くらいの方が妥当なのではとされています。近世初期の人口をあまり低めに見積もると、農業関連の工事数から見積もった農業生産と見合わず、近世初頭の1人当たり農業生産がその後よりも多くなってしまい、17世紀を通じて1人当たり農業生産が低下してゆくことになってしまうのだそうです。どちらの推計も限られた史料から工夫を凝らして算出されたものですが、速水さんの人口推計が低すぎるのか著者のつかった農業土木工事件数のみからする農業生産成長の推計が低すぎるのか、どちらが正しいのか興味のあるところです。

第2部以降は、3つの章からなります。一つは、日本の1888-1940年の景気循環の時期を示したもので、多くの系列データの組み合わせから矛盾なく出された妥当な結論のようです。

次の章は、もっと巨視的に17世紀以来、現在までを見据えた世界の超長期の景気循環・コンドラチェフ波を著者なりの観点から説明してくれています。本位制と金銀比価、政治経済制度の変化が関与しているとするとともに、「産業革命」という言葉をコアの各国間で製造業の比較優位が変化するような技術革新がおきることにあてはめているのが独特でしょうか。日本の「産業革命」は占領期終了後とされているなど、まあ一読の価値はありかな。

最後は「付論 人間と国家と革命」というタイトルで、社会体制の変化の要因・歴史を経済的に説明しようと試みられています。著者の持論なのだろうとは思いますが、独特すぎるのでうんうんと頷いてばかりはいられませんでした。

2008年11月9日日曜日

正倉院


杉本一樹著 中公新書1967
2008年10月発行 本体800円

正倉院に関しては、聖武天皇ゆかりの品々や東大寺大仏開眼会で使われた品々が収められ、また写経所文書をはじめとした正倉院文書が残されていることを、中学校・高校の授業で習ったと思います。この本は、入門書としてまずはその点を分かりやすくおさらいしてくれています。さらに、奈良時代のことに加えて、その後1200年の正倉院の歴史を解説してくれている点が、本書の一つの特色でしょう。

光明皇后により正倉院に収められた薬品類は、その後100年にわたって払い出され、人気のある薬剤は払底しました。9世紀後半になると、唐・新羅の商船が貿易目的で渡来するようになり、薬品の入手が容易となって、正倉院から出庫されることはなくなったそうです。8世紀中頃の光明皇后の時代には商船の往来は少なかったのでしょうが、正倉院に収めた大量の薬品はどうやって入手したんでしょうか。

足利義満・義政や織田信長が蘭奢待を切り取った話は有名です。でも、その後の豊臣秀吉や徳川家康は切り取りをしていません。秀吉は正倉院自体に興味がなかったようです。しかし、家康の場合には、修理の計画を立てるために家臣を正倉院に派遣し、宝物保管用の長持を贈っています。興味がなかったわけではなく、蘭奢待を含む正倉院の宝物を保護すべき文化財として考えていたのでしょう。家康が読書家であることも影響しているでしょう。また、江戸幕府がそれ以前の武家政権と比較して、公的な性格を強めている証拠にもなりそうなエピソードです。

正倉院の管理は宮内庁が担当しているとか。また、正倉院の建物自体は国宝に指定されているそうですが、中に収めてある宝物は国宝ではないのだそうです。ちょっと意外な感じでした。あと、ちょうど今、第60回の正倉院展が行われていますが、奈良なので気軽に行けないのが残念。

2008年11月6日木曜日

アメリカの大統領選挙

アメリカの大統領選挙が終わって、オバマさんが当選しました。私も、ブッシュ以外なら誰でもいいって感じていた1人ですが、マケインさんよりは期待できそうなのかな。まあ、オバマさんがどんなに素晴らしい政治家であっても、アメリカ合衆国は民主主義国で、議会もあるしマスコミもあるし財界も力を持っているはずなので、就任すれば直ちに素晴らしい政治が出来るだろうとは思えません。現下の21世紀大恐慌の進行だって、少しでも食い止められるかどうかは不明です。ただ一つ信じて良さそうなのは、ブッシュ現大統領とは違ってイラク戦争開戦程の愚かな選択はしないだろうということでしょうか。

開票の様子を見ていて印象的だったのは、民主党の集会に学生くらいの若い人もたくさん集まっていて、当選を喜んでいることです。熱狂的な人も少なくなかったかと。アメリカ以外でも選挙結果に若い人が希望を託してる姿って見かけると思いますが、次の衆議院選挙で日本に政権交代があっても、日本の学生・若い人たちがはしゃぎまくる場面なんて見られそうにないですよね。日本がこんなに冷めてるのは何故なんでしょうね。

2008年11月5日水曜日

改定新版 図説 中国の科学と文明


ロバート・テンプル著 河出書房新社
2008年10月発行 本体3800円

紀元前からの中国での発明・発見をたくさん紹介してある本です。例えば、当たり前の方法だと思われる、畑に畝をつくって一条に種を蒔くなんてことも中国の発明で、中世ヨーロッパの小麦の収穫量が播種量に比較してとても少なかったのはこの方法が知られていなかったことも一因だったそうです。

図説というだけあって、たくさんの事項が、写真・イラスト付きで短くまとめて解説されています。この分野では、J.ニーダムという人の「中国の科学と文明」という大著があって、本書の各項のリファレンスもほとんどが、それを示しています。

ニーダムの「中国の科学と文明」は近代より前の世界的な経済史を扱った欧米人の著書に引用頻度の高い名著です。日本語訳もされていますが、10巻以上あって並べると幅50センチ以上になりそうだし、また個人で買うにはかなり苦しい価格です。なので、本書のような分かりやすく安いものにも存在価値があると思うのですが、「図説中国の科学と文明」という日本の書名はニーダムの大著との関係を誤解させることを狙ったみたいで、良くない印象を受けました。なお、原書のタイトルはThe Genius of Chinaなので、悪いのは河出書房の編集者なのでしょう。

ニーダムは、本書に序文を寄せています。その序文によると、彼は元々イギリスの大学の生化学の助教授でしたが、中国からの留学生に中国の発明・発見について教えられて興味を持ち、中国語を勉強しました。その後、第二次大戦中にイギリス政府から駐中大使館に派遣されて、研究を本格的に始めたそうです。

今年の北京オリンピックにちなんでか、Natureの今年の7月24日号が中国の特集を組んでいました。その中に、なぜかニーダムについての記事が3-4ページありったのです。それによると、件の中国人学生というのはニーダムの奥さんの研究室に留学してきた若い女性で、ニーダムはその娘といい仲になってしまい、それが研究のきっかけだったとか。大研究につながった浮気ですね。

2008年11月3日月曜日

あっと驚く船の話


大内建二著 光人社NF文庫580
2008年9月発行 本体905円

帆船時代から1980年代までの船舶の事件が扱われている本です。光人社文庫ですが、戦争に直接関連した話題を取り上げた本ではなく、軍艦よりも一般の商船に関するエピソードの方が多くなっています。船の事件ですから多くは遭難・沈没で、反乱・失踪などもいくつかありました。事件の原因は故意によるものはもちろん少なく、航海の際の過失が最も多く、設計・建造上の過失がそれに次ぐようです。ただ、医療事故のことなど思い合わせると、過失とは言っても当事者は精一杯やっていたっていうケースも多いのかもしれません。でも、船ってやはり沈む可能性があるので怖い。

400ページ余りの本に計29もの事件が載っているので、それぞれの事件についてはあらましが紹介されているという程度です。タイタニックなどの有名な事件よりも、あまり知られていないものを取り上げるのが著者の方針のようですが、初めて知った話というのは、半分もなかったかな。でも、短時間で面白く読めました。

2008年11月1日土曜日

プラートの商人


イリス・オリーゴ著 白水社
2008年4月発行 本体5600円

中世イタリアの日常生活というサブタイトルがついています。フィレンツェの近くにある町プラート出身のある商人が残した文書をもとに、かれの商人としての生活や家庭の様子を淡々と描いた本です。貴族や高級な聖職者ではなく、生まれはふつうの人でした。彼は中年になるまで、アビニョン捕囚時代のアビニョンを拠点に、イタリア・スペイン・フランスに支店を持って活動し、一代で財をなしました。

遠隔商人として成功した主人公ですが、嫡子がいなかったので財産の多くを慈善事業のための財団として遺しました。その際、自分が事業で使っていた文書類も保管するように遺言しました。文書の数は膨大で、だいたい500冊の帳簿、数百の契約書・保険証券・手形、14万通余の書簡などからなり、現在でもプラート市にある元の彼の自宅だった建物が文書館とされ、そこに保管されているのだそうです。日本で言えば南北朝の頃ですが、これだけの量の史料が残っているとはうらやましい。

中世ヨーロッパの商習慣はブローデルなどの本で読んだことがある(というか、この商人の文書の方がブローデルなど経済史家のネタ元の一つなのでしょう)ので新たな発見は読んでいてあまりなかったのですが、人件費が安くて物の値段が高いことには驚きます。服をあつらえる際に仕立屋の手間賃より服地の値段の方が高いのはまあそういうものかなとも思うのですが、自宅の壁に壁画を描いてもらう際の画家への謝礼より絵の具の代金の方が高いというのには呆れてしまいました。

原著は1957年と半世紀前の本。日本版は1997年に初版が出て、今回は書物復権という8出版社共同企画の帯をつけた新装復刊版でした。でも、こういう本は古くなりませんね。

2008年10月31日金曜日

上田耕一郎さんと虹色のトロツキー

上田さんは日本共産党の副委員長をしていた方です。長らく呼吸器疾患で療養されていることは、とあるルートから聞いていましたが、今朝の新聞でお亡くなりになったことを知りました。私は上田さんと面識があったわけではありませんが、一つだけ面白いエピソードを知っているので紹介します。

参議院議員をしていた頃ですが、私が内科の外来をしていた診療所に上田さんが訪ねてきたことがありました。もちろん、私に会いに来たわけではなく、別の科の医師に面会に来たのでした。で、その医師の診療が終了するまで、待合室で時間をつぶすことにしたようです。待合室の一角には、患者さんが診療の待ち時間に読めるようにと本箱が置かれていましたが、上田さんはその本箱のところに歩いてゆくと暫くじっと眺め、一冊の本を取り出して読み始めたのでした。

