2009年8月22日土曜日

旧外交の形成


千葉功著 勁草書房
2008年4月発行 本体5700円

ロシア革命後に無賠償・無併合を訴えたレーニンと、第一次大戦講和にあたって平和のための十四ヵ条を提案したウィルソンに端を発する「新外交」に対比される概念が「旧外交」です。旧外交の特徴として、君主による外交の独占、秘密外交、二国間同盟・協商の積み重ねによる安全保障、パワーポリティクス外交があげられます。旧外交とは言っても、第一次大戦前の日本にとって、この旧外交は決して旧なものではありませんでした。ウイーン体制後に成熟を迎えるヨーロッパの旧外交(古典外交)とは異なり、19世紀半ばに西欧主体の国際社会に編入された日本は、全く無の状態から旧外交を学び習熟する、つまり旧外交を形成していかなければなりませんでした。具体的には、 同盟・協商関係を全く持たなかった状態から、日英同盟、日露戦争後の日露協商、日仏協商と積み重ねていき、ようやく第一次大戦末期にいたって日本は旧外交に習熟することができたわけです。本書はその過程を描いてます。ただ、その第一次大戦と国際連盟の発足によって、結局これらの同盟・協商は意味を持たないものとなってしまいました。

また、著者は「旧外交の形成」の過程で外務省の一体化と外交の一元化が実現したと評価しています、
「大戦末期から大戦後にかけて、外務省は枢密院を除く他機関(帝国議会・元老・陸軍)からの外交政策への介入を一応排除することに成功した。また、外務省の内部では大戦末期には外交官試験制度が外務省の頂点まで行き渡ったこともあって、外務省高等官ー外交官ー領事官の一体感が醸成されていた。この二つの事態が重層的かつ密接不可分に進展した結果、外交は外務省が処理するという政策決定の型が、第一次大戦末期に完成した。」


本書については学ぶ点ばかりで、内容を評する能力はありませんが、感じたことをいくつか。たった8年しか続かなかった憲政の常道を政党内閣制の確立と呼んだりしますから、昭和に入っての陸軍の外交への介入は別として、第一次大戦末期には外交は外務省が処理するという政策決定の型ができたと評価することもいちおう可能なのでしょうね。

日露戦争前には清国の領土保全と満州からの撤兵をロシアに要求し日英同盟を結んだのに、日露戦争後には南満でロシアに替わる地位を占めてしまったことが、その後の日本の悲劇につながったと思います。歴史にたら・ればはないのですが、日露戦後に韓国の確保だけで満足し、南満は鉄道の経営だけにとどめるという選択がなぜできなかったのか。某仮想戦記小説ではありませんが、いっそ満州での陸戦ではロシアに大敗した方が良かったのではとも感じてしまいます。陸軍が外交に容喙できる理由は、やはり多数の犠牲を払って満州での戦闘に勝ったことなのですよね。

第二次大戦後の介入的ではあるが市場を開放してくれたアメリカとは違って、新外交を提唱してはいても第一次大戦後のアメリカは、本書で取りあげられている移民問題や、国際連盟に加入しなかったことなどなど、自己中心的な印象です。日本が相当行儀良くしても、第一次大戦後の外交は難しかったはずだし、日本国内の不満がその後の陸軍の外交への介入につながるのも、ある点ではやむを得なかったのかもと感じます。

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