Norman Friedman著
Naval Institute Press
2010年発行
イギリス(と英連邦)の近代的な巡洋艦の歴史をたどった本です。厚めの紙で432ページもあり、うち注が6ページ、文献リスト2ページ、仕様のデータ40ページ、索引11ページが占めています。サイズはA4より二回りくらい大きく、洋書や洋書を訳したものには珍しくないけれど日本の本としてはあまり見ない判型です。当然のことながらこの本には巡洋艦の写真や線画がたくさん載せられています。日本で発行された艦船の写真をたくさん載せた本、例えば光人社の写真|日本の軍艦シリーズとか、日本軍艦史などの海人社の世界の艦船の別冊では、読んでいる本を90度回転させないと正しい向きで見ることができない縦向きの写真や図がたくさん載せられています。しかしこの本ではすべて横向きの図・写真ばかりで、読みやすさに配慮するポリシーが感じられました。
大きめの本で1ページの印面の横幅は21cm弱ありますが、これでも充分な大きさではないと感じました。線画には縮尺が表示されているものはありませんが、目盛りが図とともに描かれているものを計ってみると900分の1でした。どの線画・写真も横幅いっぱいに使って印刷されていますが、艦船の長さは艦種ごとに異なっているでしょうから縮尺にはばらつきがあると思います。図の説明文には例えば、前方煙突の横の3インチ対空砲2門が4連装0.5インチ機関銃2基に換装された、なんて書かれているのですが、それでもこの900分の1程度だと小さくて機関銃をみつけることが極めて困難です。ウォーターラインシリーズより小さいので見分けがたいのは当たり前。見開き2ページを使った大きな鮮明な写真だとかなり細かい部分まで分かるんですけど。でも、これより大きな本を作ってもらっても、重過ぎて読めないと思うし、ここは仕方がないところ。
巡洋艦の近代を、この本では無線通信の利用が可能になった時点から始めています。イギリスの巡洋艦の主要な役割の一つに通商路の保護がありますが、無線が利用できるようになって、通商路の保護のため海外に常駐する巡洋艦の数を大幅に減らすことが可能になったのだそうです。また、巡洋艦はイギリス帝国の防衛をも主要な役割としていましたが、この「帝国」には非公式な帝国、つまりシティの活動、イギリスの海上覇権によって利益を享受しうることを理解している国々が含まれていました。例えば中国は非公式な帝国の一部なので、維持費の高価な中国に艦隊が保持され、日本の中国に対する1930年代の行動がイギリスにとって受け容れがたかったことなどが説明されています。また、イギリス政府が非公式帝国を重要視していたことが近年は歴史学会でも理解されるようになったとして、参照文献にCainとHopkinsのジェントルマン資本主義の帝国(日本では名古屋大学出版会から発行されていますが、これもとても面白くて勉強になる本なのでオススメです)が挙げられていました。著者の目配りの広さには感心です。
日本の巡洋艦について、5500トン型があまり魅力的に見えないのに対し、夕張以降はシアーとフレアの目立つ艦首から乾舷が艦尾に向けて低くなる姿がとても精悍でかっこいいと思っていました。しかし、第一次大戦前後のイギリス巡洋艦の写真をたくさん見ていると、二段に舷窓が並ぶ姿が落ち着いていて、船首楼型だけでなく平甲板型のケント級も上品そうで、居住性にも配慮されている感じがして好きになりました。
第一次大戦後の大きな変化として、日英同盟が四カ国条約に発展的解消となりました。イギリス海軍では、アメリカとの戦争はあり得ない、日本との戦争はありうるという前提で軍備計画をたてることとなりました。巡洋艦の設計に日本が意識され出すのはこの時期からで、設計時に考慮した艦として夕張、古鷹、最上といった名前がでてきます。余談ですが、日本がワシントン条約・ロンドン条約で対米6割7割などにこだわっていたことの愚かさというか、英米不可分→英米とは絶対に戦わないことを前提に進んでいかなければいけなかったのだと思います。
第一次大戦後のイギリス海軍の軍備計画では、日本との有事に際して極東へ艦隊を送るとヨーロッパに充分な戦力を残すことができないことから、機動性を高める計画をたて、全艦石油専焼化と世界中のイギリス領の港に石油を備蓄することとしました。そして大西洋、本国、地中海、中国に巡洋戦艦を中心とした艦隊を維持して25%の予備をもち、また東インド、ケープタウン、南アメリカ、西大西洋にも駆逐艦隊の配備が必要と考えて、巡洋艦は70隻必要と考えていました。
