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2011年9月25日日曜日

戦艦大和誕生

前間孝則著
上 講談社+α文庫36-3
2005年12月 第6刷発行
下 講談社+α文庫36-4
2001年4月 第3刷発行
タイトルに戦艦大和誕生とついていますが、大和がどんなに強力な戦艦で、どんな戦績を残したのかといった点をテーマにした本ではありませんでした。上巻のサブタイトルに、西島技術大佐の未公開記録とありますが、西島大佐は大和建造時に呉工廠造船部艤装工場主任・船殻工場主任を歴任した現場の責任者でした。防衛庁防衛研究所戦史室に保管されている海軍技術大佐(造船)西島亮二回想記録をもとに、上巻では呉海軍工廠での大和の建造の過程を描いています。この回想記録は一般には非公開の史料なので、著者は93歳の西島さんに会い閲覧の許可を得たのだそうです。

九州帝大の造船学科(東京帝大と九州帝大にしかなかったとか)を卒業して西島が造船官としての道を歩み始めたのは、艦艇の復元力不足や強度不足による友鶴事件と第四艦隊事件、大鯨建造時の電気溶接の不具合などの造船に関する問題が明らかとなった頃でした。艦船はオーダーメイドで、生産過程の合理化がほとんど緒についていなかったのだそうです。西島さんは使用される部材、例えばバルブとかパイプといったものから共通化・企画化をすすめ、また早期艤装・ブロック建造法といった工夫を艦艇建造に導入したパイオニアでした。大和の建造にもそれが活かされ、大和は予想よりも少ない工数(ずっと小さい長門とほぼ同程度)・価格・期間で竣工することになりました。一番艦大和の教訓を生かして二番艦として三菱長崎で建造された武蔵と比較してみても、大和の法が2ヶ月短く費用も16%安く建造できたのだそうです。日本海軍の艦艇に関する本を読んでも、これまで費用についてこういう風に書かれたものは記憶になく、とても勉強になりました。きっと敗戦時に史料がみんな燃やされちゃって、日本海軍についてはこういう議論を定量的にしにくいんでしょうね。その点、先日読んだBritish Cruisersでは各級の設計時の折衝に価格が頻繁に出てきて、価格が設計に影響を与えていたことまで分かりました。大和の場合に価格を考慮して設計をどうこうしたという記述は本書にはみあたりませんでした。そもそも、大蔵省との交渉で決まった価格の積算根拠は薄弱で、二十数年ぶりに戦艦を建造する海軍としても、価格や工数がいくらかかるか事前に正確に見積もれていたわけではなかったのだそうです。

上下巻あわせて戦艦大和誕生というタイトルですが、下巻には「生産大国日本」の源流というサブタイトルがつけられています。大和で合理化をおしすすめた西島さんは、第二次大戦中、海軍艦政本部が担当することになった商船の建造やその後の一等輸送艦などに際しても部品・部材の共通化標準化、ブロック建造法、実物大模型での検討や治具、電気溶接の採用などで腕を振るいます。戦時標準船は建造能力を持っていた日本の造船会社すべてが参加したプロジェクトですが、この西島さんの薫陶を受けた各社の設計者・技術者・労働者が、敗戦後の造船日本の礎になったというのが著者の見解でした。軍艦に関する本としては毛色の変わった本ですが、面白く読めました。文庫本ですが13ページほどの参照文献リストがつけられていて、そのうち読んでみたくなるものもありました。

