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2011年6月25日土曜日

中国の埋められた銭貨


三宅俊彦著
同成社 世界の考古学12
2005年1月発行
本体 2800円
日本では一括出土銭と呼ばれているものを中国では窖蔵銭と呼ぶのだそうです。著者は中国の窖蔵銭の出土例を多数集めて、埋められた事情、銭貨の流通の様子、日本への影響などを議論しています。まずは埋められた時期が問題になりますが、出土した銭貨のうちの最新の銭種から、本書で扱う出土例のほとんどは宋から明代(遼、金、西夏なども含む)に埋められたものと推定され、特に金を含めた宋代の例が最多で、高額取引が紙幣や銀で決済される時代には少なくなっていました。各王朝の終末期に埋められたと思われる例がとても多く、王朝滅亡時の混乱を避けるために埋められたらしいのです。例えば、110tと出土量が最多の窖蔵銭は西夏と対峙していた北宋の軍隊が北宋滅亡に伴って南に退却する時に軍庫の資金を埋めたと思われるそうです。
緊急避難的に埋められた窖蔵銭が多いことから、出土した銭貨の種類は埋められた時点の銭種構成を反映していると著者は考えています。後の時代になると後代に発行された銭貨が加わりますが、北宋が発行した銭貨が大多数を占め、その内訳も各時代で似たような割合を示しているので、著者の主張は正しいのでしょう。
埋められた時期として王朝末期の混乱時以外に目立つのが、元や明代に紙幣が発行されて銭貨の流通が禁止された時でした。中世の日本が多量の銭貨を輸入できたのはこの銭貨の流通禁止措置のおかげでした。しかし、中世の日本には大銭や鉄銭は受け入れないなどの独自の嗜好があり、輸出の代金(国際通貨)として銭貨を受け取ったわけではなく、銭貨自体がひとつの商品でした。九州や特に東国で選好された永楽銭が中国国内での流通目的に鋳造されたのではなく輸出用商品だったという説も、本書で扱われた窖蔵銭にほとんど含まれないことから確認されます。また、16世紀日本では撰銭現象が問題となりましたが、これも明代中国の銭貨不足、私鋳銭横行にともなう混乱・撰銭現象を反映したものだったと著者は主張しています。
出土例のデータに基づいた著者の主張は単純明快で非常にしっかりしたものです。ただ、読み終えてみて、多少の疑問が残らないわけではありません。

  1. 本書で窖蔵銭として扱われている出土例には、コレクターの銭貨コレクションと思われるもの、好字の銭銘をもつ銭貨ばかりを集めた宗教関連と思われるものなども含まれています。しかしそういった例はごく少数です。日本の銭貨出土例の本を読むとそういう例がもっと多いように思うのですが、中国では元々少ないのでしょうか。それとも「窖蔵銭」という範疇の出土例ばかりを集めるとそういった例が抜け落ちてしまうからなのでしょうか。
  2. 窖蔵銭には五銖銭や唐の開元通寳などの古い銭貨も含まれています。開元通寳でも北宋代には発行後数百年経過していますよね。また窖蔵銭として最も多い北宋銭も古いものだと明代には発行後300年は経過していそう。古い銭貨の摩滅・破損は問題にならなかったのでしょうか。それとも私鋳銭が含まれていたのでしょうか。
  3. 埋められた経緯から窖蔵銭からその当時流通していた銭種がわかるというのが著者の主張です。確かにその通りなのでしょう。でも窖蔵銭の中には緡にまとめられた銭貨が含まれているものもあったと書かれています。できれば、緡の中の銭種を調べると流通状況や銭種選好の様子がはっきりと分かるのではないでしょうか。

