このページの記事一覧   

2010年9月29日水曜日

戦後日本人の中国像


馬場公彦著 新曜社
2010年9月発行 税込み7140円
日本敗戦から文化大革命・日中復交までというサブタイトルの通り、敗戦から国交回復までの27年を対象とし、その間に総合雑誌に発表された記事が分析されています。対象となった論考は総計2500本以上にもおよび、また対象となる雑誌を求めて国外へも調査に行かれたそうです。私もこの時期の雑誌をまとめて読んだ経験がありますが、非中性紙が使われているためか、紙はひどく黄ばんでいるし、また実際に手に取ってページを繰るともろくなった紙がページの端の方から折れて破損することが頻繁で、扱いにかなり気を遣います。そんな物理的にも読みにくいものを多数読んで研究した労作が本書です。
本書では、敗戦から国交回復までを6つの時期に分けて分析しています。時期によって発行されていた総合雑誌にだいぶ変化があったことはあまり知らなかったので勉強になりました。記事の筆者(著者は公共知識人と呼んでいます)についても、戦後の早い時期には戦前戦中から中国で調査研究に当たっていた人たち、共産党員やシンパ、引き揚げ者や欧米人ジャーナリスト人の論考などが多く、反中国論者の出現は遅れ、さらに現代中国研究者はその後の時期になって増えて今に至っていること、文革期には新左翼系の論者がみられるようになったことなどの変化も興味を引きます。
どの雑誌が中国に関する記事を多く載せていたのか、どんなテーマで書かれた記事が多かったのか、どんな人が書いていたのかなど、本書はある意味ではこの期間の日本の論壇の通史として読めます。対象を中国とする論考とはいっても、日本人の著者が日本を意識してテーマを選んで書いていますし、外国人が書いた論考もそれが日本人の編集者に選択されて日本の総合雑誌に掲載されたと言う点で同じような意味を持つでしょう。そして、それら記事の筆者たち・編集者たちの意識の通奏低音となっていたのは「 新生中国という存在に仮託された、日本人の強烈なまでの自国・自国民の独立への希求である。裏返していえば、占領状態から非対称的な同盟状態へと移行したアメリカに対して、その庇護からの独り立ちを欲求する日本人の脱占領地化願望である」と著者は感じたそうで、これは本当にその通りだと感じました。
上記のように多くの時間と手間をかけた研究であることはよく理解できたし、また学ぶ点は少なくないのですが、私をびっくりさせてくれるような指摘・結論は本書の中にはなく、このテーマとしては読んでいて順当な議論の展開だとしか感じませんでした。でも、これは必ずしも批判しているわけではありません。昭和戦前期までを対象とした書物だと自分とは縁の薄い世界だということでもっと驚きやすかろうと思のですが、本書は私が生まれる前から子供の頃という、自分の知っていることから想像できる範囲内を対象としているので、そんな印象を持っただけかとも思います。
本書の最後の方には150ページ以上にわたって、本書の対象となった中国をテーマとした記事の筆者15人に対するインタビューが載せられています。本書の中で筆者がどんな時期にどんな記事を書いていたかが分かりますが、その背景についてプライベートなことまで交えて語ってくれています。例えば、本多勝一があの「中国の旅」を書くための中国での取材をどんな風に実現したのかなど。著者には悪いのですが、おまけにあたるこれらのインタビューがいちばん面白かった。
また、中嶋峰雄へのインタビューのあとがきで、朝日ジャーナル終刊時に発行された「朝日ジャーナルの時代」というダイジェストの中に、中国論は中嶋の書いたもの一本だけだったということが触れられています。本書の対象となる記事が最も多く載せられていた雑誌である世界についても、1995年に発行された「『世界』主要論文選」をみてみると、中国を主なテーマとした記事は五四運動にからめて中国の学生運動を書いた竹内好の一本だけ掲載されていませんでした。新中国礼賛や文革万歳を唱えるような記事は、今では抹消してしまいたいと思う論者が多いからなのかも知れませんが。
こんな風に存在を忘れられそうな戦後の中国論ですが、忘れ去っていいわけがなく、その後の時代や現代につながる問題が多々あります。例えば、賠償の放棄。日華平和条約の戦争賠償の放棄も日中国交正常化時の日中共同声明での賠償放棄も、当時の日本政府は成果として考えていたでしょう。でも、それで良かったのか、賠償を済ませておくべきだったのでは。などなど、戦後の中国を再認識させてくれる点でも本書は価値ある一冊だと思います。

2010年9月23日木曜日

ZumoDriveが今日は不調?

MacとPCを持っています。PCはほとんどゲームにしかつかわないのですが、時々MacとPCでファイルのやりとりをしたくなることがあります。そんな時にはZumoDriveをつかっています。ZumoDriveはネット上に自分専用のストレージを無料で一つ持てて、そこにファイルをアップします。アップしたファイルはすぐにそれ以外の機器から見ることができ、Mac、PC、iPhoneの間で簡単にファイルをやりとりできます。とっても便利。
で、このZumoDriveでのファイルのやりとりがなぜか今日はうまくできません。Mac→PCもPC→Macもダメ。昨日までは問題なかったし、なぜこうなっているのか不明。これは我が家だけの障害なのでしょうか?



