2011年4月3日日曜日

資本主義の起源と「西洋の勃興」

エリック・ミラン著 藤原書店
2011年3月 本体4600円
第1章では、ヨーロッパにおける資本主義の起源に関して、大きく四つの理論的パースペクティブがあるとして、正統派マルクス主義、ブレナー主義(ブレナー・アプローチ)、近代化論、そして世界システム分析による主張を紹介し、それぞれの問題点を指摘しています。正統派マルクス主義や近代化論は「産業革命が近代の経済成長の源泉ではなく」むしろ、産業革命以前に遡って捉えられなければならない多元的な過程の帰結なのだということを忘れがちなのである」ということで、まあ論外な印象。ブレナー主義的なマルクス主義者も、封建的農民と貴族との階級闘争に関心を集中させ市場の役割を最小限に切り詰めようとしていて「資本主義への移行の問題への取り組みが一般に中世ヨーロッパにおいてもっとも都市化が遅れた地域に集中している」というおかしな状況になってしまっています。
世界システム分析は、資本主義的な世界=経済の出現を征服と植民地化を通じた諸地域の包摂と(半)周辺化と表裏一体のもの、産業革命に与えられた重要性の虚妄をはごうとする理論であると著者は肯定的に評価しています。また資本主義への移行が封建制下のヨーロッパに起こり、それ以前にも、その他の地域でも起こらなかったことを論じる点で、世界システム分析は中世の問題を無視してはないません。しかし、「世界システム理論は、おおよそ紀元1500年より前の前資本主義的状況には、全面的には適用することはできないということで多くの論者の見解は一致している。すると疑問が生ずる。十六世紀より前には、資本主義はなかったのか。この問いに対する答えは、空間的前提のほうに同意するか、時間的前提の方に同意するかによってかわってくる」と著者は述べます。
「ウォーラーステインは資本主義への移行を1500年前後にお」き、例えば「1150-1300年の地中海地域のように資本主義的な世界=経済への移行が始まったと思われる地域・時期があったが、1450年に先立つ移行はことごとく流産した」としています。近代化論や正統派マルクス主義やブレナー主義と同じく「世界システム分析も「中世における資本主義の出現を説明するという点で一定の問題を抱えていた。それらが繰り返し論じてきたのは、中世の「後進性」、すなわち停滞した職人経済であり、資本主義の衣をまとった近代によって洗い流されるのを待つばかりの「封建制の危機」の主題」でした。しかし、例えば「ブローデルは、ウォーラーステインとは異なり、資本主義の概念を中世に適用することに躊躇などないのである。そればかりか、ブローデルは、世界システム分析の諸概念(たとえば、中核、半周辺、周辺など)をこの時代に適用することにもやぶさかでは」ありません。
著者も「16世紀初頭のこととされている商業的な資産経営の多くの側面は、その二世紀前にすでに興味深い等価物が存在し」ていると考えていて、「再考と検討を要するのは、資本主義が世界=経済に拡大する前の中世ヨーロッパにおける資本主義の出現についてなのである。中世に資本主義が出現したことは、賃金労働、階級闘争、資本の再配置、都市の中核による周辺的な農村の搾取、労働力費用の最小化とさらなる不断の資本蓄積を目的とした技術革新による労働力の代替(たとえば風車や水車)、物質世界の商品化、精神世界の合理化などに観察されうる。要するに、今日の資本主義の近代的特徴は、中世にルーツがあるのだ」「資本主義のいくつかの特徴が1500年以前ーーもっと正確に言えば1100-1350年ーーのヨーロッパにすでに強力に現れており、しかもその重要性が増大してきているというのなら、封建制は、突然かつ完全に、新しい別の蓄積体制に取って代わられたというよりも、むしろゆっくりと危機に沈んでいったというほうが説得的なのではないだろうか。あるいは別様に言えば、封建制のシステムは、緩慢で苦痛に満ちた衰退期に入り、最終的に資本主義の「論理」が支配的となることによって乗り越えられていったということではないだろうか」と述べ、「資本主義は12世紀以降のヨーロッパに出現したとする枠組みを提示」します。そして、ヨーロッパだけに資本主義が発生した理由として「都市国家間システムの重要性を強調」しています。
「ヨーロッパにおいては、商人共同体とギルドは、政治的に独立した都市国家(それは十六世紀の国家間システムの先駆的な形態である)において権力を求めて闘争した。そうした権力を獲得することが商人エリートとしての成功にとって決定的に重要であり、またそのことが国家機構を自分たちの有利に用いることを可能にした。結局のところ、長い目で見た資本蓄積の成功への鍵は、以下に課税を低く抑えておくかだけではなく、いかに国家が持つ資源(資本の最大化を円滑にする上では、できればその財源は貧しい人々への課税によるのが望ましい)を使って取引費用、輸送費用、安全保障の費用を最小化する」ことであり、商人が政治権力を握ったヨーロッパではそれが可能でした。