2011年9月23日金曜日

British Cruisers

Norman Friedman著
Naval Institute Press
2010年発行
イギリス(と英連邦)の近代的な巡洋艦の歴史をたどった本です。厚めの紙で432ページもあり、うち注が6ページ、文献リスト2ページ、仕様のデータ40ページ、索引11ページが占めています。サイズはA4より二回りくらい大きく、洋書や洋書を訳したものには珍しくないけれど日本の本としてはあまり見ない判型です。当然のことながらこの本には巡洋艦の写真や線画がたくさん載せられています。日本で発行された艦船の写真をたくさん載せた本、例えば光人社の写真|日本の軍艦シリーズとか、日本軍艦史などの海人社の世界の艦船の別冊では、読んでいる本を90度回転させないと正しい向きで見ることができない縦向きの写真や図がたくさん載せられています。しかしこの本ではすべて横向きの図・写真ばかりで、読みやすさに配慮するポリシーが感じられました。
大きめの本で1ページの印面の横幅は21cm弱ありますが、これでも充分な大きさではないと感じました。線画には縮尺が表示されているものはありませんが、目盛りが図とともに描かれているものを計ってみると900分の1でした。どの線画・写真も横幅いっぱいに使って印刷されていますが、艦船の長さは艦種ごとに異なっているでしょうから縮尺にはばらつきがあると思います。図の説明文には例えば、前方煙突の横の3インチ対空砲2門が4連装0.5インチ機関銃2基に換装された、なんて書かれているのですが、それでもこの900分の1程度だと小さくて機関銃をみつけることが極めて困難です。ウォーターラインシリーズより小さいので見分けがたいのは当たり前。見開き2ページを使った大きな鮮明な写真だとかなり細かい部分まで分かるんですけど。でも、これより大きな本を作ってもらっても、重過ぎて読めないと思うし、ここは仕方がないところ。
巡洋艦の近代を、この本では無線通信の利用が可能になった時点から始めています。イギリスの巡洋艦の主要な役割の一つに通商路の保護がありますが、無線が利用できるようになって、通商路の保護のため海外に常駐する巡洋艦の数を大幅に減らすことが可能になったのだそうです。また、巡洋艦はイギリス帝国の防衛をも主要な役割としていましたが、この「帝国」には非公式な帝国、つまりシティの活動、イギリスの海上覇権によって利益を享受しうることを理解している国々が含まれていました。例えば中国は非公式な帝国の一部なので、維持費の高価な中国に艦隊が保持され、日本の中国に対する1930年代の行動がイギリスにとって受け容れがたかったことなどが説明されています。また、イギリス政府が非公式帝国を重要視していたことが近年は歴史学会でも理解されるようになったとして、参照文献にCainとHopkinsのジェントルマン資本主義の帝国(日本では名古屋大学出版会から発行されていますが、これもとても面白くて勉強になる本なのでオススメです)が挙げられていました。著者の目配りの広さには感心です。
日本の巡洋艦について、5500トン型があまり魅力的に見えないのに対し、夕張以降はシアーとフレアの目立つ艦首から乾舷が艦尾に向けて低くなる姿がとても精悍でかっこいいと思っていました。しかし、第一次大戦前後のイギリス巡洋艦の写真をたくさん見ていると、二段に舷窓が並ぶ姿が落ち着いていて、船首楼型だけでなく平甲板型のケント級も上品そうで、居住性にも配慮されている感じがして好きになりました。
第一次大戦後の大きな変化として、日英同盟が四カ国条約に発展的解消となりました。イギリス海軍では、アメリカとの戦争はあり得ない、日本との戦争はありうるという前提で軍備計画をたてることとなりました。巡洋艦の設計に日本が意識され出すのはこの時期からで、設計時に考慮した艦として夕張、古鷹、最上といった名前がでてきます。余談ですが、日本がワシントン条約・ロンドン条約で対米6割7割などにこだわっていたことの愚かさというか、英米不可分→英米とは絶対に戦わないことを前提に進んでいかなければいけなかったのだと思います。
第一次大戦後のイギリス海軍の軍備計画では、日本との有事に際して極東へ艦隊を送るとヨーロッパに充分な戦力を残すことができないことから、機動性を高める計画をたて、全艦石油専焼化と世界中のイギリス領の港に石油を備蓄することとしました。そして大西洋、本国、地中海、中国に巡洋戦艦を中心とした艦隊を維持して25%の予備をもち、また東インド、ケープタウン、南アメリカ、西大西洋にも駆逐艦隊の配備が必要と考えて、巡洋艦は70隻必要と考えていました。
