2012年12月16日日曜日

国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩はどこから来たのか?


大西修也著
静山社文庫
2011年5月5日 第1刷発行

静山社って聞き覚えのない名前ですが、ハリーポッターの出版社なんですね。タイトルに国宝第一号なんてわざわざつけられると下品な印象しか受けませんが、内容はとてもしっかりしていました。仏像の形態の意味、様式の変遷などから、日本にある仏像のルーツを中国の南北朝や朝鮮半島の三国にたどれることが述べられています。日本で生まれ育った人が拝するに価する威厳ある正しい様式の仏像をつくるには、そのお手本となるものが必要でしょう。例えば、法隆寺金堂の釈迦三尊像は止利仏師のチームがつくったものですが、その止利仏師も渡来人の孫で日本で生まれ育った人ですから、外国にある仏像を直接自分の眼で見たことはなかったはずです。 もしかすると設計図にあたる絵図面も中国・朝鮮から渡来していて、それを参考にしたこともあったのかもしれませんが、それよりも渡来した小さな仏像をお手本に大きな仏像をつくる方がずっと容易だし自然です。古代の日本でつくられた有名な大きな仏像と面影や様式の似た仏像が外国や日本の他の地で見つかるのはそういった関係なのかなと理解しました。広隆寺の弥勒菩薩だけでなく、善光寺如来、法隆寺の釈迦三尊、東大寺の大仏様などなどについても触れられ、関連するエピソードも豊富なので面白く読めました。

ただし、親切とはいえない論の進め方も見受けられます。たとえば、冒頭では「いつ日本に仏教が伝えられたのか」として、仏教の公伝について538年説と552年説があることを紹介します。当然、著者がどちらの説を正しいと考えるのかを次に論じるものと期待しますが、そうは続きません。日本書紀に552年説が採られたことがその後に与えた影響として、200年後に東大寺大仏の開眼会、500年後に平等院が建立されたことが述べらているのです。肩すかしを食らった感じ。また、その200年後、500年後であることが当時の人に本当に意識されていたのかどうか文献的根拠が挙げられるのかと思うとそうではなく、そのまま他の話題に転じてしまいます。そして、大仏開眼会が200年後を意識していたという説を唱える人のいることが紹介されるのはようやく179ページも後のことで、しかもその根拠についてはやはり一切言及がありません。これには不満。

また第10章は、熊本県の「鞠智城址出土の百済仏」持物が蓋付きの円筒形の容器でめずらしいこと、仏舎利を入れた容器は宝珠と同じ意味をもつこと、わが国の宝珠捧持菩薩を代表する作品は法隆寺東院夢殿の救世観音像と話をふり、救世観音のルーツや他の法隆寺の仏像について話が展開します。しかし読者としては話が展開する前に、話の枕として出された鞠智城址出土の仏像がなぜ百済仏と同定できるのか、なぜめずらしい様式の仏像が熊本県から出土したのかについて疑問なまま読むことになってしまいます。ようやくその答えが示されるのは25ページも飛んだ第10章末で、しかもそこでも、冒頭でとりあげられた仏像についての疑問に対する答えという書き方にはなっていません。思わせぶりに興味をひいておいて素知らぬ顔をする、こういうあたりはとても下手くそ。素人向けの本を書いた経験が少ないんだろうなと感じました。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

年代測定に関してかなり問題があることが指摘されています。生データが公表されていないとか、年代の同定が恣意的であるとかということです。読者が感じられた疑問こそが、問題の本質をついていると思います。
専門家集団が情報を抱え込んで外に出さず、問題を解決できないでいる姿は日本の各分野に見られる普遍的なことのように感じています。