かなり熱心に読んでいました。私にはその本が何なのかだいたい想像がつきました。面会目的の医師の最後の外来患者さんが終わり、上田さんが待合室から出て行こうとする時に、近くに行って見てみると予想的中で、やはり「虹色のトロツキー」した。

虹色のトロツキーは安彦良和さんのマンガで、彼の作品の中でも最も優れているものの一つだと思います。元は私の愛読書だったのですが、面白いので待合室の本箱に入れておいたのです。おそらく、トロツキーというタイトルが上田さんの目にとまって、ついつい手に取って読んでしまったんだろうと思います(まさか、潮出版社の本だから手に取ったというわけではないでしょう)。ソ連の共産党でも日本の共産党でも、相手をトロツキスト呼ばわりするのは究極の罵りだったようですから。

私としては、永続革命を唱えたトロツキーの方が、スターリンとその後継者たちより、地位を追われたからかも知れないけれど、魅力的です。虹色のトロツキーは満州を舞台にした作品で、トロツキーに触れた部分はほんのわずかしかありません。それでも安彦さんが物語の中にトロツキーの幻とトロツキーを語る訳者を登場させたのは、やはり彼もトロツキーに魅力を感じるからなのではないのかな。

でもまあ、この本を手にした上田さんは、トロツキーとは全然関係ねえじゃねーかって、驚いたことでしょう。

2008年10月27日月曜日

新しい MacBook Pro 見てきました

一年前にTitaniumPBG4から今のMacBook Proにのりかえた時、つくりがしっかりしているなって感じました。PBG4はつかんで持ち運ぶ時にたわむ感じがあったのですが、MacBook Proはその点が安心。ただ、パームレストの左手前のところを見ると、こんな風に隙間が空いてます。この部分を強く上下から押すとパチッと何かはまる音がして隙間がなくなります。でもしばらくするとまた隙間ができてしまうのです。使用には支障ないので放置してありますが、写真にしてあらためて見てみると、かなり広い隙間ですね。


昨日は新しいMacBook Proをさわってきました。ユニボディはさすがにがっちりしていて、うちの旧型MacBook Proとは違い、強くつかんでも全く変化なしでした。どこかに隙間があるなんてことも、ないようです。

ディスプレイの全面がガラスに被われていて、周囲が黒くなっているのは、iPhoneとデザイン的に統一させるためなのでしょう、ただ、iPhoneに比較してずっと大きいので、光沢のディスプレイに周囲の光のうつりこむのが多少気になる感じです。大きくなったトラックパッドですが、クリックするのに旧型機よりちょっとだけ余分に力が必要な気がしました。

アルミのボディに黒い色のキーは素敵ですが、好みが分かれるだろうと思います。というのも、文字は白なのでとても目立つのですが、日本語キーボードだとアルファベットと仮名の両方がキートップに存在していて、私にはくどく感じられました。アップルのサイトを見ると、CTOオプションでUSキーボードを選択可能となってるので、仮名入力をしない人ならそちらを選ぶべきでしょうね。

2008年10月25日土曜日

戦後復興期の企業行動


武田晴人編 有斐閣
2008年8月発行 本体3500円

敗戦後の物資不足・統制の時期から高度成長にまでつながる戦後復興期の産業・企業の歴史を扱った本です。製粉業・硫安産業・綿工業・セメント産業・造船業・鉄鋼業が取り上げられています。個々の史実は別として、興味深く感じたこと、気づいたことをいくつか。

まず、戦後の日本造船業の競争力の源が、戦争中に身につけたブロック工法などの船体建造の進歩によるものではないという指摘が目に付きました。この時期では、イギリスなどの先進国の造船業と比較して労働生産性がかなり低かったというのです。また、当時の貨物船のエンジンの主流となっていたディーゼル機関の製造に関しても日本は技術的に遅れていて、蒸気タービン機関の製造に関してはなんとか優位を確保できていたのだとか。このの状況下で、世界的に新造タンカーの大型化が起こります。タンカーの大型化に見合った出力の大きなディーゼル機関の製造は当時はできなかったので、大型タンカーの機関はタービンが使われます。日本は、このタービン搭載大型タンカーというニッチェをうまく物にして、その後の造船業の国際競争力の本にしたのだそうです。これは、新説っぽいので、本当なら面白いですね。

また、製粉業・硫安産業・綿工業は、敗戦後の復興期を極端な供給不足から始めた訳ですが、1950年代にはすでに過当競争が問題となるような状況を迎えることとなりました。敗戦後、比較的速やかに生産量が増えたのは、新たな参入業者があったためです。物がない時期だったはずなのに新規参入が多数あったのはどうしてか。

例えば製粉業では、家畜飼料用の製粉をおこなっていた高速度製粉の業者も人間の食べる小麦粉の製造に参入しました。高速度製粉ではふすまを分けることが出来ず、質が劣る製品しかできません。それでも、食料の不足から政府は配給用の小麦粉製造に参入することをみとめたわけです。今なら健康に良い食物繊維をたっぷり含んだ全粒粉とでも宣伝するところでしょうが。

硫安製造や綿工業でも、戦時中に転廃業させられた業者の設備が残っていたり、他の化学工業・他の繊維の製造業の業者などが参入したことにより、生産が回復したわけです。戦時中にも原料と労働力が確保できれば、消費財の生産がもっと多くなり得る余地はあったわけですね。

あと、この本のある章は、(おそらく筆者により)ネット上でPDF版が公開されていました。新刊本の中身をそのままネットで無料で公開するというのは、なにか反則のような感を持ちました。

2008年10月23日木曜日

夜なのに空が暗くない

今日は午後から雨という天気予報で、その通りになりました。でも、夜になってからは小降りで、傘がいらないくらい。なので、傘を下げながら帰り道を歩いていて気づいたのですが、空がちっとも暗くない。雲が低いせいなのか、地上にももやがかかっているせいなのか、とにかく街の明かりが反射して、とても夜とは思えないほどの明るさでした。

晴れの日でも星の見えないくらい都会の空が明るいってことは重々承知ですが、雨の夜っていつもこんなに明るいのだろうか。

2008年10月20日月曜日

帝国陸海軍の基礎知識


熊谷直著 光人社NF文庫522
2007年2月発行 税込み743円

実際に戦われた戦争・戦闘のあれこれについてではなく、日本軍の階級、給与、軍装、教育制度、経理や医事衛生部門などに関する事項が解説してある本です。どこかで読み知っていたことも多かったのですが、ほうそうだったのねと感じるエピソードもちらほら。

例えば、外征の軍は内地の軍とちがって、徴兵や動員など、国民に関する軍事行政の責任はもっていなかったという点について。沖縄防衛のために置かれた第32軍は外征軍ではなかったのですが、防衛戦を行う特別の軍と言うことで、やはり軍事行政の責任はもっていませんでした。沖縄の軍事行政の責任は、あいかわらず福岡の西部軍司令官にあり、実務はその下の沖縄聯隊区司令官(大佐)が、県庁、市町村役場などの行政機関と連絡をとりながら、行っていたそうです。ですから、中学生が鉄血勤皇隊員とよばれた少年兵に動員されたり、、女学生がひめゆり部隊などとして動員されたのは、聯隊区司令官が軍事行政として行ったろうということです。実戦部隊と軍事行政の責任者が異なることによってトラブルが生じたかどうかまでは書かれていないのですが、軍隊も官僚組織だと言うことがよく分かるエピソードです。

また、海軍兵学校出身の加藤友三郎が1922年に内閣総理大臣になって以来、敗戦までに陸士・海兵出身の首相が各5名ずつで、その他は8人だったそうです。その他8名の中で帝国大学法科出身は京都の近衞文麿をあわせても5名しかいない訳ですから、軍人出身首相の多さを再認識させられます。帝大卒業生に対して旧制高校が与えた影響(考え方やその後の友人など)と似たものを、陸士・海兵での教育・生活も軍人にもたらしたでしょうから、陸士・海兵が第一次大戦後の日本の進路に与えた影響はかなりのものと言えそう。

2008年10月18日土曜日

ウドの花


立川市ではウドの生産が多いそうで、ウドをつかったお菓子やラーメンを市内のお店が創作して名物にしようと努力しているみたいです。ただ、ウドって目立たない食材なので、どうなのかなって感じもします。で、畑にもウドが植えてあるはずなのですが、特徴に乏しいせいかあまりみかけた記憶がありません。立川でも、主に北の方で作っているせいもあるんだとは思います。そんなウドでも花が咲いていると、こんな感じで見分けがつきます。

ウドは地上部が枯れると根株(地下茎?根?)を地下のむろの中に移植して、真っ暗な中で生えてくる芽を収穫するのだそうです。チューリップの球根をつくっている農家では、球根に栄養を集めるために花が咲くと花を摘んでしまいますよね。ウドの栽培ではそういう必要はないのでしょうか。わりとどこの畑でも、咲いた花はそのままにしてある気がします。

2008年10月16日木曜日

遺された蔵書


岡村敬二著 阿吽社
1994年12月発行 税込み4680円

戦前、日本が満州・中国に設置した図書館の沿革・活動などについての論考をまとめた本です。植民地の図書館という存在については思い及んだことがなかったので、勉強になりました。

これらの中では、満鉄の図書館が最も早く設置されました。社業に資する目的だけでなく、一般の人の利用できました。大連と、後には奉天にも資料収集をも目的としたものが設置され、満鉄附属地の各都市には主に公衆の利用を目的とした図書館が設置されていました。他の分野にも見られることですが、植民地では日本本国にもみられない水準の技術の適応が試みられました。図書館の分野でも、蔵書目録・資料の検索機能などに外国生まれの斬新な手法が使われていたそうです。