2011年6月22日水曜日

中国が読んだ現代思想


王前著
講談社選書メチエ501
2011年6月発行
本体1600円
毛沢東死去、四人組の失脚で文革が終わりを告げ、鄧小平が実権を握って経済開放政策がとられるようになった中国。1980年代には人々の中に、理想主義的な雰囲気、蘇った士大夫のような気概 何でも学ぼうというエネルギッシュな姿勢、「文革などによって失われた歳月を取り戻したい」という意欲があふれ、多くの外国の思想・哲学、特に「サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで」というサブタイトルにあるように、当時まだ現存していた20世紀の思想家の本もたくさん出版されました。本書にはそれら現代の思想家の中国での受け入れられ方が紹介されています。興味深く読めるように配慮されているので、私のように現代中国事情にも現代思想にも疎い者でも気軽に読むことができました。
著者はプロローグで「日本は世界でも希な現代思想のるつぼ」「中国の思想界を背負っているある中堅の研究者が、日本語訳プラトン全集が数種類もあることを訪日中に私から聞いて大変驚いた」などと日本について書いています。これらの日本の特徴は、後発国であり先進欧米諸国から翻訳文化をどん欲に取り込んだこと、また日本語を母国語とする人口が多くかつてはプラトン全集などの硬い本にも少なからぬ需要があったことを示しているのだと思います。本書によると、中国は現在までの30年という短い期間に、日本が過去120年間(本書の帯には120年となっていますが、これは「現代」思想には120年の歴史しかないということなのでしょうね)に受け入れたのと同じくらいたくさんの欧米の思想・哲学を導入したのだそうです。 なので、本書で紹介されている中国の事例は、過去の日本の様子をより典型的にみせてくれるものなのではないかな、と感じながら読みました。
その後、1989年の天安門事件を境に「知識人が民衆の代弁者を自任して活動する『広場』から引き下がって、書斎に戻るという方向転換を余儀なくされる」時代がやってきました。経済の高度成長が明らかとなった1990年代以降も、中国への現代思想の紹介は続いているのですが、ひとびとの関心は経済に移ってしまったのだそうです。これも、日本がいつかたどった道のようですね。

2011年6月20日月曜日

朝鮮史研究入門

朝鮮史研究会編 
名古屋大学出版会
2011年6月発行 
本体4400円


「朝鮮史研究者のみならず……朝鮮史研究に関心をもつすべての方々に本書を活用していただきたい」と「はじめに」に書かれています。入門と銘打たれているので、「朝鮮史研究に関心をもつすべての方々」というのは私のような門外漢や学部学生も対象なんですよね。本書は時代・分野ごとに分けて主要な論点とそれに関する文献を多数の筆者が分担して紹介するスタイルの本ですが、その時代のその分野に関する知識がある程度ないと読めない、学生が入門として読むには少し無理があるレベルの本だと感じました。前提として当然知っておくべき知識と、評者の評価を相対化できる知識との両方が必要のようです。例えば、植民地近代化論に対して「植民地朝鮮の経済史的研究にとって、日本帝国主義による朝鮮支配を批判的な視点から分析するという課題は、なによりも重要視されるべき」とある筆者は書いています。日本は朝鮮に善政を敷いた・いっぱい貢献したなどという主張は問題外としても、アプリオリに批判的な視点をというのも一つの立場だと思って読まないとですね。
また、時代・分野によっては説明が不十分に感じられるところもあります。本文330ページ、文献リスト120ページもある本ですが、与えられたページ数が少なくて、やむなくそうしてしまった筆者もいるのではと推察されます。20ページある朝鮮史関連年表を削って本文にまわすとか、さもなければこういう本の出版では電子書籍化を真剣に考える時期にきているのではと、感じました。
近代の民族運動・社会運動史の研究は、民主化を目指した1980年代の隆盛と、社会主義国崩壊と北朝鮮の危機との90年代の不振というように、1980年代以降おおきく変化したのだそうです。それは、研究自体が強い政治性と社会性を帯びていたこと、南北の政権が植民地期の運動のうちに自らの正統性の源をもとめたことなどが原因だったのだとか。このように、近代史の評価に関して現代の政治の影響が非常に大きいことは当然のことですが、本書を読むと朝鮮の古代史や中世・近世史でも現代政治が尋常でない力を及ぼしていることに気付かされます。日本と朝鮮の間には「任那日本府」や広開土王碑などがあることは知っていましたが、日本関連以外にもいろいろ。例えば、北朝鮮は壇君朝鮮を史実としてみとめ、平壌近郊の「壇君稜」から出土した5000年ほど前の人骨を壇君のものと認定したとか。渤海が朝鮮史で扱われるほかに、中国では中国の地方政権史として扱い、ロシアではシベリア諸種族形成史で扱っているとか。韓国では「統一新羅・渤海の併存期を南北分立の時代と捉え、渤海滅亡後に一部移民を高麗が吸収したことをもって民族統一国家の成立とする見方があるとか。これらの評価が定まるのは 南北朝鮮が統一され、周辺の国との関係が安定してからのことになるのかも知れません。
近代と現代の章には在外朝鮮人史という項が立てられていました。在外朝鮮人は日本にいる人たちだけではないのですね。当たり前のことですがあらためて学びました。

