2012年12月1日土曜日

ワルシャワ蜂起 1944




ノーマン・デイビス著
染谷徹訳
白水社
2012年10月10日印刷
2012年11月10日発行





近所の書店で平台に並べられていた本書。だいぶ前に同じ著者のヨーロッパ史を扱った4巻本を読んだことがありますが、ポーランド史の専門家だったとは知りませんでした。 ワルシャワ蜂起というテーマに惹かれて、まずは上巻を購入してみましたが、上巻だけで556ページもある厚い本です。そのうちの373ページはワルシャワ蜂起よりはるか昔、チュートン騎士団やリトアニア・ポーランド王国の頃からポーランド分割、第一次大戦、戦間期のポーランドなどの歴史を説明する第一部にあてられています。著者は
中東欧地域の多数の国々では、第二次大戦の終結は、ひとつの全体主義国家による占領の終わりではあったが、同時に別の全体主義国家による占領の始まりでしかなかった。
蜂起が終焉を迎えた時点、または1945年5月の時点で物語を打ち切り、その後に生き残った人々が幸せに暮らしたかのような書き方をするとしたら、それは決して公平なやり方とは言えない
と記していて、第一部に書かれているような知識が基礎にないと、ワルシャワ蜂起や第二次大戦後のポーランドについての理解が難しいと考えているようです。でもまあ、私はそういったあたりではなく本書には汗握る場面の方を期待していたので、多少じれったく感じたのも確かです。第一部には歴史に加えて開戦後の様子も描かれています。
地下国家が機能し得たのは、すべての国民が抵抗運動を支えることを暗黙のうちに了解していたからである
イギリスから飛行機で潜入したポーランド亡命政府の密使がワルシャワで国内軍の秘密会議に出席し、会議のあと街に出たところでゲシュタポに呼び止められ、どこから出てきたんだと尋ねられます。咄嗟に彼は近くの歯科で治療をして出てきたと答えました。ゲシュタポは裏を取るためその歯科に電話を入れますが、歯科医はそういった人をたしかに今まで治療していたと答え、見ず知らずの人を亡命政府の密使とは知らずに助けます。戦闘シーンだけでなく、こういったエピソードの中にもポーランドの人たちの気持ちがみえるようです。

第二部ではワルシャワ蜂起のありさまがイギリス、ソ連の意向など外部の状況ともあわせて述べられていました。本書の特長の一つは、ワルシャワ蜂起をいろいろな立場で経験したポーランドやドイツやイギリスなどの人々の日記や手記を、囲み記事として紹介していることです。これらに記されたエピソードにはとても興味を持ちました。もっとたくさん載せて欲しいくらいですが、生き残った人は少なそうですから、そうも行かなかったしょうね。

さて、本書の文章はこなれた日本語で、翻訳臭さはほとんど感じません。そういう意味ではよくできているのですが、問題点も多々あります。まずは訳語で、本書冒頭の口絵写真の説明文をみたところで、がっかりしてしまいました。ドイツの軍用車輛の説明文なのですが、自走強襲砲StuGとか機甲兵員輸送車っていうのはないでしょう。当然、慣用されている訳語である突撃砲、装甲兵員輸送車と訳すべきで、そうでないと雰囲気ぶちこわしです。なぜ訳者が自分独自にあみだした言葉を使うのか、その意図が分かりません。また本文中にも、例えばテレタイプを「電信印刷機」と訳していたり(どうしても商品名を使いたくないのなら、Printing Telegraphなんだから印刷電信機とすべきでしょう)、二重星形エンジンを「双座星形エンジン」と訳したりなど、訳者独自の用語が散見されます。同じ訳者の「スターリン 赤い皇帝と廷臣たち」を読んだ際にはちっとも気づかなかったのに、ひとたび気になるとこういう違和感は強くなるばかりです。