戦後の財政難の下でこの70隻体制を維持するために、できるだけ安上がりで小さな巡洋艦にするよう努力し、また軍縮条約では他国の巡洋艦にも大きさの制限を設けられるよう交渉しました。本書の中でも、戦間期の巡洋艦各級の設計から建造までのやりとりにこの安くて小さな巡洋艦という傾向がよくみてとれます。小さな艦をより安く建造するために、cruiser standardではなくdestroyer standardにしたらどうかというようなやりとりが何度も書かれていました。巡洋艦の装備標準は、母艦や支援する艦艇がなくても自艦で自艦のことをある程度まかなえる、ボイラーとエンジンの交互配置、旗艦設備がある点が、駆逐艦標準とは違うんでしょうか。この辺は専門的な知識がなくて分かりませんでした。
軍縮条約でトン数制限が設けられました。日本は制限を超えることに無頓着で、他国はきちんと条約の規定を守っていたのかと思っていましたが、そうでもないようです。例えば、イギリスはイタリアの重巡Goriziaがジブラルタルのドックに入渠した時に公称一万トンより10%(実際は20%)重いことに気づいたのだそうです。イギリスはケント級の改装に際して、各艦に実施した改装工事を違えていて、 どこまでやれたかは条約の制限の一万トン(と竣工後の自然増として許される300トンの合計)までに各艦がどれだけ余していたかによったので、同級でも改装時すでに重かった艦は限定的な近代化改装しかされませんでした。でも、そのイギリスも後には計画より重くなってしまった巡洋艦を経験していました。
戦間期以降の巡洋艦の写真をみていて気づくことですが、レーダー装備が充実していますね。艦船用レーダーは1935年から開発を始め、1937年にプロトタイプができて、1938年から実艦に配備開始と書かれていましたが、第二次大戦中に撮られた写真では、どの艦も所狭しと装備していて、またいくつもタイプがあるようです。また対空射撃の制御装置(高射装置のことですよね) の記述も多く見られました。日本の秋月型が装備していた長10センチ砲が優秀だったと書かれているのを目にすることが多いのですが、(VT信管は抜きにしても)レーダーや高射装置を含めた性能という点ではどうだったんでしょうか?開戦後、性能は別にして日本艦も対空機銃をたくさん増備しましたが、読んでいるとイギリス艦もエリコン20mm機関砲、ボフォース40mm機関砲をなるべくたくさん積む方針だったことがよく分かります。
第二次大戦後は艦艇数を減らしてゆく課程です。かわりに新しい巡洋艦を建造する計画も建てられましたが、朝鮮戦争やまた財政難から計画通りにはゆかず、1965-66年計画の新空母の建造が取りやめられ、スエズ以東での作戦行動が放棄されました。しかし、空母に変わって、ヘリコプターの指揮運用機能を持った巡洋艦が模索され、やがてフォークランド紛争で活躍することになるインビンシブル級の軽空母の建造につながったのだそうです。本書の巡洋艦物語はここでおしまいで、付録に戦間期の機雷敷設艦の章がありました。
本書では20世紀のイギリスの巡洋艦各級の計画から建造について、武器装備の変更・増設・撤去、防御鋼板などの変更といった設計の変更に関する細かな海軍内部のやりとりや外部の事情による中止などなど、ある級の巡洋艦についてイギリス海軍が何を考えて層設計建造したのか、何を考えて改装したのかといった点については非常に詳細に述べられています。でも、330ページもある本だから足りない点はないかというとそうでもないのです。
  1. 搭載されている武器、射撃指揮装置、機関、エンジン、飛行機、レーダー、ソナー、ヘリコプターなどについては、名前はたくさんでてきますが、個々のアイテムの性能・性格、旧タイプとの違いなどといったことはほぼ全く触れられていません。
  2. 載せられている線図は、平面図と側面図がほとんどです。艦体内部の様子、ボイラー室・エンジン室・弾薬庫・居室などの部屋割りなどが分かる断面図はほぼ皆無です。例外は、軽巡洋艦デリーの1942年改装時の図と機雷敷設巡洋艦くらい。あとビッカース社が輸出用に見本として外国の海軍に提示した設計図が少なからず収められていて、これにはどれも断面図がついています。
  3. 各艦の就役後の戦歴を示す記述はほとんどありません。掲載されている写真には時期を示すためにその前後の簡単な状況が説明文としてつけられてはいますが。

