ノーマン・デイビス著
白水社
2012年10月10日印刷
2012年11月10日発行
第2巻はワルシャワ蜂起の終焉とその後を描いています。戦闘員の資格を確認してもらってドイツ軍に降伏した人たちだけでなく、地下に潜った人も、戦線のソ連側に逃れた人も、逮捕されて拷問や過酷な収容所生活を経験したり、また戦後にも引き続きつらい生活を余儀なくされる場合が多かったも触れられていました。ずいぶんとむかし、アンジェイ・ワイダ監督の地下水道、灰とダイヤモンドを観たことがありますが、その時には彼のいいたいことの10分の1も理解できていなかった感じ。この本を読み終えた今なら、なぜああいう映画が撮られたのかを考えることのできる観客になれそうです。
本書の終章は中間報告と銘打たれています。著者はワルシャワ蜂起失敗の原因がソ連だけにあるわけではないと述べていますが、スターリンの悪意にもとづく無作為に最大の問題でしょう、やはり。また、チャーチルをはじめ、イギリス政府の中にはワルシャワ蜂起を充分に支援できなかったことに対する後悔があります。ワルシャワ蜂起の時期、イギリスがソ連にもっと強い態度に出ることができなかったのはなぜなんでしょう。すでに第2戦線は開いたし、1944年春夏の頃ならソ連がドイツと講和を結んでしまう可能性なんてゼロでしょう。それとも終章に述べられているように、イギリスは戦争も国民生活の維持もアメリカに大きく依存していたから、日本へのソ連の宣戦布告を希望するゆえか否かは不明だが、ソ連に対して融和的なルーズベルト大統領はじめアメリカの意向を考慮して、ソ連に対して遠慮しなければならなかったということなんでしょうか。だとするとアメリカの責任も小さくはないわけですね。また、もっと根本的な問題として、ポーランドへの侵入を理由にドイツに宣戦布告したイギリスとフランスが、同じようにポーランドとの条約を破ってポーランドに侵入したソ連に対しては宣戦布告しなかった理由がなんだったのか不思議に思え、本当はこのへんのイギリスの対応にも遠因があるのだろうと感じます。ドイツだけで手一杯で、できればソ連とドイツを戦わせたかったのは分かるんですが、当時、それへの宣戦布告は検討されなかったのか、気になってしまいました。
本書のテーマからは少しはずれますが、本書からもスターリンのソ連は際立って異常だと感じてしまいました。スターリンが異常な人だったのは確かですが、弾圧を実行するには末端で実際に手を下す人たちが多数必要なわけで、スターリンが異常だっただけではなく、NKVDなどの下っ端職員も含めて異常だったんだと思います。もちろん中には自分の身を守るため、生活のために仕事をしただけという人もいるのでしょうが、それだけではああいうことにはならなかったのではないか。スターリンだけでなくソ連の抑圧旗艦の職員にも、理想の社会を作り上げるためには敵と敵からの妨害を排除しなければならないという使命感があったからこそ、ああいったことが実行できたんでしょう、きっと。戦後のポーランドの初期の施政者の中には同じような使命感をもった人が少しはいたのかも知れませんが、その下の公務員たちはやはり生活のために働いていただけなんだろう、だからポーランドの統一労働者党政権が長期間の安定をみることはなかったんでしょう。世紀を単位とした長い目で見ると、スターリンの奸策もポーランドの人のロシアに対する見方をさらに一層厳しくしただけに終わったと感じます。
ワルシャワ蜂起 1944 上の感想
ワルシャワ蜂起 1944 上の感想
3 件のコメント:
上巻の記事でコメントさせていただいた者です。
今回の記事を拝読しまして、ご興味を持たれた点に関してぜひお薦めしたいのが、『ポーランドを生きる―ヤルゼルスキ回想録』(ヴォイチェフ ヤルゼルスキ, 工藤 幸雄訳, 河出書房新社)です。
ご存知だと思いますが、彼はポーランド人民共和国の最初で最後の大統領です。
そして、革命という形ではなく、哲学者レシェク・コワコフスキが再定義した「市民」との話し合いを通じ平和的で穏健な形で民主主義への体制転換を実現した人です。
彼はワルシャワ蜂起のまさにそのときソ連のポーランド第一軍団の将校としてプラガ地区におり、そのときのことが書いてあります。
(ここは彼にしては非常に珍しく激烈な感情表現がみられる箇所なので多くは申しません。)
また、戦後は思想というよりはむしろ生活のために(まさにポーランドを「生きる」ために)働いていた、ほとんどノンポリとも言える「職業共産主義者」でもありました。
上記の本はすでに廃版となっていますので、図書館や古書店などで探してみてください。
ご教示ありがとうございます。
機会を見つけて読んでみようと思います。
とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!
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