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2010年11月23日火曜日

中立国スイスとナチズム


黒沢隆文編訳 京都大学学術出版会
2010年10月発行 本体9000円
1990年代半ば、第二次大戦中にナチスの略奪金塊をスイスが購入した件や、ホロコースト犠牲者の休眠口座の問題などで、アメリカ発の国際的なスイス批判が拡がり、スイスは外交的な圧力を受けることになりました。対策として、スイス政府はこれらに関する歴史研究のために、資料閲覧のための特別な権限を与えられた独立委員会を設置しました。5年間の調査・研究の成果としてまとめられた報告書の翻訳が本書の第一部で、また報告書を日本人がより良く理解するために歴史背景などを説明した5本の論考が本書の第二部になっています。一般的なハードカバーの本に比較して紙面の天地左右の余白が少ないレイアウトが720ページも続く大冊であり、特に第一部は公的な委員会の報告書ということで無味乾燥なものを予想してしまうかも知れませんが、そんなことはありませんでした。
第二次大戦期のヨーロッパに関しては、戦争それ自体の方に関心が向き、中立国スイスの事情についてはほとんど何も知りませんでした。それだけに、この研究の発端となった難民の受け入れ拒否やホロコースト被害者の休眠口座の問題などに関することよりも、それ以外の話題に新たな発見がたくさんあり面白く読めました。勉強になった点を少しだけ紹介すると、
  • 28ページ:「スイスの大手武器輸出企業、エーリコン・ビューレ株式会社の場合には、よりにもよって1939年から1945年の年次報告書が今日失われているが、これが偶然であるとはほとんど考えられない」日本の文献ではエリコン社と書かれていることが多いと思います。本書を読むと、エリコン社以外に武器自体の輸出を行っていた会社はごく少数しかなかったとのことです。
  • 181ページ:「表1 武器・弾薬・信管の輸出」に対日輸出額が1943年まで記されている。上記のエリコン社から導入した20mm機銃が、ノックダウン生産その後ライセンス生産されてゼロ戦など海軍機に装備されていました。でも1943年になっても対日輸出ができていたのでしょうか。もしそれが可能だったのなら、どうやって輸送したのか興味あるところ。
  • 48ページ:世界恐慌による金融危機→「国による再建支援に対する直接・間接の対価として、銀行界は、初の連邦銀行法の制定に同意せざるを得なかった」→「同法には銀行守秘義務条項が盛り込まれ、秘密保持を旨とする業務慣行が刑法上の罰則を伴う保護を獲得して大幅に強化され、外国政府による当該国市民の資産状況調査に対して防衛戦が引かれたのである。これによりスイスの金融センターが国際的な資産管理拠点としての地位を高めたことは、長期的にみて両大戦間期の最も重要な変化であった。」エンターテインメント作品などでもスイスの銀行の秘密保持は有名です。19世紀からの伝統もあったのでしょうが、刑法を含めた秘密保持の仕組みができあがった時期が戦間期だったとは。
  • 86ページ:「我々の敵がスイスを金融取引の拠点に選んだのは、単にその地理的な位置によるのではなく、スイスの銀行法や業務慣行が、身元を隠したり、取引を秘密にしたりしたがる者にそれを許すようにできているからでもある。」そして、その秘密保持の制度が大戦中にはドイツとの取引を許し、そして戦後には連合軍の追及や、休眠口座所有者の遺族の調査請求を拒む理由となてしまった。
  • 75ページ:「スイスの非常に多くの住民が、衣類や住居の確保の心配と言った、より実態にみあった問題よりも、難民の受け入れによって食糧確保が難しくなることを危惧していたとしても、なんら驚くべきことではなかろう。」ボートは満員という比喩が使われていたそうですが、当時のスイスの食糧自給率が50%程度だったということなので、一般の人たちがそう感じていたのも不思議はないし、実際に戦中には大規模な開墾が実施されたとのことです。ただ、戦中・戦後の調査ではスイス人の栄養状態は周辺のヨーロッパ社会と比較すると「楽園のよう」だったのだそうですが。
  • 85ページ:「スイスにおいて、戦中・戦後の間にはっきりした連続性がみられるという事実は、スイスが歴史的な審判に十分に堪えたという広く共有された印象と関連していた。この肯定的な国内政治でのイメージは、1943年以降の連合国、とりわけアメリカ人の間でのスイスに対するマイナスイメージと鮮烈な対照をなしていた。戦争終結時には、中立の評判は最低の水準に達しており、戦勝国はスイスを厳しく批判していた。」敗戦後の日本では、東洋のスイスを目指せと言われた時期もありました。日本からみると、大戦中のスイスは中立を守り、難民を受け入れ(本書からも実際に多数を受け入れたことが分かるし、Sound of Musicみたいなエンターテインメント作品もあるし)、赤十字国際委員会があって戦時中も日本とは交渉があったし、などの理由からまぶしい存在でしたし、存在です。しかし、ドイツと戦争している連合軍からみると、ドイツを助ける存在、戦争を長引かせた存在などと見なされていたという点が、言われてみれば当たり前ですが、言われないと認識できない私にとっての盲点でした。
