高島俊男著 ちくま文庫
2001年12月発行 本体800円
水滸伝は、徽宗の時代の宋を背景とした豪傑・好漢たちの物語です。もともとは宋江三十六人と呼ばれる盗賊たちをテーマとしたお話しでしたが、南宋・元・明の時代に大衆芸能の場で語り継がれるうちに、もとのお話しとは無縁のエピソードも付け加わってふくらんでゆき、明代の嘉靖期ごろになって本として出版されました。こんな経緯から、近代小説とは違って水滸伝の作者を特定することはできません。著者は本書の中で、まず主要な登場人物とその人物にまつわるエピソードを紹介しています。なじみのある有名なエピソードもありますが、単に筋を紹介するだけではなく、それらのエピソードを材料に水滸伝の成立過程の一端を明きらかにしてくれています。
さらに水滸伝の成立を研究するためには、オリジナルのテキストを決定することが必要になります。水滸伝の版本には、百回本、田虎・王慶に関するエピソードも加わった百二十回本、百二十回本から宋朝への帰順以降を除き豪傑・好漢たちの物語に的を絞った七十回本、挿絵とより簡潔な文で表現した文簡本などがあります。清代以降の中国では主に七十回本が享受され、その他のバージョンの版本は見あたらなくなっていました。しかし、日本には百回本、百二十回本がそれ以前に輸入され、江戸時代の日本では主に百二十回本が読まれていました。日本にあった材料をもとに、百回本→百二十回本→七十回本と変化したことを指摘したのは日本の研究者だったのだそうです。
中華民国期には日本の本をもとに百二十回本系統の本も中国で出版されるようになりました。しかし、伝統からか中華人民共和国期になっても、中国で親しまれている水滸伝は七十回本によるものなのだそうです。中華人民共和国期になっての大きな変化は水滸伝に対する公的な評価で、元盗賊でもある水滸伝の主人公たちを人民起義のさきがけとして肯定的に評価して出版されるようになりました。しかし中国で一般的な七十回本は、梁山泊に集合した豪傑たちは強盗として否定すべき存在で、全員が死刑になってしまうという夢で終わっています。文革の頃、農民起義の英雄たちが死刑になるような表現で終わる水滸伝を毛沢東は批判します。その後は、投降主義を学ぶ反面教師だとうたって水滸伝を出版せざるを得ない時期がありました。謳い文句は何にせよ、出版はできたのですから、やはり中国は上に政策あれば下に対策ありの世界ですね。水滸伝は最初に出版された後にも変化を続けた歴史があり、新中国になってのこれらの変化もその一環とする見方もあるそうです。しかし著者は
さまざまな水滸伝が生成流動したのは、明の中期から末にかけて、すなわち十六世紀半ばから十七世紀前半にかけてであって、以後三百年、水滸伝の動きはとまっている。だからこそそれは、古典文学作品なのである。水滸伝はたくさんあり、また動いてきたものであるから『定本』ができるのはこれからである、というのは、三百年の静止を無視するものであり、論理の飛躍があるようにわたしには思える
と書いていて、私もその意見に賛成です。ただし、新中国になってからの変化は、中華人民共和国の性格を考える上での格好な史料とはなるでしょうね。
中国では失われてしまったが日本でみつかり、中国に里帰りしたという書籍の話は他でも目にしたことがあります。水滸伝の百回本や百二十回本は、その後中国でもみつかったそうなので逸書とまではいえませんが、その仲間には入るでしょう。こういうエピソードを読むと、日本では古い書物が大事にされると考えてしまいがちです。でも、水滸伝のような通俗読み物の場合には、七十回本のような新しいバージョンが人気を博して古いものが廃れたというだけのことで、日本に残っていたのも、単に舶来崇拝で保存されていた結果というような気もします。
中国では失われてしまったが日本でみつかり、中国に里帰りしたという書籍の話は他でも目にしたことがあります。水滸伝の百回本や百二十回本は、その後中国でもみつかったそうなので逸書とまではいえませんが、その仲間には入るでしょう。こういうエピソードを読むと、日本では古い書物が大事にされると考えてしまいがちです。でも、水滸伝のような通俗読み物の場合には、七十回本のような新しいバージョンが人気を博して古いものが廃れたというだけのことで、日本に残っていたのも、単に舶来崇拝で保存されていた結果というような気もします。
水滸伝の内容自体は読んでみてのお楽しみなのだと思いますが、本書に言及されていたエピソードで気になったのはヒトの肉を食べること。水滸伝には、旅人を殺害して人肉饅頭にする人肉茶店や、仇を食べてしまうというようなエピソードもでてきます。著者は
いったい水滸伝は、今でこそ古典ということになっているが、もとをただせば寄席の語りものであり、大衆小説であり、つまりごく低俗なものであるから、鬼面人をおどろかすというか、悪趣味というか、ことさら刺激のつよい話柄をもちだして聴衆なり読者なりを気味わるがらせようといったところがある。人が人を食うということは、いくら昔の中国でも、きわめて異常なことであり、気味のわるいことであったにちがいないので、講釈師や小説家は、必要もないのにわざとそんな話をもちだすのである。つまりは小説の中のオハナシというわけだと述べていますが、この見解は少し疑問。こんな風に人肉食が扱われている日本の古典通俗読み物ってほとんどないと思うのですが、どうでしょう 。羅生門だって蛇の肉だし、私にはカチカチ山ぐらいしか想い浮かびません。本書にも触れられていますが、桑原隲蔵さんが中国の人肉食について書いています。「支那人の食人肉風習」と「支那人間に於ける食人肉の風習」の2編は青空文庫にもあり、私もiPhoneのbREADERで読みました。それによると、人肉食は古くから清代までの正史にも取り上げられていて、中国の人にとっては決して珍しい風習ではなかったようです。日本人の人肉食への感じ方とはきっと違うから、水滸伝の中でも当たり前のように扱われていたのだろうと感じます。
本書の文庫版あとがきには
この『水滸伝の世界』を書いたころわたしは毎日を研究室ですごしていて、日本の本を読むことはほとんどなかった。だから日本の事情についてはしごくうとかった。学校をやめてから、日本では、水滸伝と三国演義(日本ではこれを「三国志」と称している)とを同等にあつかっていることを知って、たいへんおどろいた。 文学作品として見れば、水滸伝と三国演義とでは、その価値に天地の懸隔がある。中国では、そして日本でも中国研究者にとっては、それは自明である。自明だから、それをとりたてて言う者もいない。 なぜ日本ではその、月とスッポンほどのちがいがわからないのか。考えてみれば当然であった。日本人はいずれをも翻訳で読んでいるからである。
と書かれています。水滸伝は中国白話文の最高峰で、三国演義は『後漢書』『三国志』を抜き書きしてつないだだけなのだと。へー、そうなのか。私もふつうの日本人なので、月とスッポンの違いを知りませんでした。このあとがきが本書でいちばん勉強になった部分でした。
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