2009年11月8日日曜日

歴史人口学研究


速水融著 藤原書店
2009年10月発行 本体8800円

新しい近世日本像というサブタイトルがついていますが、著者をはじめとした歴史人口学の成果が、私の近世日本に対する認識を大きく変えてくれたことは
たしかです。本書には、主に著者の雑誌に発表した論文が収められていて、読んだことがないものばかりでした。

著者お得意の勤勉革命に関するものはありませんでしたが、江戸時代初期の人口が1800万人ではなく1000万人程度だったこと、江戸時代中期以降の西日本での人口増加と東日本や大都市近郊での人口減少が相殺されて日本全国の人口は停滞していたように見えること、単身者が多かったり婚姻年齢が高かったりして都市の人口は自然減を呈していたこと、などを示す論文が収められていました。

第11章は幕末のカラフトの人口構造という論文です。狩猟や漁労のみに携わっていたカラフト先住民の人口構造の一端が紹介されていることも面白いのですが、1853年という時期に幕府がカラフト先住民の人口調査を行ったこと自体知らなかったので、とても驚きました。

終章では、家族・人口構成パターンから、日本全体を東北日本・中央日本・西南日本(東シナ海沿岸部)の3つに分けることができることが示されています。
世帯内の生産年齢人口比率は、決定的に重要な経済指標と考える。それは、上記三つの地域で状況はそれぞれ異なるが、特に東北日本では、危険水準に落ち込まないように保つメカニズムが働いていた。波動に際しては「オヤカタ」(本家)が一党の面倒を見るべく救済に乗り出し、「オヤカタ」・「コカタ」(分家)の関係が危険を回避する機能を演じていた。
中央日本では、その激しい波動は、いくつかのレベルで緩和されていた。家族レベルでは、同族団で、血縁の家族が支え合う組織が最も根深く発達していた。村レベルでは「講」と呼ばれる組織で、ある場合には宗教的な寄り合い(宮座)として、別の場合には民間金融の寄り合い(頼母子講)として機能している。注目されるのは中央日本では経済的発達の浸透が最も著しく、各世帯が、個別的に危機になれば所持する土地を売り、所得の増えた時期にはそれを買い戻すこと行動に出ていることである。この地域で近世史料調査をすると、驚くほど多い土地売買証文、質入証文を見出す。これは、農民たちが、危機を回避すべくとった行動記録なのである。
東北日本のオヤカタ・コカタについてはなんとなく当たり前のような気がしていましたが、世帯内の生産年齢人口の変動に対して中央日本では土地の売買や質入れで対処していたというのは、重要な指摘です。こう考えると、この地域での地主小作家系に関する認識が替わるし、またもしかすると中世のこの地域でのものがもどる慣行と関連していないかなど妄想してしまいます。

また、ふつうに日本を大きく地域に分ける時には、東日本と西日本に分けて論じますが、著者のいう東北日本が東日本に、中央日本が西日本にあたるでしょう。その他に、西南日本の存在を主張するのは著者の特徴ですが、からゆきさんのような実例もあるので、その存在はたしかでしょう。これに関しては、宮本常一さんが日本文化の形成の中で述べていた海部や家船を持つ人たちのことが想い出されます。また、台湾から南に船出してフィリピン・マレー半島・インドネシア・マダガスカル・オセアニアに広がったオーストロネシア語族の人たちですが、一部は黒潮にのって北の日本に行き着き、西南日本の源流になったというようなことはなかったのかしらと妄想してしまいます。

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