馬場公彦著 新曜社
2010年9月発行 税込み7140円
日本敗戦から文化大革命・日中復交までというサブタイトルの通り、敗戦から国交回復までの27年を対象とし、その間に総合雑誌に発表された記事が分析されています。対象となった論考は総計2500本以上にもおよび、また対象となる雑誌を求めて国外へも調査に行かれたそうです。私もこの時期の雑誌をまとめて読んだ経験がありますが、非中性紙が使われているためか、紙はひどく黄ばんでいるし、また実際に手に取ってページを繰るともろくなった紙がページの端の方から折れて破損することが頻繁で、扱いにかなり気を遣います。そんな物理的にも読みにくいものを多数読んで研究した労作が本書です。
本書では、敗戦から国交回復までを6つの時期に分けて分析しています。時期によって発行されていた総合雑誌にだいぶ変化があったことはあまり知らなかったので勉強になりました。記事の筆者(著者は公共知識人と呼んでいます)についても、戦後の早い時期には戦前戦中から中国で調査研究に当たっていた人たち、共産党員やシンパ、引き揚げ者や欧米人ジャーナリスト人の論考などが多く、反中国論者の出現は遅れ、さらに現代中国研究者はその後の時期になって増えて今に至っていること、文革期には新左翼系の論者がみられるようになったことなどの変化も興味を引きます。
どの雑誌が中国に関する記事を多く載せていたのか、どんなテーマで書かれた記事が多かったのか、どんな人が書いていたのかなど、本書はある意味ではこの期間の日本の論壇の通史として読めます。対象を中国とする論考とはいっても、日本人の著者が日本を意識してテーマを選んで書いていますし、外国人が書いた論考もそれが日本人の編集者に選択されて日本の総合雑誌に掲載されたと言う点で同じような意味を持つでしょう。そして、それら記事の筆者たち・編集者たちの意識の通奏低音となっていたのは「 新生中国という存在に仮託された、日本人の強烈なまでの自国・自国民の独立への希求である。裏返していえば、占領状態から非対称的な同盟状態へと移行したアメリカに対して、その庇護からの独り立ちを欲求する日本人の脱占領地化願望である」と著者は感じたそうで、これは本当にその通りだと感じました。
上記のように多くの時間と手間をかけた研究であることはよく理解できたし、また学ぶ点は少なくないのですが、私をびっくりさせてくれるような指摘・結論は本書の中にはなく、このテーマとしては読んでいて順当な議論の展開だとしか感じませんでした。でも、これは必ずしも批判しているわけではありません。昭和戦前期までを対象とした書物だと自分とは縁の薄い世界だということでもっと驚きやすかろうと思のですが、本書は私が生まれる前から子供の頃という、自分の知っていることから想像できる範囲内を対象としているので、そんな印象を持っただけかとも思います。
本書の最後の方には150ページ以上にわたって、本書の対象となった中国をテーマとした記事の筆者15人に対するインタビューが載せられています。本書の中で筆者がどんな時期にどんな記事を書いていたかが分かりますが、その背景についてプライベートなことまで交えて語ってくれています。例えば、本多勝一があの「中国の旅」を書くための中国での取材をどんな風に実現したのかなど。著者には悪いのですが、おまけにあたるこれらのインタビューがいちばん面白かった。
また、中嶋峰雄へのインタビューのあとがきで、朝日ジャーナル終刊時に発行された「朝日ジャーナルの時代」というダイジェストの中に、中国論は中嶋の書いたもの一本だけだったということが触れられています。本書の対象となる記事が最も多く載せられていた雑誌である世界についても、1995年に発行された「『世界』主要論文選」をみてみると、中国を主なテーマとした記事は五四運動にからめて中国の学生運動を書いた竹内好の一本だけ掲載されていませんでした。新中国礼賛や文革万歳を唱えるような記事は、今では抹消してしまいたいと思う論者が多いからなのかも知れませんが。
こんな風に存在を忘れられそうな戦後の中国論ですが、忘れ去っていいわけがなく、その後の時代や現代につながる問題が多々あります。例えば、賠償の放棄。日華平和条約の戦争賠償の放棄も日中国交正常化時の日中共同声明での賠償放棄も、当時の日本政府は成果として考えていたでしょう。でも、それで良かったのか、賠償を済ませておくべきだったのでは。などなど、戦後の中国を再認識させてくれる点でも本書は価値ある一冊だと思います。