学生の頃は引っ越すこともあったし、引っ越すたびに本を処分したので、大量の本を持っていたわけではありません。でも、引っ越さなくなると、本ってよほどひどいものでなければ、ほとんど捨てる気になれないもの。なので、蔵書は少しずつ増えてしまいます。ただ、これまでは特に記録をとっていなかったので、毎年どのくらいの量の本が増えてゆくのか、自分でも分かりませんでした。このブログを書き始めた理由の一つは、読書記録をつけてみることでした。
この一年間に購入して読み終えた本は72冊。毎年100冊以上を読む人もいるそうですが、私が読んだ本には文庫・新書は少なくハードカバーで厚めの本が多いので、まあ、こんなものでしょう。これ以外にも、雑誌を読んだり、仕事の関係で読まなければならないものも少なくなく、活字中毒と言えるのかも知れません。価格は、72冊で税込み248226円でした。月に2万円ほどを本に費やしていることになりますが、これはだいたい予想通り。
72冊を並べると背表紙の幅の合計が165センチメートルほどになりました。これだと、スチールの書棚がだいたい3年で満杯になる計算です。今は、一つの部屋にスチールの書棚を11本置いてあるのですが、すでにいっぱいで書棚の上にも何冊も重ねてある状況。これまで崩れたことはありませんが、ある程度以上の地震が来ると危なそう。でも、その部屋で寝たりするわけではないので、いつぞやの地震で崩れた本の下敷きになって死んだ仙台の人のようになることはないと思います。
ただ、本が増えてもう一つ気になることは、重さです。72冊合わせて重さを量ってみると35キログラム程でした。30年分たまると、1トン以上になります。たしかに、書棚の数からざっと計算すると、現在の蔵書だけで1トンはありそうです。これって、今後も毎年増えていくわけですから、マンションの床が耐えられるのかどうかが少し心配です。
このページの記事一覧

原純輔編 日本図書センター
2008年3月発行 本体4800円
行動経済成長の影響、そして学歴・貧困・政治意識などをテーマとして、1971年から1985年頃に書かれた社会学の論文を27本集めた本です。社会学の論文はデータや図表が多いせいか、また単行本として出版されることが多いためなのでしょう、この本には一部を収録されているものが多くなっています。
あの頃、一億総中流時代といわれていたのを想い出します。新中間階層・新中間大衆の出現を唱える論者と否定する論者の間で中流論争がなされましたが、今から振り返ってみると「中流」は幻想だったのかなと感じてしまいます。ただ、実際には階層間の格差がありながら、90%以上の人たちが自分を「中」であると感じていられたということは、とても幸せな時代だったことは間違いありません。
この年代は私が子供から大人になった頃で、自分も日本も豊かになりつつあるということを実感できた時代でした。ただ、そんな頃でも、格差・貧困の存在をきちんと論じていた人たちがいたことも収録された論文から、よく分かりました。
27本の中にはマルクス主義的な視点・用語で書かれた論文もいくつかあります。たとえば山田盛太郎の本とか、むかしはそういった表現を当然と思って読んでいたものです。でも、いまそういった言葉遣いの論文を読むと、内容は別にしても、やはり時代を感じるばかりです。
また、私が歴史や社会科学の本を好んで読むようになったのはこの時代です。私にとっては全くの過去の事態として日本の敗戦があり、なぜ戦争するようになったのかが問題関心の一つとしてあったのです。で、この頃から現在までの年数と、この頃と戦争の頃の間の年数とが、同じくらいになってきてるんですね。自分の生きていた頃が歴史になりつつあるというのも不思議な感じでした。

小川和也著 平凡社選書229
2008年8月発行 税込み2940円
張養浩という元代の人が、地方官に任命され赴任して実際に統治する際の心得を牧民忠告という本の形でまとめました。牧民忠告は、朝鮮で出版された本の形で日本に伝わりました。本書は、江戸時代における日本での牧民忠告など牧民の書の受容過程と仁政思想の展開を主題にしています。