  • 96ページ:「1933年から1942年の間に、ナチスの迫害を受けた人々にとってのスイスの重要性が根底的に変化したのは、明らかである。1930年代には、スイスは迫害された人々の数ある逃亡先のひとつに過ぎなかった。しかし1942年には、国境にたどり着いた人々にとってスイスは、多くの場合最後のチャンスとなっていた。」だからこそ難民の受け入れに関しては、責任を問われる国になってしまったということですね。
  • 103ページ:「1942年12月に国境から10kmないし12kmの幅の地域として定義された国境地帯を越えることができた者は、通常は送還されなかった。これは、地域住民がこれらの難民の送還に反対して、繰り返し抗議を行ったからである。」食料の心配をしながら、こういう行動をとった人が少なくなかったことは素晴らしい。人口430万くらいのスイスに、終戦時には11万人以上の難民が暮らしていた。
  • 114ページ:「とりわけ開戦前の数年間、スイスの難民政策は、ドイツのメディアから頻繁に非難されていた。しかし、難民政策を理由に、ドイツから外交的要求や軍事的脅迫などの圧力を受けたわけではなかった。」ドイツのこういう態度については全く知りませんでした。スイスはポーランド人やフランス人の元兵士なども受け入れていたそうです。
  • 166ページ:「連合軍が西方と南方から接近するのに伴い、スイスの物資供給状況は1944年から翌年にかけての冬に悪化した。というのも、連合軍の司令官は、長い交渉の末合意された大陸外からの物資供給の約束を反故にしたからである。そのため、1945年になっても、ドイツとの経済関係を維持しなければならない十分な理由があったのである。」戦時中の連合軍のスイスに対する見方が伝わってくるようなエピソード。
  • 169ページ:「スイスの対独貿易収支は、1943年を除き、赤字であった。」クリアリング協定というのが結ばれていて、赤字分はスイスからの貸しになっていた。
  • 174ページ:「ドイツの同盟国は、やはりスイスで戦争物資や機械を購入するために、スイスフランでの支払いを要求した。例えば、ルーマニアは、ドイツとの経済条約締結の条件にスイスフラン建決済を盛り込んだ。スイスフランはまた、スウェーデン(船舶)やスペイン・ポルトガル(タングステン購入)等の中立国との貿易でも用いられた。」これも、私なんかがなかなか気づかないような点で、とても勉強になる指摘です。
  • 178ページ:「スイスの対独輸出に対して資金を前貸ししたおかげで、他にも多くの点でスイスの利益が実現した。西側勢力が「コンペンセイション・ディール」と呼んだ取引によって、戦争遂行上重要な物資を、ドイツ占領地域を経由してイギリスやアメリカ合衆国に発送することが可能となったのであるが、これは、スイスにとって長期的にも重要な、ドイツ側からの譲歩であった。」フランス敗北後は枢軸国に周囲を完全に囲まれてしまったスイスですが、それでも対連合国貿易が可能だった。具体的にどう実施されていたのか、知りたいところ。日本語で気軽に読める解説はあるのだろうか。
  • 197ページ:「ドイツの軍備拡大に対するスイスからの輸出の効果を、戦時期に関していくぶん高く見積もろうと、あるいは低めに評価しようと、我々の研究の主要な結論に影響はない。それよりも重要なのは、スイスが1933年以前に果たした役割、すなわち、他のヨーロッパ諸国と同じく、ドイツの密かな再軍備の拠点として果たした役割である。この事前準備がなかったならば、ナチスドイツは、かくも短期間にヨーロッパ全体を席捲することはできなかったであろう」ベルサイユ条約でドイツが禁止じられた軍備の研究は、ソ連・スウェーデン・オランダなどでも行われていて、スイスの貢献度はそれらの国より低いかなと思います。これらの国はベルサイユ条約の締結国ではないし、少なくともナチスの政権掌握前の事柄に対してスイスを非難するのは行き過ぎかと感じます。
  • 199ページ:「電力は、金融サービス、鉄道による通過交通、軍需品供給と同様の重要性を有していた。」 軍需品供給は目につきやすい点ですが、電力、金融サービス、鉄道による通過交通(ドイツ・イタリア間はオーストリアのブレンネル峠経由は単線でスイス経由の方が輸送能力に優れていた)もドイツにとって重要だったというのは言われないと気づけなかった点です。
  • 358ページ:「1939年8月30日のいわゆる「全権委任決議」によって、議会は政府に、「スイスの安全・独立・中立の保持のために必要な(全ての)措置」を講ずる権限を与えたが、それには、当時の憲法に抵触する権限も含まれていた。」第一次大戦時に倣ってスイスも全権委任体制をとりましたが、独裁制にはつながりませんでした。
  • 476 「本書に示した研究結果は、それぞれの調査対象領域の間にある事実関係の相違を考慮に入れたとしても、経済的・政治的な自己利益のいずれか、あるいはその双方が、当事者たちの行動を支配しており、これが、民族社会主義者の時代の初めから戦後に至るまで、迫害された人々の扱いを一貫して規定していたことを、はっきりと示している。周囲を枢軸国に包囲された小国が直面した侵略の脅威やそれに対する危惧によっても、あるいは、ホロコーストについて何をいつ知ったのかという問題によっても、民族社会主義国家の犠牲者に対する疑問の余地ある行動様式を、うまく説明することはできないのである。」独立委員会の総括は正しいけれど辛口だなと私は感じます。本書を読み通してみれば、 スイスの人たちも国もまずは自分たちのために行動したというだけで、非難されるべきとは思えません。可能な範囲で難民も受け入れたし。戦後の行動(休眠口座の扱いなど)に関しては非難されるべき点が少なくありませんが。
