2012年12月31日月曜日

近世米市場の形成と展開




高槻泰郎著
名古屋大学出版会
2012年2月10日 初版第1刷発行




米切手とは何なのか、大阪の米市場での取引の仕組み、米切手を利用した金融活動、幕府の米価政策・米市場に対する統制策の変遷などが分かりやすく解説されていました。米切手の取引の仕組みについては、本書にも引用されている、宮本又郎さんの書いた「近世日本の市場経済――大阪米市場分析」や石井寛治さんの「経済発展と両替商金融」などを読んだことがあります。でも正直なところ、すっきり理解できたとは言いにくい状態でした。その点、本書の説明は素人にも理解できるよう丁寧にかみ砕いて書かれていて、私でも大丈夫。
  • 米切手には蔵の中の特定の米とのつながりはなく、そのおかげで先物取引に利用されたり、また米の保有量以上の切手を発行することで大名家の資金調達手段としても利用されるようになっていた
  • 幕府は空米切手の発行を抑制する政策を掲げていたが、田沼政権期には米切手所持人の蔵米請求権を保証して米切手が円滑に流通することを実質的な政策目標としていった
  • 幕府は大名側からの「御国持方御領分御自由」という主張を崩せず、各大名の蔵屋敷の中に現物の米がどれくらい貯蔵されているのかを明らかにすることができなかった
  • 米飛脚や大阪の市況に関する相場状を状屋と呼ばれる業者が地方の商人に向けて頻繁に発送していた。のちには旗振り通信が出現し、大阪と大津の米相場をその日のうちに連動させるようになった
などなど、非常に興味深く感じ、学べました。ところで本書を読みながら疑問を感じた点もいくつかありますまず、 米切手が米と引き替えられずに市中に滞留していたのはなぜなんでしょう。広島・筑前・肥後・加賀といった大手の蔵屋敷が米の入札を行う時期は限定されているのに対し、米の実需は年間を通して存在している。実需者の買いに米の卸売業者が対応するためには、米を在庫しておかなければならないが、米切手という形態で在庫しておけば、蔵屋敷が保管してくれるので、米実物を自分の倉庫に保管するより安く上がるという理由だけなんでしょうか。というのも、本書で引用されている史料のなかに「切手之儀は盗難之愁無之候ニ付、金銀よりも切手ニ換、所持致候」と書かれているものがありました。こういった理由で米切手を所有していた人も本当にいたんでしょうか?

米切手は蔵屋敷の中の特定の米との縁がないということは、米切手を持参して払い出しを受けるまでどんな米が渡されるのかわからないということだろうと思います。もちろん、虫食いや水濡れなど傷んだ米は別扱いだったかもしれませんが。卸売業者から米切手を買う実需者・小売業者はこれで困らなかったんでしょうか。それともこの当時、米の品質というのはあまり重視されていなかったんでしょうか。

この大阪の米市場での取引手数料や両替手数料などの収入で米仲買、両替商など多数の人が生活していて、かなり大きな商人もいたようです。それら商人の収入などは米の取引高のどれくらいにあたったんでしょうか?また、本書の最後の方では、大阪米市場の効率性が検証されていて、幕末に近づく頃以外は、おおむね効率的な市場だったことが述べられています。 米市場の効率性を確保するためのコストはどのくらいかかったんでしょうか。米会所の存在、奉行所による司法の提供、情報提供業者などなど。

米切手には引換の期限がありました。期限が来れば無効になるので、それまでにはすべて米と引き替える請求がなされること必至です。それなのに、地元からの登米以上の米切手を発行してしまうのがなんとも理解しにくいところです。兌換紙幣やその類似物(例えば銭荘の発行した銭票)なら支払い準備以上に発行されることがあるのは当然ですが、米と引き替えることが運命づけられているはずの米切手でそれって変ですよね。米との引換ができない騒動に及んだ事件が本書にもいくつか紹介されています。資金調達の目的で発行された空米切手が騒動を引き起こしたんだと思いますが、そういった有り米量より多くの米切手を発行した蔵屋敷の関係者・蔵役人は騒動の後で、藩の名誉を傷つけたとして藩によって処罰されたんでしょうか?それとも藩命で米切手を発行して資金を調達し、しかも約束通りには返済せず、示談でかなり長期の債務にすることができたということで褒美を受けたんでしょうか?その辺も気になりました。

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