本書は江戸時代の政治思想についての本なのですが、序章には戦後の近世思想史研究の流れが著者なりの観点からごく簡単にまとめられていて、私には面白く読めました。「頂点的思想家」の著作のテキストを材料としていた丸山真夫の頃とは違って、1990年代からは書物研究という新しい手法が使われるようになり、書物自体の受容・分布状況などから、ある観念の社会的な広がりを知ることができるというものです。この著者もこの手法を用いている訳です。
近世国家は寛永大飢饉の克服を経て確立したというのが江戸時代の政治史の常識だそうですが、この飢饉の克服にあたって「民は国之本也」という考え方を打ち出した幕閣を構成する譜代大名が、まず牧民忠告に注目します。譜代大名は将軍からその領地を任されている存在ですから、自分のことを牧民にあたる地方官として考えやすかったわけですね。牧民忠告は漢籍ですが、伊勢桑名藩主松平定綱は、日本語の注釈書を自らつくり、自分の子孫へと残した程です。
他にも牧民忠告に着目して日本語で注釈書を記した何人かいて、江戸時代初めには写本で流布していたのですが、後には藩や書肆から印刷出版されるようになります。版本となって入手しやすくなったせいか、江戸時代も後期になると藩主から任命されて地方の実際の統治を任される代官やその手代層が、これらの書物の読者として期待されるようになります。牧民官として想定される読者が、将軍から領国の統治を任された大名から、大名により地方の統治に任じられる代官にまで変化した訳です。さらには、庄屋の中にも村内をまとめる役目を担っているという意識からこれらの書物を読むような人がいたそうです。
そういった受容の変化の他に、注釈書によっては「皆乾坤ノ一蒼生ニシテ、本来ハ差別ナシ ・・・・ 伏義、神農、黄帝ノ、イテタマイ、君臣上下等ノ差別アリ」のように、大昔の人間は平等だったのに伏義、神農、黄帝が出現してから、つまり文明化してから身分の差別が生じたという表現があったり、「天下之宰相モ一村之庄宦モ同一体ニシテ、無差別ナリ」のように宰相も村役人も平等と主張されていたりなど、平等思想を打ち出しているものがあったそうです。平等思想がある程度あたりまえになっていたとすると、安藤昌益もそう孤立した思想家だとは言えないのかも知れません。
その他、本書では日本の国家意識、廃藩置県、明治維新後の牧民忠告などについても触れられています。廃藩置県についてまで影響しているというのはにわかには賛同しがたいのですが、戦時中の占領地統治に際して陸軍が牧民忠告を印刷して配布したとか、現在でもリーダーの座右の書として売られているとなんていうエピソードには、びっくり。
2008年10月14日火曜日
2008年10月13日月曜日
このブログも一年
このブログも去年の10月13日に書き始めてから一年がたちました。読書の記録と時々の感想を書いてるだけのブログで、たいして面白い内容の記事があるわけでもないと思います。それでもお立ち寄り下さる方がいらっしゃるので、一年間続けることが出来ました。ありがとうございます。
2008年10月12日日曜日
リーディングス戦後日本の格差と不平等 第2巻広がる中流意識

原純輔編 日本図書センター
2008年3月発行 本体4800円
行動経済成長の影響、そして学歴・貧困・政治意識などをテーマとして、1971年から1985年頃に書かれた社会学の論文を27本集めた本です。社会学の論文はデータや図表が多いせいか、また単行本として出版されることが多いためなのでしょう、この本には一部を収録されているものが多くなっています。
あの頃、一億総中流時代といわれていたのを想い出します。新中間階層・新中間大衆の出現を唱える論者と否定する論者の間で中流論争がなされましたが、今から振り返ってみると「中流」は幻想だったのかなと感じてしまいます。ただ、実際には階層間の格差がありながら、90%以上の人たちが自分を「中」であると感じていられたということは、とても幸せな時代だったことは間違いありません。