これら説明のない部分は、決して不備ではなく、この本の守備範囲ではないという著者の見識だと思います。それにしても、こういう本を書いてもらえるイギリス海軍は幸せ。日本海軍についてこういうものを書こうとしても、史料がなくて無理なんでしょう、きっと。

2011年9月7日水曜日

Gulaschkanone

Scott L. Thompson著
Schiffer Publishing Ltd.
2011年発行
教育・観光・娯楽・趣味などの目的で歴史的な衣装や道具・武器をつかって過去の事件やある時代の情景を再現・体験するrennactmentという活動があり、この本の著者はドイツ国防軍に関するrennactmentを趣味としているアメリカ人です。ドイツ軍は、少なくとも一日に一回は温かい食事を提供するという信念から、Gulaschkanone(野戦炊事車)を用いる給食システムをつくりあげました。著者は家畜を飼って食肉にすることを仕事にしていることから、reenactorとしてGulaschkanoneを使用して食事を提供することを思い立ちました。オリジナルのGulaschkanoneは今では珍しい存在ですが、戦後ずっとオランダの農家の納屋に保管されていて比較的状態が良好なものが売りに出され、入手することができました。錆びて傷んだ鍋を修理し、サンドペーパーをかけ、ペンキを塗り直し、木の車輪をアーミッシュの馬車大工に修理してもらったりして使える状態にしました。
Gulaschkanoneは大きな車輪が両側についた箱形の低い車体に煙突と大きな鍋と薪などを燃やせる燃焼室が作り付けられていて、燃料や食材などを積んだ前車と組み合わせて2頭の馬の牽引で移動するようになっています。イメージとしては、昔の焼き芋屋さんのリアカーに積んだ石焼き芋装置をもっと立派にしたものという感じです。大きさ・製造時期などにより数タイプがあるそうですが、著者の入手したものは1939年製造で200リットルのスープ鍋と90リットルのコーヒー沸かし釜のついた、一個中隊225人用のもので、調理のためのナイフや缶切りや寸胴などもセットされていました。後期に製造されたタイプにはオーブンがついていて肉やハムもローストできたそうです。スープ鍋には圧力釜としても使えるような蓋とガス抜き弁がついていて、薪を燃やして加熱した後に蓋を密封すると、戦況により移動を余儀なくされても調理が進行する仕組みになっていました。
ノルマンディでのアメリカ軍との戦いを再現するreenactorの公開模擬戦闘に参加して、 自家製の肉・ソーセージも使ったスープなどのレシピを、食材の皮を剥き小さく切るところから調理を始め、大戦中に実際につかわれた保温容器による配食までを実演して、カラー写真で紹介してくれています。戦車やハーフトラックやMG42などを装備したドイツ兵とジープやM5軽戦車やM4中戦車を装備したアメリカ兵が参加していて、兵士の方々が少し年齢が高く太りすぎな点を除けば、豪華で見所たっぷりのイベントです。それにしてもreenactmentというのはかなりお金のかかる趣味ですね。
本書には大戦中のGulaschkanoneを囲む兵士のモノクロの写真や経験談もたくさん収載されていますが、兵士たちの笑顔がとても印象的です。兵士の一日が食事を中心にまわっていた、暖かい食事を本当に楽しみにしていたことがよく分かります。このGulaschkanoneで野戦炊事に携わった人たちは軍人だったんでしょうか?その点については記載がなく、本書はモノとしての資料的な情報を求める人には適切な本ですが、史料を期待して読む本ではありません。また本書につかわれている英語はきわめて平易、しかも写真が多くて字は大きめで、短時間で読めてしまいました。この本も Printed in Chinaですが、誤字の多いのだけが気になりました。