誤訳と呼ぶべきものも見受けました。例えば、ノルウエー戦の「ナルヴィクでは、またポーランド海軍の戦艦三隻が作戦に参加した」とか、フランス敗北後にアルジェのフランス艦隊がイギリス部隊に攻撃され「戦艦数隻が撃沈され」たとか。事情を知らない人が読んだら、ポーランドは3隻も戦艦を保有していたんだとか、ほんとうに戦艦が沈没したんだと思っちゃうでしょう。プロの翻訳者ならば戦艦ではなく軍艦と訳してほしいものです。ただ、このあたりは原文が想像できるからまだましな部類です。読んでいて本当に困るのは誤訳なのか、原文に誤りがあったのか判断に迷うような文章です。いくつか例をあげると、
1944年当時、無線電信と無線電話の開発はまだ始まったばかりだった。 29ページ
日露戦争についての本ならばいざ知らず、1944年の時点で無線電信の開発が始まったばかりだったはずはなく、一読しておかしいと感じる内容をもつ文章です。ただおかしさの原因が、原文の「1944」という数字に誤りがあったからなのか、上記の例のように「無線電信」という単語が一般的に使われているものと違った意味を持つ訳者独自の日本語の単語の使用によるものなのか、判断に苦しみます。
パレスチナに到達したアンデルス軍は予備役部隊として英国第八軍に編入された 79ページ
ソ連からイラン経由で脱出したポーランド軍団についての説明ですが、予備役は変。きっと予備として控置されたということなのだろうと想像します。でも著者独自の「予備役」の用法なのかもしれないし、また原文に予備役と書かれていた可能性も否定はできないし、どちらがこのおかしな文章の原因なのか私には分かりません。
強制移送作戦のために親衛隊集団指導ユルゲン・シュトロープ中将に率いられてゲットーに入った約3000人のドイツ軍兵士と武装警官に対して、手榴弾と銃弾の雨が降り注いだ。 315ページ
ユルゲン・シュトロープさんはワルシャワ蜂起の鎮圧に失敗したSS指揮官の後任としてワルシャワに赴任した人物のようですが「親衛隊集団指導」っていう肩書きは何なんでしょう?親衛隊指導者というのが親衛隊の中将に相当する階級のようですから「者」を落としてしまっただけでしょうか。ワードプロセッサの入力ミスみたいなのはほかにも散見されますからそうなのかもしれません。でも上記のような訳者独自の単語の可能性も完全に否定はできず、ふだん見慣れない単語だけに迷います。
ワルシャワ郊外の鉄道線路上には機甲列車が配置され、高性能爆弾の一斉砲撃に最適の地点を探して移動していた 397ページ
機甲列車なんていう日本語の単語にはお目にかかったことがないし、当然、一般的につかわれる「装甲列車」と訳すべきでしょう。事実430ページには装甲列車という単語がつかわれていますし。また高性能爆弾の一斉砲撃という表現にも違和感ありあり。砲撃につかうのは砲弾で爆弾ではないでしょう。原文にはhigh explosiveとあったので高性能爆弾としてしまったものかもしれませんが、榴弾とすべきですよね。

ワルシャワ蜂起 1944 下の感想

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

はじめまして。
私はこの英語版を読んだことがあります。
訳者は軍事用語には疎いようですが、それは決して非難されるべきではないと思います。
用語の誤りについては、それが発見されたら淡々と指摘する形のほうが好ましいかと思われます。

Norman Daviesの打ち立てた、ポーランド史における金字塔はGod's Playground - A History of Polandですが、邦訳がなく私はこれも英語の原書を読みました。
これもいつか邦訳の出版が実現することを夢見ています。

somali さんのコメント...

コメントありがとうございます。
私が例示したのは、webで検索すればすぐに分かることばかりです。
プロがその手間を惜しんだことが不可解だったので、5040円も払ってこんな本かと感じた次第です。

履歴書の特技 さんのコメント...

とても魅力的な記事でした。
また遊びに来ます!!

somali さんのコメント...

コメントありがとうございます。

批判がましいことを書いちゃっていますが、面白い本ですよ