2011年6月10日金曜日

鹿州公案

藍鼎元著 宮崎市定訳 
平凡社電子書籍版東洋文庫92
税込み1470円
藍鼎元さんは清朝の雍正帝期に広東省の潮陽県知事をつとめたことのある人です。彼は事情により知事としての仕事は2年しかしませんでしたが、裁判も行うことも県知事の仕事の一つで、彼は名判官と評されるほどの手腕を発揮して事件を処理しました。公案という語は中国で裁判記録を意味する言葉でもあるようですが、この鹿州公案は彼が残した裁判に関するメモなのだそうです。
あの宮崎市定さんが「旧中国の実態を記した書として、これほど面白いものはないと思う。本当に小説より面白いのである」と通り、載せられている23の事件はどれも読んで面白いものばかりでした。拷問が当然のように行われたり、裁判官である知事の直感が難事件を解決するキーになっていたりするので、現在の眼からすると基本的人権などといものは誰の眼中にもなかったのだなと感じますが、当時の現地の人たちが名判官と判断したのですから、彼は有能な人で彼の行為が賞賛すべきものだったことは確かでしょう。中国なんて現代でもこんなものという感じもしますが、福島第一原発の事故に至った経緯や事故後も原発を擁護する意見が絶えないなど、原発をめぐる癒着の構図を考えれば、この話は日本にも当てはまるような気がしてしまいました。
この本は総合図書大目録というサイトからiPadで読むために購入しました。東洋文庫は興味深い本が多いのですが、絶版になっているものも少なくありません。また東洋文庫の造本はタイトバックになっていて開きにくく、寝っ転がって読むには読みにくい感じです。そういう点を考えると、電子書籍として東洋文庫を提供してもらえるのはとてもいいことだと思います。
ただ、電子書籍と銘打ってはありますが、この本を電子書籍と呼ぶのには多少躊躇する点がないわけではありません。というのも、いわゆる自炊本と同じく、スキャナで取り込んだものらしいからです。テキストデータはないようで、検索などを期待するとだめです。まあ、スキャナで取り込んだとはいっても図のようにきれいに読めますし、もともと新書版くらいの大きさの東洋文庫の一ページをiPadの画面一面に拡大し、iPadを眼に近づければ高度近視の私でも眼鏡をはずして読めます。眼鏡なしで読めることと、実物の本と違って開きにくさがないこと、これは寝っ転がって読むうえでは非常に重要なことですから。
過去に出版された本はこういうかたちで「電子書籍」になってゆくようになるんでしょうか。お値段税込み1470円は元々の東洋文庫も安くはない叢書なので仕方がないんでしょうか。でも、実物の本を購入するという行為は、入手した本を積む・置く・飾ることをも可能にしてくれる衒示的消費でもあると思うんですね。電子書籍ではそうはいきませんし、しかも本書は中のテキストやイメージのデータを自由にいじれない自炊本タイプですから、実物の本と同じくらい値段では高いと感じてしまう人が多いんじゃないのかな。まあ、絶版の東洋文庫を寝転がって読む用にはほかに選択枝がないので、ほかのものも買うかも知れませんが。