2011年9月6日火曜日

地図と絵図の政治文化史


黒田日出男ほか編著
東京大学出版会
2001年8月発行
「1995年から1997年にかけて、絵図・地図を歴史資料として位置づけていくことを目的に組織された共同研究」のメンバーの研究をまとめたものだそうで、古代から近世にわたる日本の地図を対象とした論考が9本収められています。「1980年代以降、地図に関する研究状況は大きく変化し」て、文化の表現、イマジネーションの産物、政治性、主張/認識された世界の鏡としての地図の側面が注目されるようにもなってきたのだそうです。私が1980年代より前の研究動向を知らないからということもあるのでしょうが、本書の論考に研究状況の変化の影響を強く感じることはありませんでした。じゃ、面白くなかったかというとそんなことはなく、学んだ点もたくさんあります。たとえば
行基図をあつかった「行基式<日本図>となにか」。なぜ行基図と呼ばれるようになったのか、筆者は行基菩薩記という逸書があってその中の記述から行基作とされたのだろうと推定しています。現存する最古の行基図の一つである金沢文庫本日本図には、日本を取り巻く鱗をもった龍蛇が描かれています。この図の周辺には紙の縁にくっついて高麗や唐土や龍及といった実在する外国と羅刹国や雁道といった架空の国が配置され、日本は付属諸島嶼とともに図の中心に龍に取り巻かれて描かれています。しかし不思議なことに、対馬と壱岐だけは龍の外側の海の中に描かれているのです。なぜ日本が龍に取り巻かれているのかも不思議ですが、対馬と壱岐が龍の外側にあることはもっと不思議です。日本のうちに入らないと思われていたの?
日本の領域・国境については、近世になっての江戸幕府にも一定の基準があったわけではないようです。たとえば、幕府の指示でつくられた国絵図や日本図でも作成の年代が違うと朝鮮や倭館や琉球や蝦夷などの扱いが一定していなかったのだそうです。日本の中の国境(くにざかい)や郡境や村境については、疑義・紛争があれば幕府評定所の裁判でもとありげられて確定されましたが、外国との国境(どこまでが日本なのか)については、注目する必要がなかったのでしょう。江戸時代になってもこうですから、行基図がその観点から描かれていなくても不思議はありません。また、竹島領有権の正統性主張のために江戸時代以前の地図を持ち出すのは、歴史的な根拠を示すためではあるのでしょうが、当時の地図作成者の感覚からはかなりはずれているのかもしれません。
伊能図の陰に隠れがちな長久保赤水の改正日本輿地路程全図ですが、路程とタイトルに入っていて、領主名、石高などの記載はないので、赤水さんは旅行などにつかう道路地図として編纂したものと思われるのだとか。色づかいが派手で沿岸の形も比較的正確に見える地図と認識していましたが、それにしても単色一枚17両、極彩色一枚25両とあって、高価なことに驚きました(美人画などの浮世絵の値段もこんなもんだったんでしょうか?)。それでもこの地図の売れ行きはよく、赤水さんの死後も版を重ね、海賊版もたくさん残されているそうです。よく売れた一因は正確さにあったそうですが、日本の形を現在の正確な地図で知っている私たちと違って、当時の人がどうやって正確だと判断できたのかがちょっと不思議です。
ルネサンス以前のヨーロッパ各国よりも日本の方が古い地図の残存数が多いという指摘、江戸時代後期の浮世絵のうち歴史画や一覧図には政治的な意味が込められていて消費者もそれを理解して購入していたという指摘、などなど面白く感じた点はほかにもたくさんある本でした。

