吉川弘文館歴史文化ライブラリー331
2011年11月第一刷発行
江戸時代の大名には、特に初期に分家を創出した家が多くありました。その分家と本家との関係について、実際例をたくさんあげて説き明かしてくれている本です。本藩・支藩と呼ばれることもありますが、支藩という用語は同時代のことばではなかったことや、また廩米支給で独自の藩を持たない分家や旗本の分家があったことから、本家と分家というふうに著者は呼んでいます。
「別朱印分家は本家から『自立』的で内分分家は『従属』的という評価が一般的であった」と書かれていて、たしかに私もそういう記述をどこかで呼んだ記憶があります。しかし実際には「別朱印分家・内分分家という区分は、あくまで後の時代から見た場合の分家の形態であるということである。領知朱印状は近世初頭を除き、貫文印知以降、基本的に歴代将軍一代ごとに一回ずつ発給されることから、各大名家の分知時に、分家が領知朱印状を拝領するということはできなかった。つまり、すべての分家は、創立当初は、内分分家からスタートしている」と著者は鋭く指摘していています。
大名とは何か、本家分家とは何かというのが、江戸時代の初めから定まっていたわけではありません。実態を後追いして慣習法、そして一部は幕府の政策的意図も加わって成文法にまでなったわけです。また、家族・親族のことなので本家と分家の当主の個性や、分家派出後の時間の経過によって、各大名ごとに本家と分家の関係がさまざまだったことが予測されますが、本書を読むとその点がよく分かります。一般的には時間とともに疎遠になっていくばかりかと思っていましたが、財政窮乏から分家が本家を頼って、従属的な関係が強まることがあったという指摘には目から鱗でした。具体的な例をたくさん集めてくるのは骨の折れることだと思うので、実態から原則を探ろうとする著者の姿勢には頭が下がりますし、しかもこういう一般向けに読みやすく面白い本を書いてくれたことはありがたいことです。
本筋からは外れますが、本書のタイトル。「江戸大名の本家と分家」というのは「江戸期大名の本家と分家」の方がいいように思えますが、専門家からすると、そうではないんでしょうね。
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