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2011年3月30日水曜日

陸前高田のはなぎりだいこん


切り干し大根が好きです。夏はさっとゆがいてドレッシング。冬は煮て食べることがほとんどです。材料に使うのはふつうの切り干し大根でも良いのですが、私の好きなのはこのはなぎりだいこんです。この写真だと今ひとつはっきりしないかも知れませんが、これは大根を輪切りにしてあるのです。さっと煮ておいしく食べられ、このところは週に一袋くらい消費していました。
今日もいつものお店に買いに行きました。このはなぎりだいこんは姉妹品のてきりだいこん(太めの切り干し大根)・きりぼしだいこん(ふつうの切り干し大根)と並べて陳列してあるのですが、今日はその三つとも棚のいつもの場所に見あたらず、別の商品が置いてありました。お店の人にどうしたのか尋ねたところ、しばらく調べてから「陸前高田産ですから、入荷しないんです」とお答えいただきました。

帰宅してから、在庫のはなぎりだいこんの袋の品質表示のところを見ると、陸前高田市高田町字古川となっています。Googleマップで調べてみると海のすぐ近く。陸前高田市は津波の被害の大きかったところと報道されていますが、これを作ってくれた方たちのご無事をお祈りしながら、今晩いただくことにします。


2011年3月26日土曜日

水滸伝の世界

高島俊男著 ちくま文庫
2001年12月発行 本体800円
水滸伝は、徽宗の時代の宋を背景とした豪傑・好漢たちの物語です。もともとは宋江三十六人と呼ばれる盗賊たちをテーマとしたお話しでしたが、南宋・元・明の時代に大衆芸能の場で語り継がれるうちに、もとのお話しとは無縁のエピソードも付け加わってふくらんでゆき、明代の嘉靖期ごろになって本として出版されました。こんな経緯から、近代小説とは違って水滸伝の作者を特定することはできません。著者は本書の中で、まず主要な登場人物とその人物にまつわるエピソードを紹介しています。なじみのある有名なエピソードもありますが、単に筋を紹介するだけではなく、それらのエピソードを材料に水滸伝の成立過程の一端を明きらかにしてくれています。
さらに水滸伝の成立を研究するためには、オリジナルのテキストを決定することが必要になります。水滸伝の版本には、百回本、田虎・王慶に関するエピソードも加わった百二十回本、百二十回本から宋朝への帰順以降を除き豪傑・好漢たちの物語に的を絞った七十回本、挿絵とより簡潔な文で表現した文簡本などがあります。清代以降の中国では主に七十回本が享受され、その他のバージョンの版本は見あたらなくなっていました。しかし、日本には百回本、百二十回本がそれ以前に輸入され、江戸時代の日本では主に百二十回本が読まれていました。日本にあった材料をもとに、百回本→百二十回本→七十回本と変化したことを指摘したのは日本の研究者だったのだそうです。
中華民国期には日本の本をもとに百二十回本系統の本も中国で出版されるようになりました。しかし、伝統からか中華人民共和国期になっても、中国で親しまれている水滸伝は七十回本によるものなのだそうです。中華人民共和国期になっての大きな変化は水滸伝に対する公的な評価で、元盗賊でもある水滸伝の主人公たちを人民起義のさきがけとして肯定的に評価して出版されるようになりました。しかし中国で一般的な七十回本は、梁山泊に集合した豪傑たちは強盗として否定すべき存在で、全員が死刑になってしまうという夢で終わっています。文革の頃、農民起義の英雄たちが死刑になるような表現で終わる水滸伝を毛沢東は批判します。その後は、投降主義を学ぶ反面教師だとうたって水滸伝を出版せざるを得ない時期がありました。謳い文句は何にせよ、出版はできたのですから、やはり中国は上に政策あれば下に対策ありの世界ですね。水滸伝は最初に出版された後にも変化を続けた歴史があり、新中国になってのこれらの変化もその一環とする見方もあるそうです。しかし著者は
さまざまな水滸伝が生成流動したのは、明の中期から末にかけて、すなわち十六世紀半ばから十七世紀前半にかけてであって、以後三百年、水滸伝の動きはとまっている。だからこそそれは、古典文学作品なのである。水滸伝はたくさんあり、また動いてきたものであるから『定本』ができるのはこれからである、というのは、三百年の静止を無視するものであり、論理の飛躍があるようにわたしには思える
と書いていて、私もその意見に賛成です。ただし、新中国になってからの変化は、中華人民共和国の性格を考える上での格好な史料とはなるでしょうね。


