角川選書55
2011年10月初版発行
正倉院には聖武天皇ゆかりの宝物だけでなく、文書がたくさん収められています。本書は、それらの文書のうち写経所文書を対象に、その由来、研究史(研究の難しい理由も)、研究の成果の例示、写経事業、などについて解説したものです。
写経所文書の多くは帳簿類でした。実務用の帳簿は重要書類ではなかったからなのでしょうが、他で廃棄された文書の紙裏を利用してつくられた巻物に帳簿として記録されていました。この写経所文書は江戸から明治にかけて「整理」を受けます。天保期の穂井田忠友は、写経所文書自体ではなく、その紙背にある奈良時代の公文の方に着目して整理を始めました。公文を取り出すため写経所文書の巻物を切断・分類し、各国の戸籍を復元するような形で、新たな巻物に仕立てたわけです。切断して得た紙どうしを新たな巻物として接続させる方法として、両方の紙の端かぶせるように表と裏両面に新たな白紙を貼りました。公文を見るためにはこの方法での整理でもいいのでしょうが、切断端が白紙で隠されてしまったため、元の写経所文書を復活させることが非常に困難になってしまっているのだそうです。写経所文書の研究は、書かれていることの研究もさることながら、この切断された物から元の巻物を復元することの難しさが加わっていることが本書を読むとよく分かります。正倉院文書の「整理」は元史料に手を加えることの意味・怖さをとても良く教えてくれるエピソードだと思います。
第3章では、苦労して復元された帳簿を元にした研究から、写経所ではどんな手順で仕事が行われていたのか、仕事をする技術者たちへの報酬、お役所仕事としての性質を持っていたこと、落書き・習書などの様子まで書かれています。技術者の一人一人の名前まで書かれていたりして、このあたりは読んでいてとても面白く感じます。また、写経に必要な物品(紙、糊原料の大豆、食糧など)を請求したのに調綿が支給され、その調綿を売却して得た銭で必要物品を購入することがあったことが掲載された史料に書かれていて、銭貨もそれなりに使用されていたのですね。
「はじめに」で「正倉院文書を研究するために必要な知識と方法を示すとともに、正倉院文書についての理解を深めていただくことをめざしている」と著者は書いています。著者には正倉院文書の研究を志す若い人を増やすためという意図もあるのかもしれませんが、本書を手に取った人の大部分は、正倉院文書の研究法の外観をつかみ、正倉院文書についての理解を深めることを求めて読んだのだと思います。実際、文書例が図と本文を組み合わせて、読みやすくかみ砕くように説明されていて、素人の私も躓くことなく読めたし、一般の読者のニーズには充分に答えてくれる本だと思います。そう考えると、本書が角川選書としてハードカバー・本体3300円で発行されたことは残念な感じで、新書やせめて選書版としもっと安く売られていたら、ずっと多くの読者を期待できるんじゃないでしょうか。
それと本題からは外れますが、第一章には「世界中を見渡しても、八世紀というとても早い時期のナマの文書が、これほど大量に残っているところはほとんどない」と書かれています。日本は古文書が多く残されている地域なのだということはよく見聞きしますが、世界中の他の地域には各時代の文書がどのくらい残されていて、具体的に比較するとどうなのかというあたりを知りたくなります。
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