満州事変後、奉天宮殿にあった四庫全書・文溯閣を保全する目的で満州国立奉天図書館が作られました。また、その他の奉天で接収した書物は張学良の屋敷の建物を利用した図書館に収められました。この奉天の四庫全書は、軍閥の戦争の時と満州事変の時の2度にわたって戦禍を被りそうになりましたが、関東軍の協力をとりつけた日本人によって守られのだそうです。軍閥の戦争はおいといて、満州事変の際に日本人が四庫全書を守ったのだと中国人に言っても、中国の人は喜ばないでしょうね。

日中戦争より前の時代、日本は北京と上海に近代科学図書館を設置しました。 これらは日本語の本を収蔵する図書館で、北京の近代科学図書館では日本語教育が盛んに行われました。また、これらはともに義和団事件の賠償金を設置・運営にあてたものだそうです。アメリカが義和団事件の賠償金で精華大学を北京に創設したことは有名ですが、日本がこういう施設をつくったことは知りませんでした。

日中戦争開始後には、上海・南京など各地で政府機関・大学・個人の蔵書家などから数十万冊の図書が接収されました。これら接収図書の整理には、上記の植民地図書館の館員が兵士とともにあたり、保護につとめたのだそうです。しかし、接収という行為はひらたくいうと盗みのことだと思うので、図書を戦禍から守ったと言っても、中国人からは盗っ人猛々しいと言われそう。

戦争という不幸な環境の中で、個々の図書館人はなし得る最善をつくそうとしたことは確かなようです。本書の著者も図書館員だとのことで、図書館員の善意・真心に対する暖かい姿勢が感じられる著作でした。

2008年10月14日火曜日

一年間に読んだ本の重さ

学生の頃は引っ越すこともあったし、引っ越すたびに本を処分したので、大量の本を持っていたわけではありません。でも、引っ越さなくなると、本ってよほどひどいものでなければ、ほとんど捨てる気になれないもの。なので、蔵書は少しずつ増えてしまいます。ただ、これまでは特に記録をとっていなかったので、毎年どのくらいの量の本が増えてゆくのか、自分でも分かりませんでした。このブログを書き始めた理由の一つは、読書記録をつけてみることでした。

この一年間に購入して読み終えた本は72冊。毎年100冊以上を読む人もいるそうですが、私が読んだ本には文庫・新書は少なくハードカバーで厚めの本が多いので、まあ、こんなものでしょう。これ以外にも、雑誌を読んだり、仕事の関係で読まなければならないものも少なくなく、活字中毒と言えるのかも知れません。価格は、72冊で税込み248226円でした。月に2万円ほどを本に費やしていることになりますが、これはだいたい予想通り。

72冊を並べると背表紙の幅の合計が165センチメートルほどになりました。これだと、スチールの書棚がだいたい3年で満杯になる計算です。今は、一つの部屋にスチールの書棚を11本置いてあるのですが、すでにいっぱいで書棚の上にも何冊も重ねてある状況。これまで崩れたことはありませんが、ある程度以上の地震が来ると危なそう。でも、その部屋で寝たりするわけではないので、いつぞやの地震で崩れた本の下敷きになって死んだ仙台の人のようになることはないと思います。

ただ、本が増えてもう一つ気になることは、重さです。72冊合わせて重さを量ってみると35キログラム程でした。30年分たまると、1トン以上になります。たしかに、書棚の数からざっと計算すると、現在の蔵書だけで1トンはありそうです。これって、今後も毎年増えていくわけですから、マンションの床が耐えられるのかどうかが少し心配です。

2008年10月13日月曜日

このブログも一年

このブログも去年の10月13日に書き始めてから一年がたちました。読書の記録と時々の感想を書いてるだけのブログで、たいして面白い内容の記事があるわけでもないと思います。それでもお立ち寄り下さる方がいらっしゃるので、一年間続けることが出来ました。ありがとうございます。

2008年10月12日日曜日

リーディングス戦後日本の格差と不平等 第2巻広がる中流意識


原純輔編 日本図書センター
2008年3月発行 本体4800円

行動経済成長の影響、そして学歴・貧困・政治意識などをテーマとして、1971年から1985年頃に書かれた社会学の論文を27本集めた本です。社会学の論文はデータや図表が多いせいか、また単行本として出版されることが多いためなのでしょう、この本には一部を収録されているものが多くなっています。

あの頃、一億総中流時代といわれていたのを想い出します。新中間階層・新中間大衆の出現を唱える論者と否定する論者の間で中流論争がなされましたが、今から振り返ってみると「中流」は幻想だったのかなと感じてしまいます。ただ、実際には階層間の格差がありながら、90%以上の人たちが自分を「中」であると感じていられたということは、とても幸せな時代だったことは間違いありません。

この年代は私が子供から大人になった頃で、自分も日本も豊かになりつつあるということを実感できた時代でした。ただ、そんな頃でも、格差・貧困の存在をきちんと論じていた人たちがいたことも収録された論文から、よく分かりました。

27本の中にはマルクス主義的な視点・用語で書かれた論文もいくつかあります。たとえば山田盛太郎の本とか、むかしはそういった表現を当然と思って読んでいたものです。でも、いまそういった言葉遣いの論文を読むと、内容は別にしても、やはり時代を感じるばかりです。

また、私が歴史や社会科学の本を好んで読むようになったのはこの時代です。私にとっては全くの過去の事態として日本の敗戦があり、なぜ戦争するようになったのかが問題関心の一つとしてあったのです。で、この頃から現在までの年数と、この頃と戦争の頃の間の年数とが、同じくらいになってきてるんですね。自分の生きていた頃が歴史になりつつあるというのも不思議な感じでした。

2008年10月9日木曜日

畑の大根


葉っぱの形からすると大根のようです。発芽しているのに気づいてから一ヶ月も経っていませんが、大きくなるのは早いもの。1~2ヶ月後にはこの畑のわきの即売所でこの大根を買って帰り、おでんや大根おろしにして食べることになるでしょう。

葉付きで売られている大根の茎は、直立に近いような姿だった気がします。しかし、畑では茎がかなり地面に寝るようになっていました。こういった姿はロゼットと呼ばれるものだと思います。ロゼットというと、真冬のタンポポを想い出しますが、まだかなり陽が高くて暖かいうちでも大根はこの姿になるものなのですね。

2008年10月8日水曜日

暑かったり、涼しかったり

秋は気温の差が大きい季節ですね。一日のうちで日中は暖かくても朝晩は涼しいということもあるし、日々の気温の違いもかなりのものです。先週の月曜日はかなり涼しい日でした。往診に行くとこたつが出ていたり、石油ストーブをつかっていたお宅も一軒ありました。私もその頃まではタオルケットと毛布を重ねてかけて寝ていたのですが、夜中に寒さで目覚めて、あわてて布団を押し入れから出した記憶があります。

その後は暖かい日もあったりして、日中は半袖でもいいくらいの日も少なくありません。すると今度は布団をかけていると夜中に暑くて目覚めたり。この季節になると寝汗をかいて心配だということで受診する方を見受けます。結核などで寝汗を症状とすることもまれにはあるのですが、かけている布団が多すぎる方がほとんどだと思います。

ふつうの人の場合には、暑いと感じれば自分でかけている物を調整できるのでいいのですが、寝たきりの方などでは、かけてある布団が多すぎることが問題となることがあります。体を動かして布団をはいだり蹴っ飛ばしたりできるレベルならばいいのですが、それも出来ない人の場合には、体温が上がってしまうこともあります。自宅で寝たきりの方を介護している人は基本的に優しい方たちで、「寒くないように」とお考えの方が多いようです。でも、「暑すぎないように」という心遣いも必要なのです。

訪問診療を20年近く続けてきてみて、「寒くないように」という心遣いをする介護者は多いのに、「暑すぎないように」という注意も必要なのだということには、訪問看護師など専門家からのアドバイスがないと気づいていない方が少なくありません。これって、ちょっと不思議。「寒くしていると風邪をひく」という誰でも知っている言い伝えが影響しているのでしょうが、医療に携わっているとこんな風に文化の影響を感じることがあります。

2008年10月2日木曜日

平凡社選書の日本史の本

「牧民の思想」の記述によると、江戸時代の思想史で書物研究という新しい手法が使う始めたのは、若尾政希という研究者なのだそうです。この「牧民の思想」と同じ平凡社選書の一冊に、若尾政希著の「『太平記読み』の時代」という本があります。太平記評判秘伝理尽秘鈔という楠木正成を超人的に描いた太平記の注釈書を題材に書物研究という手法を実践してみせてくれていて、とてもエポックメーキングな本だと感じました。私も古い方の人間で、江戸時代の思想史といえば儒学などを思い浮かべるたちだったので、太平記(ほんとは太平記の注釈書)が取り上げられている点にまず驚かされました。数万人規模の軍勢の数があちこちに出没するなど、太平記は戦記物語の中でも特に荒唐無稽ですからね。

平凡社選書には他にも日本史関係でエポックメーキングと感じた本があります。私の買った最初の平凡社選書で、もう30年近く前に読んだ本ですが、網野善彦著の「無縁・公界・楽」がそうです。網野ブームのきっかけになった本だったと思います。その後の展開や他の人の主張も読むと、必ずしも全面的に賛同できる主張ではないと思うようにはなりましたが、とにかくインパクトは強かった。

あと、笠谷和比古著の「主君『押込の構造』」もそうです。お家騒動って、樅ノ木は残ったや伽羅先代萩などの文学的な題材か、または三面記事的な興味の対象にしかならないのかと思っていました。でも、多数例を集めて主君廃立慣行の存在を示し、 大名家の成立や武士の考え方を抽出する鮮やかな手際には感心するしかありません。

他にも平凡社選書の中には日本史の本がたくさんあるのですが、その中でも私が面白いと感じたのは、ざっとこんなもの。
  井上鋭夫  山の民・川の民
  笠松宏至  法と言葉の中世史
  塚本学   生類をめぐる政治
  橋本義彦  平安貴族
  石井進   鎌倉武士の実像
  平松義郎  江戸の罪と罰
  早川庄八  中世に生きる律令
  藤木久志  戦国の作法
  龍福義友  日記の思考
  前田勤   兵学と朱子学・蘭学・国学
読みやすさと面白さという点では「法と言葉の中世史」が、一番のおすすめ。「生類をめぐる政治」も、生類憐れみの令を別の角度から見せてくれるとともに、イノシシなどの野獣から畑の作物を守るための鉄砲が農山村にはたくさんあったことを教えてくれて、刀狩りに対する考え方が変わりました。

