2012年5月16日水曜日

スターリンの死


ジョルジュ・ボルトリ著
ハヤカワ文庫NF42
昭和五十四年五月十日印刷 昭和五十四年五月十五日発行
子供の頃は冷戦が継続中でソ連は一方の大国でした。核戦争に対する切迫した恐怖を感じたことはありませんでした(鈍かっただけかな)が、かといって未来のソ連にあんな風にあっけない崩壊が起こるなんて考えもしませんでした。鉄のカーテンの向こうの世界は神秘的だった印象が強く、今でもこういった本を読みたくなるんだと思います。
本書はフランスのジャーナリストの著作で、スターリンの死の一年ほど前から、彼の死亡・葬儀とその後の非スターリン化のエピソードを綴ったものです。ただ、彼の死後すぐに書かれたものではなく、原著は1973年に発行されています。史料・資料の入手などに制約の大きかった冷戦期の著作ですから、以前読んだサイモン・セバーグ・モンテフィオーリ著のスターリン2部作(スターリン 青春と革命の時代スターリン 赤い皇帝と廷臣たち)とは違って、社会面を読むような感じがします。史書としてよりも、謎につつまれたソ連と、隠されればそれだけよけいに覗きたくなる西側の心理という、滑稽な相補関係が存在していた当時の雰囲気を伝えてくれます。
例えば、スターリンは1952年になってもユダヤ人医師団陰謀事件をでっち上げてユダヤ人の粛清を目論んでいたとみられています。名前からユダヤ系と間違えられ職場を解雇されそうになったあるソ連人は、祖先が男爵だったというそれまで隠し通してきた事実を告白します。すると男爵の家系だったことは追及されず、よかったなといわれたとか。
最も反共的な人びとの間でも、個人としての”大元帥”に対する評判はそれほど悪くなかった。肩飾りを付けたスターリンは、短刀を口にくわえたスターリンを人びとに忘れさせた。それに73歳という高齢も彼のイメージを和らげた。多くの人は、彼を、奸智にたけているが思慮のある老人で、好戦的なマレンコフをなだめてきた人物とみていた。いきり立って興奮しているクレムリンで、彼だけが穏健派とみられていた。 
アメリカの首都では、穏健な要素とみられていた元帥なきのち、その後継者らの無謀が憂慮されている。
なので、重態が伝えられると西側の人も何が起きるか不安になったのだとか。いま読むと、冗談みたいですよね。またスターリンの重態・死が伝えられると
シャラシュカ(特別刑務所)の囚人たちは、この日の朝はいつものように研究室に行かずに宿舎に残っていた。これらの技師たちや数学者たちは頭の中で微妙な慨然法の計算を始めた。われわれは銃殺されるのだろうか?戦争が始まったばかりの時に収容所や刑務所でみせしめのために組織的に処刑が行われたが、いままた何か”非常事態”が起こったのだろうか。彼らは顔を見合わせて沈黙した。
だったとか。こちらは当人たちにとっては深刻な問題だったでしょうが、やはりいまの時点で読むと滑稽です。また、私はプロコフィエフが好きですが、彼もスターリンと命日が同じなんだそうで、このことも初めて知りました。こういった面白いエピソード・学ぶべき点の少なくない本でした。

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