この年代は私が子供から大人になった頃で、自分も日本も豊かになりつつあるということを実感できた時代でした。ただ、そんな頃でも、格差・貧困の存在をきちんと論じていた人たちがいたことも収録された論文から、よく分かりました。
27本の中にはマルクス主義的な視点・用語で書かれた論文もいくつかあります。たとえば山田盛太郎の本とか、むかしはそういった表現を当然と思って読んでいたものです。でも、いまそういった言葉遣いの論文を読むと、内容は別にしても、やはり時代を感じるばかりです。
また、私が歴史や社会科学の本を好んで読むようになったのはこの時代です。私にとっては全くの過去の事態として日本の敗戦があり、なぜ戦争するようになったのかが問題関心の一つとしてあったのです。で、この頃から現在までの年数と、この頃と戦争の頃の間の年数とが、同じくらいになってきてるんですね。自分の生きていた頃が歴史になりつつあるというのも不思議な感じでした。
2008年10月9日木曜日
畑の大根
2008年10月8日水曜日
暑かったり、涼しかったり
秋は気温の差が大きい季節ですね。一日のうちで日中は暖かくても朝晩は涼しいということもあるし、日々の気温の違いもかなりのものです。先週の月曜日はかなり涼しい日でした。往診に行くとこたつが出ていたり、石油ストーブをつかっていたお宅も一軒ありました。私もその頃まではタオルケットと毛布を重ねてかけて寝ていたのですが、夜中に寒さで目覚めて、あわてて布団を押し入れから出した記憶があります。
その後は暖かい日もあったりして、日中は半袖でもいいくらいの日も少なくありません。すると今度は布団をかけていると夜中に暑くて目覚めたり。この季節になると寝汗をかいて心配だということで受診する方を見受けます。結核などで寝汗を症状とすることもまれにはあるのですが、かけている布団が多すぎる方がほとんどだと思います。
ふつうの人の場合には、暑いと感じれば自分でかけている物を調整できるのでいいのですが、寝たきりの方などでは、かけてある布団が多すぎることが問題となることがあります。体を動かして布団をはいだり蹴っ飛ばしたりできるレベルならばいいのですが、それも出来ない人の場合には、体温が上がってしまうこともあります。自宅で寝たきりの方を介護している人は基本的に優しい方たちで、「寒くないように」とお考えの方が多いようです。でも、「暑すぎないように」という心遣いも必要なのです。
訪問診療を20年近く続けてきてみて、「寒くないように」という心遣いをする介護者は多いのに、「暑すぎないように」という注意も必要なのだということには、訪問看護師など専門家からのアドバイスがないと気づいていない方が少なくありません。これって、ちょっと不思議。「寒くしていると風邪をひく」という誰でも知っている言い伝えが影響しているのでしょうが、医療に携わっているとこんな風に文化の影響を感じることがあります。
その後は暖かい日もあったりして、日中は半袖でもいいくらいの日も少なくありません。すると今度は布団をかけていると夜中に暑くて目覚めたり。この季節になると寝汗をかいて心配だということで受診する方を見受けます。結核などで寝汗を症状とすることもまれにはあるのですが、かけている布団が多すぎる方がほとんどだと思います。
ふつうの人の場合には、暑いと感じれば自分でかけている物を調整できるのでいいのですが、寝たきりの方などでは、かけてある布団が多すぎることが問題となることがあります。体を動かして布団をはいだり蹴っ飛ばしたりできるレベルならばいいのですが、それも出来ない人の場合には、体温が上がってしまうこともあります。自宅で寝たきりの方を介護している人は基本的に優しい方たちで、「寒くないように」とお考えの方が多いようです。でも、「暑すぎないように」という心遣いも必要なのです。