まあ、これだけ好著が揃っているってことは、平凡社にはかなり優秀な日本史関係の編集者がいるってことなんでしょうね。あと、目立たせるためだと思うのですが、平凡社選書は数年前に白地で背表紙の上下に黄色の帯のあるカバーに変わりました。でも、私としては昔の地味な白茶白のカバーの方が好きです。茶色は褪色しやすかったけれど。

2008年10月1日水曜日

牧民の思想


小川和也著 平凡社選書229
2008年8月発行 税込み2940円

張養浩という元代の人が、地方官に任命され赴任して実際に統治する際の心得を牧民忠告という本の形でまとめました。牧民忠告は、朝鮮で出版された本の形で日本に伝わりました。本書は、江戸時代における日本での牧民忠告など牧民の書の受容過程と仁政思想の展開を主題にしています。

本書は江戸時代の政治思想についての本なのですが、序章には戦後の近世思想史研究の流れが著者なりの観点からごく簡単にまとめられていて、私には面白く読めました。「頂点的思想家」の著作のテキストを材料としていた丸山真夫の頃とは違って、1990年代からは書物研究という新しい手法が使われるようになり、書物自体の受容・分布状況などから、ある観念の社会的な広がりを知ることができるというものです。この著者もこの手法を用いている訳です。

近世国家は寛永大飢饉の克服を経て確立したというのが江戸時代の政治史の常識だそうですが、この飢饉の克服にあたって「民は国之本也」という考え方を打ち出した幕閣を構成する譜代大名が、まず牧民忠告に注目します。譜代大名は将軍からその領地を任されている存在ですから、自分のことを牧民にあたる地方官として考えやすかったわけですね。牧民忠告は漢籍ですが、伊勢桑名藩主松平定綱は、日本語の注釈書を自らつくり、自分の子孫へと残した程です。

他にも牧民忠告に着目して日本語で注釈書を記した何人かいて、江戸時代初めには写本で流布していたのですが、後には藩や書肆から印刷出版されるようになります。版本となって入手しやすくなったせいか、江戸時代も後期になると藩主から任命されて地方の実際の統治を任される代官やその手代層が、これらの書物の読者として期待されるようになります。牧民官として想定される読者が、将軍から領国の統治を任された大名から、大名により地方の統治に任じられる代官にまで変化した訳です。さらには、庄屋の中にも村内をまとめる役目を担っているという意識からこれらの書物を読むような人がいたそうです。

そういった受容の変化の他に、注釈書によっては「皆乾坤ノ一蒼生ニシテ、本来ハ差別ナシ ・・・・ 伏義、神農、黄帝ノ、イテタマイ、君臣上下等ノ差別アリ」のように、大昔の人間は平等だったのに伏義、神農、黄帝が出現してから、つまり文明化してから身分の差別が生じたという表現があったり、「天下之宰相モ一村之庄宦モ同一体ニシテ、無差別ナリ」のように宰相も村役人も平等と主張されていたりなど、平等思想を打ち出しているものがあったそうです。平等思想がある程度あたりまえになっていたとすると、安藤昌益もそう孤立した思想家だとは言えないのかも知れません。

その他、本書では日本の国家意識、廃藩置県、明治維新後の牧民忠告などについても触れられています。廃藩置県についてまで影響しているというのはにわかには賛同しがたいのですが、戦時中の占領地統治に際して陸軍が牧民忠告を印刷して配布したとか、現在でもリーダーの座右の書として売られているとなんていうエピソードには、びっくり。

2008年9月27日土曜日

AppleCare

ふつうの電化製品もそうだと思うのですが、アップルの製品には購入後一年間はアップルの製品保証が付いていて、故障しても無償で修理が受けられます。ただ、過去の経験では一年以上経ってから故障することもありました。そんな場合に備えて、 AppleCare があります。AppleCareは、無償修理期間終了後の故障の際にも無料で修理してもらえるサービスで、製品の購入後一年以内に、購入することができます。


むかしはこのAppleCareを購入すると、こんな感じのシールが一緒に送られてきて、製品に貼るようになっていたのでした。PowerBook2400の頃まではこのシールがあったと思うのですが、その後いつのまにか廃止されたようですね。

ノートパソコンの場合、むかしは液晶ディスプレイがとても高価だったので、AppleCareに入っておく方が安心でした。実際、うちのPowerBook 540Cは、ハードディスクと液晶ディスプレイの故障で2回無料修理を受けました。でも、その後に買ったTitanium PowerBook G4は、本体は持ち運び中に落としたことがあるのにまだ完動していて、かえって電源アダプタが2回使えなくなってしまっただけでした。このMacBookProもかなり安定している感じなので、アップル製品も昔より故障しにくくなっているのかも知れません。

2008年9月26日金曜日

我が家の MacBook Pro 一周年

去年の秋のお彼岸の祝日に思い立ち、衝動買いに近い感じでこのMacBook Proを購入して一年になります。アルミMacBook Proもこの筐体になってから数年たっていたおかげか、アップル製品にも関わらず、この一年間にはハード的なトラブルは全くありませんでした。昔は新製品に飛びついて人柱になっていましたが、やはり枯れたモデルを買う方が夢はないけどお得なのかも知れません。


このアルミMacBook Proは長く使っていると、手の汗でパームレストのところが変色することがあるそうです。でも、私の場合は冷えやすい方で、手の汗も多くないせいか、パームレストは特に変化なし。ただ、バッグに入れて持ち歩くことが多いので、この通り外側にはいろいろと擦り傷がついています。iPodもケースに入れずにつかっていて、この種の擦り傷は気にならない方なので、この程度はOK。

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2008年9月22日月曜日

日本植民地研究の現状と課題


日本植民地研究会編 アテネ社
2008年6月発行 本体3600円

日本植民地研究会の創立20周年を記念して、大会での報告をまとめたものだそうです。日本植民地研究入門っていうタイトルで出版されてもおかしくないような本で、内容はこれまでの研究のレビューで、文献がたくさん紹介されています。これまでに読んだ本の位置の確認や、これから本を買う際にも役立ちそうです。

私も日本の植民地に関する本を30年ほど前から時折読んでいますが、日本帝国主義史研究から帝国史・帝国研究へと、この分野でも大きな変化がありました。それを反映して、第一章は「帝国主義論と植民地研究」、第二章は「ポストコロニアリズムと帝国史研究」となっています。専門の研究者にとっては自明のことでしょうが、この両者の関係ってそれぞれの立場の研究者の関係も含めてかなり微妙そうな雰囲気だろうと素人ながら勝手に思っていたのですが、本書を読んで多少なりとも理解できたた感じです。

ただ、帝国主義論は支配と抵抗がキーワードで、その他に対する目配りが足りなかったと批判されているわけですが、研究の行われた時代背景を考えるとやむを得なかったろうなと私は思います。マルクス主義のことは別にしても、十五年戦争の時代を実際に経験した研究者たちが、敗戦後に大日本帝国による支配について研究し始めたのはしごくまっとうなことでしょう。また、敗戦後に生まれた研究者が、マルクス主義の退潮とポストコロニアリズムを反映して、多様な分野に興味を持つようになったのも自然な流れかと。

第三章から第七章までは、朝鮮・台湾・樺太・南洋・満州に関する研究が地域ごとにまとめられています。千島や小笠原諸島も植民地以外の何者でもないような感じですが、北海道・東京の一部とされていました。内国国植民地は本書の対象外のようです。それと、樺太・南洋に関する章では、研究者の層が薄いことをそれぞれのレビュアーが嘆いていますが、樺太・南洋に関する研究者数が朝鮮や台湾に興味を持つ人の数に匹敵したら、その方がよっぽど変です。

本書とは離れますが、個人的な興味としては、朝鮮では併合・支配に対する抵抗がしっかりあったのに、沖縄の場合には大きな抵抗なく沖縄県になってしまったのはどうしてなのかってあたりも、知りたいところです。琉球王国時代にナショナリズムが育ってなかったからなんでしょうか。あと、アルジェリアやアイルランドと朝鮮とか、スコットランドやウエールズと沖縄とか似てる感じなんでしょうか、この辺も知りたいところです。

2008年9月20日土曜日

ねんきん特別便

私も、ねんきん特別便を受け取りました。すでに年金を受給している人には昨年のうちにねんきん特別便が届いていて、実際に年金に漏れが見つかったというお話を何人もの患者さんから聞かされていました。また、医師の場合、研修医の頃からいくつも職場を転々としている人が多いので、漏れが発生しやすいだろうとも言われていました。でも幸いなことに私の年金記録には漏れはありませんでした。

漏れがなくてひと安心ですが、年金に関しては他にも標準報酬月額を実際より低く改ざんされていた問題が発覚しています。今回のねんきん特別便には標準報酬月額が記入されていないので、自分の年金がどうなっているのかは分かりませんでした。

報道によると、この問題は加入月数の漏れに比較しても、発見が難しいそうです。また、標準報酬月額を低く改ざんすることは、事業主にとって納付する年金保険料が少なくて済むだけでなく、納付率を低くしたくない社会保険庁にとってもメリットがあるので、社会保険庁の職員も「共犯」者となって行われていたらしいとのことです。調査が困難な問題なので、可能ならこういった不正に関与していた元・現社会保険庁職員が、自主的に真実を告白してくれればいいのですが、桝添厚生労働大臣は不正に関わったものは懲戒処分にすると言っています。

こういう場合には、期間を限って自主的な報告を促し、自首した者は処分しないという方針を打ち出すことが必要なんだろうと私は思います。ただ、桝添さんは怒りっぽい人みたいだから、そういう処理はしそうもなさそう。また、マスコミも、悪人は吊せってことしか言わなそうだし。

