三宅俊彦著
同成社 世界の考古学12
2005年1月発行
本体 2800円
日本では一括出土銭と呼ばれているものを中国では窖蔵銭と呼ぶのだそうです。著者は中国の窖蔵銭の出土例を多数集めて、埋められた事情、銭貨の流通の様子、日本への影響などを議論しています。まずは埋められた時期が問題になりますが、出土した銭貨のうちの最新の銭種から、本書で扱う出土例のほとんどは宋から明代(遼、金、西夏なども含む)に埋められたものと推定され、特に金を含めた宋代の例が最多で、高額取引が紙幣や銀で決済される時代には少なくなっていました。各王朝の終末期に埋められたと思われる例がとても多く、王朝滅亡時の混乱を避けるために埋められたらしいのです。例えば、110tと出土量が最多の窖蔵銭は西夏と対峙していた北宋の軍隊が北宋滅亡に伴って南に退却する時に軍庫の資金を埋めたと思われるそうです。
緊急避難的に埋められた窖蔵銭が多いことから、出土した銭貨の種類は埋められた時点の銭種構成を反映していると著者は考えています。後の時代になると後代に発行された銭貨が加わりますが、北宋が発行した銭貨が大多数を占め、その内訳も各時代で似たような割合を示しているので、著者の主張は正しいのでしょう。
埋められた時期として王朝末期の混乱時以外に目立つのが、元や明代に紙幣が発行されて銭貨の流通が禁止された時でした。中世の日本が多量の銭貨を輸入できたのはこの銭貨の流通禁止措置のおかげでした。しかし、中世の日本には大銭や鉄銭は受け入れないなどの独自の嗜好があり、輸出の代金(国際通貨)として銭貨を受け取ったわけではなく、銭貨自体がひとつの商品でした。九州や特に東国で選好された永楽銭が中国国内での流通目的に鋳造されたのではなく輸出用商品だったという説も、本書で扱われた窖蔵銭にほとんど含まれないことから確認されます。また、16世紀日本では撰銭現象が問題となりましたが、これも明代中国の銭貨不足、私鋳銭横行にともなう混乱・撰銭現象を反映したものだったと著者は主張しています。
出土例のデータに基づいた著者の主張は単純明快で非常にしっかりしたものです。ただ、読み終えてみて、多少の疑問が残らないわけではありません。
- 本書で窖蔵銭として扱われている出土例には、コレクターの銭貨コレクションと思われるもの、好字の銭銘をもつ銭貨ばかりを集めた宗教関連と思われるものなども含まれています。しかしそういった例はごく少数です。日本の銭貨出土例の本を読むとそういう例がもっと多いように思うのですが、中国では元々少ないのでしょうか。それとも「窖蔵銭」という範疇の出土例ばかりを集めるとそういった例が抜け落ちてしまうからなのでしょうか。
- 窖蔵銭には五銖銭や唐の開元通寳などの古い銭貨も含まれています。開元通寳でも北宋代には発行後数百年経過していますよね。また窖蔵銭として最も多い北宋銭も古いものだと明代には発行後300年は経過していそう。古い銭貨の摩滅・破損は問題にならなかったのでしょうか。それとも私鋳銭が含まれていたのでしょうか。
- 埋められた経緯から窖蔵銭からその当時流通していた銭種がわかるというのが著者の主張です。確かにその通りなのでしょう。でも窖蔵銭の中には緡にまとめられた銭貨が含まれているものもあったと書かれています。できれば、緡の中の銭種を調べると流通状況や銭種選好の様子がはっきりと分かるのではないでしょうか。
0 件のコメント:
コメントを投稿