  • 503ページ:「開戦半年前の1939年4月、連邦は、ハーグ条約でも認められていた民間企業による交戦国への「戦争物資」の輸出を政令で禁止した。しかし軍備が不十分なまま戦争に突入した英仏両国の圧力を受けて、開戦1週間後の1939年9月8日、連邦は上記の政令を撤回し、民間企業による武器輸出に道を開いた。枢軸国による包囲で連合国向けの輸出が困難となり、またドイツが姿勢を変えて兵器輸入に関心を示すようになる翌年5月までの間は、スイスからの武器輸出はもっぱら連合国向けであり、しかもその製造にはドイツからの輸入原材料が用いられていた。」連合国側にもこういうご都合主義的な行動をとった履歴があったことは初めて知りました。大戦末期になって連合国はスイスにドイツとの貿易など中止させますが、これもご都合主義。
ほかにも学んだ点がたくさんありますが、メモを途中からとらなくなったのでこのくらいで第一部の紹介はおしまい。
第二部に関しては、第一章多国籍企業・小国経済にとってのナチズムと第二次大戦がいちばん面白く読めました。スイスには第一次大戦前から多国籍企業が少なからず存在し、しかも第一次大戦時にスイスが中立を保ったにもかかわらず、在外子会社が連合国や同盟国の地に存在したことで企業活動に支障を来した経験がありました。スイス出身の多国籍企業がその教訓から第二次大戦にどういう対応をしたのかが詳しく例示・説明されています。特に、ネスレの話の中には第三次大戦を危惧した行動をとったことまで書かれていて、びっくりしました。第二次大戦下で中立と占領下とに分かれたスイス・スウェーデン・デンマーク・オランダ・ノルウェーの事情に、第一次大戦時に中立を保てたかどうかが影響しているという鋭い指摘も。本書に対応するような、スウェーデンの第二次大戦の経験について書かれた日本語の本があればぜひ読んでみたいですね。
さて、編者あとがきには「今日の時代状況の下で、本書がどのように読まれるかは、編者の予測を超えている。翻訳を着想した時代に編者が想像した一般的な読まれ方とは違って、あるいは本書は東アジアでの「戦後処理」に「教訓」を与えるような作品としてではなく、むしろ、自国の「公序」や価値観と相容れない巨大な隣国への「抵抗」と「順応」の間で揺れた社会が、自らの屈曲の歴史を振り返った作品として読まれるかも知れない。」と書かれています。この文章の意味が理解できなくなるような、そんな幸せな東アジアになってほしいとは私も思いますが、難しいのかも。ただ、そうは言っても本書はやはり「一般的な読まれ方」で読まれるべきものでしょう。中立国だったスイスが大戦終了後半世紀近く経って批判をあびることになった大きな理由は、冷戦終了によって国家同士のやりとりではなく、個人が声を上げる環境になったからです。日本に関しても、20世紀も終わりに近くなってから従軍慰安婦・強制連行などなどで声を上げる人が出てきたのは同様の事情だと思います。冷戦を利用して、例えば日中国交正常化の際にも無賠償で済ませてしまうようなずるいことを日本もしました。本来なら日本も本書をまとめた独立委員会のようなものをつくってでも、事実を隠蔽せずまとめておくべきだった(これからまとめてもいい)、そして個人賠償も含めて済ませておくべきだったと私は思います。損して得取る(徳もとる)ってことがどうしてできないのかな。それをしないで、何度謝罪すれば済むのかなんて言っていてもダメですね。「国益」を真剣に考えるなら、被害を受けた側に納得してもらうことが国益につながるいちばんの方法です。そうでないと何十年・何百年たっても、これらのことは日本についてまわるでしょう。元寇から700年ちかく経った第二次大戦中にも「神風」なんて言っていたのと同じように。
本書で疑問なところ、メモしたものだけ
  • 9ページ:プリーモ・レーヴィの説明に「1944年から1949年までアウシュヴィッツに収容されたが」とあります1945年まででしょうか。
  • 15ページ:「1946年5月のワシントン条約」というのは議会での批准を必要とする条約だったんでしょうか。Washington agreementというのがありますが、それのことでしょうか。228ページやそれ以降では「ワシントン協定」と書かれています。
  • 62ページに「恐慌イニシアティブ」、63ページに「危機イニシアティブ」というのがあります。どちらも1935年6月に否決された提案とのことですが、これらは同じものでしょうか。
  • 87ページ:「ドイツから略奪された金の購入に対する和解金」これは「略奪された金のドイツからの購入に対する和解金」と訳さないと誤解を招くのでは。
  • 191ページ:人名「マルドゥル」=「マンドゥル」?
  • 451ページ:「優勢的にユダヤ人であると考えられている」という文章がありますが、意味が分かりません。優生的にかな?それでも意味不明。