2008年9月18日木曜日

世界システムと東アジア


今西一編 日本経済評論社
2008年5月発行 本体4200円

世界システムと東アジアというタイトルの本ですが、日本小農論、農村地代、日本の中小工業論、内国植民地、朝鮮近代化論など10人の筆者による論文集です。序章にはちょろっと近代世界システム論に関する言及もあるのですが、その他は近代世界システム論とは全く関係ないものばかりです。シンポジウムにちなんだ出版なので、こうなっているようです。

第1章の黒田明伸の「アジア・アフリカ史発の貨幣経済論」は、彼の他の著作と同じようなことをくり返しているとも言えます。ただ、現在の少額硬貨でも銀行に還流しないものが少なくないことを指摘して過去の時代にはそれがもっと顕著だったろうことを示したり、地下に保蔵された貨幣が還流しない貨幣の一因となっていること、戻らない貨幣の量に見合うだけの貨幣が新規に供給されないとどうなるか問いかけたりなど、繰り返しではあっても読んでて面白いものでした。

第2章「日本小農論のアポリア」では農地の所有権について、地租改正による創設や地主制・農地改革、そして離農した人々の農地が所有者がどこに行ったか分からないまま借地の対象ともなれずに荒れつつある現代までを通して考察しています。地主制のもとで、地主はムラの土地を保全する存在でもあったことや、農民組合運動下では小作貧農が土地を所有するようになることは無産者から脱落するものとされていたことなど、意外な指摘でした。

本書所収の論考の中でひどかったのが、第4章の「近代日本における中小工業の成長条件」でした。研究史の論点整理と称して他人の文献からの引用は多数あるのですが、著者が何を言いたいのかはっきりせず、学生のレポートでも読まされてる気分。しかし、筆者はどこぞの大学教授なのだそうです。私も学生時代には講義のへたくそな教授には何人もお目にかかりましたが、そういう人でも著書を読んでみれば感心させられた経験しかありません。書いたものも意味不明とは、この人に教えられる学生は哀れ。

第8章「朝鮮における『19世紀の危機』」によると、1850年代から90年代にかけて、朝鮮では深刻な経済の停滞がみられたそうです。この期間に、稲作の生産性が最盛期の三分の一まで減ったとのことで、驚きです。著者はこの全朝鮮的な米の減収の原因を地力の低下・水利施設の荒廃などとしています。朝鮮半島は、日本に比較すれば稲作の限界地に近いような感じがするので、気候の一時的な寒冷化・小氷期が関与してはいなかったのか気になります。また、朝鮮が開国をむかえたのは、この『19世紀の危機』の時代であり、開国から近代化が日本と違ってうまくいかなかった原因の一つは、ここにあるようです。

第9章「『植民地近代化』再論」 第10章「朝鮮における近代的経済成長」という、韓国の学者の論考2本も興味深く読みました。日帝による収奪という言い方がありますが、「収奪」を経済学的に論証するのは難しいという合意が韓国でも出来てきているようです。

ただし、日帝の遺産と解放後の韓国の経済成長との関連に関しては、意見が大きく分かれるようです。第10章の著者は、日帝の残した会社・工場などの物的遺産が北側に多く韓国の側には少ないのに高度経済成長が韓国の側で実現したこと、日帝の遺産は朝鮮戦争でその多くが破壊されてしまったこと、韓国の高度成長は解放後20年もたってから始まったことなので時期的に離れていることなどを論拠として、日帝の遺産と解放後の韓国の高度経済成長には因果関係がないとしています。しかし、物的遺産についても、鉄道・電気・水道などインフラは日本の敗戦後も使われ続けたでしょうから、無視は出来ないと思うのです。それに加えて、精神的・制度的・技術的な遺産を総体的に評価することが簡単ではないとして無視しているのがこの著者の主張の問題点です。

日本は植民地期の韓国に良いことをたくさんした・残したとする日本の保守派の論客たちの主張に同意できないのと同じく、日帝の物的遺産と韓国の高度経済成長が無関係でその他の遺産は無視しようとするこの韓国の学者の主張にも、私は賛成できません。植民地化された1910年の朝鮮と比較すると、解放された1945年の朝鮮は、社会・制度・意識などがおおきく変化していました。1960年代以降の韓国の近代的経済成長は、そういった変化の上に実現したもので、1910年のままだったら実現しなかったでしょう。もちろん、この変化を日帝のおかげだなどと主張する考えは私にはなく、朝鮮の人たちが日本の支配下で実現した変化だと言いたいのです。

日帝による植民地支配がなければ、後に高度経済成長を可能とするような社会・制度・意識などの変化が35年間でどの程度にまで進行したものか、これについては仮定の話になるから難しいのですが、お隣の中国東北部、満州での奉天軍閥の富国強兵化策をみると、朝鮮半島に独立国が存続していてもかなりのことがなされただろうと私は思います。日本の保守派なら植民地支配がなければこういった変化は実現しなかったというでしょうし、韓国の人は植民地支配がなければもっと進んだはずだと言いたいでしょうが。

2008年9月17日水曜日

ヒガンバナ


春の花といえばサクラですが、秋の花は代表をきめるのが難しそう。ひとによって、ススキ・桔梗・コスモスなどいろいろ好みが分かれるでしょう。でも、私としてはやはりこれが一番好きです。この尋常でない魅せるような赤が好きなんですね。先週は、ぽつぽつ咲き始めたなという感じだったのですが、連休の間に一気に咲き進んだようです。

2008年9月15日月曜日

月曜日の競馬

立川駅の南口から歩いて5分ほどのところに、WINSがあります。私には競馬の趣味はありませんが、うちから駅の方へ行く途中にあるので、馬券を買いに行く人の波をよく見かけます。

でも、それって土曜日と日曜日だけだと思っていました。今日の午前中も買い物に出かけたのですが、WINSはなぜか営業中でした。月曜日だけど、祝日でお休みだから営業しているのだろうとは思うのですが、以前からお休みの月曜日には営業してましたっけ。こういう何気ないことって、見てるはずなのに記憶にないな。

2008年9月13日土曜日

増補 皇居前広場


原武史著 ちくま学芸文庫
2007年12月発行 本体950円

2003年に光文社新書の一冊として出版されていたものです。「大正天皇」とか「可視化された帝国」とか面白い本を書く人の本だし、当時タイトルを見て興味は持ったのですが、なぜか手には取りませんでした。今度、ちくま学芸文庫で出てたので、読んでみました。

東京生まれの東京育ちですから、何度か皇居前広場には足を運んだことがあります。芝生があって、楠木正成の銅像があって、鳩がいっぱいいて、はとバスや外国人の観光客がぽつぽつといて、あまり混雑していない、お天気のいい日におにぎりでも食べるのに最適な場所っていう印象です。芝生の植え込み一枚一枚がとても広かったり、金属柵が大仰だったり、松がまばらに生えているだけで大きな建物や植え込みなどがなく遠くまで見透せるなど、ふつうの公園とは違った感じも受ける場所です。

でも、血のメーデー事件をはじめ、明治以来、いろいろな式典が実施された歴史があるそうです。ただ、諸外国の天安門広場・光化門広場・赤の広場などとは違って、積極的に広場として整備されて使われたという感じではなく、「空虚な中心」「打ち消しのマイナスガスが立ち込め」ている場所なのだとか。

戦前は宮城前広場と呼ばれ、当たり前ですが、戦後になって皇居前広場と呼ばれるようになったんですね。ウエブで皇居前広場を検索してみると、ここを管理している環境省皇居外苑管理事務所では、皇居前広場ではなく皇居外苑と呼んでいました。


占領期には、夜間ここが愛の空間になっていたそうです。空襲でたくさんの家が焼かれて住宅事情が最悪の時期、ラブホテルにあたる施設も充実してはいなかったでしょうから、青姦(夜だから黒姦か)が流行したってことでしょうか。

2008年9月11日木曜日

ペリリュー・沖縄戦記


ユージン・B・スレッジ著 
講談社学術文庫1885
2008年8月発行 税込み1470円

アメリカの第一海兵師団に所属し、パラオ諸島のペリリュー島と沖縄で上陸戦闘を経験した一兵士の回想録です。原著は1981年に出版されたものだそうです。今頃になって、そしてなぜ講談社学術文庫として翻訳出版されたのかはよく分かりませんが、好著といっていいと思います。

著者は医者の息子で大学生だったので、2度の戦闘を経た後に他の兵士から、裕福な家の出身だから役に立たないだろうと最初は思っていたと言われています。いいとこのお坊ちゃんだったので、家族は卒業後に技術部門の士官として任官することを希望していました。しかし、戦地に赴く前に戦争が終わってしまうことを危惧(!!)した著者は、在学中に自ら志願して入隊したのでした。日本でもお国のために予科練などに志願した人が少なくなかったのですが、アメリカでも同じような雰囲気があったということで、これも時代がそうさせたんでしょうね。ベトナム戦争の頃とは、全く違います。

原文がそうなのか、訳者がいいのか、とても読みやすい日本語で、アメリカ本土でのブートキャンプでの訓練や、船での移動、ソロモン諸島の基地での訓練、そしてペリリュー島・沖縄での戦いのエピソードがつづられています。興味深く読めました。

どちらの島でも地形を利用して陣地を築いた日本軍が縦深防御体制をとったため、アメリカ軍の進撃、つまり戦線の移動するスピードはゆっくりでした。激戦で危険なため、両軍とも兵士の死体の多くを回収できず、放置せざるを得ない状態が長く続きました。このため、ウジがわき腐敗し腐臭が漂いました。、トイレの場所を確保できないので、排泄物はタコ壺周囲に捨てざるを得なかったので、これも悪臭の元となって、 食欲がわかなかったそうです。戦闘以外のこんなエピソードも戦場の様子をうかがわせてくれます。

