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2012年11月22日木曜日

東アジア書誌学への招待





大澤 顯治編著
東方書店
2011年12月20日 
初版第一刷発行

中国や日本の書誌学者が学習院大に招かれて行った漢籍に関する連続講義を二分冊にまとめたものです。この第一巻は、漢籍の基礎的な知識を扱った第一章、中国国内や日中間などでの漢籍の移動を扱った第二章、学習院大学に所蔵される漢籍コレクションの来歴・内容などをまとめた第三章に別けられ、それぞれ数人の筆者が執筆しています。漢籍に関するオーソドックスな知見も読んでいて勉強になりますが、専門家ではない読者の私の興味をひくのは雑学の方。いくつか例をあげてみます。
中国で当たり前にいう「西漢、東漢」という言い方が日本ではまず用いられないのも知識人のフィルターに掛けられた中国知識の性格を示している
日本では漢(前漢)・後漢と呼ばれる王朝が、中国では西漢、東漢と呼ばれていることを不思議に思っていました。日本で中国の歴史書を読んだのは知識人ばかりだったので漢書・後漢書を手に取った、中国では一般の人も白話で書かれた史書を読み、それら俗な史書の書名や記述に西漢、東漢がつかわれていたので、それが続けて使われることになったのだそうです。
広東語由来の表記をする日本語と上海語由来の表記をとる現代中国語で漢字表記が異なるようになった
仏国と法国、米国と美国といった具合に、日本と中国とでは異なる漢字表記をする国名がありますが、これもなぜなのか不思議でした。もともとは広東語による漢字表記が一般的で日本はそれを使い続けているのに対して、その後さらに広く普及した上海語による漢字表記が中国では一般化したからなのだそうです。
日中間の古典籍の流れは両国の政治情勢や社会経済の活動と密接な関係があり、一般的に言えば、古典籍の貴重書は経済的な実力があり、比較的安定した地域に流れていった。そのため、日本にあった中国の古典籍は明治初期には大量に中国にわたったが、明治30年代以降になると、流れの方向が徐々に変わり、中国の社会経済の衰退と政治情勢に不安定とを背景として、とくに1900年の義和団事件と1911年の辛亥革命などの戦乱や革命の影響によって、大量の古典籍が安い価格で日本に渡ってきた。
日本所在の宋、元版漢籍の価値は高い
漢籍の中でも古く貴重な宋本・元本を所在地ごとにみてみると、中国に3500、日本に1000、台湾に712、アメリカに125くらい。韓国とベトナムについてはしっかりした統計がないそうですが「いくらか」しかないそうです。朝鮮半島にはかなりたくさんあるのかなと思っていたのと、日本にこんなにたくさんあるとは知らなかったのでとてもびっくりしました。またこれらの貴重な漢籍の日本への流入は、明治以降ずっと続いていたのかなと思っていましたが、明治30年代頃までは流出していたという指摘にも驚かされます。でも明治維新で多くの人々が漢籍からヨーロッパの文物に目を転じた事情を考えれば、これは当たり前ですね。

日本に1000あるという宋本・元本を、日本への輸入時期ごとに分類して数を示した研究なんかもあったら面白いだろうなと思います。平安・鎌倉時代には古典籍としてのプレミアムはついていなくとも、最先端の技術の産物ということでやはり高価ではあったでしょう。また、江戸時代に輸入された宋本・元本があったのかどうかも気になります。この頃にはすでに相当のプレミアム付きでないと輸入できなかったでしょうから、日本人が買い付けにいったわけでもなく、見込みで仕入れる中国人輸入商が運んできてくれたものかどうなのか。また江戸時代については漢籍の年ごと・船ごとの漢籍のおおまかな輸入数を推定した論考が本書に載せられています。数の推定ができると、次には金額の推定も欲しくなります。生糸や砂糖や漢方薬原料の国産化がいったん完成した時期、書籍の輸入額は日本の対中国輸入額のどのくらいを占めていたのか。などなど、まあいろいろと興味をかきたててくれる本でした。

