2012年8月20日月曜日

森林飽和

太田猛彦著
NHKブックス1193
2012(平成24)年7月30日 第1刷発行

知的な刺激を与えてくれる良書でした。まず、江戸時代から明治の日本がはげ山だったことを示す浮世絵や写真の口絵から始まり、はげ山が飛砂という現象の原因なのだったことと教えてくれます。むかしむかし「砂の女」の映画を観て、安部公房さんはどうしてこんなことを思いつけたのだろうととても不思議に思った記憶がありますが、海岸地帯での飛砂の被害のひどさから着想を得たのだ書かれていました。それにしても、飛砂という言葉を「ひさ」と読むことも知らなかったくらいに飛砂とは縁のない私ですが、それはなぜかというと、
飛砂の害が少なくなったのは海岸林が砂を防いでいるからだけではなく、そもそも飛砂の発生量が減ったからというのが理由であり、なぜ減ったのかという原因を考えていくと、砂浜からは遠く離れたところで、日本の自然環境に大きな変化が起きているという現実に突きあたるのである 
日本全国の砂浜海岸で砂が減り、砂浜の幅が狭くなる事例が報告されている。以前から砂浜が消えることはよく話題になった。原因は地盤沈下だとか、川の上流にダムをつくったからだとか、護岸工事や港湾整備をやりすぎたせいだとか、突堤やテトラポッドのような人工物を設置したためだとか、玉石混淆の議論がなされており、ご存じの方も多いだろう。しかしこれらがいずれも見落としているのが、より根源的な環境である山地・森林の変化なのである 
江戸時代に生まれた村人が見渡す山のほとんどは、現在の発展途上国で広く見られるような荒れ果てた山か、劣化した森林、そして草地であった。この事実を実感として把握しない限り、日本の山地・森林が今きわめて豊かであることや、国土環境が変貌し続けていることを正確に理解することはできないと思われる 
里山とは荒れ地である
山々の木々は、薪炭、農業用の緑肥、建築用材、製鉄・製塩の燃料として使われ、日本の山は荒れていたわけです。しかし、高度経済成長期以降、原燃料としての石油や外材を安価に輸入するようになり、日本の森林の木材の現存量はどんどん増えてきているのだそうです。しかし、使わず手を入れなくなったために里山は
森の植物は生態遷移の法則にしたがって本来の日本の豊かな自然環境を取り戻そうとしているのである
また第二次大戦後に盛んに造林された人工林も
手入れを前提としている森で手入れができなければ荒れるのは当然である 
森林の回復は、実際には”量的に”回復したに過ぎないのであり、日本の森林を”質的に”豊かにするためには、なお多くの問題が待ちかまえているといえる
とのこと。さらに
十四世紀ころまでは日本全体で見れば山地からの土砂流出量と海岸での浸食量はほぼ平衡していたと考えられる。あるいは平衡した状態で日本の海岸線が形成されたと言っても良い 
十七世紀以降半世紀前までは土砂流出過剰時代であり、その国土保全対策がこれまでの治山治水事業であったといえよう
ところが、山に木の増えた過去半世紀で土砂の流出は著明に減少して、河床の低下、汀線の後退、海岸浸食が問題になってきているのだそうです。ダムの建設が原因なのだとばかり思っていましたが、それだけではなく森林の変化の影響が大きいという指摘は、目から鱗でした。そして、こういった状況に対して著者は、
森は保全するだけでよいわけではない。手入れが必要であり、できる限り使うべきなのである 
里山は選んで残せ
と、提言しています。ただ、言うは易く行うは難し。経済的に引き合わなくなったので放置されている木々を利用しろということは、国産材に対する補助金を出さないと無理でしょう。また、古いことばですが3K職種の典型ともいえそうな山林労働者を確保するには、都市でのふつうの仕事で得られる賃金より相当多い額を提示することが必要な気がするし、例えそうしたとしても日本人は働きたがらないんじゃないでしょうか。中央政府も地方政府も大きな財政赤字を抱え、しかもこれから人口の減ってゆく日本ですから、森林には金をかけずに放っておくというのも一つの策だと思うのですが、どうでしょう。

本書によればスギの人工林も広葉樹林と比較してそれほど遜色のない機能をもっているそうです。また手入れされずにもやしみたいになってしまったスギが台風や大雨(温暖化で増えるのでしょうね)で倒れてしまったとしても、1000年やもっと長い目でみれば、日本の自然環境に適した樹種の森に自然に遷移してゆくでしょう。また森林を放置することで中山間地や川の下流に土砂災害の危険が増えるのだとしても、そもそも中山間地の限界集落、限界集落化しつつある地域の住人に福祉・医療などの公共サービスを提供すること自体が財政的に困難になってきているのですから、著者のいう減災の観点からも、また日本国憲法の公共の福祉の観点からも、都市に移住してもらうべきでしょう。そして森林の手入れと災害の防止に必要な資金は、都市を守るために必要なものに集中させる。海岸線についても、放棄できない規模の集住地は財政資金を投入してがっちりした防御施設を建設するとして、それ以外は十四世紀の汀戦まで後退することを覚悟すべきなんじゃないかと思います。

以前、ポメランツという人の書いたThe Great Divergenceという本を読んで書いたエントリーがあります。その本は、18世紀までの経済発展の程度に違いがなかった西ヨーロッパと中国・日本なのに、その後に西ヨーロッパだけが産業革命に成功するという相違が生じたのはなぜかという点を論じた本でした。ポメランツさんの主張の骨子は
  1. 西ヨーロッパ・中国・日本の中核地域はどれも18世紀には食料・繊維原料・燃料・建築用材という土地集約的な資源の入手の点でエコロジカルな限界に到達していた
  2. エコロジカルな限界を解決できなかった中国・日本は勤勉革命indsutrious revolutionにより、一人当たりの生活水準を低下させない途を選ばざるを得ず、袋小路に入り込んだ
  3. それに対して、イギリスを代表とした西ヨーロッパは、エコロジカルな限界に直面していた木材に代わって燃料となりうる石炭が利用しやすい地域に埋蔵されていたことと、新大陸を土地集約的な資源の産地・商品の市場として利用できたことから、産業革命industrial revolutionに成功した
というものでした。温暖湿潤な日本は、西ヨーロッパよりも木材の生育が速いのでしょうが、稲作のおかげで人口密度が高く、やはりエコロジカルな限界に突き当たっていたわけで、本書はその点を強く再認識させてくれました。また、勤勉革命を成し遂げた日本の姿は「江戸システム」として、平和でエコロジカルな世の中だったと賞賛されたりもしますが、本書の中のはげ山の写真や絵を見ると、袋小路に入り込んでしまったという評価の方が妥当な気がします。開港以後の日本の進路を見れば、少なくとも「江戸システム」の下で暮らしていた人たちが打開策があれば抜け出したいと思っていたのは明らかで、例えば長州の塩田では燃料として筑豊から石炭を移入し始めるなど、工夫していたわけですから。

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