2011年4月14日木曜日

ドイツを焼いた戦略爆撃 1940-1945







イェルク・フリードリヒ著 みすず書房
2011年2月発行 本体6600円



第二次大戦中のドイツに対する戦略爆撃について、連合軍の使った機体・爆弾などの機材、被害を大きくさせるために各種を爆弾を混合する爆撃法・パスファインダー機によるマーカー弾の使用・電波による誘導・チャフによるレーダー妨害などの爆撃手法、軍事関連施設に対する精密爆撃から無差別と見なし得る都市爆撃への移行と連合軍側の見解、レーダー・戦闘機・高射砲・照空灯によるドイツの迎撃態勢とその崩壊、爆撃を受けた各都市の被害の状況、疎開やブンカーの建設などの都市の防空対策、被災者の救護や爆撃に対するドイツ国民の受け止め方、当時のドイツの施政者の発言の変化などなどについて触れた本です。原著は2002年に出版されたもので、 実際に爆撃・防空に携わった人や被災者に対する著者自身のインタビューなどの一次史料に基づいた本ではありません。というのも、ドイツ人が自分の受けた戦争の被害を客観的に語ることが許される雰囲気が醸成されてきたのが、ようやく21世紀になってからのことだったからでした。でも、こういうスタイルの本の方が、かえって外国人が読んで学ぶには良いのかも知れません。
消防の防火技師が爆撃計画に加わった時点で、新しい学問が誕生することとなった。火と戦う職業と火をつける職業は同じ事柄、つまり物の燃えやすさに関わっている。 
戦争勃発時には爆撃機軍団は炸裂弾と高性能爆薬弾を中心兵器と考えていたが、1942年以降、爆薬では爆撃戦争を遂行できないことが分かった。爆薬は他のもの、つまり燃焼物質と結びついてはじめて、かつてない規模の威力を発揮する武器なのであった。兵器の殺傷力を決めるのは、破片弾、ブロックバスター弾、焼夷弾の混合の割合、爆撃の順序、密度であった。 
市街地における火災を数倍に広げるため、アメリカはモデルを用いた分析で破壊力を試験した。そのために、アメリカは実験的にドイツと日本の街の町並みを再現し、細かい点まで解明しようとした。


第二次大戦ではレーダー・ソナー・原子爆弾といった新兵器だけでなく、武器や武装の改良などの研究開発が各国で進められていたことはもちろん知っていましたが、イギリス軍(後にはアメリカ軍も)では爆撃で相手に与える被害をより大きくするために、消防関係者まで含めて爆撃手法の研究に熱心に取り組んでいたことが紹介されていて、驚きました。何となく焼夷弾をばらまけば都市に火災を起こすのは難しくはないのだろうと思っていたのですが、そうではありません。なるべく大きな火災(後には火災嵐)を狙うには、最初に燃えるのは家財で家財道具が建物に火をつける、家財道具を燃やすためには屋根を壊すための爆弾が必要、そして発生した火災の拡大を阻む障壁となる防火区域や防火壁を充分に備えた町は燃やすのが難しいのでまずブロックバスター(街区・ブロックごと破壊する大型爆弾)で防火壁を破壊する、消火を妨害するために時限信管を装着した爆弾も取り混ぜて消防隊が火元と水場に到達できないようにするのだとか。さすがにオペレーションズリサーチなんかを生み出した国だなと改めて思い知らされました。
爆撃機乗員の死亡率は彼らに攻撃されるよりもはるかに高かった。爆撃機軍団の乗員12万5千人のうち、5万5千人、つまり44%が戦死した。爆撃された側の死者ははっきりせず、42万人から57万人の幅がある。中間の数を取れば、都市住民の1.5%が死亡したことになる。

日本に対する戦略爆撃はたかだか一年程度でしたが、ドイツに対する戦略爆撃は6年にもおよび、多いところでは合計で300回近い回数の空襲を受けました。大戦初期は、爆撃する側の戦術や機材がととのっておらず、またドイツ側のレーダーや迎撃戦闘機がしっかりしていて、爆撃する側の被害も少なくありませんでした。イギリス空軍では30回の出撃を無事にこなすと爆撃任務から開放されることになっていましたが、その前に戦死したり捕虜になった人が少なくなかったそうです。
第3章国土では空襲を受けた多くの都市に関して、フン族との戦い・三十年戦争・プファルツ継承戦争・ナポレオン戦争・七年戦争・第一次大戦での空襲など過去に受けた戦災を含めた各都市の歴史的な背景、防空態勢の構築、爆撃を受けた際の様子、消防活動、爆撃被害者の例を示しての描写、犠牲になった文化財や建築物などが記されています。ただ、東プロイセンやオーストリアの都市に対する空襲は本書では取り上げられていません。距離の関係で、東プロイセンやオーストリアの都市には西側連合軍によるめぼしい空襲はなかったのでしょうか。
父親はドルトムントで働き、母親は幼児を連れてアルゴイ地方にいる。12歳の娘は学童疎開でチューリンゲン地方に、14歳の娘はフランケン地方にある国民福祉局の職業訓練施設におり、19歳の息子はレニングラードを包囲している。 
爆撃に晒(まま)された都市に住む1910万人の四分の一が、爆弾の届かない地方に行くことができた。