2010年11月12日金曜日

鉄道の世界史


小池滋他編 悠書館
2010年5月発行 本体4500円
四六版で751ページと厚めの本ですが、対象となる国が多数なのでそれでもページ数が少ないと感じるほど。 ヨーロッパ、北アメリカだけでなく、南アメリカ、アフリカ、東南アジアなどまで含めた50カ国ほどの鉄道の略史が地域別に収められています。各国の鉄道を創業から最近の事情まで、非専門家にも読みやすく紹介するとともに、世界の各地域ごとの特徴が分かるように工夫されていると感じました。イギリスやフランス・ドイツなどの初期の鉄道の歴史は有名なので知っていたこともありましたが、その他の国の鉄道の歴史については未知のことが多く、それを面白く読めたことは収穫でした。それに加えて、鋭い指摘もいくつもありました。例を挙げると
戦後の鉄道の発展史をみると、無傷の英米の鉄道が衰退の道を辿ったのに対し、破壊されたフランス、ドイツ、日本などの鉄道は、設備更新と近代化が進んだおかげで衰退を免れ、前進することができたのは皮肉な現象である
これはドイツの項119ページにありましたが、こういう見方もできるんですね。
現在のポーランドの鉄道路線網をみると、地域ごとに鉄道敷設密度が違っているのは、その部分の鉄道を建設・運営した「国」が異なっているためで、ポーランドの国土形成の複雑な歴史を如実に反映している。
これはポーランドの項、252ページにありましたが、白地図上に記された路線の密度が、旧ドイツ、旧オーストリア、旧ロシア領では確かにはっきり違っていて、その差の大きさに驚かされます。
多くの国の事情を解説した本ですから、執筆者も多数です。多くの人は、制約あるスペースの中で、非専門家でも読みやすいように、物語を書いてくれています。なので、読みやすい。でも、第10章ロシアのように、日付や地名の羅列に終始していて、非常に取っつきにくく感じる部分もありました。また、141ページのスペインの項には「1826年にブラジルなどの領土を失い」と書かれていました。こういう事実誤認が、ほかにもあるのかも知れません。とはいえ、楽しく読むことのできる本でした。おすすめです。

