2008年10月1日水曜日

牧民の思想


小川和也著 平凡社選書229
2008年8月発行 税込み2940円

張養浩という元代の人が、地方官に任命され赴任して実際に統治する際の心得を牧民忠告という本の形でまとめました。牧民忠告は、朝鮮で出版された本の形で日本に伝わりました。本書は、江戸時代における日本での牧民忠告など牧民の書の受容過程と仁政思想の展開を主題にしています。

本書は江戸時代の政治思想についての本なのですが、序章には戦後の近世思想史研究の流れが著者なりの観点からごく簡単にまとめられていて、私には面白く読めました。「頂点的思想家」の著作のテキストを材料としていた丸山真夫の頃とは違って、1990年代からは書物研究という新しい手法が使われるようになり、書物自体の受容・分布状況などから、ある観念の社会的な広がりを知ることができるというものです。この著者もこの手法を用いている訳です。

近世国家は寛永大飢饉の克服を経て確立したというのが江戸時代の政治史の常識だそうですが、この飢饉の克服にあたって「民は国之本也」という考え方を打ち出した幕閣を構成する譜代大名が、まず牧民忠告に注目します。譜代大名は将軍からその領地を任されている存在ですから、自分のことを牧民にあたる地方官として考えやすかったわけですね。牧民忠告は漢籍ですが、伊勢桑名藩主松平定綱は、日本語の注釈書を自らつくり、自分の子孫へと残した程です。

他にも牧民忠告に着目して日本語で注釈書を記した何人かいて、江戸時代初めには写本で流布していたのですが、後には藩や書肆から印刷出版されるようになります。版本となって入手しやすくなったせいか、江戸時代も後期になると藩主から任命されて地方の実際の統治を任される代官やその手代層が、これらの書物の読者として期待されるようになります。牧民官として想定される読者が、将軍から領国の統治を任された大名から、大名により地方の統治に任じられる代官にまで変化した訳です。さらには、庄屋の中にも村内をまとめる役目を担っているという意識からこれらの書物を読むような人がいたそうです。

そういった受容の変化の他に、注釈書によっては「皆乾坤ノ一蒼生ニシテ、本来ハ差別ナシ ・・・・ 伏義、神農、黄帝ノ、イテタマイ、君臣上下等ノ差別アリ」のように、大昔の人間は平等だったのに伏義、神農、黄帝が出現してから、つまり文明化してから身分の差別が生じたという表現があったり、「天下之宰相モ一村之庄宦モ同一体ニシテ、無差別ナリ」のように宰相も村役人も平等と主張されていたりなど、平等思想を打ち出しているものがあったそうです。平等思想がある程度あたりまえになっていたとすると、安藤昌益もそう孤立した思想家だとは言えないのかも知れません。

その他、本書では日本の国家意識、廃藩置県、明治維新後の牧民忠告などについても触れられています。廃藩置県についてまで影響しているというのはにわかには賛同しがたいのですが、戦時中の占領地統治に際して陸軍が牧民忠告を印刷して配布したとか、現在でもリーダーの座右の書として売られているとなんていうエピソードには、びっくり。

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