訪問診療を20年近く続けてきてみて、「寒くないように」という心遣いをする介護者は多いのに、「暑すぎないように」という注意も必要なのだということには、訪問看護師など専門家からのアドバイスがないと気づいていない方が少なくありません。これって、ちょっと不思議。「寒くしていると風邪をひく」という誰でも知っている言い伝えが影響しているのでしょうが、医療に携わっているとこんな風に文化の影響を感じることがあります。
2008年10月2日木曜日
平凡社選書の日本史の本
「牧民の思想」の記述によると、江戸時代の思想史で書物研究という新しい手法が使う始めたのは、若尾政希という研究者なのだそうです。この「牧民の思想」と同じ平凡社選書の一冊に、若尾政希著の「『太平記読み』の時代」という本があります。太平記評判秘伝理尽秘鈔という楠木正成を超人的に描いた太平記の注釈書を題材に書物研究という手法を実践してみせてくれていて、とてもエポックメーキングな本だと感じました。私も古い方の人間で、江戸時代の思想史といえば儒学などを思い浮かべるたちだったので、太平記(ほんとは太平記の注釈書)が取り上げられている点にまず驚かされました。数万人規模の軍勢の数があちこちに出没するなど、太平記は戦記物語の中でも特に荒唐無稽ですからね。
平凡社選書には他にも日本史関係でエポックメーキングと感じた本があります。私の買った最初の平凡社選書で、もう30年近く前に読んだ本ですが、網野善彦著の「無縁・公界・楽」がそうです。網野ブームのきっかけになった本だったと思います。その後の展開や他の人の主張も読むと、必ずしも全面的に賛同できる主張ではないと思うようにはなりましたが、とにかくインパクトは強かった。
あと、笠谷和比古著の「主君『押込の構造』」もそうです。お家騒動って、樅ノ木は残ったや伽羅先代萩などの文学的な題材か、または三面記事的な興味の対象にしかならないのかと思っていました。でも、多数例を集めて主君廃立慣行の存在を示し、 大名家の成立や武士の考え方を抽出する鮮やかな手際には感心するしかありません。
他にも平凡社選書の中には日本史の本がたくさんあるのですが、その中でも私が面白いと感じたのは、ざっとこんなもの。
井上鋭夫 山の民・川の民
笠松宏至 法と言葉の中世史
塚本学 生類をめぐる政治
橋本義彦 平安貴族
石井進 鎌倉武士の実像
平松義郎 江戸の罪と罰
早川庄八 中世に生きる律令
藤木久志 戦国の作法
龍福義友 日記の思考
前田勤 兵学と朱子学・蘭学・国学
読みやすさと面白さという点では「法と言葉の中世史」が、一番のおすすめ。「生類をめぐる政治」も、生類憐れみの令を別の角度から見せてくれるとともに、イノシシなどの野獣から畑の作物を守るための鉄砲が農山村にはたくさんあったことを教えてくれて、刀狩りに対する考え方が変わりました。
まあ、これだけ好著が揃っているってことは、平凡社にはかなり優秀な日本史関係の編集者がいるってことなんでしょうね。あと、目立たせるためだと思うのですが、平凡社選書は数年前に白地で背表紙の上下に黄色の帯のあるカバーに変わりました。でも、私としては昔の地味な白茶白のカバーの方が好きです。茶色は褪色しやすかったけれど。
平凡社選書には他にも日本史関係でエポックメーキングと感じた本があります。私の買った最初の平凡社選書で、もう30年近く前に読んだ本ですが、網野善彦著の「無縁・公界・楽」がそうです。網野ブームのきっかけになった本だったと思います。その後の展開や他の人の主張も読むと、必ずしも全面的に賛同できる主張ではないと思うようにはなりましたが、とにかくインパクトは強かった。
あと、笠谷和比古著の「主君『押込の構造』」もそうです。お家騒動って、樅ノ木は残ったや伽羅先代萩などの文学的な題材か、または三面記事的な興味の対象にしかならないのかと思っていました。でも、多数例を集めて主君廃立慣行の存在を示し、 大名家の成立や武士の考え方を抽出する鮮やかな手際には感心するしかありません。
他にも平凡社選書の中には日本史の本がたくさんあるのですが、その中でも私が面白いと感じたのは、ざっとこんなもの。
井上鋭夫 山の民・川の民
笠松宏至 法と言葉の中世史
塚本学 生類をめぐる政治