2010年11月6日土曜日

イタリア20世紀史


シモーナ・コラリーツィ著 名古屋大学出版会
2010年10月発行 本体8000円
熱狂と恐怖と希望の100年というサブタイトルの通り、冒頭は1900年7月の国王ウンベルト1世の暗殺で始まり、1999年に左翼民主党の首相がユーロの誕生を祝うところまでの一世紀が描かれています。単に20世紀史というタイトルがついていますが、基本的には政治史の本だと感じました。私は別にイタリアについて詳しい訳ではなく、また日本のことが常に頭の片隅にありながら読みましたが、そういう意味で学んだ点・気づいた点を上げてみます。
1861年のイタリア王国の成立から40年近く経って20世紀を迎えた訳ですが、この時点でも国民としての帰属意識・ナショナリズムが強くなく、また南部の後進性はこの頃から意識されていました。
イタリアの識字率はとても低かったとのことです。。ヨーロッパ史をひもとくと、プロテスタントの地域に比較してカトリックの地域の識字率の低さが指摘されますが、イタリアも建国時には70%以上が読み書きできなかったのだそうです。
ドイツ・オーストリアと三国同盟を結んでいましたが、これは攻守同盟ではなく、同盟国が攻撃された時に自動的に参戦する規定だったそうです。それをたてにイタリアは第一次大戦に一年ほどは参戦しませんでした。資源に乏しく工業用原燃料の多くを輸入に頼っていたので、中立を保った期間中も、日本のように貿易で漁夫の利を得られた訳ではありませんでした。そして、連合国側での参戦後も、未回収のイタリアの問題があって一時的には国民の共感を得たものの、食料などの不足や戦場での敗北が続き厭戦気分が一般的になったそうです。日露戦争時の日本と比較すると不思議な気がしますが、その時点までのナショナリズム布教の成否が影響したのでしょう。
第一次大戦後、戦勝国となってはみたものの、インフレの亢進・巨額の対外負債などの経済社会問題やロシア革命の影響もあり、赤い二年間(1919~20)という北部での農民と労働者の社会闘争の盛んな時期を迎えました。これに対して戦士のファッシというグループが懲罰遠征と称して暴力的に労組や左翼党組織を襲い、放火や殺人にいたる事件が頻発しました。左翼の勢力拡張を快く思わない人たちが少なからず存在し、こういった暴力事件を地方自治体・警察などがきちんと取り締まらない状況が続き、左翼はやられっぱなし。日本で昭和戦前期に右翼のテロが共感を呼び、減刑嘆願書みたいな現象がみられたのと似ているのでしょうか。1922年にムッソリーニはファッシの行動隊を集めてローマ進軍を行いますが、これに対しても警察や軍隊は戒厳令を発して真剣に阻止しようとはしませんでした。そして、国王エマヌエーレ3世はファシズムと妥協する途を選び、ムッソリーニを首相に任命してしまいます。議会での議席数もヒトラー政権獲得時のナチスよりもずっと少なかったのに。このファシスト政権獲得の経緯は読んでいて本当に不思議。
イタリアが第二次大戦に参戦し、ギリシア・北アフリカ・地中海で敗戦が続いたことはよく知られています。それでも、ファシスト党の一党独裁はすでに20年以上も続いていたのだから、国内の基盤は盤石だったのではと思ってしまうところです。しかし1943年7月の連合軍のシチリア島上陸後に、ファシズム大評議会でムッソリーニの全権を国王に返還する決議が採択されて政権交代に至りました。日本で東条英機が政権を逐われたのは、かれが独裁党の首領だった訳ではないので不思議でも何でもありませんが、このイタリアの政変は不思議。政権獲得も不思議だし、ファシズムって何だったんでしょう。本書を読んでさらに謎が深まった感じ。ドイツや日本と違って、イタリアはすすんで大戦を起こした訳ではないし、戦争に対するイタリア国民の意識が健全だったということなのでしょうか。
20世紀後半の大部分は、共産党という有力な政党は政権から排除する形で、キリスト教民主党を中心とした連立政権が続きました。これは、日本で自由民主党の政権が続いた、党内の派閥が疑似政権交代と呼ばれるような首相交代を繰り返したのと似ている感じです。また、イタリアでは南部への政府資金の移転、日本では地方へのばらまきが政権維持のために行われるなど、まっとうな政権交代のないことによる弊害が積み重なった点も同じ。その結果、イタリアでも1990年代に政界再編が始まることになりました。西側の先進国と呼ばれた国々の中で、ある一定以上の大きさの共産党が存在した、イタリアと日本、そしてフランス。日本では共産党よりも社会党の方が大きかったと言う違いはありますが、東西冷戦のもとで共産党・社会党が政権を担うことの困難さがあった点では似ています。ただイタリア共産党のユーロコミュニズムに向けて変革の試みの方が、日本の社会党や特に共産党の変化のなさに比較すれば大胆だったのかな。日本の現在を見るにつけ、1960年代の日本の社会党の変革の欠如というか変革への志向の阻害がいかに有害だったかを思わざるを得ません(日本の共産党にはそもそもそんなこと期待できない)。
参照文献を示す50ページにわたる註がついています。ふつうこういう註の中の文献には日本語訳された本が含まれていて、日本での出版社や出版年などが付記されることが多いのですが、本書の註にはそれはなし。この分野の文献や書籍に日本語訳されたものが全くないということなのでしょうね。
本書は20世紀の通史なのですが、イタリアでは専門書として出版されたのでしょうか(しっかりした註がついているから専門書なのかな)?というのも、名古屋大学出版会は私の好きな方の出版社なので決して批判するつもりではないのですが、名古屋大学出版会からハードカバー本体8000円で発売される日本では、本書が一般人が気軽に買える書店においてもらえるとは思えない気がするので、なんとなくそれが惜しい気がします。
本書には著者によるはしがき・あとがきや、訳者のあとがきがありません。どうしてなのでしょう。監訳者さんは、22ページにもわたって解題という名の独演会を載せているのにね。