2011年6月8日水曜日

WWDC2011の感想

WWDC2011の基調講演では、iCloudなど魅力的なものがたくさん発表されました。でも、これらの新機能を利用するには基本的にMac OS X Lionの載ったMacが必要なんですよね。その点が我が家では問題です。
世間ではMacのOSとしてはスノレパが一般的なのかも知れませんが、我が家のMacBook Proはレパードのままです。スノレパ自体にはそれほど魅力を感じなかったし、OSをアップグレードしてトラブルが起きるの嫌だったので。でもスノレパでないとApp Storeが利用できません。Mac OS X Lionはパッケージとしては販売されず、App Store経由でないと入手できないそうです。この時期にスノレパを購入して、ライオンにアップグレードするべきでしょうか??
ライオンはPower PC MacとIntel Core Duoでは動きません。幸いうちのMacBook ProはCore 2 Duoが載っているので条件を満たしてはいます、でも、Power PC Macが切り捨てられるということは、Rosettaも当然つかえなくなるということですよね。システムプロファイラで、インストールしてあるアプリケーションの種類を調べてみると、PowerPCという種類のアプリケーションで主なものは、ATOK2007、Microsoft Office2004、SheepShaverがありました。ライオンではこれらは使えなくなるのでしょう。OfficeはときどきExcellをつかうぐらいですから、今後新しいOfficeを購入する気にはなれません。Sheep Shverも使えなくなると古き良きMacintoshのアプリは全く動かせなくなってしまいますね。
うちのMacBook Proはアルミ削り出し一体型になる前のものですし、購入してからもう3年半がたちますから、そろそろ買い替えの時期なのかなとも思い始めています。ハードディスクではなくSSDにして。SSDは128, 256, 512GBが選べることになっていて、最高512GBでは小さいかなとも感じたのですが、いまのMacBook Proのハードディスクをシステムプロファイラでみると150GBくらいの大きさなのでした。大した作業をするわけではないので、SSDの256か512あれば十分ですね。ソファやイスではMacBook Pro、ベッドに寝転がった時にはiPadで、iCloudが利用できればいい感じなのかも。

