2010年4月4日日曜日

東ドイツのひとびと




ヴォルフガング・エングラー著 未来社
2010年3月発行 本体3800円



日常生活に重点をおく社会史は、過去を無害化し、おさまりのよいセンチメンタルなものにしてしまう恐れがある。
東西ドイツの統一からもう20年以上がたち、今では東ドイツの存在を知らない人もいるかも知れません。でも、私にとっては、物心ついてからずっと、東ドイツを含めた東側の国々は確固たる存在で、あんな風にあっけなく変化してしまうなんて思いもよらなかったというのが実感でした。本書は東ドイツのひとびとに焦点を当てた本ですが、「おさまりのよいセンチメンタルなもの」どころではなく、日本人である私にとっては非常に新鮮かつ刺激的な知識を与えてくれました。たとえば、

新しいドイツのために全力をつくすことで、自分たちが、というよりは自分の親たちが、ロシア兵やその家族に未払いのままに残している借金を返すのだ。こうした精神的な借財返済のエネルギーにすがって、東ドイツ分裂国家は長い間かろうじて食いつないでいくことができたのである。
東ドイツ市民の第二世代と呼ばれる、1930年代に生まれ戦後に大人になった人たちが、特にこういった意識を持つことになりました。そして、この倫理的に立ち直るための労働という意識はスローガンともなって、政治に利用されもしたのです。

ナチスドイツの第三帝国を公式に法的に継承したのは、西ドイツ、つまりドイツ連邦共和国だった。それによって西ドイツのひとびとは、賠償責任を負うことになったのである。だがこの賠償は順調に実行され、しかも算定可能なものだったので、良心も経済もしだいに安らぐ事が出来るようになった。
だが東ドイツ、つまりドイツ民主共和国の場合はそうではなかった。この国は、ナチスの第三帝国の法的継承を拒んだ。だが、東ドイツのひとびとは、すでに前もって課されていた勝利者への賠償義務からは逃れられなかった。そして東ドイツでは、この算定の難しい「不文律」の賠償形式が課されたことで、集合的良心も経済も緊張し続けることになる。しかも、経済や生活水準もためらいがちなペースでしか上昇しなかったために、現在はむしろ過去の延長という様相を帯びることになった。
ナチスドイツに迫害されて亡命したり国内で雌伏していた人たちが東ドイツ建国に際して、第三帝国とは無縁と主張したことは理解できます。しかも、東ドイツの地域は占領ソ連軍による略奪や専門家の強制移送と言う形で講和の以前に少なからず「勝利者への賠償義務」を負担していたにもかかわらず、西ドイツと比較すると安らぎを得られなかったというのは、一種の逆説でもあります。賠償を受け入れた国々との関係を考えると、日本人としてもよそ事とは思えない指摘です。

いま自由を求めて叫んでいる大衆は、かつて選挙を通じてナチスを政権につかせ、積極的に支持したか、少なくとも大目にみてがまんした。一方、国家と党の指導的立場にあるのは、そのような誘惑に屈しなかっただけではなく、禍に立ち向かうのに命を賭けるのもいとわなかったひとたちだった。つまり東ドイツの党指導者たちは、追放されて戦後、東ドイツにもどってきた文学者や思想家たちと同じ経歴と政治的背景をもっていたのである。両者が社会的危機に対し、ともに手をたずさえたのも無理はなかった。
1953年の東ベルリンでの労働者の反政府デモに際して、知識人たちは、過ちをおかす支配者との連帯のほうを、誤りを暴いている民衆との連帯より重くみていました。その結果、1956年のスターリン批判後の知識人の異議申し立ての活動に対して労働者は連帯せず傍観しました。ハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアと違って、東ドイツでの反政府運動は目立った印象を与えなかったことの一因は、労働者と知識人の間の連帯の欠如にあったというのが本書の指摘です。

80年代になると、労働者にしても職人にしても、女店員にしても同僚にしても、いままでどおりに政治路線の正しさを確信している者に出会うことはなくなった。党幹部でさえも、内々ではそれを認めていた。結局まったくの徒労だったのだ。仮面舞踏会はまだつづいていたが、ひとびとはみな宗旨替えをしていて、それぞれ別の世界で生きていたのである。
たしかに反政府活動は盛んではなかったかも知れませんが、支配の正統性があまねく承認されていたわけではありません。日常生活で人々が規律にしたがって生活するのは、家族や職場などなど種々の社会集団が規範を維持するように指せている面があります。しかし東ドイツでは、国家から自立したそのような中間集団の存在が希薄でした。このため、国家は賃金や生活水準の面で妥協せざるを得ず、経済的な破綻へとつながりました。また、中間集団ぬきに国家が個人を管理することには大きな困難が伴い、それが大きなシュタージ・国家保安省を必要とさせたのでした。

下級職務グループの多くがSEDを避けた理由は、入党すれば確実に個人の自由を失うからである。しかもそれは、ごく単純であからさまな自由の喪失だった。したいことをしたり、またはしなかったりすることができなくなるのである。この「自由」は下層から上層にいくにつれてしだいに小さくなり、形式的な決定権と政治的委任が組み合わさった場合には、ほとんど消えてなくなってしまった。SED入党は、その意味ではドン・キホーテ的行為であり、下層にとどまりながらもまるで上層にいるかのように「不自由」な生活を送らなければならなくなることを意味していた。
中国でもソ連でも、地位の向上や収入を伸ばすことなどを目的に支配政党に入党したがる人が当たり前で、希望してもなかなか入党できないものなのだろうと思っていました。それだけに、SEDへの入党を一般の人々が望まなかったというのには驚かされます。反政府活動が活発でなかった代わりに、支配政党への入党の希望者も少ないというのは、ひとびとの意識の健全さを示しているようにも見えます。ただ、それだけ希望のない社会だったと言うことなのかも知れませんが。

ざっと、政治に関する面で面白く感じた点をあげましたが、本書の後半ではジェンダー、性の自由化(西側より進んでいた)、世代間対立などもとりあげられています。著者は東ドイツの人だったからか、こういった話題でも意外な面を明らかにしてくれます。早すぎるかもですが、今年のベスト3には入りそう。ぜひ読むべき一冊と感じました。

東ドイツの人々ではなくひとびと。本文のなかでもこんな風にひらがな書きが多く、この本の訳者はあまり漢字を使わない人のようです。

3 件のコメント:

renqing さんのコメント...

ついでに。

このどうしようもない閉塞感は、徳川19世紀の、貧困に喘いでいた徒士たち、に通じるものを感じます。そして、彼らが体制変革(=「明治維新」)の駆動力なることも。

somali さんのコメント...

コメントありがとうございます。

閉塞感という点では、たしかに江戸時代末なみかもしれませんね。

しかも他の東欧諸国と比較してみても、隣に西ドイツが存在することで、自分たちはどうせ偽物のドイツとして外部から見られているんだろうというしらけた気分もあったのかなと感じました。

renqing さんのコメント...

自分の国がまがいもの、ですか。
それは辛いですね。