2010年10月25日月曜日

中島飛行機の研究


高橋泰隆著 日本経済評論社
1988年5月発行 本体2500円
以前読んだことのある「ものづくりの寓話」では、日本での互換性生産の歴史を説明する中で戦時中の飛行機生産が取りあげられ、この中島飛行機の研究が引用されていました。そんな縁から本書を読むことにしました。私の読んだのは1999年2月の第4刷ですが、新品がネット通販で入手できました。
選書版302ページの本です。序章では、中島飛行機が1930年代から戦時に急成長できた要因、また新興財閥・新興コンツェルンとして捉えられるかどうかといった、著者の課題と方法を述べています。第1章中島飛行機株式会社の成立では、創業者である中島知久平の略歴、中島飛行機の発展と成長しても同族経営を続けた様子が扱われています。第2章戦時航空機産業と中島飛行機では、1930年代から戦時の機体・エンジンメーカーの比較。第3章中島飛行機の管理では、流れ作業が志向された様子、戦中は徴用工の割合が増えて欠勤・作業の質・労務管理などに多くの問題をもたらしたことなどが説明されています。第4章戦時下の工場では中島飛行機の各工場の所在地・生産していたモノ・資材不足から製品の数と質が確保できなかったこと・空襲と疎開の様子などが扱われていました。
軍需会社であったことから秘密扱いされたことと敗戦時の資料の処分とから、「中島飛行機株式会社の経営資料はきわめて少ない」と著者は述べています。たしかにそうなんだろうとは思いますが、それにしても、本書は既存の社史や出版物の内容を引用して切り貼りしただけという印象です。もちろん史料がなければ歴史は描けませんが、そういった史料に基づく著者自身の主張がなくてはダメ。著者独自の主張が「『零戦』エンジンは中島製であるし、驚くべきことに機体総数の六十%以上は中島飛行機の工場で組み立てられていたのである。したがって一般に認識されているような『三菱の零戦』に異議を唱えたいのである」といった程度ではねえ。こんなの常識でしょう。
また、中島飛行機の主要な製品である飛行機に対する扱いがお粗末。陸海軍で要求が異なったでしょうし、単発機双発機などで大きさや生産の様子が異なったでしょうし、そういったあたりが全く触れられてません。またそもそも機種名の扱いがめちゃくちゃ。例えば、陸軍の疾風。疾風単戦、四式戦闘機、フランク、キー八四など呼び方がばらばらで全く統一されていないし、八四式戦闘機などという他では聞かない著者自身の造語(?)まで登場するし。フランクは日本側の命名ではないのだからフランクなんて書かないでFrankとすべきでしょう。
中島飛行機の研究というタイトルの本書ですが、読み終えてみて、とても「研究」と言う名前には値しないと感じました。本書の出版が準備された頃ならば中島飛行機で管理や生産や設計などなどに従事したことのある人がまだまだご存命だったと思うのです。そういった人たちへのインタビューを仕様としなかったのはなぜなんだろう。例えば、エンジンなどの部品の不足などから要求された数の生産ができないといった記述がありますが、そういう時に組み立て工場の工員は何していたんだろうとか、給与が歩合制みたいに書いてあるので、給与をもらえなくなったのかしらなどなど、しゃべってもらいたいことはたくさん思い浮かびます。非常に残念な本ですね。