そして、このヨーロッパの都市国家間システムのユニークさを浮き彫りにするため、第2~4章で、16世紀以前の中国、インド、北アフリカの状況が紹介されます。ヨーロッパには遊牧民による破壊を免れたという幸運もありましたが、それだけが差異を生んだのではありません。中国やインドや北アフリカにも富裕な商人が多数存在していました。しかし「インドおよび中国において商人がーー信じられないほどの富を蓄積したにもかかわらずーー相対的に政治的権力を手にすることができなかった」ことが繰り返し述べられています。それらの地域の商人は政治的権力を握ることができなかったために「富の蓄積自体は(商人によるものを含めても)アジア、アフリカ、ヨーロッパを通じて、どの地域にも見られるものである。しかし、植民地化、搾取、中核による従属的周辺の支配という過程の推進から資本を蓄積するという体系的政策は、ヨーロッパの商人によって着手された、むしろ例外的な過程であ」り、その他の地域では資本主義を生みだすことができなかったというわけです。
世界システム論は好きな考え方ですが、本書は中世までを視野に入れ、商人の支配した都市国家というユニークな存在からなぜヨーロッパ発だったのかをより説得的に語った議論だと感じました。そもそもウォーラーステインさんだって、近代世界システムの最初の巻を書き始めた時には、近現代の状況の説明につながるかたちでの世界システムの出現の方に関心があって、ヨーロッパの中世に資本主義の萌芽をもたらす独特な要素の存在を全くみとないのかどうかについてまで細心の注意をもって見通していたわけではないと思うのです。ですから、本書のような議論が、その点を補強するようなかたちなのかなと。
で、これはヨーロッパ中心史観でしょうか?本書のなかで著者は、 ヨーロッパ社会に固有の一連の諸要素がヨーロッパの拡張を他の地域とは違う「特別」なものにしたという主張に同意しないと書いています。しかし、ヨーロッパに独特な都市国家システムと商人の政治的地位が、そうでないとはとても言えないのではないでしょうか。そもそもヨーロッパから始まる近代世界システムを語るには、ヨーロッパに特有の事情を持ち出さないことには納得ゆく説明ができないと私は思います。
一つの世界=経済ができあがる以前のヨーロッパ以外の他の地域、例えば中世以前の中国世界システムなどでは、中心が周辺を支配して不等価交換をしていたというようなかたちで説明されるような現象はなかったかんでしょうか。また、16世紀以降にではなく、12世紀に資本主義の起源を求める議論のさらに先には、いつかは第一ミレニアムの頃にもその片鱗をもとめるような議論が出てきたりはしないのでしょうか。その辺は気になります。
注が非常に多い著作なので、注をまとめて巻末や章末に置くスタイルではなく、各ページに配するこの本のスタイルは読みやすく感じました。

私的正誤表
ページ本書の中の表現より正しそうな表現
23王室財政が(イングランドとの交易の勅許に対して)外国商人からの受け取る支払いによる歳入は、全国王領からの歳入に匹敵するまでに増大した 王室財政が(イングランドとの交易の勅許に対して)受け取る外国商人からの支払いによる歳入は、全国王領からの歳入に匹敵するまでに増大した
67注5こういった「社会政策がキリスト教的慈善に動機によってではなくこういった「社会政策がキリスト教的慈善という動機によってではなく
79注93 最後に、以上に諸点の劣らず重要なのは 最後に、以上の諸点の劣らず重要なのは
122開封の市民には、「自分たちを利害を表明する機関としての独立した市政府はなかった開封の市民には、「自分たちの利害を表明する機関としての独立した市政府はなかった
127注68 実際に起こったものは、西欧貴族に全般的弱体性に関係している 実際に起こったものは、西欧貴族の全般的弱体性に関係している
142グプタ朝(およそ600ー900年)滅亡後の激しい経済的衰退ののち グプタ朝滅亡後の激しい経済的衰退(およそ600ー900年)ののち
154ブローテル ブローデル
171注43 イギリスによいる統治 イギリスによる統治
236スターン諸国家 スーダン諸国家

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