中国では失われてしまったが日本でみつかり、中国に里帰りしたという書籍の話は他でも目にしたことがあります。水滸伝の百回本や百二十回本は、その後中国でもみつかったそうなので逸書とまではいえませんが、その仲間には入るでしょう。こういうエピソードを読むと、日本では古い書物が大事にされると考えてしまいがちです。でも、水滸伝のような通俗読み物の場合には、七十回本のような新しいバージョンが人気を博して古いものが廃れたというだけのことで、日本に残っていたのも、単に舶来崇拝で保存されていた結果というような気もします。
水滸伝の内容自体は読んでみてのお楽しみなのだと思いますが、本書に言及されていたエピソードで気になったのはヒトの肉を食べること。水滸伝には、旅人を殺害して人肉饅頭にする人肉茶店や、仇を食べてしまうというようなエピソードもでてきます。著者は
いったい水滸伝は、今でこそ古典ということになっているが、もとをただせば寄席の語りものであり、大衆小説であり、つまりごく低俗なものであるから、鬼面人をおどろかすというか、悪趣味というか、ことさら刺激のつよい話柄をもちだして聴衆なり読者なりを気味わるがらせようといったところがある。人が人を食うということは、いくら昔の中国でも、きわめて異常なことであり、気味のわるいことであったにちがいないので、講釈師や小説家は、必要もないのにわざとそんな話をもちだすのである。つまりは小説の中のオハナシというわけだ
と述べていますが、この見解は少し疑問。こんな風に人肉食が扱われている日本の古典通俗読み物ってほとんどないと思うのですが、どうでしょう 。羅生門だって蛇の肉だし、私にはカチカチ山ぐらいしか想い浮かびません。本書にも触れられていますが、桑原隲蔵さんが中国の人肉食について書いています。「支那人の食人肉風習」と「支那人間に於ける食人肉の風習」の2編は青空文庫にもあり、私もiPhoneのbREADERで読みました。それによると、人肉食は古くから清代までの正史にも取り上げられていて、中国の人にとっては決して珍しい風習ではなかったようです。日本人の人肉食への感じ方とはきっと違うから、水滸伝の中でも当たり前のように扱われていたのだろうと感じます。




本書の文庫版あとがきには
この『水滸伝の世界』を書いたころわたしは毎日を研究室ですごしていて、日本の本を読むことはほとんどなかった。だから日本の事情についてはしごくうとかった。学校をやめてから、日本では、水滸伝と三国演義(日本ではこれを「三国志」と称している)とを同等にあつかっていることを知って、たいへんおどろいた。 文学作品として見れば、水滸伝と三国演義とでは、その価値に天地の懸隔がある。中国では、そして日本でも中国研究者にとっては、それは自明である。自明だから、それをとりたてて言う者もいない。 なぜ日本ではその、月とスッポンほどのちがいがわからないのか。考えてみれば当然であった。日本人はいずれをも翻訳で読んでいるからである。
と書かれています。水滸伝は中国白話文の最高峰で、三国演義は『後漢書』『三国志』を抜き書きしてつないだだけなのだと。へー、そうなのか。私もふつうの日本人なので、月とスッポンの違いを知りませんでした。このあとがきが本書でいちばん勉強になった部分でした。

2011年3月12日土曜日

地震による本のなだれ


昨日は、近くの病院の眼科の暗室の中で検査を受けている時にゆっくりと揺れ始めました。私は東京の多摩地区に住んでいますが、本震もかなり長く、しかもこれまでに経験した中で最も大きな地震でした。受診後に帰るとエレベータが止まっていて、12階の我が家まで階段を昇るのが一苦労。そして、自宅に着くとエアコンの室外機が転んでいました。
室内には小さなものがいくつか落ちていました。また液晶ディスプレイを並べて2つ載せてあるテーブルが、いつもの場所から20cmほど横に移動していました。テーブルが動いてしまうとは、震度5も侮れないものと感じはしましたが、目立った点はそれぐらい。大したことはないなと安堵しながら本の置いてある部屋のドアを開けようとしたところ開きません。鍵をかけるはずはないので嫌な予感。渾身の力をこめてドアの上側の方に数センチの隙間を開けてみると、床の上に本が見えます。なんとか隙間から潜り込むと、スチールの本棚が三つ倒れていて、また倒れていない書棚からも多数の本が落ちて床に積もっていました。空っぽになった棚の数から推定して、1000冊以上落ちた模様です。唖然として片付ける気にもならず、使う部屋でもないので昨日はそのまま放置してしまいました。本を捨てることがなかなかできず、あまりに本が多くなったのでこんな目にあうのだと反省しています。処分する本を選ばなければとも思うのですが、昔読んだ本を久しぶりに手にとると懐かしくて目を通してしまい、時間ばかりかかってちっとも処分できない片付けになってしまう気もします。