2011年9月3日土曜日

Rations of the German Wehrmacht in World War II

Jim Pool and Thomas Bock著
Schiffer Military History
2010年発行
第二次大戦におけるドイツ軍のレーションがパン、乳製品、食肉製品、果物・野菜、飲み物、調味料、甘い物、アルコール飲料、非常食といった章に分けられて紹介されている本です。この分野にはたくさんのコレクターがいるそうで、そういった人たちの所蔵品(本物)や、本物を真似てつくった複製品、当時の写真にみられるレーションなどが、きれいなカラー印刷で300ページにわたってたくさん紹介されています。
多数の現物の写真に対して、説明文が付されていますが、筆者独自の調査による記述は多くはありません。説明の大部分はアメリカ陸軍Quartermaster Corps(需品科)の調査報告書にもとづいています。北アフリカ戦線で入手した頃から、アメリカ陸軍はドイツ軍のレーションについて調査していました。記述はかなり詳しく、容器の外観・表示、缶詰なら缶の製法や缶内の圧力や隙間の大きさ、入れられている食品の外観、臭い、味などなど詳細に記述されています。
外観・臭い・味については、素晴らしいと評価されているモノもありますが、「アメリカ兵なら食べたがらないだろう」というようなかなり辛口の評価のモノが多くなっています。ドイツの前線強襲時特別食詰め合わせの中のビスケットなどは「その香りについて「表現しようがない、アメリカのレーションにも一般小売り品にも似たものはなく、強いていえばイヌ用のビスケットに似ている」なんて書かれているほどです。
読み終えての感想ですが、この本はコレクター向けの豪華な図鑑です。モノについての説明はとても詳しく載っています。しかし「レーションに関する兵站システムの説明はほかでも入手しやすいので、詳しくは記さない」と著者が書いているように、兵站を扱った本ではありません。東部戦線に送られたレーションの種類や量や原産国の比率や、現地の部隊は充分にレーションを入手できていたのかどうかとか、そういったことについては、本書ではわかりません。
では図鑑である本書を読んで得るところがないかというとそんなことはなく、初めて知ったことはたくさんあります。例えば、
  • ドイツ赤十字がイギリスにいるドイツ兵捕虜に食糧を送っていた
  • アルミ缶やリングプルオープンの缶がすでに使われていた
  • ラミネートチューブのなかった頃の歯磨きのペーストや絵の具で使われていた 金属製のチューブがチーズなどの包装に使われていた
  • ドイツ軍のマニュアルには包装、容器はリユースするため物資集積所に送り返すこととされていて、「暖を取るために箱を燃やしてはならない」なんて書かれていた
  • FANTAの起源は、第二次大戦開戦でコカコーラ原液を入手できなくなったドイツのボトラーが、1940年にリンゴ酒の絞りかすとチーズ製造の副産物からつくった飲み物だった
  • 満期除隊や傷病で後送されたりする時に、総統からの贈り物(小麦粉・砂糖・ジャム・マーマレード・バター・ハチミツなど合計11.5kgの食品)が送られた
この本のつくりはというと、かなり厚手のアート紙に全ページカラーで印刷されています。またカバーだけでなく表紙裏表紙もカラー印刷の豪華な本です。でも印刷製本を安くあげるためか、Printed in Chinaでした。私の経験では、医学書にしても歴史の本にしても、洋書というのは用紙や装丁が質素なかわりに安いという印象がありました。しかしこの本はその例外で、英語の本でも実用的な専門書は質素でも、趣味の世界の本は豪華ということなのでしょうね。

2011年8月30日火曜日

図説 韓国の国宝

水野さや著
河出書房新社
2011年7月発行
宮殿建築、古墳や古墳からの出土品、仏像や仏寺、塔などの仏教美術、書画、陶磁器と韓国の国宝を紹介した本です。フクロウの本シリーズの一つなので、写真がたくさん載せられていて、字の多い図鑑・絵本といった印象です。でも、図鑑・絵本的な本だからこそ鮮明な印刷が求められ、こういうぶれた印刷のまま販売されるのは困ったことです。

8ページで日本の植民地時代のことが「日帝時代」と表現されていました。日本人の著者の日本語の本に「」なしの日帝時代という表現はあまりみかけませんし、景福宮を覆い隠すように朝鮮総督府庁舎を建設したことが愚行であったと感じる私でも、これには違和感を感じます。でもその点を除けば、著者の文章は読みやすく、どんな品々が国宝とされているのか、分かりやすく解説されていました。