アメリカ軍は物量豊富な軍隊というイメージがあります。でも、それが本当にあてはまるのは後方勤務の人たちで、ペリリュー島での海兵隊員の戦闘中の食事や身の回りは、上陸後しばらくは飲み水の確保にも困ったくらいで、決してラクではなかったそうです。もちろん、守備側の日本軍兵士はもっときびしい暮らしだったのでしょうが。

また、著者の所属した中隊は235人がペリリュー島に上陸して、一ヶ月半の戦闘後に無傷で生還できたのは85人しかいませんでした。第一次大戦から経験している古参兵がペリリュー島戦を「最悪の戦闘」と述べたくらいです。ただ、それでもアメリカ兵は生きて還る希望を持ちながら戦えたわけで、その希望もなく戦いを続けた日本軍兵士はどんな気持ちだったか、それを想うと読んでいてつらくなってしまいました。

2008年9月10日水曜日

ガス管の工事

うちの近くの道路でガスの工事をしていました。掘り返してある中を覗くと、直径20cm以上ありそうな金属のパイプを切って、取り出しているところでした。ガス管の切断時に少しは漏れるようで、かすかにガスの臭いがしました。でも、作業している人たちは落ち着いていたので、問題はない模様。

事前に、東京ガスから工事のお知らせの紙がポスティングされていました。古くなったガス管を交換する工事なのだそうです。ガスは通常通り使えるとのことでしたが、ガスの配管は冗長化されていて、一カ所を切断しても供給には支障がないってことなんでしょうね。

同じ地下に埋設されているパイプでも、水道管の場合には供給されている水の数パーセントが漏水しているとか。都市ガスの場合には、漏れって全然ないんでしょうか?まあ、漏れないように、事前にこうやって工事をしているから大丈夫なのかもですが。

2008年9月9日火曜日

街路樹の日陰


先週、植木屋さんが作業している様子が見えた近くの道路の街路樹のイチョウですが、かわいそうなくらいに枝が落とされていました。まあ、台風とかで枝が何本か折れることもあるのだから、強く剪定されても枯れることはないのでしょう。でも、こんな無惨な剪定の仕方を見ると、街路樹って何のために植えてあるのか、疑問に思ってしまいます。


もう、本格的な暑さも終わりになりますが、夏の陽射しの強い時間帯に外を歩いていると、日陰が恋しくなります。ビルなど建物の日陰でもないよりはましですが、やはり一番快適なのは歩道の上にアーチ状に枝を伸ばしている街路樹です。こういう道は、歩いていてもかなりの涼しさを実感できます。


でも、こんな感じの街路樹だと歩道に落ちる影はわずかで、がっかり。この道路は建設されてから10年ほどたつので、管理者にその気があればもっと立派に成長していてもおかしくないはずですが、こじんまりと剪定されてしまっています。樹が高くなり枝が長く伸びると、電線にひっかかったり、落ち葉が多くなったり、沿道の家が日陰になったりなどで、苦情があるんでしょうか。実のなる樹を植えて欲しいとまでは思いませんが、日陰くらいは街路樹に期待したいものです。

2008年9月6日土曜日

地域交通体系と局地鉄道



三木理史著 日本経済評論社
2000年3月発行 本体5400円

東京から東北地方を結ぶ日本鉄道の成功以降、私設鉄道の設立ブームが起きました。本書でとりあげられた三重県・瀬戸内地方にも、山陽鉄道や関西鉄道という大きな私設鉄道会社が路線を持っていました。しかし、本書では幹線的な私設鉄道ではなく、地域内の小さな私設鉄道が対象です。地域内の鉄道の路線計画・建設とその地域の産業や港湾整備などとの関わりが論じられています。

私設鉄道設立ブームについては、日本鉄道の経済的な大成功を見て、多くの投資家がもうけのために、各地方の鉄道設立を計画したものかと思っていました。しかし、本書を読んで各地方の住民の間で鉄道を求める声が強かったことが理解できました。

例えば、三重県の津市から後背の安濃郡へ、約15kmの本線と約10kmの支線からなる安濃鉄道は、1912年に開業免許を鉄道省から交付されました。この当時の安濃郡は面積11.23平方里で、東京で一番大きな八王子市くらいの面積のようです。人口は34656人で、とても多いとは言えません。ほかにまともな陸上輸送機関がないので、切実な要望から建設されたのだと思いますが、利用する住民の数は多くはないので、省線鉄道や現在のJRが採用している軌間1067mmより狭い762mmの軽便鉄道として建設されました。

ただ、開業後も経営は順調ではなかったとのことです。現在ならこの規模の土地の公共交通機関はバスになるのでしょう(現代ではバスでも赤字になりそう)が、自動車のなかった明治時代なので軽便鉄道の建設となりました。ただ、自動車が導入されてバスが普及してゆく大正・昭和戦前期に、バスとの競争で多くの地方の小鉄道が経営問題を抱えることになる事情が開業時の状況からも見える気がします。高度成長期のモータリーゼーションが国鉄の赤字の一因となったことはよく知られていますが、マイカーの希だった戦前から、自動車と地域の鉄道は競合する運命にあったようです。

また、江戸時代以来の歴史を持つ都市では、官設でも私設でも幹線鉄道の駅が、土地の入手の容易さから中心から外れた位置に設けられたもののようです。地域内の小鉄道もやはり都市の中心まで路線を設けることが難しく、幹線鉄道の駅と同じ場所に駅を設けていない例もあったことが紹介されています。なんとなく、複数の鉄道路線の駅は同じ場所にあることが当たり前と感じていたので意外でした。

その他、江戸時代以来の港町が多数あった瀬戸内地方で、明治期に大きく発展してゆく町と衰退した町との違いなどについての論考も、こういった分野の文献に接したことがなかったので、新鮮でした。

2008年9月2日火曜日

一年ぶりの首相辞任

このところ天候が不安定なので、NHKの6時50分からの天気予報を出かける前にチェックします。今朝の天気予報は、全国の天気でも関東地方の天気でも、いつどこに雨が降ってもおかしくないとの予報でした。正しくはあるのでしょうが、なんとなく投げやりな予報だなと感じながら、7時のニュースが始まると福田首相が辞任とのこと。 昨日の夜は民主党の党首選挙がトップニュースだったので、それにぶつけるタイミングで辞任を表明したのでしょうが、 昨年9月に続いて二度目の投げやりな首相辞任で、驚きました。

いろいろ嫌なことがあって、首相の仕事が面倒になっちゃったって感じでしょうか。彼にしても安倍前首相にしても他の多くの世襲の政治家の人たちにしても、なにかの政策を実現するために政治活動をしているというよりも、親譲りの政治家であり続けること自体が政治活動の目的になっていて、こういうことになっちゃうんだろうなと想像します。

また、長い時間を国会の椅子に腰掛けて過ごしたり、日本国内だけでなく海外にまで度々旅行したりなど、72歳という年齢には激務であることは間違いなく、肉体的な意味での疲労も原因なのでしょう。自分を含めてふつうの人なら、経済的に可能なかぎり早めに引退して、まとまった時間の必要な海外旅行をしたり、趣味など好きなことに専念したいと思うはずですが、福田首相に限らず国会議員や地方議員などの政治家は、高齢になるまで続ける方が少なくありません。政治家を高齢まで続ける人は、政治家であること自体が趣味というか好みの活動なんでしょうかね。

あと、今朝のNHKのニュースでは福田首相の会見の模様を伝えた後に、北朝鮮拉致問題に対する影響が心配とのことで、インタビューで感想を述べる最初の人に拉致被害者関係の会の方が登場しました。さすがは、拉致問題キャンペーン報道を売り物にしているNHKです。拉致問題も無視していいとは思いませんが、少なくともトップで心配されなきゃいけない問題ではないと私は思います。それとも、福田首相の辞任が世界に与える影響なんて実はほとんどなく、せいぜい拉致問題程度しかないよという、鋭い視点からの放送だったのでしょうかね。

2008年9月1日月曜日

不許可写真


草森伸一著 文春新書652
2008年8月発行 税込み945円

毎日新聞社が日中戦争と太平洋戦争初期に撮った写真で、検閲不許可になったものをまとめたスクラップブックがあり、それを見ての著者の感想などが述べられている本です。

ふつうの新書とは違って、アート紙でできていてずっしりとした重さです。さぞや面白い写真がたくさん載せられているのかと思ったら、163ページの中に、35枚ほどの写真しか掲載されていません。しかも、元の写真は手札大(80x105mm)だったというのに、そのうちの8枚は約3x4cmとなぜかとても小さくされていて、細部までは見ることの出来ない代物です。写真自体も、多くはそれほどインパクトがあるものではありません。まあ、それだけ日本の検閲が細かいことに拘って不許可にしていたということでしょうが。

で、写真より文章の部分がずっと多いのですが、検閲の事情と掲載されている写真の説明が主という訳でもないのです。本書には「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」と「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」という2つの章があるのですが、特に前者は不許可写真というタイトルから受けた印象と全く違い、芸術論的な部分が多いのです。がっかりさせてくれました。

こういう新書のタイトルは編集者が決定するのだろうと思うのですが、そう考えるとこれは著者が悪いと言うより、タイトルを決めた文春新書の編集者が悪い。「カメラの発明によって、叙事詩は生まれなくなった」か「『不許可写真』は、一コマもののマンガである」のどちらかをタイトルにしていれば、別の観点からこの本を読むのでしょうから、失望せずに済んだかも知れません。

2008年8月31日日曜日

古代インド文明の謎


堀晄著 吉川弘文館歴史文化ライブラリー251
2008年3月発行 本体1700円

南ロシアの黒海沿岸ステップに住んでいた遊牧民であるアーリア人が、インダス文明の衰退期にインドに侵入してきたという、日本の世界史の教科書にも書かれている有名な説を虚構だとして、著者独自の仮説を提示している本です。著者は、北シリアがインド・ヨーロッパ語族の故地で、ここから新石器時代に農耕民がイランを通ってインドにまで拡がったとしています。

アーリヤ人(本書ではアーリアではなくアーリヤとしています)の侵入説を「とんでも学説ではないのか?」と著書は書いていますが、本書の方こそとんでも本なのではと思わせるような感を受ける点が多々ありました。著者は、インダス文字は文字ではない、「社会で尊敬されていた行者集団による呪文」だとしていますが、読んでいて根拠がとても薄弱です。

また、奇妙な石製錘というタイトルで2つの石製の物体の写真が載せられています。「最近、東京で確認したもの」だとのことですが、出土地や出土の状況がはっきりしないのに、ホンモノの遺物と断定して大丈夫なんでしょうか。ましてや、これがオリンピックみたいな投擲の競技で使われたなどとまで書くにいたっては、妄想としか思えません。

また、農耕民の拡散にあたっては、「野生の動植物は全て天敵であり、根絶やしにする必要がある」、ヨーロッパでは森を焼き払ってフィールドをつくった時の厚い灰層があると書かれています。焼き畑にしてもそうですが、森林を焼き払った灰の層が発掘されることなんてあるんでしょうか?

