2009年11月20日金曜日

伊藤博文


伊藤之雄著 講談社
2009年11月発行 本体2800円

本書は伊藤博文の伝記ですが、読んでいると偉人伝という言葉が浮かんできます。明治維新に参加し、30歳代で参議になり、木戸・大久保亡き後の明治政府の第一人者となり、憲法を制定し定着させた人ですから、もちろん偉人であることに間違いはないわけです。ただ、彼の意の通りに進まなかったことを病気・疲労・高齢・他人を疑わない性格などのせいにして書かれている点がなんとなく、ほほえましく思われ、偉人伝だなと感じてしまったのです。でも、伊藤博文の一生を手軽に読めるという意味で、良い本だと思います。

伊藤の最大の功績の一つは明治憲法ですが、憲法施行後に憲法を停止しなければならないような事態に陥ることがないよなものに仕上げる必要があったという指摘は、今まで考えたことがなかったので、新鮮でした。オスマントルコが施行後2年で憲法を停止しそのままになってしまったことは知っていましたが、伊藤たちが前車の轍をふまないようにしたというのは、条約改正を目標として欧米先進国からの目を意識していた時代だから当然ですね。そう考えると、あの時期にはある程度君権の強い憲法にならざるを得なかったのも理解できます。

ただ、憲法のできばえについては、かならずしも不磨の大典とは伊藤が考えていなかったろうという本書の指摘に賛成です。明治天皇、そして昭和天皇も名君で、憲法の求める機関説的な君主を演じてくれたから良かったのですが、仮に後醍醐天皇や後鳥羽上皇みたいな天皇が即位したらかなり危ないことになってしまいそう。また日本が危なくなる事態ではなくとも、大正天皇のように執務が困難になる病気に天皇がかかってしまうと、国家権力の正当性が失われてしまう構造の憲法です。さらに、日露戦争の頃には議会・内閣・軍など権力の分立構造が明らかになってきていて、元勲の第一人者たる伊藤でさえ思うとおりにはできないことが多々生じています。きっと、なんとかしたいとおもっていたことでしょう。

韓国では伊藤に対する評価はとても低く、日韓併合の主導者と考えられています。しかし、著者が他の本でも史料をもとに主張しているように、山県や陸軍などとは違って、伊藤自身は「韓国の富強の実を認むる時」まで保護国として統治するが、植民地にする意図を当初は持っていなかったという説に賛成です。64歳という高齢で韓国統監に就任したのも、韓国に植民地化以外の道を歩ませるという抱負があったからというのはその通りでしょう。ただ、第三次・第四次伊藤内閣がそれぞれ約半年と短命だったように、元勲の第一人者とはいえども日本の政治を意のままに操ることができなくなっていたことも、韓国の政治に携わる理由になったのではないでしょうか。

600ページを超える本書ですが、本体2800円でおさまっているのは有り難いこと。それにしても、講談社発行のハードカバーの本は生まれて初めて買ったような気がします。

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