追記、9月24日午後には元に戻っていました。

2010年9月16日木曜日

日本軍の捕虜政策


内海愛子著 青木書店
2005年4月発行 本体6800円
日清戦争から第二次世界大戦での捕虜の取り扱い、そして敗戦後の戦犯裁判や、捕虜・抑留経験者からの賠償請求まで、日本の捕虜政策の通史を描いた本です。タイトルが「日本軍の捕虜政策」で「日本の捕虜政策」ではないのはなぜなんでしょう、不思議。
日清戦争での清国人捕虜の数があまり多くなかったこと、旅順での虐殺。日露戦争では捕虜の処遇に戦費の3%超が費やされたこと、またこの経費が戦後ロシアに請求されたこと。一般的に捕虜の処遇の費用はその母国に請求されるようになっていたこと。日独戦での捕虜の収容所は、捕虜は儲かる・経済効果を見込んで各地が誘致合戦をしたこと。戊辰戦争で捕虜になった会津藩士の子が徳島収容所の所長だったためか処遇が良かったが、真崎甚三郎が所長だった久留米の収容所はは待遇が悪かったこと。捕虜処遇の経費をドイツに踏み倒されたこと。
日本は1929年のジュネーブ条約に署名したが批准しなかったこと。お互いが宣戦布告をしなかった支那事変では、中国兵は国際法でいう捕虜としては取り扱われ、捕虜として保護されなかったこと。宣戦布告後の中国人捕虜は労工訓練所を通って労務者とされ日本での強制労働へ送られたこと。
連合軍からのジュネーブ条約遵守の要求に、日本は準用すると答えたが、実際には捕虜の権利を尊重しなかったこと。日本陸軍は、軍令下の捕虜と軍政下の捕虜と分けて扱っていたこと。白人捕虜とアジア人捕虜が分けて扱われたこと。その他、アメリカ・イギリス・オランダ・オーストラリア人捕虜の捕虜収容所でのエピソード、などなど、興味深いエピソードがたくさん紹介されていました。読んでいて勉強になる点は多かったし、面白く読めた本です。
ただし、気になる点は誤りが多いこと。メモ取りながら読んだわけではないので、おぼえているモノから例を挙げると

  1. 313ページ 「ゴールデン・ハル」 コーデル・ハルのことですよね。
  2. 425ページ 「鉄道第五連隊(鉄五、三個連隊のみ)」 カッコ内の三個連隊のみってどういうつもりで書いたんでしょう。連隊は大隊からなるから、三個大隊からなっていたと書きたかった??
  3. 487ページ 「イギリス人捕虜が家族に宛てた便り」というキャプションをつけてハガキの裏表が図示されています。読むと、家族から捕虜へ出したハガキとしか思えません。
  4. 605ページ4行目 「認められたことを由としながらも」 このままだと意味が通らない。「良しとしながらも」の誤植?
ほかにもいくつも目につきましたが、私が気付かない誤りもあるだろうと思います。日本国内ではきっと著者の立場に反対の人が少なくないはずで、議論の多いテーマだけにこう誤りが多いと、それを根拠に内容の信憑性に疑いをなげかけられかねないと感じました。

2010年9月11日土曜日

中世の女の一生 新装版



保立道久著 洋泉社
2010年8月発行 本体2500円
貴族など上流の女性の成人を意味する儀式、裳着。庶民の女性の場合には裳ではなく、大人になると褶(しびら)という布を腰の後ろ側に巻いたのだそうです。前掛けを後ろ前にしてお尻にかかるような感じ。こう言われてもどんなものかぱっとイメージがつかめなかったのですが、絵巻などから採られた絵が多数添えられていて、一目瞭然。
貴族女性の部屋の隅の床に開けられたトイレ用の穴の話から、貴族の行列の中には貴人のつかう携帯用の便器を持った人が一緒に歩いていたことが絵で示されていたりもします。こんな感じで、絵画資料、ものがたり、日記文学などをもとに、女性の生活の実相、細々したことを教えてくれる本です。解説図の役割をする絵が適切におさめられていて、とても分かりやすく面白く読めました。保立さんの著書は、他にも物語の中世、黄金国家、平安王朝と読みましたが、どれも読みやすいし、興味をひくものばかりです。みんなおすすめ。


褶(しびら)をつけた女性の例が10枚以上載せられていますが、ぼろを着ているという感じの人はいないですね。また、これらの絵の女性の褶または衣服には模様が付いている人が半分以上。どんな色のどんな色素で模様を付けたんでしょうか。
七歳以前に死んだ子供は葬式・仏事などせずに、袋に入れて山野に捨てたことが史料からひかれています。先日、永原慶二さんの苧麻・絹・木綿の社会史を読んだせいもあるのですが、麻製の袋に入れて捨てたんでしょうか。布でできた袋って作るのにかなりの労力を要しそう。ある程度、裕福な人たちだけの慣行だったんでしょうか。また、金目の物欲しさに捨てられた袋から死んだ子供を取り出して捨てて布袋だけ奪う人はいなかったのかなとか。