巻末に韓国の国宝の一覧表よると315号まで指定されています。Wikipediaを見ると日本では1100件ほどが国宝に指定されているので、韓国の国宝の方がずいぶんと少ないわけです。両国の国宝選定の基準は異なるはずですから、単純に数を比較することには意味がないかもしれません。でも本書をざっと眺めての印象として、高麗以前の時期の品が少ないことは明らかです。この時期でも古墳や仏像、石造の塔などは国宝に指定されていますが、書画、経典、歴史史料的なモノ、木造建築、木造の仏像などは現在まで無事に残ったモノが少ないのだそうです。その原因として元との戦争や壬辰戦争、そして朝鮮戦争があげられていました。国宝となるべきモノが壁の北側にあったりもするのでしょう。戦争の際に、美術的な価値のあるモノは略奪されたり、保管していた建物ごと燃やされたり破壊されてしまったり、芸術的に価値あるモノを享受する層の生活レベルが低下したりなど悪条件が重なったのでしょう。そう考えると、高麗大蔵経はその企図の壮大さと、戦時の悪条件を克服して造られたことからも本当に偉業だと感じます。逆に日本の、中世期以前にもその住民が日本の一部だと認識していた地域の大部分は、幸運にも言葉のまったく異なる人たちの侵入・略奪を受けずに済んだおかげで、古いものが残りやすい状況だったんでしょう。おかげで、日本では日記、書簡、荘園領主・武家の文書や、国宝ではありませんが正倉院の文書など、鎌倉・平安時代以前の史料も、 歴史家が仕事に困らないくらいは残っています。朝鮮半島の高麗以前の歴史の研究者は困っていないのか知りたくなりました。

2011年8月26日金曜日

生成文法の企て

ノーム・チョムスキー著
岩波現代文庫G253
2011年8月発行
ヒトには普遍的に言語機能が備わっていて、子供は生後の入力に対応してその言語機能を成長させて母語を習得する。実在する個別言語の文法に原理・パラメータ論を適用した研究から、ヒトに生来内在する言語機能の文法である普遍文法が見いだされつつある。私は、生成文法というのはこんな風なものだろうと勝手に理解していて、しかもとても魅力的だと感じています。
ヒトの発生について、からだの形態の詳細の設計図があるわけではなくて、遺伝的に決められた材料に環境という物理化学的な条件が加わって発生の過程が進むと、ふつうのヒトの形態になる確率が高い。なんらかまれな条件が加われないと、ふつうからはずれた形態(奇形)にはなれない。こういう考え方と、普遍文法の存在と言語の習得の関係はとても似ているように感じる点が、私にとって生成文法を魅力的にしているのだと思います。
しかし、こういった関心をもつだけの門外漢にとって本書は難しく、うわっつらだけ読んだという結果に終わりました。この本は「訳者による序説」と「生成文法の企て」と「二十一世紀の言語学」の三つからなっています。「訳者による序説」は「インタヴューで行われている様々な議論の理解のために最低限必要な知的背景の説明」を目的としていて、私のような素人にも分かるようにかみ砕いて書かれています。
しかし、インタヴュアーとチョムスキーさんの対話で構成された「生成文法の企て」と「二十一世紀の言語学」という本書の肝の部分は、「訳者による序説」以上にもっともっとしっかりした知識をもっていないと、得心して読むことができない感じです。チョムスキーが研究をはじめてから半世紀以上が経過しています。生成文法という考え方が現在のかたちになるまでには、多くの議論と発展があったはずです。それらのエピソードをより多く知っているほど、インタヴュアーの質問の意味がよくわかり、またチョムスキーの回答にうなづきながら感心できる、そんな本のように思われました。同じ岩波現代文庫に入っている言語のレシピとは、想定読者がかなり違うようです。当面、文学部言語学科に入学して勉強するのは無理そうなのですが、チョムスキーのインタヴューを楽しく読むにはどんな風に勉強したらいいのかな。
306ページに「オリジナルよりもずっと出来のいい人口の臀部」という表現があります。「臀部」は英語版ではhipだったのでしょうか。それなら股関節と訳すべきでしょうね。