講談社選書メチエ501
2011年6月発行
本体1600円
毛沢東死去、四人組の失脚で文革が終わりを告げ、鄧小平が実権を握って経済開放政策がとられるようになった中国。1980年代には人々の中に、理想主義的な雰囲気、蘇った士大夫のような気概 何でも学ぼうというエネルギッシュな姿勢、「文革などによって失われた歳月を取り戻したい」という意欲があふれ、多くの外国の思想・哲学、特に「サルトルからデリダ、シュミット、ロールズまで」というサブタイトルにあるように、当時まだ現存していた20世紀の思想家の本もたくさん出版されました。本書にはそれら現代の思想家の中国での受け入れられ方が紹介されています。興味深く読めるように配慮されているので、私のように現代中国事情にも現代思想にも疎い者でも気軽に読むことができました。
著者はプロローグで「日本は世界でも希な現代思想のるつぼ」「中国の思想界を背負っているある中堅の研究者が、日本語訳プラトン全集が数種類もあることを訪日中に私から聞いて大変驚いた」などと日本について書いています。これらの日本の特徴は、後発国であり先進欧米諸国から翻訳文化をどん欲に取り込んだこと、また日本語を母国語とする人口が多くかつてはプラトン全集などの硬い本にも少なからぬ需要があったことを示しているのだと思います。本書によると、中国は現在までの30年という短い期間に、日本が過去120年間(本書の帯には120年となっていますが、これは「現代」思想には120年の歴史しかないということなのでしょうね)に受け入れたのと同じくらいたくさんの欧米の思想・哲学を導入したのだそうです。 なので、本書で紹介されている中国の事例は、過去の日本の様子をより典型的にみせてくれるものなのではないかな、と感じながら読みました。
その後、1989年の天安門事件を境に「知識人が民衆の代弁者を自任して活動する『広場』から引き下がって、書斎に戻るという方向転換を余儀なくされる」時代がやってきました。経済の高度成長が明らかとなった1990年代以降も、中国への現代思想の紹介は続いているのですが、ひとびとの関心は経済に移ってしまったのだそうです。これも、日本がいつかたどった道のようですね。
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