園尾隆司著
弘文堂
平成21年4月30日 初版第1刷発行
現役の裁判官が、実務や研修を通して気づいた日本の民事訴訟に特有の制度や慣行について検討し、解説してくれている本です。本書を読んでみて最も興味深く感じた点、一番勉強になったことは、日本の民事訴訟制度に特有の慣行の多くはその淵源を江戸時代にさかのぼれるのだという点です。例えば、司法書士という資格はもとをたどれば江戸時代の公事宿の公事師が明治時代に代書人となり、1935年の司法書士法にたどり着いたものなのだとか。また日本では土地と建物のそれぞれに対して借家権・借地権が別々に存在し得ます。しかしヨーロッパやアメリカ合衆国ではローマ法以来「地上物は土地に従う」伝統があり、建物だけを土地と別に扱う習慣はないのだそうです。なぜ日本にこういう独特の制度が生まれたかというと、地所永代売買禁止令の影響で江戸時代から建物所有権が土地所有権から分離していたからだと説明されていて、目から鱗。このように、本書は日本の制度のどの点が日本独自のものなのかを知らないと書くことのできない種類の本で、歴史家ではなく法律の実務家だからこそ書くことができた本なのだと感じます。
駿府藩主である徳川宗家当主徳川家達に対し、旧徳川幕府の法令を調査のうえ将軍一代につき一年分として一五年分を取りまとめて報告するよう指示し、江戸時代の判例法及び徳川幕府の定めを当分の間そのまま適用する方針を明らかにしている。
実体法の基本法である民法・商法については施行が延期となって適用法令がなく、明治三○年代初めに民法・商法が施行されるまでは、江戸時代の判例及び徳川幕府の定めに基づいて国家秩序を維持していくほかない状況であった
明治維新後、一挙に法律・制度が一新されたわけではなく、新たな法律などが整備されるまでは江戸時代のやり方を踏襲していたわけですね。フランスの法制度や裁判手続きがわが国に親和性があるわけではないのに司法省の西欧情報がフランスに偏っていたのも頷けるところである。
多くは江戸幕府の役人だった江戸時代からの知識層が訳官として明治政府に継続登用されました。静岡藩から受け継いだ静岡県の葵文庫中で最も多い洋書がフランス書だったことを著者は示しています。きっと司法省にはフランス語の訳官がいて、新たな法律を作成する際にフランス法を参考にしたんでしょう。そして、そのフランス法に基づく新たな民法・商法が日本の醇風美俗にそぐわないということで、施行されずじまいとなってしまったわけですね。
江戸時代の評定所は将軍直轄であり、その判断は他の行政担当部署の判断に優先していた。これに対して明治期以降は、縦割りの中央官庁が所管の権限を分掌し、裁判は、他の中央官庁と同列である一官庁が所管することとなっており、他の官庁に対して優位性を持たない一官庁が裁判を所管する点において、江戸時代と異なっているた。江戸時代の判例が法規範性を持ち、明治期以降の判例が法規範性を有しなかった原因はここに求められる。また、この裁判体制の相違が明治期以降の戦前期の行政訴訟のあり方に影響を与えていく。
大日本帝国憲法下で司法裁判所とは別に行政裁判所が設けられていたのがなぜか、非常にわかりやすく説得的な解説だと感じます。
明治中期以降、「刑罰の民事不介入の原則」が長く維持された結果、民事手続きにおいて不法勢力の横行を生んだ。
条約改正交渉などに際して、江戸時代以来の制度を批判されてきた司法省は、民事訴訟時の拘留・拷問の廃止をおこないますが、羮に懲りて膾を吹いてしまいました。これが原因で暴力団の介入がみられるようになり、その後100年に禍根を残すことになりました。
はしがきには「本書は、法律実務家が平素の実務の中で手続きの沿革に興味を抱いたときに読んでいただけるもの目指したもの」と書かれています。たしかに法律の仕事をしている人が読めば面白く感じる点はもっと他にもたくさんあるのでしょうが、この分野にはまったく知識のない私でも、充分に興味深く読めました
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