日本の学会の定説とは違った説を唱えているそうなので、ご苦労はわかりますが、必ずしもアーリヤ人征服説を信奉する人ばかりではないと思います。例えば、先日読んだ 農耕起源の人類史なんかは、 インドアーリア語族の起源地をアナトリアとしていますが、そこから西にインド・イランと新石器時代に農耕民が拡がっていったとする説で、この著者と近いのかなと思います。タイトルにひかれて買ってしまいましたが、まあ1700円の価値はとてもないなという読後感でした。

2008年8月29日金曜日

近世大名家臣団の社会構造 感想の続き

足軽以下とは区別される武士身分の士と徒士ですが、この二つの間にも序列がありました。例えばある藩では、徒士身分の武士が士分の人に対して会う際には、士分の人からの許しを得てから部屋に入るのが規則でした。多くの藩で、士と徒士の間には挨拶・書札礼などにも同様の徒士を劣位とする規定があったそうです。しかし、士分の者同士は、藩主の一族でも家老でも一般の侍でも、会話・食事などは一室で対等にできる規則で、士分対等が多くの藩での原則でした。

この士分対等の原則についての説明を読んでいたときに頭に浮かんだのは、医者同士の関係です。医師にも、教授や院長や部長や科長などといったエライ方々がいますが、医師同士が会話するときにはお互いを「センセー」かまたは名前をつけて「★★センセー」呼び合うことがふつうです。これは、役職者と研修医の間でもふつうはそうなので、「師分対等の原則」が成り立ってると言えます。また、医師以外のパラメディカルスタッフは研修医も含めて医師に向かって、やはり「センセー」「★★センセー」と呼ぶから、士と徒士の関係に似ているのかも。

あと、本書には論考の材料になった史料の所蔵者についても記してあるんですが、国文学研究資料館所蔵のものがかなりある印象でした。「国文学」研究資料館とい名称なので、国文の資料ばかりを集めているところかと思っていましたが、近世の藩や在方の史料についても保管している組織のようですね。この組織は今年春にうちから歩いて20分ほどの所に移転して来ていて、展示・講演会も開いているそうなので、いちど行ってみようかと思いました。

2008年8月28日木曜日

近世大名家臣団の社会構造


磯田道史著 東京大学出版会
2003年9月発行 本体9400円

江戸時代の武士というと、ひとくくりに士農工商で一番上の身分だとばかり思っていました。しかし、その内部は一様というわけではなく、士・徒士・足軽以下の三層構造になっていたのだそうです。武士の中で、士分は家老などの大身も禄の少ない者も対等、それに比較して徒士は劣位の地位にあり、足軽以下は領民並みの扱いだったそうです。例えば、足軽は士分の人に外で出会う履き物を脱いで土下座する決まりだったことなど、屋内での対面の作法・屋外で会ったときの挨拶の仕方・書札礼などから著者は三層構造を論証しています。

また、一般には武士と言えば帯刀しているというイメージです。しかし、足軽や許されれば百姓でも帯刀することがあります。本来の武士と言える士・徒士を示すシンボルは、帯刀ではなく袴の着用だったということです。また、明治維新後に士族とされたのも徒士以上層で、足軽は卒族として平民になりました。

また、継承についても、士分は世襲(戦国期には世襲になっていたということでしょうね、その頃からの変遷についても面白そうなテーマです)、徒士層も初めは身長や能力を確認して採用されていましたが、 近世後期には世襲化しました。しかし、足軽は藩当局が譜代の足軽の家筋の存続を願っていたにも関わらず、経済的な理由と仕事をこなす能力(体力や読み書き)がないと勤まらないことからほとんど実現しませんでした。

当然のことながら、士分より徒士、徒士よりは足軽以下層の方が藩から支給されるサラリーは少なくなっています。徒士でも下の方は俸禄だけでは暮らせず、草鞋作りや妻が機織りの内職をしていました。ましてや足軽の給与だけでは、都市で一家を構え家族を養うのは不可能だったのです。なので、足軽以下は農村から奉公という形で供給されていました。

農家のライフサイクルの中で、自家の所有耕地を耕すには労働力が余るような時期(父親と未婚の男の子が複数いるような時期)に、その余った労働力が、足軽や中間などの武家奉公に出たわけです。農業収入をもつ足軽一家の方が、藩から支給されるサラリーのみで暮らす徒士の家族より経済的には豊かだったそうです。また、高10万石の津山藩で、武家奉公人を2400人ほど雇っていたそうで、4万2千石の年貢収入のうち8400石が給料として農村に還元されていました。武家奉公がこれほどの規模だということは、地方によっては地域の中で最大の就業先だったと思われ、経済的にも重要ですね。

世襲された足軽の家は少なかったのですが、足軽奉公している人が辞める際に後任を指名する権利があり、足軽株として売買されていました。株を買ってまでして足軽になる人がいたのは、足軽の給金が小作など他の雇用に比較して良かったのか、または一時的とは言え名字帯刀を許されるなどの点に魅力があったのか、どちらなのか興味あるところです。

まとめると、本書は士・徒士・足軽以下の三層構造を通奏低音とし、家臣団の社会構造を説明した本です。日本全国各地の藩の史料に則して、通婚・家族構成・相続などを分かりやすく解明してあり、今後はこの分野の定本になるのではと感じました。

2008年8月27日水曜日

まだ道路は熱い

先週からめっきり涼しくなり、夏もそろそろ終わりのようです。ただ、今日のように晴れれば、まだ陽射しもそれほど弱くはありません。こんな日にショートパンツで外を歩いていると、体はちっとも暑くはないのに、下腿には熱感を感じます。膝ぐらいと比較して、特にくるぶしあたりが熱い。真夏のかんかん照りの日は全身暑いので、そうはっきりとはしませんでしたが、今日ぐらいの気温だと地面のアスファルトが熱いことがよく分かります。

ヒートアイランド現象の原因は冷房の普及による廃熱の増加や緑地の減少もあるとは思いますが、道路が熱くなることも大きいと思うのです。真夏の外出では、イヌとかヒトでも身長の低い子供たちは、大人よりもずっとこの道路の熱さの影響を受けているでしょうね。道路が熱くならないような舗装は難しいのかな。

2008年8月25日月曜日

電波時計

ふだんは、だいたい自然といつもの時刻あたりに目が覚めます。でも、寝過ごすことがあってはまずいので、目覚まし時計もセットします。以前つかっていたクォーツの時計は、一日に数秒のずれがあったと思います。一日に一秒でも、一ヶ月で30秒、一年だと6分のずれになります。朝の数分は貴重ですから、このずれもばかにはできません。かといって時刻あわせをするのも面倒な感じ。

ということで、2年ほど前から電波時計を使っています。電波時計は自分で時刻を修正してくれているので安心です。時刻表示は性格なのですが、この電波時計の目覚ましの音が最近小さくなってきました。また、この時計には本体の上側に付いているスイッチを押すと女の人の声で時刻をアナウンスしてくれる機能があります。夜中にふと目覚めて時刻を知りたい時など、明かりをつけても眼鏡を外していると余程近づかなければ時刻が読めないほどの近視なので、このアナウンス機能は便利です。でも、その女性の声もこのところ小さくなってきました。

どうしてかなと思いながら、電池を交換してみました。バックアップの電源はないようで、電池を交換すると現在の時刻やそれまでセットしていた目覚ましの時刻はリセットされます。しかしボタンを押すと、電波を受信して自分で年月日・曜日と時刻を合わせてくれます。電波時計の電波は時刻だけでなく、日付も知らせてくれているんですね。ただ、時刻合わせが完了するまでに数分かかるのが不思議。

電池の交換で、無事に目覚まし音やアナウンスの声の大きさも復活してくれました。

2008年8月21日木曜日

福島県立大野病院事件の無罪判決

昨日は福島県立大野病院事件の裁判で無罪の判決が言い渡されました。 日本の臨床医であればだれもがこの裁判には注目していたと思います。本当にほっとしました。被告の加藤医師にもおつかれさまといいたい気持ちです。

業務上過失致死や過失傷害で起訴されるのは、患者取り違え・間違った薬剤の使用・薬剤の過量などなど、明らかな過失がある場合だけだと思っていました。ところが、この事件ではそのような専門外の私にも分かるような過失はなく、それなのに担当医が逮捕されてしまったことが非常に驚異かつ脅威でした。他人事とは思えず、それまではこの種の話題にそれほど興味があったわけではないのですが、この事件以降、ネットでの情報収集もするようになりました。

この事件や大淀病院事件については、多くの医師がネットで議論し、詳細な検討がなされています。それらを見た限り、本事件で主治医に過失があったとはとても思えません。医療の場では、過失が無くとも、治癒が望めなかったり、障害が残ったり、死亡につながる場合があることは避けられないことです。

患者さんが不幸な転機を取った際に、医師の過失があったのではと考えたくなるご遺族の気持ちも分からなくはありません。ただ、判決後の記者会見でも患者さんの父親の方は「真実を知りたい」とおっしゃっていたそうですが、裁判の過程できっちり公開された事実以上のどんな「真実」を知りたいのか、疑問に感じます。

