2013年6月20日木曜日

「謎解き判大納言絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻の謎」


黒田日出男さんの「謎解き判大納言絵巻」と「吉備大臣入唐絵巻の謎」の2冊を続けて読みました。前者は2002年、後者は2005年発行と、もう10年も前の本ですが、近所の本屋さんで売られていました。残念なことに2冊とも小口を研磨された状態でした。小口を研磨された本を買うくらいなら、amazonさんで中古を買った方がましだと考える人もいるかもしれません。でも出版された当時に買わなかった自分の不明を反省する意味もあるし、また営業不振になって店を畳まれたりしても困るので店頭に現物がある本はなるべく近所の本屋さんを利用するようにしています。

2冊とも丁寧に鑑賞・研究史をたどり、2つの絵巻のどちらにも詞書と対応しないように見える絵が存在している(=謎)ことを指摘します。絵巻というものは大人のための絵本のようなものでしょう。しかもこの2つの絵巻は偉い人(後白河法皇らしい)の委嘱で作成されたものですから、その偉い人が謎解きを主眼にした作品を注文したのでもない限り、委嘱者やその取り巻きの人たちが楽しく無理なく鑑賞できるように描かれたはずです。それなのになぜ「謎」の絵が存在するのか、従来の研究ではその点が充分に説明されていませんでした。

著者は2つの絵巻をモノとしてしっかり観察し、両者に錯簡と、それを証す補筆のあることを指摘します。錯簡を正してみると「謎」だった絵とその近くの詞書がしっかり対応するようになり、理解できるというのがこの2冊での著者の主張で、とても説得的だと感じました。また黒田さんのストーリーテラーとしての才能はこの2書にも発揮されていて、とても面白い本でもあります。

でも読み終えたあとになんの疑問も感じなかったかというとそうではありません。著者の説明で「謎」自体ははたしかに解消しそうですが、その背後にある錯簡と補筆については新たな疑問が生じます。例えば、800年も前につくられた絵巻ですから、紙と紙の貼り合わせ部が剥がれてしまっても不思議はありません。でも錯簡が生じるということは、巻物を開いた時に同時に2カ所以上の剥がれた箇所が発見され、その補修の際に誤って接合したということになります。巻物だからいったん剥がれても、剥がれた紙どうしの関係を見失いにくいような気がしますがどうなんでしょう。

また補筆しているということは、紙面をじっくり観察し、補修で接合した紙同士の並び方に整合性がないことを認識し、それを糊塗するため実施したに違いありません。すると、錯簡を生じた補修の行われた時期と、補筆の行われた時期とはかなり離れていたとしないとおかしなことになります。でも錯簡を正すのではなく、補筆で辻褄を合わせるという選択がされたのはなぜなんでしょう?

錯簡が生じ、補筆が行われたのはいつ頃のことだったのでしょう?宝物として大切に保管されてきた絵巻も、作成されてから長い年月が経過し、数ヶ月とか数年に一回しか鑑賞されなくなったが故に、所有・管理者も補修にあたる技術者も、絵と詞書を正しく対応させることができなくなった。作成されてからそのくらい長い時間の経過した頃に補修(=錯簡の出現)が行われ、さらに長い時間が経過して補筆が行われたということなのでしょうか?こういったあたり、この2冊ではまったく触れられていません。この2冊が出版されてから10年ですから、新たな研究が発表されているのかも知れませんが。

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