2012年9月22日土曜日

日本統治と植民地漢文

陳培豊著
三元社
2012年8月31日 初版第1刷発行



近代の台湾で使われた書き言葉の変化を論じた本です。ちょうどこの時期、台湾は日本の領有下におかれていたため、日本人の使った和式漢文や和製漢語が大きな影響を与え、また標準化・規範化された辞書教育システムに乏しい中での変化だったことが、台湾の漢文再編の特徴でした。本書ではこの変遷を

  1. 正則漢文(伝統的な文語体):中国だけでなく広く東アジアでも使われていた。台湾にやってきた日本人統治者と台湾島住民との間の意思疎通にも使われた。
  2. 植民地漢文:漢文の「クレオール現象」によって台湾で生まれたもの。近代的な概念を表す語彙として和製漢語が取り入れられ、和式漢文の語順の影響も受けている。
  3. 白話文運動: 中国白話文にならって、台湾でも言文一致を目指そうとしたもの。日本の進める国語教育に対抗して、祖国との文化的アイデンティティの共有を確認するためのものでもあった。
  4. 台湾話文:中国白話文の基準としていた北京語と台湾の口語とがかなり異なっていたため、独自の台湾話文を形成することになった。正則漢文とは違って、漢学の素養のある日本人でも正しく理解して読むことが困難だった。
といった段階に分類して、理解しやすく解説してくれています。台湾の書き言葉の成り立ちについてなんて、考えたこともなかったので、本書を読むことでまさしく蒙を啓かれたという感じがしました。正則漢文では無視できた口語の違いが白話文運動によって明らかになってしまい、台湾語台湾文を生むことになったわけですね。こんな風に日本統治と祖国の間をうまく処理して独自の記述言語を確立した台湾でしたが、日本の敗戦後、中国国民党が支配者となって君臨し始め、特に二・二八事件後は事態が逆転します。
戒厳令や白色テロによる危険思想の取り締まりや言論統制などの理由で、台湾知識人は自由に意見の陳述ができなくなった。 
政治上の弾圧のほかに、台湾人が文化界、言論界から姿を消したもう一つの大きな理由は、新しい支配者が持ち込んだ国語、つまり中国白話文の標準化、規範化がもたらした絶対的な権威であった。
とのこと。なんとも皮肉な現象が起きていたわけですね。だとすると、本書の主題からは外れますが、中国本土ではどうだったのかも気になってしまいます。中国本土でも北京語がひろくつかわれていたわけではなく、台湾と同じ口語をつかっていた地方もありました。そういった北京語以外の話されている地方の人たちは、政治的・文化的統一の維持のために言文不一致のまま白話文運動を受け入れざるをえなくなったのでしょうか。また現在の中華人民共和国でも口語は地方によって大きく違うと思うのですが書き言葉は全国的に統一された状態になっているんでしょうか。
古代の中華文明が大量の漢字漢文を生み出したように、19世紀以後、日本は明治維新で夥しい和製漢語を作り出した。この「言文一致」と新語彙の二本柱に支えられて近代において中国語、ベトナム語、広東語、日本語、朝鮮語は著しい地域差を持ちながらも、一定の共通項を持った言語群として形成されていった。
「言文一致」の影響で、東アジアにおける文体は一元的から多元的へと変貌し、一つの巨大な文体解釈共同体から多数の小規模の文体解釈共同体へと再編されていく。例えば、「言文一致」のプロセスを経て、中国白話文を含めた現代中国語文も漢字を並べて書くという点では、従来の漢文と変わりはないものの、文法的には正則漢文と大きく隔たって一種の変体漢文となっていった。この文体の変容によって、中国白話文は中国人の占有物となり、これまで漢文理解者だった多くの日本人は、その解釈共同体から排除されるようになったのである。
といった指摘も本書にはあり、とても刺激的に感じました。かなり特殊なテーマを扱った専門書にしては3400円と価格も手ごろで、お買い得な本だと感じました。近所の書店で平台に並べられていたのを発見して買ったのですが、平台に並べられているとカバーの装幀がちょっとチープ過ぎかな。

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