大野晋・丸谷才一著 中公文庫
(上) 1994年8月発行 本体838円
(下) 1994年9月発行 本体933円
この光る源氏の物語という本は、もともと中央公論に掲載された対談がまとめられ、1994年に文庫化されたものだそうです。私が今回購入した2冊は2008年に再版されたものでした。源氏物語千年紀と印刷された帯がつけられていましたから、それにちなんで再版したんですね。でも、そういう催しがあったこと自体、私は知りませんでした。源氏物語と言えば、高校時代の古文の教科書に、若紫の巻からとった幼い紫の上の姿が載せられていたのをおぼえています。でもそれ以来、源氏物語は苦手です。なぜって、とにかく文章が難解ですから。一般に、鎌倉時代以降の文章に比較して、平安時代に書かれた作品は読んでいて理解しにくく感じるのですが、源氏物語は群を抜いて難解なのです。
難解で敬遠気味だった源氏物語に関する本書をなぜ手に取る気になったのか。ここ数ヶ月、源氏物語に関する項目、青表紙本系や河内本系など数々の写本、注釈書や研究などなどについて、たくさんWikipediaに書き込んでくれている方がいます。どれもかなりの分量だし、読んでいて面白いし、書き込んでくださっている方にはとても感謝。そして、その書き込まれた記事からあらためて源氏物語に対する興味をもちました。
そしてそういう興味にひかれて何か読もうとした時に本書はとても魅力的に思えたのです。丸谷さんは、後鳥羽院がとても鋭い本でした。また、大野さんの方はタミール語に関する御説はおいとくとして、岩波古語辞典(1974年)の助動詞に関する解説や、係り結びの研究(1993年)、そして新書でしか読んでいませんが日本語の活用形の発展に関する説など、どれを読んでも勉強になるものばかりです。それに加えて、大野さんの著書では1996年に岩波の同時代ライブラリーの古典を読むというシリーズで出版された「源氏物語」を読んだことがあります(今は同時代ライブラリーはなくなって岩波現代文庫になっている模様)。
大野さんはその中で、藤裏葉までの33帖を最初に書かれたa系と後から挿入されたb系(玉鬘系)、そして若菜から幻までのc系、匂宮から夢浮橋のd系に分類することを提唱していました。a系b系の区別が昔は知られていたのに、江戸時代の国学者たちの読みによって忘れられ、昭和になって武田宗俊さんという方が再発見して源氏物語の成り立ちとも絡めて論じたのだそうです。大野さんはこれに加えて紫式部日記から著者である紫式部の人生に起こった事件によって著者自身が苦悩・成長・変化していったことと、a系b系以後のc系d系の物語の語られ様の違いとを関連づけて論じている、とても説得的な本でした。本書はその大野説を持論とする大野さんと批評家・小説家の丸谷さんの対談ですから面白くないわけがありません。
例えば、桐壺と箒木のあいだに「かかやく日の宮」という一帖があって、失われたのではないかという説について。「かかやく日の宮」は書かれたけれども失われたとすると、史料から平安時代にすでに失われていたことが分かるので、執筆後かなり早い時期に失われたことになります。失われた事情がうまく説明されないと、「かかやく日の宮」の存在を信じることはできません。本書のお二人は「かかやく日の宮」があったとする説のようです。光源氏と藤壺の密通について「帝の妃を犯すにはどうすればいいかという完全犯罪ですよ(笑)。一流の探偵小説作家になれるような人です」と評して、物忌みの日は人目に付きにくいという事情を利用して二人が関係したと推理しています。物忌みは固く守るべきタブーですから、それを利用した密通というのはあるまじきこと。そのあるまじきことを記した「かかやく日の宮」はごく初期の読者によって、本書では藤原道長が想定されていますが彼によって破棄されたとしているのです。これだと、かかやく日の宮」が平安時代の読者たちにとっても失われた巻であったことがよく説明されていて、とても説得的に感じました。ただ、物忌みを犯すタブーを書くことが禁じられるべきことだったのに、帝の妃を犯すこと自体は物語として書くことができたというのは、不思議な気もしますが。
題があるけれども本文のない雲隠は、紫式部自身の趣向だろうと評されています。また、それに続く匂宮、紅梅、竹河の3帖については、筆の運び、筋が不安定、無くても読めることなどから、紫式部の書いたものではないと本書では評価しています。逆に言うと、その他の帖は巧拙、単語の使用法、文の長短などいろいろあっても、基本的には紫式部が書いたものだろうというのがお二人の意見でした。
ただ、a系b系c系d系には明らかに違いが感じ取れるそうです。紫式部という著者自身が書き進めるうちに上手になっていったのはもちろんでしょう。しかし「なぜ、c系列以後がこんなにも景色が悪いか、a系列とc系列の世界が質的になんでこんなに違うのか。単にこれは光源氏がだんだんと没落して死んでいく経過をかくのだから、とか、紫式部が上手になったからというだけでは説明ができない。」「c系列の物語で扱われている主題は全部三角関係です。男と女とがやむにやまれない三角関係へ追い込まれていって、それまでは存在していた大事な愛がそれぞれみんな壊れてしまうという点で話題は共通している」という事情があります。大野さんはこれを「道長の息子・頼通の結婚問題で、紫式部は道長との間がまずくなり、突き放されたという事件に出会った」からだろうと推理しています。仕えている彰子の父であり、愛人として遇してくれる人であり、パトロンでもあり、紫式部にとって重要人物だった道長に女としては捨てられてしまったことが、c系以降の物語に大きく影響したのだろうというわけです。これが定説になっているかどうかは不明ですが、素人目にはとても説得的な説ですね。
などなど、面白く刺激的な論点がたくさんつまっているし、物語の解釈の仕方にも斬新な視点が少なからずあって、とても面白く読める本でした。おすすめです。
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