2011年6月7日火曜日

静岡模型全史

静岡模型教材協同組合編 文藝春秋
2011年6月発行 本体4571円
以前、文春文庫の「田宮模型の仕事」を読んでとても面白かった覚えがあります。なので、この静岡模型全史が近所の書店で平積みにされているのを見て、即購入してしまいました。B5版のハードカバーで立派な本です。口絵には昔の木製の模型の飛行機や船、1950年代頃からのボックスアートなどがたくさん紹介されています。かなり縮小されているのでぱっとしない印象のボックスアートが多いのですが、タミヤのホワイトパッケージだけは1960年代のものでも全く古い感じがしません。
この本の主要な部分は、50人分の「証言」です。どんな50人かというと、静岡の模型会社の経営者・管理者・従業員、模型店や模型新聞などの模型業界の人、マブチモーターやセメダインや射出成形機などの関連業界の人、模型店の人、モデラーなど。それぞれの人に2~13ページが割り当てられていて、思い出や思いが語られています。
タミヤ、青島、ハセガワ、フジミなどの名前は私も知っているほどで、模型の会社はとても有名です。でもこの本を読むと、どれもそんなに大きくはないことが分かります。家族で社長・副社長・専務などをつとめているところが多く、ファミリー企業なんですね。とはいってもタミヤの前社長にしてもその弟さんの東京芸大出のデザイナーさんにしても、成長して現在まで勝ち残ったこれらの企業ファミリーには当然ながら有能な人が多かったのですね。こういうメンバーを揃えた一族は、戦国時代ならきっと本物の一国一城の主にのし上がっていったことでしょう。
静岡にはもともと木製の模型の製造者が多く、国策として小学校で模型飛行機を作らせた頃にはそれ用の模型を販売し、静岡模型「教材」協同組合という名前も、学校で模型をつくったことに由来するようです。ところが敗戦後、占領軍が模型飛行機まで製作販売を禁止したのだそうです。飛行機実機の製造禁止は知っていましたが、模型までとは驚きました。実は風洞実験用の模型を禁止する目的だったと途中にちょろっと触れられていましたが真相はどうなんでしょう。
私が小学校高学年の頃にちょうどウォーターラインシリーズが発売されました。私は不器用でプラモデルを創ったことはほとんどありませんでしたが、軍艦には魅かれて、利根や翔鶴や金剛などを作った記憶があります。創っては見たもののへたくそなのは自覚され、中学生以降は全くプラモデルとは縁が切れてしまいました。それでもこのウォーターラインシリーズは四社共同の企画で、水線下の省略された飾れる模型という点が小学生にも画期的に感じられました。その後、ネットが普及してから関連するサイトを読んだりして、WLからフジミが脱退したことを知り、どうしてなのかなと不思議に思っていました。残念なことに「全史」にはこの疑問に答えてくれるような記載はありませんでした。GHQと模型飛行機の製造禁止の詳しい説明がない件にしてもそうですが、本書は「全史」と銘打ってはありますが、本格的なオーラルヒストリー・史書ではありません。なので、この辺が不十分なのはやむを得ないかも知れません。きっといつか本書も史料の一つとしてつかって博士論文を書き、模型産業史というタイトルで名古屋大学出版会なんかから出版する人があらわれるでしょうから、長生きしてその日を待ちましょう。
本書を読んで勉強になる点はたくさんありました。例えば、タミヤがフィリピンに工場を作ったというタミヤの社長さんのお話。中国に工場を移す日本企業はたくさんありますが、フィリピンにという企業はあまり聞きません。なぜ中国でなくフィリピンかというと、中国だと工場から現地の従業員がスピンアウトするなり引き抜かれるなりして技術を盗まれてコピー製品を簡単につくられてしまうが、フィリピンはインフラが整っていないのでそれが困難だからだとのこと。
現在のプラモデルの業界は決して景気が良くはないそうです。ケータイや、DSやPSPなどのゲーム機などなど競争相手はたくさんあるでしょうし、町からおもちゃ屋さんや模型店が消え子供たちがプラモデルに入門する機会が減ったことも原因だそうです。スケールモデルは大人の趣味としても立派なものだと思います。例えば、ネットでアメリカの事情を眺めていると、スケールモデルに限らず、ミリタリーな書籍やゲームを好む大人たちがたくさんいる印象を受けます。これは素地となる軍役経験者の数の多さが影響していそうで、日本ではそういった裾野が狭すぎるんでしょうね。

2011年6月5日日曜日

The Cambridge Economic Histroy of the United States, Volume II: The Long Nineteenth Century