などなど、面白い本なのでそこから妄想が尽きません。

2010年9月7日火曜日

戦国軍事史への挑戦



鈴木眞哉著 洋泉社歴史新書005
2010年6月発行 本体860円
疑問だらけの戦国合戦像というサブタイトルが付いていて、長篠の合戦で織田軍は三段打ちなんてしていないとか、織田氏が進んだ軍隊を持っていたとは言えないとか、これまで通説として語られてきた合戦像が間違っているとする本です。これまでこの著者の本は読んだことがありませんでしたが、著者の主張は「挑戦」という感じではなく、私には抵抗なく受けとめることができ、面白く読めました。
例えば、合戦の死者の死因を著者は調べていて、弓、礫、そして鉄砲伝来後は鉄砲といった飛び道具による死者が多いことを明らかにし、日本人は飛び道具主体の遠戦を好んだと書いています。礫については、印地打ちなどという習俗も思い起こされて興味深い。また、日本人が遠戦を好んだというのも、決戦状況でなければ自軍の構成員をなるべく死なせたくないでしょうから、遠戦で優劣が判明すれば、劣勢と判断した方は近接戦に移行することを避けて、そうなるのでしょう。などなど、著者の主張は無理ない感じ。
ただ、感心する点ばかりだったかというと、そうとも言えないかな。通説・俗説にのっかって、それらを元に一般向けの著作を著す専門家に対する批判が本書には非常に目立ちます。それほど批判するなら、それらに代わる著者独自の見解が随所に示されているかというと必ずしもそうではなく、何が正しいのかまだ分かっていないということを示すだけに終わっていることの方が多い。「疑問だらけの戦国合戦像」という著者の認識は正しいと読んでいて感じましたが、ではなぜ疑問だらけなのかというと、史料の不足が最大の原因でしょう。教科書や通俗読み物の需要が常にあり、書いて欲しいと依頼されること・書きたいことのすべてに基礎となる明解な史料を必ず自分で見出さなければならない訳ではないでしょうから(専門誌への投稿でpeer reviewされるもの、専門書なら話は別)、通説・俗説とされる考え方に沿った記述が含まれることも許されると私は思います。それらの書き手を非難してばかりというのは下品な感じです。

2010年9月4日土曜日

生物多様性<喪失>の真実



ジョン・H・ヴァンダーミーア/イヴェット・ペルフェクト著
みすず書房 2010年4月発行 本体2800円
熱帯雨林の減少は今でも続いている。保護策を積極的にとる模範的な国と見なされ、エコツーリズムの目的地にもなっているコスタリカにおいても、やはり熱帯雨林が減少し続けていること。また、ところどころに島状に残された熱帯雨林をフェンスとガードマンに守られた保護林として残すだけでは、生物多様性が失われることの歯止めにはなり得ないことが本書では記されています。
熱帯雨林の破壊の原因として、樹木の伐採、焼き畑、人口増加(ほんとは作られた社会的移動が主因)と小農による農地化、プランテーション化などが目につきますが、これらを個々に押しとどめようとしても、それは無理。タイトルにある「真実」は、熱帯雨林の破壊を来す政治経済的なシステムが現に存在しているのでそのシステム自体の変革を求めないと根本的な解決にはつながらないということです。そういった著者たちの主張を至極当然なものだと私も感じました。著者たちの主張に抵抗がないのは、著者たちの発想がシステム論・従属論を元にしたもので、私も基本的にはそれが好きだからだと思いますが。
政治経済的なシステムが生物多様性喪失の真実だとすると、熱帯雨林の問題の改善のためには、先進工業国(中核)に住む人たちの理解とシステム改変への積極的な参加が不可欠です。本書の冒頭で触れられていますが、朝食のシリアルにスライスしたバナナを添えて食べる行為は、熱帯雨林をスライスして食べているようなもの、それは確かです。でも、先進工業国に住む人、たとえば自分や自分の周囲の人たちをみまわして、バナナのスライス=熱帯雨林の破壊を自覚して行動できる人っているのかどうか。この点に関しては悲観的になってしまいます。政治経済的なシステムによる変化、例えば熱帯雨林の破壊のように目に見えないところで起きている変化が、自分たちにとって不利益になるのだいうことを知らせて、よくよくわかってもらわないとダメでしょうね。
もちろん、本書には熱帯雨林の性格、熱帯の土壌での農業の問題点、著者たちのフィールドであるコスタリカ・ニカラグアの様子が記され、特にサンディニスタ政権に対する評価は興味深く読めました。また、保護林を島状に設定するだけではなく、より広い面積を占めるその周囲の農地・プランテーションで行われる農業を、化学薬品に依存した近代的農業ではなく、生物多様性を保ちやすい伝統的な農法で行うようにするという当面実行しやすい対策が提言されていました。