橋本義彦 平安貴族
石井進 鎌倉武士の実像
平松義郎 江戸の罪と罰
早川庄八 中世に生きる律令
藤木久志 戦国の作法
龍福義友 日記の思考
前田勤 兵学と朱子学・蘭学・国学
読みやすさと面白さという点では「法と言葉の中世史」が、一番のおすすめ。「生類をめぐる政治」も、生類憐れみの令を別の角度から見せてくれるとともに、イノシシなどの野獣から畑の作物を守るための鉄砲が農山村にはたくさんあったことを教えてくれて、刀狩りに対する考え方が変わりました。
まあ、これだけ好著が揃っているってことは、平凡社にはかなり優秀な日本史関係の編集者がいるってことなんでしょうね。あと、目立たせるためだと思うのですが、平凡社選書は数年前に白地で背表紙の上下に黄色の帯のあるカバーに変わりました。でも、私としては昔の地味な白茶白のカバーの方が好きです。茶色は褪色しやすかったけれど。
2008年10月1日水曜日
牧民の思想

小川和也著 平凡社選書229
2008年8月発行 税込み2940円
張養浩という元代の人が、地方官に任命され赴任して実際に統治する際の心得を牧民忠告という本の形でまとめました。牧民忠告は、朝鮮で出版された本の形で日本に伝わりました。本書は、江戸時代における日本での牧民忠告など牧民の書の受容過程と仁政思想の展開を主題にしています。
本書は江戸時代の政治思想についての本なのですが、序章には戦後の近世思想史研究の流れが著者なりの観点からごく簡単にまとめられていて、私には面白く読めました。「頂点的思想家」の著作のテキストを材料としていた丸山真夫の頃とは違って、1990年代からは書物研究という新しい手法が使われるようになり、書物自体の受容・分布状況などから、ある観念の社会的な広がりを知ることができるというものです。この著者もこの手法を用いている訳です。
近世国家は寛永大飢饉の克服を経て確立したというのが江戸時代の政治史の常識だそうですが、この飢饉の克服にあたって「民は国之本也」という考え方を打ち出した幕閣を構成する譜代大名が、まず牧民忠告に注目します。譜代大名は将軍からその領地を任されている存在ですから、自分のことを牧民にあたる地方官として考えやすかったわけですね。牧民忠告は漢籍ですが、伊勢桑名藩主松平定綱は、日本語の注釈書を自らつくり、自分の子孫へと残した程です。
他にも牧民忠告に着目して日本語で注釈書を記した何人かいて、江戸時代初めには写本で流布していたのですが、後には藩や書肆から印刷出版されるようになります。版本となって入手しやすくなったせいか、江戸時代も後期になると藩主から任命されて地方の実際の統治を任される代官やその手代層が、これらの書物の読者として期待されるようになります。牧民官として想定される読者が、将軍から領国の統治を任された大名から、大名により地方の統治に任じられる代官にまで変化した訳です。さらには、庄屋の中にも村内をまとめる役目を担っているという意識からこれらの書物を読むような人がいたそうです。
そういった受容の変化の他に、注釈書によっては「皆乾坤ノ一蒼生ニシテ、本来ハ差別ナシ ・・・・ 伏義、神農、黄帝ノ、イテタマイ、君臣上下等ノ差別アリ」のように、大昔の人間は平等だったのに伏義、神農、黄帝が出現してから、つまり文明化してから身分の差別が生じたという表現があったり、「天下之宰相モ一村之庄宦モ同一体ニシテ、無差別ナリ」のように宰相も村役人も平等と主張されていたりなど、平等思想を打ち出しているものがあったそうです。平等思想がある程度あたりまえになっていたとすると、安藤昌益もそう孤立した思想家だとは言えないのかも知れません。
その他、本書では日本の国家意識、廃藩置県、明治維新後の牧民忠告などについても触れられています。廃藩置県についてまで影響しているというのはにわかには賛同しがたいのですが、戦時中の占領地統治に際して陸軍が牧民忠告を印刷して配布したとか、現在でもリーダーの座右の書として売られているとなんていうエピソードには、びっくり。
登録:
投稿 (Atom)