戦後の財政難の下でこの70隻体制を維持するために、できるだけ安上がりで小さな巡洋艦にするよう努力し、また軍縮条約では他国の巡洋艦にも大きさの制限を設けられるよう交渉しました。本書の中でも、戦間期の巡洋艦各級の設計から建造までのやりとりにこの安くて小さな巡洋艦という傾向がよくみてとれます。小さな艦をより安く建造するために、cruiser standardではなくdestroyer standardにしたらどうかというようなやりとりが何度も書かれていました。巡洋艦の装備標準は、母艦や支援する艦艇がなくても自艦で自艦のことをある程度まかなえる、ボイラーとエンジンの交互配置、旗艦設備がある点が、駆逐艦標準とは違うんでしょうか。この辺は専門的な知識がなくて分かりませんでした。
軍縮条約でトン数制限が設けられました。日本は制限を超えることに無頓着で、他国はきちんと条約の規定を守っていたのかと思っていましたが、そうでもないようです。例えば、イギリスはイタリアの重巡Goriziaがジブラルタルのドックに入渠した時に公称一万トンより10%(実際は20%)重いことに気づいたのだそうです。イギリスはケント級の改装に際して、各艦に実施した改装工事を違えていて、 どこまでやれたかは条約の制限の一万トン(と竣工後の自然増として許される300トンの合計)までに各艦がどれだけ余していたかによったので、同級でも改装時すでに重かった艦は限定的な近代化改装しかされませんでした。でも、そのイギリスも後には計画より重くなってしまった巡洋艦を経験していました。
戦間期以降の巡洋艦の写真をみていて気づくことですが、レーダー装備が充実していますね。艦船用レーダーは1935年から開発を始め、1937年にプロトタイプができて、1938年から実艦に配備開始と書かれていましたが、第二次大戦中に撮られた写真では、どの艦も所狭しと装備していて、またいくつもタイプがあるようです。また対空射撃の制御装置(高射装置のことですよね) の記述も多く見られました。日本の秋月型が装備していた長10センチ砲が優秀だったと書かれているのを目にすることが多いのですが、(VT信管は抜きにしても)レーダーや高射装置を含めた性能という点ではどうだったんでしょうか?開戦後、性能は別にして日本艦も対空機銃をたくさん増備しましたが、読んでいるとイギリス艦もエリコン20mm機関砲、ボフォース40mm機関砲をなるべくたくさん積む方針だったことがよく分かります。
第二次大戦後は艦艇数を減らしてゆく課程です。かわりに新しい巡洋艦を建造する計画も建てられましたが、朝鮮戦争やまた財政難から計画通りにはゆかず、1965-66年計画の新空母の建造が取りやめられ、スエズ以東での作戦行動が放棄されました。しかし、空母に変わって、ヘリコプターの指揮運用機能を持った巡洋艦が模索され、やがてフォークランド紛争で活躍することになるインビンシブル級の軽空母の建造につながったのだそうです。本書の巡洋艦物語はここでおしまいで、付録に戦間期の機雷敷設艦の章がありました。
本書では20世紀のイギリスの巡洋艦各級の計画から建造について、武器装備の変更・増設・撤去、防御鋼板などの変更といった設計の変更に関する細かな海軍内部のやりとりや外部の事情による中止などなど、ある級の巡洋艦についてイギリス海軍が何を考えて層設計建造したのか、何を考えて改装したのかといった点については非常に詳細に述べられています。でも、330ページもある本だから足りない点はないかというとそうでもないのです。
- 搭載されている武器、射撃指揮装置、機関、エンジン、飛行機、レーダー、ソナー、ヘリコプターなどについては、名前はたくさんでてきますが、個々のアイテムの性能・性格、旧タイプとの違いなどといったことはほぼ全く触れられていません。
- 載せられている線図は、平面図と側面図がほとんどです。艦体内部の様子、ボイラー室・エンジン室・弾薬庫・居室などの部屋割りなどが分かる断面図はほぼ皆無です。例外は、軽巡洋艦デリーの1942年改装時の図と機雷敷設巡洋艦くらい。あとビッカース社が輸出用に見本として外国の海軍に提示した設計図が少なからず収められていて、これにはどれも断面図がついています。
- 各艦の就役後の戦歴を示す記述はほとんどありません。掲載されている写真には時期を示すためにその前後の簡単な状況が説明文としてつけられてはいますが。
これら説明のない部分は、決して不備ではなく、この本の守備範囲ではないという著者の見識だと思います。それにしても、こういう本を書いてもらえるイギリス海軍は幸せ。日本海軍についてこういうものを書こうとしても、史料がなくて無理なんでしょう、きっと。
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