ティモシー・P・マリガン著
学研マーケティング
2011年7月発行
Uボート部隊の全貌というタイトルを見ると、Uボートの建造や兵装のあれこれ、大西洋戦いをはじめとしたUボートの活躍が描かれた本なのかなという気がします。でも本書はそういった兵器や戦闘に焦点を当てた本ではなく、ドイツ海軍・狼たちの実像というサブタイトルの通りに、Uボートに乗り組んだ艦長・下士官・水兵たちがどんな人だったのかということと、選抜や教育や昇進や艦内での生活などを描いていて、戦争の本というより社会学の本ですね。社会学に関してもまったくの門外漢ですが、以前読んだ職業と選抜の歴史社会学という日本の鉄道員を扱った本に似ている感じがしました。
Uボートに乗り組んでいたのがどういう人たちだったかを明らかにするために、過去の文献や戦争中のドイツの記録や連合軍側のもつ捕虜の記録に加えて、1991年から1994年にかけて元Uボート乗組員1000人以上に対する経歴調査を行ったのだそうです。戦争終結後半世紀近くたってからの調査でかなり遅い気もします。でも、Uボートの乗組員たちも戦後はそれぞれの人生に忙しく、例年の親睦会活動が恒例になったのは1980年代から、つまりみんなが引退した時期になってのことだったそうですから、こういった調査に素直に応じてもらいやすくなるという点では半世紀後の方が良かったのかもしれません。
Uボートに乗り組んでいたのはどんな人たちだったのか、読んでいて面白く感じた点を紹介すると、
- 「第二次大戦中のUボート乗組員の徴募に影響を与えたのは、軍歴を継続したこれら個々の古参以上に、数量化できないほどの縁故、つまり第一次大戦中に同じ立場で奉職した父親やおじたちだった。」
- 「こうした血縁は今日まで続き、1997年6月に新造されたU17に乗り込んだ通信兵の一人は、ドイツ潜水艦に乗り込んだ4世代の3代目にあたる」
- 「烹炊員は階級的には二等水兵だが、民間職ではパン屋か肉屋でもあった。烹炊員がほかの任務を特免されていたのは、求められるものがあまりに大きかったからである。縦70センチ、横1.5メートルしかない空間で休むことなく50人分の温食を用意し、しかもそこには3~4つのホットプレートがついた電気レンジ一基、小さなオーブン一基、スープ鍋一つ、流し一つ以外何もなかった」
- ティルピッツの海軍拡張計画により志願兵のみで需要を満たすことができなくなり、北ドイツの漁師・船員からの徴集兵を水兵と水雷部門に、内陸部の金属工・機械工・電気工からなる徴集兵を機関室と通信室に配属した。
- 「海軍士官にはドイツの中産階級、特に上位中産階級出身者が多かった」
- 機関科将校の「多くが下位中産階級の出身で、兵科将校と同等の地位を与えられることは絶対になく、昇進の機会も限られていた」
- 第一次大戦中のUボート乗組員の「損耗率51%以上である」
- 「第一次大戦の艦長457人のうち152人が戦死し、33人が捕虜になった。これらを合計すると40%強の損失となる。一方、第二次大戦のUボート艦長が被った損耗率は46%だった」
- 「第一次大戦の艦長400人のうち、22人が全連合軍商船の60%以上を撃沈し、全戦果の30%がUボート艦隊のわずか4%の艦によるものだった。こうした現象は第二次大戦でも反復され約1300人中30人の艦長が、連合軍商船の総損失トン数の30%を撃沈したのである」
- 兵科将校には旧ハンザ同盟都市など北ドイツ出身者が多く、プロテスタントが多く、アビトゥーア取得者が多くて、半数は上流階級と上位中産階級出身だった。
- 機関科将校は中部ドイツ出身者が多く、中・下位中産階級出身者が多い。人材不足により、下士官からの昇進者も少なくなかった。
- 下士官、兵も北部ドイツや中部ドイツの工業都市出身者が多かった。また労働者階級、中・下位中産階級の出身だが、父親が海軍で小型艦に乗務していた者、父親が熟練工・熟練労働者だった者が目立つ。金属工が多く、農業従事者は極めて少ない。機関兵は金属工出身者がさらに多い。こういったことから「北ドイツ出身の寡黙な船員と漁師の傍らには、西部・中部ドイツ出身の快活な機械工と産業労働者が立っていた」と言われている。
「通信兵の評価は、当直時にどれだけの電信文を聞き逃したかによって大方が決まった。それぞれの電文には通し番号がついているため、それによって聞き逃しが判明したのだ」
大戦後期に艦長の年齢が著しく幼くなったりはしていない。また末期の損耗率よりも1941~1942年の損耗率の方が高かった。
艦長の年齢、経験、特質は損耗率に影響しない。連合軍の兵装や戦術の向上がUボートの損失につながったから、艦長の資質で何とかできるというものではなかった。
陸軍とは違って、敗戦近くなてUボート乗組員に10代の水兵が増えたという事実はない。10代の水兵の比率はアメリカ海軍の潜水艦乗組員と比較しても少ないくらい。
第一次大戦時から一般人の持っていたUボート部隊のエリート視、ヒトラーユーゲントなどを経験しての入隊といったことから、大戦後期の経験の浅い若い乗組員の士気も保たれていた。
第4章「Uボート戦のパターン 1939~1945年」にはUボートの戦いの時期別の簡潔な概説があります。またその他の章でも、太西洋の戦いや連合軍のレーダーやソナーや航空機による哨戒の威力、ドイツ側の対抗する兵装や新型艦に対する努力が各所に記述されています。それらの中で面白く感じた点というと、
- 艦内温度が100度(約37.8度)「熱帯水域では高温によって多くの人員が倒れたのである」
- 「通信兵の評価は、当直時にどれだけの電信文を聞き逃したかによって大方が決まった。それぞれの電文には通し番号がついているため、それによって聞き逃しが判明したのだ」
- 潜航時の艦のトリムの維持には「食糧や燃料の重量配分についての正確なデーターー個別日誌への日々の更新ーーが必要となった」
- 新しい潜水艦の建造が終わると、キールにある加圧ドックで90メートルまでの模擬深度で新造艦の水漏れを検出したり、聴音哨のある海底で無音航行試験を行い、無音航行時の最適速度が決められた(日本の潜水艦もこういった試験をしたんでしょうか?)。
- 雷撃訓練、集団行動と船団襲撃訓練。未熟な乗員による操艦ミスやイギリス軍の敷設した機雷など、バルト海での訓練中に失われた艦も30隻と少なくなかった。
- 士気を保つために特権(休暇時に総統からの小包)と厚遇(食事)と高給、哨戒後の帰郷休暇、叙勲が用いられた。総統からの小包は先日読んだRations of the German Wehrmacht in World War IIにも説明があった食品の特別配給詰め合わせです。
- Uボート乗組員は実働時間の三分の一を港あるいは帰郷休暇で過ごしていた。
内容とは関係ないことですが、この本は縦書きで、かなり多量の原注が章ごとに横書きでつけられています。縦書きと横書きが混在した本ではあっても、本文と注というふうに分かれていますから、そのこと自体では問題を感じません。ところが注の部分を眺めると、一見して変な感じ・違和感をおぼえるのです。日本語は縦組みと横組みで違ったフォントを使うべきなのに、もしかするとこの本の横書きの部分には縦書きの本文の部分と同じフォントが使われてしまったのかなと感じました。
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