2011年3月7日月曜日

光る源氏の物語


大野晋・丸谷才一著 中公文庫
(上) 1994年8月発行 本体838円
(下) 1994年9月発行 本体933円
この光る源氏の物語という本は、もともと中央公論に掲載された対談がまとめられ、1994年に文庫化されたものだそうです。私が今回購入した2冊は2008年に再版されたものでした。源氏物語千年紀と印刷された帯がつけられていましたから、それにちなんで再版したんですね。でも、そういう催しがあったこと自体、私は知りませんでした。源氏物語と言えば、高校時代の古文の教科書に、若紫の巻からとった幼い紫の上の姿が載せられていたのをおぼえています。でもそれ以来、源氏物語は苦手です。なぜって、とにかく文章が難解ですから。一般に、鎌倉時代以降の文章に比較して、平安時代に書かれた作品は読んでいて理解しにくく感じるのですが、源氏物語は群を抜いて難解なのです。
難解で敬遠気味だった源氏物語に関する本書をなぜ手に取る気になったのか。ここ数ヶ月、源氏物語に関する項目、青表紙本系や河内本系など数々の写本、注釈書や研究などなどについて、たくさんWikipediaに書き込んでくれている方がいます。どれもかなりの分量だし、読んでいて面白いし、書き込んでくださっている方にはとても感謝。そして、その書き込まれた記事からあらためて源氏物語に対する興味をもちました。
そしてそういう興味にひかれて何か読もうとした時に本書はとても魅力的に思えたのです。丸谷さんは、後鳥羽院がとても鋭い本でした。また、大野さんの方はタミール語に関する御説はおいとくとして、岩波古語辞典(1974年)の助動詞に関する解説や、係り結びの研究(1993年)、そして新書でしか読んでいませんが日本語の活用形の発展に関する説など、どれを読んでも勉強になるものばかりです。それに加えて、大野さんの著書では1996年に岩波の同時代ライブラリーの古典を読むというシリーズで出版された「源氏物語」を読んだことがあります(今は同時代ライブラリーはなくなって岩波現代文庫になっている模様)。
大野さんはその中で、藤裏葉までの33帖を最初に書かれたa系と後から挿入されたb系(玉鬘系)、そして若菜から幻までのc系、匂宮から夢浮橋のd系に分類することを提唱していました。a系b系の区別が昔は知られていたのに、江戸時代の国学者たちの読みによって忘れられ、昭和になって武田宗俊さんという方が再発見して源氏物語の成り立ちとも絡めて論じたのだそうです。大野さんはこれに加えて紫式部日記から著者である紫式部の人生に起こった事件によって著者自身が苦悩・成長・変化していったことと、a系b系以後のc系d系の物語の語られ様の違いとを関連づけて論じている、とても説得的な本でした。本書はその大野説を持論とする大野さんと批評家・小説家の丸谷さんの対談ですから面白くないわけがありません。
例えば、桐壺と箒木のあいだに「かかやく日の宮」という一帖があって、失われたのではないかという説について。「かかやく日の宮」は書かれたけれども失われたとすると、史料から平安時代にすでに失われていたことが分かるので、執筆後かなり早い時期に失われたことになります。失われた事情がうまく説明されないと、「かかやく日の宮」の存在を信じることはできません。本書のお二人は「かかやく日の宮」があったとする説のようです。光源氏と藤壺の密通について「帝の妃を犯すにはどうすればいいかという完全犯罪ですよ(笑)。一流の探偵小説作家になれるような人です」と評して、物忌みの日は人目に付きにくいという事情を利用して二人が関係したと推理しています。物忌みは固く守るべきタブーですから、それを利用した密通というのはあるまじきこと。そのあるまじきことを記した「かかやく日の宮」はごく初期の読者によって、本書では藤原道長が想定されていますが彼によって破棄されたとしているのです。これだと、かかやく日の宮」が平安時代の読者たちにとっても失われた巻であったことがよく説明されていて、とても説得的に感じました。ただ、物忌みを犯すタブーを書くことが禁じられるべきことだったのに、帝の妃を犯すこと自体は物語として書くことができたというのは、不思議な気もしますが。
題があるけれども本文のない雲隠は、紫式部自身の趣向だろうと評されています。また、それに続く匂宮、紅梅、竹河の3帖については、筆の運び、筋が不安定、無くても読めることなどから、紫式部の書いたものではないと本書では評価しています。逆に言うと、その他の帖は巧拙、単語の使用法、文の長短などいろいろあっても、基本的には紫式部が書いたものだろうというのがお二人の意見でした。
ただ、a系b系c系d系には明らかに違いが感じ取れるそうです。紫式部という著者自身が書き進めるうちに上手になっていったのはもちろんでしょう。しかし「なぜ、c系列以後がこんなにも景色が悪いか、a系列とc系列の世界が質的になんでこんなに違うのか。単にこれは光源氏がだんだんと没落して死んでいく経過をかくのだから、とか、紫式部が上手になったからというだけでは説明ができない。」「c系列の物語で扱われている主題は全部三角関係です。男と女とがやむにやまれない三角関係へ追い込まれていって、それまでは存在していた大事な愛がそれぞれみんな壊れてしまうという点で話題は共通している」という事情があります。大野さんはこれを「道長の息子・頼通の結婚問題で、紫式部は道長との間がまずくなり、突き放されたという事件に出会った」からだろうと推理しています。仕えている彰子の父であり、愛人として遇してくれる人であり、パトロンでもあり、紫式部にとって重要人物だった道長に女としては捨てられてしまったことが、c系以降の物語に大きく影響したのだろうというわけです。これが定説になっているかどうかは不明ですが、素人目にはとても説得的な説ですね。
などなど、面白く刺激的な論点がたくさんつまっているし、物語の解釈の仕方にも斬新な視点が少なからずあって、とても面白く読める本でした。おすすめです。