藤原書店
2011年7月30日 初版第1刷発行
大和朝廷の頃から室町・戦国時代までの日本の対外交易を扱った著作です。 著者はまず序章で「海は道なり」というブローデルの言葉を紹介し、西洋の海のルートである地中海との比較研究の可能性を示唆して本書を始めています。ブローデルの地中海も多くの研究者の研究成果に依拠した著作ですが、本書もこれまでに多くの日本人研究者が積み重ねてきた成果をまとめ、大和朝廷の時代から室町・戦国時代までの通史としています。そして、具体的にはタイトルにもあるように
筆者はモノの需要は各時代において国際交流の主たる要件であると考える。換言すれば「モノが人を動かす」でのある。
と述べられていて、交易されたモノに着目している点が本書の特色です。口絵の写真や、本文中に取り上げられている品物を眺めながら読むだけでもワクワクしますが、扱われている10世紀間を通観して受けた印象としては
- 平安時代の頃までは、中国や朝鮮半島から輸入されたモノは唐物として天皇や貴族たちのあいだだけで消費され、彼らの間で贈答品として交換されることはあっても、商品として日本国内を流通することはなかった。日本から輸出されたモノとしては、絹製品もあったが金や水銀、真珠などの一次産品が中心だった。また初めは朝貢、その後の交易は中国や渤海や朝鮮半島の商人によってになわれた。交易船の往来の頻度は少なかった。
- 本書の対象とする期間の後半になると、日本から交易に出かける人が多くなり、朝鮮や中国は日本からの交易船の来港を制限しようとしたほどだった。日本から中国への輸出品をみると、金、硫黄、特殊な木材などの一次産品もあったが、金額的には手工芸品が主となった。たとえば明が輸入した品を資源・天然材料、単純工芸品、高級工芸品の三つに分けると朝貢国の中で「美術工芸品を大量に明に輸出するのは日本だけであった」。日本の輸出における「工芸品の比重が大きく、その売り上げによって日本は利益を獲得し続けたのである」。
7世紀以前の日本は、縄文時代から住んでいた人と、江南から移住してきた人と、朝鮮半島からの人と、台湾から九州南部へ移住してきたオーストロネシア語族の人とが次第に融合しつつはあっても、中国や朝鮮半島と比較すると文明化は遅れていたのだと思います。商品生産などはまだまだ無理で、交易に出せるような品もたいしてなかったから、卑弥呼の時代には生口を献じたのでしょう。本書の対象となる期間の初めの頃も事情は大して変わっていなかったはずで、中国人の欲しがるようなモノを用意できない土地だったから、交易に来てくれる船も少なかったということなのだと思います。しかし、時代が進んで室町・戦国時代になると、日本国内でも商品の生産・流通が盛んになり、なんといっても銭貨が強く需要されるようになっていました。さいわい、手工業の技術も一定程度は進み、売れるモノが日本国内でもまあまあ生産できるようになってきたので、銭貨を求めて日本人主体の交易船が大挙して押し売りに行ったんでしょうね。
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