2010年10月22日金曜日

チョーサーの世界


デレク・ブルーア著 八坂書房
2010年8月発行 本体5800円
チョーサーは有名なイギリス中世の文人です。わたしには文学作品を読む趣味がなく、恥ずかしながらこの年になるまでチョーサーの作品を読んだことがありません。それなのになぜこの本を購入する気になったかというと、詩人と歩く中世というサブタイトルが付いているように、この本はチョーサーの作品の解説書ではなく、チョーサーの生涯をたどりながら、チョーサーの生活した範囲のイングランドの社会の様子を描くものだったからです。
チョーサーは裕福なワイン商人の息子として生まれ、貴族・王室の宮廷に宮仕えし、イタリアやスペインにまで外交使節として派遣されたり、ロンドン港税関や王室の不動産の営繕の役職につくなどして生活した人でした。その間に英語での文学作品をたくさん書き、それらの作品は生前から上流階層の人たちに評価されていたのだそうで、そういった様子がこの本からはよく伝わってきます。
また本書には、チョーサーの作品自体を知らなくとも、当時の生活の一端をかいま見ることができるようなエピソードがたくさん触れられています。例えば、87ページには「子供が病気になると、子供本人ではなく、乳母に投薬された」と書かれていますが、そういう風習があったことを初めて知りました。現在なら、授乳中の母親へのクスリの処方にはかなり気を遣うものですが、逆に乳汁への移行を期待して乳母にクスリを飲ませたとは!まあ、ほとんど効果は期待できないでしょうが。
また、高校の世界史で習った以来に目にしたことのなかった言葉、ワットタイラー。タイラーはTilerで瓦(タイル)職人という意味で、もしかすると本当に瓦職人だったのかもしれないだとか、また彼が頭目になった農民一揆の鎮圧は難しく、ロンドンで彼は国王と直接交渉を行うまでに至り、そこでロンドン市長に殺害されたこととか、興味深く読めました。
チョーサーは日記を残したわけではなく、本書も残された記録類などの史料をもとに書かれています。しかし読み終えての印象は、同じ頃の日本史関連の本で言うと看聞日記をもとに書かれた横井清さんの「室町時代の一皇族の生涯」講談社学術文庫とか、言継卿記をもとに書かれた今谷明さんの「戦国時代の貴族」講談社学術文庫なんかに近い感じです。なので、文学好きでなくとも、面白く読めます。

本書冒頭の「日本語版に寄せて」には、著者のブルーアさんが1950年代に来日してICUで教鞭を執ったことが触れられています。本書の前半には数カ所、中世イングランドとの比較の材料的に日本に対して言及した部分があります。チョーサーの世界とは全く縁のない日本と言う単語が出てくるのは、日本で過ごしたことがあるからですね。また「一九五○年代半ば、イギリスと日本、両国は政治的には表向き良好な関係にあったが、国民感情としては依然わだかまりがあった。桝井教授にお会いするまで、日本人に対する私個人の第一印象は、日本軍に捕らえられた友人の何人かが戦争捕虜として野蛮な扱いを受けたことにとらわれがちだった」とも書かれていました。著者自身は日本での生活体験からこの種の対日観を払拭したかも知れませんが、来日することなどなかった普通のイギリスの人の間にはこの対日観がずっと今でも通奏低音として鳴っているのでしょうね。

2010年10月11日月曜日

ビジネス・システムの進化


大東英祐他著 有斐閣 
2007年9月発行 本体3600円
本書では、企業の企業・活動・発展には、競争したり取引したり協調する他企業や、その企業に対する売り手・買い手、その分野の研究者やとりまく社会の状況などが関連していますが、それをビジネス・システムと呼ぼうと提起されています。創造・発展・起業者活動というサブタイトルが付いていますが、実際にビジネス・システムの創造・発展・起業者活動の様子を示す事例が6つ納められています。
序章は、大阪への鮮魚輸送に手こぎではなく発動機船や冷蔵船を使い始めて、瀬戸内海東部から朝鮮半島、そして底引き網漁自営にまで活動の場を拡げた林兼商店の事例。林兼商店についてはもっと本を探して読みたい気分になりました。第1章は、ボストンに族生した中国貿易のカントリートレーダーが、アメリカ国内の鉄道投資などに資金を移動させた様子。第2章は、明治期の後発損害保険会社3例の企業設立時の発起人・出資者の関係。第3章は、東京と大阪の明治初期の為替・手形決済。第4章は、古河電工をもつ古河傘下だったはずの日本電線が独自の動きを始め、他企業の協力を得たカルテルでなんとか統制した事例。本書を読むことにした理由は先日読んだ「ものづくりの寓話」に紹介されていたからで、第5章と第6章は「ものづくりの寓話」の著者が書いています。第5章は、一時は世界一の繊維機械メーカーであったプラット社が経営不振陥る過程。第6章は「ものづくりの寓話」におさめられていたのとそっくりで、フォード・システムに対する世間一般の誤解を解くような説明がなされています。各事例には興味深いエピソードがたくさん紹介されていて、面白く読めました。
序章と各章のはじめの部分には、なぜ「ビジネス・システム」なのかが書かれていますが、どれも非常に読みにくい文章ばかり。各事例の焦点を素人である私にも分かるように記述してくれた著者たちですが、なぜ「ビジネス・システム」などという概念を持ち出したかったのかという点に関しては、分かりやすく記述することができていません。今さら改めて「ビジネス・システム」なんて持ち出さなくても、企業の歴史を描く論考では、企業とそれを取り巻く社会状況について考察するのが当たり前のことになっています。その当たり前のことにわざわざ難しい理由付けをしようとするからおかしな事態になってしまったのだろうと感じました。その点を除けば、面白い本で一読の価値ありです。ただし3600円の価値があるかどうかは疑問。新書版で1000円くらいで売られるべき本じゃないのかな。
間違いを一カ所発見しました。アメリカのセントラル鉄道についての56ページの説明、「1マイルあたり16ポンドのレール」は変です。きっと1ヤードあたり16ポンドのレールのことでしょうね。

