2010年5月5日水曜日

帝国日本と財閥商社



春日豊著 名古屋大学出版会
2010年2月発行 本体8500円

恐慌・戦争下の三井物産というサブタイトルがついています。生糸、石炭、砂糖、金物、機械など有力な商品をラインナップに持ち、1920年代には遊資をかかえるほど三井物産は安定していました。しかし、世界恐慌の影響による最重要商品である生糸の価格の低下、日中戦争で重化学工業化や日本国内の統制の動き、日独伊三国同盟・第二次世界大戦の影響、日米通商航海条約の破棄、対英米開戦などの時代の変化に対応を余儀なくされていきます。

ただ、三井物産は傘下の企業数、信用力、資金力、支店ネットワークなどの点で他の商社に比較して有利でした。このため、世界的な不況に対しては国内市場での拡大を図ったり、統制の動きに対してはカルテルへの参加や生産者に対する投資などで対応したり、太平洋戦争開戦後にも植民地での投資や占領地での活動を慫慂されたり進んで行うなど、戦争末期まで事業規模を維持・拡大させ続けたというところが本書で述べられていることでしょうか。

他の主要商社に比較して三井物産が不況の1920年代にも安定した利益をあげていたのは、石炭、機械などが高い利益率だったからだそうです。特定商品の取り扱いに特化した商社と総合商社という対比からすると三井物産は総合商社だったのかも知れませんが、実態としては複数の有力な分野を持った商社だったように読めました。また、東南アジアからアメリカへのゴムや錫の輸出、麻原料・麻袋のインドから満州への輸出、満州からヨーロッパへの大豆の輸出など、三国間貿易で少なからぬ利益を出していた点などは三井物産の力量を示していますね、たしかに。

ただ、弱点もあったはずで、比較的高学歴・高収入の社員が多かったことからくるコスト髙の影響などもあったのではと想像されますが、どうなんでしょう。また、メーカーに対する融資や資本参加によって原料の一手購入、製品の一手販売権を得るのが三井物産のやり口だったわけですが、東芝の自販への志向に苦慮していたことや、生糸の有力メーカーだった群是・片倉の製品を無口銭で取り扱ったというエピソードなどが書かれています。恐慌や戦争の影響が大きかったこの時期に限らず戦後も含めて、長い目で見ればメーカーの成長によって商社の仲介が不要となる分野は多いのでしょう。

第二次大戦開戦後にドイツの希望するシベリア鉄道経由の貿易をイギリス・カナダによる報復的禁輸を恐れて当初は控えたということ、アメリカの資産凍結後は従来少なかった南アメリカへ食い込みを計ったことなど、興味あるエピソードです。あと、591ページに中国四大産品として生糸・茶・桐油・鶏卵で、鶏卵加工品が中国第二の輸出品と書いてありますが、鶏卵の輸出がそんなに多かったとは驚き。

日中戦争開始後の統制の強化に対応して、統制組織の中に入り込む努力がなされました。また、日米開戦後は中国占領地や南方で物資の収買や軍受命の活動が多くなされました。そして、対日期待物資の供給が不可能となる太平洋戦争後半の時期には、中国占領地・満州・朝鮮などで生産事業会社の設立に出資することまで求められるようになっていったそうです。

敗戦の予想というか、出資が全て無駄になる予感はなかったんでしょうか。文書として残せるような事柄ではないので、史料からは読み取りにくそうではあります。また、実際に占領地で仕事をした人たちからの聞き取り、オーラルヒストリーも敗戦後65年も経過しているので、生物学的に不可能なのかも知れません。でも、そういう人たちの残した記録類もあるはず。本書はその方面に関してはほとんど触れていません。そういう種類の本は他にあって、本書は三井文庫の史料を活用するためのものだと言われればそれまでですが。

「本書は、断続的に発表してきた論考を大幅に修正・加筆し、それに新たに書き下ろした論考を合わせて」とあとがきに書かれています。しかし、単に既発表の論文をまとめただけではないというわりに、同じ事項が繰り返し書かれている傾向があって、読んでいて多少うんざりする感じを持ちました。800ページちかい大冊なのですが、そうすればもっと短くなったのでは。

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