2012年11月9日金曜日

イスラエルとは何か




ヤコブ・M・ラブキン著
平凡社新書643


イスラエルとパレスチナおよびその周囲の国々の関係をみていて不思議なのは、アメリカ合衆国をはじめ西側先進国のイスラエルに対する依怙贔屓とも思える態度です。古くはバルフォア宣言以来、イスラエルにはイギリスなどからの支持がありました。その支持を背景に六日戦争、ヨム・キプール戦争に勝利し、エジプトと平和条約を締結してその地位を盤石なものとしたかに思えたイスラエルですが、パレスチナの人々との関係を安定させることはできませんでした。パレスチナ側にとって厳しい条件のオスロ合意に対してもイスラエル国内での合意は得られず、インティファーダにつながってしまいました。遠くの日本に住む私の目からは、狭い自治区に押し込め、外部との交通を制限し、低い生活水準・高い失業率をパレスチナ人に余儀なくさせているイスラエルの理不尽な仕打ちが諸悪の根源だとしか思えません。それなのになぜ自由と人権を旗印にしているはずのアメリカ合衆国や西側先進国がイスラエルを支え続けるのか?という私の疑問に本書は
西洋がイスラエルに差し伸べてやまない支持の背景には、実際に移住を目的として生まれてきたこの最新の植民地国家が、いくつもの点で、かつてイギリスとフランスが世界中に所有していた植民地の歴史にもつうじる深いヨーロッパ的性格にねざしたものであるとの認識が横たわっています。
シオニスト国家が西洋との間に保つ――そして絶えず補強に努める――同族感情の有機的な絆に目を向けるならば、イスラエルが、ヨーロッパの諸列強や、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどヨーロッパの旧植民地から身を起こした大国の側から常にとりつけている一種の免責特権もおおかた説明づけられるでしょう。
依怙贔屓にも似たイスラエルの処遇には、かつてナチス・ドイツが手を染めたジェノサイドの蛮行について西洋が抱き続ける罪悪感が関係していると見る論者もいますが、この要因も、今日イスラエルが中東地域において肩代わりしている西側の利害関係に比べるならばさしたる重みをもたないように思われます。
と答えてくれていました。ナチス・ドイツの蛮行に対する償いが主な理由ではないという指摘は意外な感じがしましたが、最後の植民地国家だと説明されれば、ああそうかと納得できます。さらに
イスラエル=パレスチナ紛争に持続可能な解決策を求めるなら、それは一種の脱=植民地化のかたちを取らざるを得ないはずです。しかし、シオニストの入植者たちは、かつてのアルジェリアにおけるフランス人入植者とは異なり、もはやほかに帰る場所をもたないわけですから、パレスティナの脱=植民地化は、南アフリカ共和国の先例を参考にする以外にないでしょう。
という指摘も、とても鋭いと感じました。
本書の出版の経緯について訳者あとがきには、「トーラーの名において」のフランス語版オリジナル原稿を大幅に圧縮し、そこへ新たに以下の四章を付け加えるかたちで、日本語の新書版を念頭に置きながら書き下ろしたものです、と解説されていました。2012年7月に読んだ「トーラーの名において」もとても勉強になる本でしたが、税込み5670円と安くはありません。その点、本書は924円とふつうの新書の値段です。しかも日本人の私から見ると同じものとして捉えてしまいがちな、ユダヤ教とシオニズム、ユダヤ教徒とイスラエル国民、イスラエルといったものの関係を分かりやすく説き明かしてくれていますから、まずこちらを手に取ることをオススメします。