大戦中盤になって爆撃側の戦術・態勢が進歩して、特に1944年以降はドイツ空軍が有効な迎撃を行えなくなりました。多数の爆撃機による空襲が毎日複数の目標に対して行われ、ケルン、ハンブルク、ドレスデンなど火災嵐を伴って大きな被害を出した大空襲もこの時期のことでした。都市が自らの手で自分たちを守らなければならない事態になりました。ブンカーが建造されたり、ワインセラー・アパートの地下室・坑道などが空襲の際に避難するための場所として補強され利用されました。また、人口分散計画が立てられ、例えば学童を疎開させて空いた校舎を緊急時用病院と被災者収容所に転用したり、 空襲による負傷者の増加と病院の被害とにより病床が不足すると、重病患者の強制退院・受け入れ拒否、統合失調症患者の毒殺などでベッドが空けられたりもしました。
しかし、それでも都市の爆撃被害は甚大なものでした。本書には写真がほとんど含まれていません。爆撃により死亡した人の写真も、運搬用のパレットの上に多数積み重ねられた死体の写真と、乾燥して縮んだ一人の焼死体の写真の2葉だけです。これらの写真が目を背けたくなるものなのはもちろんですが、爆撃被害の様子を綴った文章もきちんとというかかなり生々しく書かれていて、読むのがつらくなりそうなくらいです。がれきに埋もれた生存者を捜すのに聴音機が使われたり、多数の死体の収容に捕虜、強制収容所の被収容者、刑務所の囚人が使われたりなど、ドイツらしさを感じさせるこまごまとしたことも描かれています。また、地上戦が自分の住む都市に近づくのを感じながら、爆撃を受け続けなければならなかったドイツの人たちが、それでも政権に対する不満を公にすることは死を覚悟の上でなければできなかったことも触れられていました。
具体的な描写は本書を読んでいただくとして、ドイツの受けた戦略爆撃についての知識を日本人が得るためには悪くない本だと思います。私は本書を読んで勉強になったと感じています。ただ、読んでみて残念に感じた点も少なくありません。ひとつは、軍事用語の訳し方がまずい点です。私も軍事に関する専門家というわけではありませんが、本書には一般的に使われる日本語の軍事用語と違った言葉が訳語として使われている例がたくさんありました。また、本書の中には訳語の不統一が散見されます。例えば、複数の陸軍部隊の中の左に位置する部隊を指す時に「左側」と訳してある箇所があったり「左翼」と訳してある箇所があったり、またB-17と訳してあったり空飛ぶ要塞と訳されていたりなどするのです。そして、日本語として文法的にはおかしくないのだが意味が理解できないという訳文もみうけられました。一部は下記の表に挙げてみました。
訳語が統一されていない箇所があったり、意味不明の訳文があったりなどするのは、もしかすると訳者が本当は一人ではないからなのでしょうか?本書巻末にある訳者の略歴をみると大学の先生をしている方らしいので、輪読という形でゼミで学生に訳させて、それをまとめて本にしてみたけれど、目が行き届かなかったのかなと勘ぐってしまいます。それにしても、編集者も原稿に目を通しているはずなのに、この形で6600円の本にしてしまうとは。みすず書房はしっかりした本を出してくれる本屋さんだと信頼していただけに、残念です。本書のカバーには見慣れないマークがついていました。みすず書房の新しいマークなのかも知れませんが、その新しいマークが泣いちゃうよ。