Engerman and Gallmann編
Cambridge University Press
2000年発行
Amazonで本体12499円 
先月、A.D.チャンドラーの経営者の時代を読んで、19世紀のアメリカの経済についての無知を再確認させられました。なにか勉強するのに適当な本はないものかと思ったのですが、日本語の本ではこれといったものが見あたりません。そこでこのThe Cambridge Economic Histroy of the United States, Volume II: The Long Nineteenth Centuryを読んでみることにしました。アマゾンに在庫があったのでオーダーしました。シュリンクラップされた状態で到着したのですが、本の天の部分にはごく細かな砂ほこりが積もっていました。この本は2000年に発行されたものですが、2000年に輸入されて以来ずっとアマゾンの倉庫にあったものなのかも知れません。
本書は、1790年から1914年の長い19世紀を扱っています。100ページほどの参照文献の紹介・解説と、60ページほどの索引を含めて全部で1021ページもある厚い本です。写真は全くなく、図もほとんどなく、統計表があちこちに載せられてます。本文はテーマ毎に、例えばカナダの経済史概説、人口の変化、農業、西部への拡大、奴隷制、技術革新と工業化、企業、経済法制、金融などといったテーマごとに17の章に分かれています。勉強のためにメモをとりながら読んだので、各章の内容について興味のある方は「もっと読む」にあるメモを見てください。

学んだ点はたくさんありました。例えば、ホームステッド法で西部の土地が無償で払い下げられるようになったことは知っていました。なんとなく、無料で土地を入手できるのだから意欲があれば誰でも西部に農場が持てるようになったという風に思っていたのです。でもそんなに甘くはありません。払い下げられた土地の伐採・整地、家畜、道具、機械、道路、穀物が動物に食べられるのを防ぐ柵、道路などにお金がかかり、だいたい500から1000ドルが必要でした。現金でこんな額を用意できる人はそもそも西部で農場を持つ必要もありませんから、入植希望者はみんなローンで賄い、自給自足のかなり苦しい生活でようやく農場を自分のものになったのだそうです。事前に貯金がかなりあるか、かなりの目的意識の持ち主でないと自作農場主にはなれなかったわけですね。



各章は別々の人が執筆しています。なんとなく専門書的な体裁ではありますが、本書は概説書です。日本語の日本経済史の本にはこういう体裁の本ってありませんね。例えば岩波の日本経済史全8巻なんかでも各章を別々の筆者が担当している点は同じですが、各巻頭の章を除くと、それぞの筆者はテーマ毎に自分の書きたいことを書いていて、教科書を書くつもりは全くないようですから。
医学の教科書や医学書を読む時に感じることですが、英語で書かれた教科書的な本というのは平易な英語でとても分かりやすく書かれていますよね。きっと外国人が読むことを想定してそうなっているのでしょうが、本書もその例外ではありません。ただし、11章だけは難しかった。11章は法律について書かれているのですが、私に法律の知識がないことも一因でしょうが、英語としてもやさしくありませんでした。
独立したばかりの時点では人口もごく少ない農業主体の国だったアメリカ合衆国が、20世紀初頭にはなぜ世界一の経済規模と先進的な工業国になったのか。本書を読んでも心底納得できたという風にはなりませんでした。イギリスなどのヨーロッパの国に比較して、豊富な土地と資源、希少な労働力という条件があったからなのは確かですよね。でもそれなら、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンなどもアメリカ合衆国と同じような道を同じような速度で歩むことがなかったのはなぜなのかが疑問に思えてきます。土地や資源の豊かさという点でアメリカ合衆国が一番だったから?また、オーストラリアやアルゼンチンとは違ってごく近所のカリブ地域相手に造船・海事用品などなどの製造業の製品を輸出することができたからでしょうか。
ネイティブ・アメリカンの経済についての独立した章はなく、本文中にもほとんど言及がありませんでした。この第2巻にはカナダの経済史の章があったので、もしかするとvol 1に独立した章が設けられているのかも知れません。
この第2巻の扱う時期の大部分は、まだアメリカ国内にフロンティアがあり、国内の整備・発展の時期でした。外国との経済的な交渉はヨーロッパが主で、ようやく1890年代以降になって西半球への投資が始まるという具合です。なので日本に関する言及はほとんどなく、20世紀の日露戦争の際の外債の半分をアメリカが引き受けたことくらい。でも、アメリカが海外へ投資を始める時期にあたったからこうなったわけで、日露戦争があと10年早かったら全額ヨーロッパで起債することになった感じがしました。