また、本件の患者さん死亡後も逃げも隠れもせずに地域での診療を続けていた医師をわざわざ逮捕した警察、また無理筋な起訴をした検察には反省をお願いするとともに、ぜひとも控訴しないで欲しい。また、患者さんの父親が会見で医療界に向かって述べた「今後に不安を感じる。再発を防止するためにも、原因追求して対策をたててほしい」という言葉を、警察・検察は自分たちに向けられたものと考えて欲しいものです。そうでなければ、医師のみならず、医療を受ける人すべてにとっても不幸です。

2008年8月20日水曜日

江戸の高利貸


北原進著 吉川弘文館
本体1700円 2008年1月発行

旗本・御家人と札差というサブタイトルがついていますが、主に札差しについて扱った本です。もともと、「江戸の札差」とうタイトルで1985年に江戸選書一冊として出版されたものを復刊したのだそうです。

幕臣のうち、知行地をもつ上層の旗本を除いて、その他多くの旗本・御家人は一年に3回、蔵前にある幕府の米蔵から、米と一部お金で給料を支払われていました。米を支給された武士は、生活費としてつかうお金を入手するために米を換金する必要があります。個々の武士が、米を受け取って米屋まで運搬して売り払うのは手間がかかりますから、それを代行して行うのが札差しの業務の始まりでした。米の支給は年に3回ですから、その間にお金の必要となった武士への短期の金融業務も営むようになりました。

やがては、江戸での贅沢な生活に慣れて赤字になった武士家計への金融業も営むようになります。武士は借金があるかぎり札差しを別の札差しに替えることが許されていませんでしたので、定期的に支給される給与を握った札差しは金融業者として経済的に大繁栄したわけです。借金漬けになった幕臣を救うために、幕府は相対済まし令や棄捐令などを出しましたが、消費生活の変化に伴う幕臣の家計の恒常的な赤字が原因ですから、問題の解決にはつながりませんでした。

幕府から幕臣に支給されるのがずっと米であり続けた(一部はお金でも支給されたそうですが)のはどうしてなんでしょう。何石取り・何俵取り・何人扶持というように、サラリーの額が米で表示されていて、それが仕来りとなっていたからだとは思います。でも、知行地を持っている一部の上層旗本以外はサラリーマンなのですから、幕府が米相場の有利なときに米を換金して、幕臣へはお金で支給するようにすれば、少なくとも札差しが米価の変動から得ていた利益の分だけでも、武士の側が手にすることもできたろうにと思えてしまいます。

ハードカバーの本ですが、内容は一般向けの新書といった印象です。札差しについて、その沿革、どんな仕事をしていたのか、江戸の豪商としての札差しなどについて分かりやすく説明されていて、新書としたら1700円は高いけれど、買って損のない好著でした。

2008年8月18日月曜日

クラリスワークス4でマックライトIIの書類を開く

うちでは、SheepShaverでもTitaniumPBG4でも、クラリスワークス4を使ってマックライトIIの書類を問題なく読めてます。ふつうにファイルメニューから開いても、ドラッグアンドドロップでも、どちらでもOKです。


システムフォルダの中にClarisという名前のフォルダがあります。さらにその中にXTNDフィルタというフォルダがあって、他のクラリス製品や他社のソフトの書類を開くのに必要なフィルタ書類が、こんな感じにたくさん入っています。図の下から2番目の「マックライトII XTND-J」がきっとマックライトIIの書類を開くのに必要なフィルタだと思います。もしかすると、これが明宏さんのMacの中に無いのかも知れませんね。

もし、このフィルタがあっても開かないのだとしたら、難問ですね。FileBuddyで単純にtyepをMWJDからCWPJへ、creatorをMWJ2からCWKに変更してもクラリスワークス4では開けないし、解決策がすぐには思い浮かびません。どうしたらいいのだろう。

2008年8月17日日曜日

思想地図 vol.1 特集・日本


東浩紀・北田暁大編 NHKブックス別巻
2008年4月発行 本体1500円

NHKブックスの一冊ではあるのですが、中で編者も書いている通り、中身は雑誌風味です。特集・日本と銘打たれているように、ナショナリズム・日本論・共和主義などに関するシンポジウム・論考とともに、現在の日本文化の代表である、マンガ・アニメ・初音ミク現象などに関する論考も載せられています。

一番おもしろかったのは、「日韓のナショナリズムとラディカリズムの交錯」です。民族主義という言葉に対する感覚が、南北の分裂という問題を抱える韓国と日本とでは異なる点の指摘は鋭いですね。あと、韓国では金大中・盧武鉉という進歩派の指示する大統領が実現し、しかもそれが金融危機後のIMF管理下だったので、経済的には厳しい政策をとらなければならなかった点が、基本的には自民党の政権が続いている日本とは大きく違います。盧武鉉政権の実現に寄与した三八六世代が、その下の世代からは既得権をもつ世代として批判されるというのも、興味深い指摘です。

共和主義に関しては、視点のことなった二人の論考が載せられていますが、切れ味は今ひとつ。シンポジウムや対談の記録は、分かりやすく読めるので歓迎。また、評論ってとりあげられている対象をよくは知らなくても何となく読めてしまう物ですが、巻末に載せられて編者に絶賛されている「キャラクターが、見ている」という公募論文は、「エヴァンゲリオン」「あずまんが大王」「らき☆すた」などなどを知らないので、理解困難で残念でした。

雑誌を単行本の形で売る試みはありかもしれませんね。少なくともこの内容の雑誌が創刊されたとして、その創刊号を私が買うかというと、おそらく手に取ることもないような気がするので、そういう点では成功した企画なのだと思います。

2008年8月15日金曜日

まだ暑い、夏の外来

今日も暑い一日でした。ショートパンツで外に出ると、アスファルトからの照り返しで、下腿がちりちり熱く感じられるほどでした。つい木陰を探して歩いてしまいます。

こんな残暑の一日ですが、外来に来た患者さんの中には、 風邪と呼ぶには少し高めの発熱に加えて、咽頭痛・咳などの呼吸器症状の人の比率が多い印象でした。お盆休みのせいで、高血圧症・脂質異常症・糖尿病など、ふだんは多い内科の慢性疾患の患者さんが少なくて、そう感じただけなのかな。

それにしても、38度以上あるのに運動の部活を続けたり、40度もあるのに明日からの合宿には行きたいという方もちらほら。若いからできることだとは思いますが、人生長いのだからまたの機会もあるだろうし、しっかり水分摂ってお休みするようにお話ししました。

2008年8月12日火曜日

夏のTime Capsule

朝、起床後にMacBook Proに触れると、両側の奥あたりは明らかにかなり暖かいというか熱くなっています。夏だとはいえ早朝の室温は30度を下回っています。しかも、夜間は7−8時間以上スリープし続けて全く使用していないのに、こんなに熱を帯びるのは困ったもの。今朝一番にスリープから起こした時の、CPUなどの温度はこうなっていました。


MacBook Proをスリープさせて真夏の屋外に持ち出しても、こんなに熱くはなりません。どうやら、夜中のスリープ中にもTime CapsuleとMacBook Proとの間でなにやらやりとりがあって、こんな風に熱くなってしまうようです。

Time Capsuleの方にも触れてみると、MacBook Proよりも少し温度が高い感じ。耳を近づけると、ファンもまわっています。ただ、夏は窓が開いていて外の音が聞こえてくるので、Time Capsuleのファンの音はまったく気になりません。


TimeMchineの設定はこんな風になっています。なので、一時間ごとのバックアップの他に、日付をまたぐ頃には不要になる前々日のデータの整理などをしてるんでしょうか。でも、こんなに熱くなるのは不思議。




Time Capsule 到着
Time Capsule セットアップ完了
遠くまでカバーするTime Capsule
暖かいTime Capsule

2008年8月10日日曜日

ボクらの京城師範附属第二国民学校


金昌國著 朝日選書845
2008年8月発行 税込み1260円

今上天皇と同年の1933年に生まれた金昌國さんの国民学校(小学校)時代からの半生記です。子供から大人になる頃が激動の時代だっただけに、いろいろとご苦労なさったようです。訳者名がないので、ご自身が日本語で書かれたものなのでしょう。

金さんのご家族は創氏改名(ATOKの辞書になかった)に応じなかったそうなのですが、それでも試験のある国立の国民学校に合格できたのでした。創氏改名に関する締め付けは、地方に比較して京城(これもATOKの辞書になし)では、緩やかだったそうです。

日本の敗戦後、朝鮮半島在住の日本人はみんな日本に引き揚げてきました。日本が朝鮮半島で本当に朝鮮の人のためになる統治をしていたなら、胸を張って住み続けられた筈ですが、ほとんどの日本人が逃げ出してきたことからも、日本の朝鮮統治の実情がうかがわれます。

引き揚げの際には、知人の朝鮮人に家などを託した人が多かったそうです。また手荷物として持ち帰れる品物・お金も制限されていたので、貴重品を預けて帰国した人もいました。託された家の多くは、その後の韓国政府の政策により、託されて住んでいる人のものとなったのだそうです。

同じような話を台湾から引き揚げてきた人から直接聞いたことがあります。一般の日本人が台湾を再び訪れることができるようになったのは1970年代以降ですから、家や物を託してから30年も経過していました。なので、託された物を大事に保管してくれていた台湾の人と再開を果たせたはいいものの、返してくれとは言い出せなかったそうです。同じようなことが朝鮮半島に住んでいてその後韓国を訪れた日本人にもあったでしょうね。

著者は朝鮮戦争の際にはソウルから釜山まで逃げて、アルバムなど大切なものをみんな無くしてしまったそうです。朝鮮戦争を経験した多くの韓国人には、同じような体験があるのでしょう。朝鮮特需について著者は、「日本の身代わりのようにして南北に引き裂かれたわが国の不幸をきっかけに、以後、国力を伸ばしていった日本に対する割り切れない思いは、今も韓国人の中にくすぶり続けている」と記しています。韓国とのお付き合いに際して、日本が国益を損なうような振る舞いをしないためにも、このことを忘れてはいけないと感じます。