ページ違和感ある訳語・訳文一般的にはこうなのでは?
16機上砲防御機銃
17二重、多重機関銃二連装、多連装機銃
17機上砲兵防御銃手
17回転砲塔回転銃座
17銃架銃座
17B17とB24はあらゆる方面から射撃可能な武器を満載した陵堡で、1943年以来、恐怖の飛行大隊ブロックとなって建物の四階に相当する高度で目標へと飛行していた「稜堡」は銃座のこと?それともflyng fortressとも呼ばれたから要塞という意味?
「建物の四階に相当する高度」の方はまったく理解不能
17「B24は2275トンの積荷と」積載量2275キログラム、ということか
18「ドイツ戦闘機群」Jagdgeschwaderなら「戦闘航空団」と訳す方がふつう
18「防御範囲の広い新型の随伴機」P-51についての文なので「航続距離の長い新型の護衛戦闘機」と訳すべきでしょう
22「目標のリストと爆弾投下口のあいだには連絡が必要であった。夕刻に基地を飛び立つ飛行中隊と、閉じた空間で隊員に都市名と飛行ルートを指令する装置は、何らかの線で結ばれている必要があった。」理解不能な文です。暗号化された無線通信で離陸後、乗員に目的となる都市とそこへの飛行ルートを報せる必要があったという意味??
31磁電管 マグネトロンと呼ぶ方が現在では一般的でしょう
44「軍隊は、戦争の常であるが、自発的にであれ強いられてであれ徴兵されて戦う」どんな原文だったのかは不明だが、「自発的」なのは志願兵・職業軍人になるので「徴兵されて戦う」と訳すのはおかしいと思う
94「ムスタングは柔軟性を欠く援護戦闘機から離れ、自ら集団で空中戦に参加し、飛行場に低空から攻撃を加えた」爆撃機部隊にはムスタングの他にも護衛戦闘機がついていて、ムスタングはそこから離れて迎撃戦闘機との戦闘に参加した、っていう意味?
97「4月20日夜、1115のイギリス軍機はフランス沿岸諸県の防御に当たっていた。」1944年6月のノルマンディー上陸作戦より前の話だが、イギリス軍機がフランス沿岸諸県の防衛にあたるようなことがあった??
98「軽量軍事船」こういう日本語はないでしょう
102「ジョーンズはヒトラーのV2ロケットの本質を把握していた。到達距離、弾頭、目標を狙う正確さにおいてはそれはV1とほとんど変わらないが、重量は14トンもあり速度は17倍であった。オランダ南西部の島、フーク・ファン・ホラントにある可動式発射台からたった五分でイギリスに到達し、それを防ぐ手だてはなかった。爆撃機は目標に到達することができなかった。戦闘機がそれに追いついて破壊できるからだ。だがロケットは被害を受けない。ジェット戦闘機といえども、その六分の一の速度しか出せないからである」「目標」は何を意味するの?最初と2番目の文の「それ」はV2のことで、3番目の「それ」は内容からV1だが、この章全体の意味が分からない。
104「モントゴメリーは侵攻軍の左側の軍勢とともに」イデオロギー的な意味ではなくて、軍事的な用語でも「左側」ではなくて「左翼」とすべきではないか。他の部分、例えば135ページではそうしてあるし。それとも全く別の意味なのか?
105「失敗に終わったアルンヘム上陸後の週も」アルンヘムは内陸にあって上陸するような場所ではない。マーケット・ガーデン作戦について書いてあるくだりだから、原文は「失敗に終わったアルンヘム空挺降下後の週も」という意味だったのでは。
109「突撃用大砲」きっと「突撃砲」のことなのでしょう
152「ブルーリバンド賞」「ブルーリボン」と呼ぶのがふつう
161「その頃イギリス軍はフランスでの上陸作戦後、まだ完全には帰還しておらず、ドイツの高射砲と戦闘機とあらためて対決する前のウォーミングアップとして、イギリス爆撃機軍団は沿岸部のシュテッティンとケーニヒスベルクを攻撃した」「帰還しておらず」はどういう意味?完全な状態に回復していないっていうこと?
175「ひね曲がり」 ひん曲がり?
190「気象柱の温度は夜間に摂氏10度から35度への気温上昇があったことを示している。」「気象柱」って温度計?
212「至近戦」「至近戦」とは聞き慣れない日本語。「接近戦」の方が良いのでは
215「1689年、プファルツ継承戦争でこの町を占領して爆撃し」17世紀だから爆撃ではなくて「砲撃」か
292「灯火弾」照明弾のことか
398「ドルトムントでは、空挺部隊員が上陸してガス攻撃の準備をしているという知らせで人々がパニックに陥った。」「上陸」は「降下」の方がふさわしい
1列3行2列3行3列3行

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

日本に対する空襲がたかだか1年?
何を馬鹿なことを。各都市が何回、空襲を受けた方調べてみなさい。例えば東京は100回以上です。すべてが終わった後に人類史上初の原爆を2発ぶちこまれました。たかだかね・・・・(笑)

SS さんのコメント...

>匿名さん
本土への戦略爆撃は1年そこそこ。正しいですよ。
「たかだか」に含まれる(こともある)軽視の意味を問題としているのでしょうけれど、比較対象が明確な場合は特に、そういった情緒的意味合いの無い用法となります。(数学で使う場合はもちろん皆無。)