「トーラーの名において」を読んだとき、著者と同じような立場に立つユダヤ教徒がどのくらいの数いるのか、少数派だとしてもイスラエル、アメリカ合衆国、ヨーロッパなどのユダヤ人のなかでどのくらいの比率を占めているのか、知りたく思いました。本書には
シオニズムの支持者との比較においていうならば、それに異を唱える人々は少数にとどまり、世界全体でもおそらく数万人の域を出るものではないでしょう
と書かれてあって、予想よりかなり少ないようです。近代は人が宗教に依存しなくなる時代なので、こういった考えを支持する人の基盤である敬虔なユダヤ教徒の数自体が減ってきているのでしょうから、こういった数字なんでしょうね。また著者によるとユダヤ教の平和主義は徹底したもので、
もしもシオニズムの罪がなかったら、ヨーロッパの惨劇は起こらなかったであろう。
破壊は、シオニストたちの罪に対する報いとして起きたのだ。
というように、ヒトラーとナチズムさえもシオニズムの直接の帰結と解釈します。そういった悲劇に武器をとったり、新たな国を建てることで立ち向かおうとするのではなく、正しいユダヤ教の信仰を守ることで悲劇を防ごうとするものなのだそうです。日本国憲法の平和主義は平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼してというものですが、ユダヤ教の方は諸国民がどうかは問題とせず自らの信仰を信頼するというものですから、もっと徹底しています。日本でも平和ボケなんていう言葉で平和主義を馬鹿にする人がいますが、周囲の国との緊張がさらに高く、うちにもパレスチナ人や被ユダヤ教徒の住んでいるイスラエルでは「平和ボケ」以上にきつい口調で著者等の立場を受け入れない人が多いのかもしれません。

2012年11月4日日曜日

新しいiPad(第4世代)買いました


新しいiPad(第4世代)を買ってきました。miniではなくて、大きい方のiPadです。2011年5月にiPad2を手に入れてからまだ1年半ほどしかたっていませんが、自宅でのweb siteの閲覧にはiPad2が欠かせません。しかし、7月にretinaのMacBook Proを買ってretina displayに眼が慣れてしまうと、iPad2のディスプレイでは満足できなくなってきました。これまで長い時間おつきあいしてくれたiPad2さんにはとてもとても感謝しつつも、第3世代の「新しいiPad」にすこし興味がわいてきながら、さすがに2世代続けて購入するのはどうかなと思っていたところ。ちょうど、そんなところに、予想されていたiPad miniに加えて、このA6搭載の新しいiPadが発表されたわけですから、もう我慢できずに買いに行ってしまいました。近くのビックカメラにiPad miniの在庫はありませんでしたが、iPadはふつうに買えました。iPad2は64GBモデルをもっていたのですが、私の使用状況だとメモリが半分以上あまっていたので、今回は32GBモデルを選択しました。色は当然、黒。ディスプレイの周囲が白は下品です、私的には。

ごく短時間ですがつかってみての感想をいくつか。箱から取り出したときから99%充電されているのは親切ですね。そして、母艦のrMBPとつなぐのにLightningコネクタを使いましたが、これって細くて短くて頼りない感じがします。接続コード一般に、コネクタとコードの接続部がだめになりやすいと思うんですが、Lightningコネクタは、コネクタ自身と本体との関係が心配。でも本当は、みかけや触ったかんじよりもっと丈夫にできているのかもしれませんが。あと、うちのiPhoneは4Sなので、しばらくLightningコネクタと30pinコネクタの両方を用意しなければならないのが少し面倒ではあります。

ディスプレイに指が触れると、iPad2よりもしっとりしていました。持ってみると、iPad2より重く感じました。実際に重さをはかってみると、iPad2は594.5gで、新しい方は648.0gでした。自宅内だけで使用している者の希望としては、充電の回数が増えてもいいから、もっと軽くして欲しい。

文字がくっきりしていて、retinaディスプレイは美しい。また、iPhone用アプリの2倍モードの時の文字のぎざぎざがずっと目立たなくなりました。大満足です。私のiPadは、自宅内でなにか読むのに使うことがほとんどですから、ディスプレイの美しさ、文字の読みやすさはとてもありがたいのです。

アップル製品のいいところは、買い換えた後の設定が楽なこと。iTunesにつないで「バックアップから復元」とすれば、一般的な設定はそれでおしまい。そしてiPadの起動が済んでからもう一度iTunesにつなぐと、今までのiPad2でつかっていたアプリなんかを全部コピーしてくれます。iPad2の方のSafariで開いていたページまできちんとそのまま再現してくれるんですから、こういうところは本当に良くできています。

ところで、iPad miniを買う人たちはどんな風につかうんでしょうか?外に持って出るという用途であればiPad miniもありだとは思いますが、自宅内でしかつかわない私にとっては小さすぎます。ふつうのiPadを縦長にweb siteをみるんでも、小さいと感じることがあるくらいなので。