2010年10月8日金曜日

ものづくりの寓話


和田一夫著 名古屋大学出版会
2009年9月発行 本体6510円
以前、本書の著者である和田さんが訳した「アメリカン・システムから大量生産へ」(デーヴィッド・A・ハウンシェル著、名古屋大学出版会)を読んだことがあります。大量生産と言えばフォードシステム、フォードシステムと言えばコンベアの導入された工場の写真が思い浮かびます。しかし「アメリカン・システムから大量生産へ」は、大量生産には生産ラインへのコンベアの導入が重要なのではなく、組み立てに際して現場で摺り合わせ作業をする必要のない互換性のある部品の採用が重要であること、そしてアメリカでの互換性生産の歴史を分かりやすく教えてくれる好著でした(この本も私のおすすめの一つ)。
本書のサブタイトルはフォードからトヨタへとなっていますが、それを示すように「本書は上記のハウンシェルが描いたアメリカにおける互換性製造の道のりの後日談を、日本について描こうとしたものである」と「はじめに」に書かれていました。
第一章フォードシステムの寓話では、移動式組み立てラインばかりが注目されることに対して注意を喚起しています。例えば生産費の低減はコンベアのない時期にもかなり実現していたこと。T型フォード車の組み立はコンベアシステムの導入されたハイランドパーク工場だけでなく、各地の分工場でも行われ、分工場の合計生産台数の方がずっと多かったこと。金属製閉鎖型ボディの主流化がT型フォードの終焉に一役かっていたことなど。
第2章「フォードシステム」の日本への受容では、主に戦時下の航空機の生産を例に、互換性生産が実現できない状況下でも、流れ作業方式が注目され、導入を試みられたことが記されています。しかし、戦時下という悪条件、自動車よりも部品数の多い飛行機の生産という困難さも相まって、必要な数の部品を過不足なく組み立て工程に供給するように全行程を管理することができませんでした。そしてその経験から、戦後の一時期に推進区制が実現しました。生産工程をいくつかに分割した推進区を設け、その推進区に現場内での管理を任せ、中央は推進区を統制するシステムだったそうです。ただしこれは最適な方式とは見なされてはいませんでした。
第3章以降では、日本でフォード・システムを実現しようとした企業者・企業としてトヨタを取りあげます。豊田自動織機製作所は自動織機の生産で互換性生産を実現し、また自動車エンジンの生産に必要な鋳造技術も備えていたことから、 豊田喜一郎は自動車事業に参入することを決意します。しかし実際に第一号の自動車ができるまでに五年半もかかり、またその後は戦争の影響も受けました。敗戦後、自動車事業を継続する決意から、協力企業との関係構築、標準時間の測定など生産現場のデータの把握から工程管理へ、労働争議を経て労組による協力を得て、マテリアルハンドリング、IBMのパンチカード集計機・コンピュータの導入、カンバン方式への移行などが、史料にのっとって、しかも通説の弱点も指摘しながら順次説き明かされています。
読み終えて、とても楽しい本に出会えたという感想を持ちました。「アメリカン・システムから大量生産へ」の日本での後日談という著者の意図は充分実現されています。また、この著者はきちんと読者を意識した表現をしていて、とても読みやすい文章です。なんというか、著書の頭の中には全体を一貫したストーリーがあり、それを物語ってくれているような感じを受けるので、私のような素人にも読みやすいんだと思います。これまで読んだ「アメリカン・システムから大量生産へ」「企業家ネットワークの形成と展開」「帝国からヨーロッパへ」などこの著者の著書・訳書は同じように分かりやすいと感じ、また勉強になるものでしたが、本書もその例外ではありませんでした。
名古屋大学出版会は良い出版社で私の好きな本をたくさん出してくれています。それでも、ここから出版されたハードカバーだと読者が限られてしまうのでは思われます。例えば、本書中にも引用のあった中岡哲郎著「日本近代技術の形成」朝日選書809のように、本書もどこか他の出版社から選書版で出版されればもっとたくさんの人の目に付いただろうにと思われてならず、好著だけにその点は少し残念です。