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2008年1月7日月曜日

PowerBook 2400cのゴム足


年末に取り出して久しぶりにつかってみていた流星号ですが、思わぬ問題点を発見。なん机が黒く汚れるなと思っていたら、犯人はPowerBook2400cのゴム足だったのです。裏返してみてみると、ゴム足はこんな風に変形しています。さわると、柔らかくて、融けてきてるって感じです。


紙の上にしばらく置いて使ってると、こんな感じに紙にゴムの痕がついてしまいます。今は冬で室温も20℃台なのですが、この有り様。夏だともっとひどいんでしょうね。毎日使ってた頃は、こうではなかった気がするのですが。

古いPowerBookはみんなゴム足がこうなるのかとも思って、PB540cを取り出してみてみましたが、材質が違うせいか大丈夫でした。PB2400cだけ、劣化しやすいゴムだったんですかね。昔のIBM製のThinkPadなんかもこうなちゃってるのかな?

2008年1月6日日曜日

お正月のゴミ


早いもので、もう1月も6日になりました。今年は曜日の具合の関係で、まだ空き缶やビンの収集は始まっていません。なので、空き瓶は収集ケースのなかにかなりたくさんたまってます。

しかし、空き缶の黒い収集容器の方は、半分も入っていません。例年だと今頃は、あふれんばかりに空き缶が置かれていたものなのですが。

空き缶の収集容器の中身が少ないのは、日頃から自主的にアルミ缶を回収している方々が、お正月の間も活動していたからだと思われます。寒い中、ごくろうさまです。

近隣の市の中には、こういった空き缶などを自主的に回収している人たちに対して敵対的な姿勢で、「資源ゴミの所有権は市にあります」とか「資源ゴミの無断持ち去り禁止」などと表示してあるところもありますが、立川市は今のところそこまでうるさくはないようです。

まあ、アルミ缶自主回収については、望んでそれに従事している人は少ないと思うのですよね。少なくとも私には積極的にしたいと思える仕事ではありません。現在アルミ缶自主回収をしている人たちは生活のためにやむを得ず、従事しているのだと思います。

もし、自治体の方で資源ゴミの所有権など主張するのであれば、 憲法25条に則って アルミ缶自主回収業の人たちの住まいや生活などを、先ずきちんと保証しなければならないのだと思います。もちろん、アルミ缶自主回収に対してうるさく言わない自治体にも、そうすべき義務があるのですが。

2008年1月5日土曜日

中国的天空 上  沈黙の航空戦史


中山雅洋著  大日本絵画  本体4300円  2007年11月発行

冬休みの読書の4冊目に、黎明期からの中国の航空戦史というマイナーな分野を扱った本を読んでみました。この上巻の前半には日独戦争での航空機の行動や軍閥の航空部隊などが記載されています。また、後半には日中戦争における中華民国の空軍と日本陸海軍航空部隊との戦闘の模様が、零戦の登場の時期まで記されています。

日中戦争での航空戦ですが、この上巻で扱われている時期では、必ずしも日本軍が優勢ではなかったという点が興味を引きます。戦闘機の護衛なしで出撃した爆撃機が多数落とされているだけでなく、九六戦などの戦闘機にも被撃墜が少なくなかったそうです。

どの程度の被害があったかは、部隊の戦闘詳報を調べれば分かるはずです。しかし、日本側の戦闘詳報はその多くが敗戦時に処分されてしまいました。また、処分されずに残されたものでも、苦戦の日・被害の大きかった日の記録のみが欠落していることが少なくないそうです。

この欠落は偶然ではなく、被害の隠蔽を意図したものと推定されます。軍隊というものは、被害を冷静に受け止めて対策を立てるべきことが厳格に求められるべき組織です。しかし、日本軍の「大本営発表」で知られる悪弊は、すでにこの時期からあったものなのですね。

また、以前興味深く読んだマンガの本に、宮崎駿の雑想ノートというのがあります。その中の第六話「九州上空の重轟炸機」の元になったエピソードもこの本に載せられていました。

1938年5月20日に寧波から2機で熊本へ飛び(Google Earthで調べると寧波・熊本間は約930キロメートルで、東京・熊本間とほぼ同じくらいの距離です)、4種類のチラシと1種類のパンフレットを撒いて帰還したそうです。日本では「九州上空に怪飛行機」と一部で報道されたとか。また、5月30日にも鹿児島へ飛来したそうですが、未帰還になったようです。

2008年1月4日金曜日

近世庶民の日常食


有薗正一郎著  海青社  本体1800円  2007年4月発行

江戸時代の百姓に対する私たちの常識を、「現代の日本人の多くは『近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった』と思っている」と著者はまず要約してくれます。本書はサブタイトルに「百姓は米を食べられなかったか」とあるように、その常識が本当かどうかを論じている本です。

明治10年代に農商務省が実施した統計によると「日本全体では米は庶民の食材の半分ほどを占めてい」ました。近世後半も明治初期と大きな差がなかったろうと思われますが、著者は江戸時代の農書や日記などの資料を多数提示して、その印象が間違っていないことを証明してくれています。近世の農民が一年間に食べる米の量は、却って現在の私たちよりもずっと多かったそうです。

それでは、どうして「近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった」という思いこみが生まれたのか。

この本のカバーには、米をキビ・ヒエ・ムギとそれぞれ半々ずつ混ぜて炊いた飯の写真があります。米は白くて雑穀は色がついているからなのか、上の図のように雑穀の割合がかなり多いように見えてしまいます。こんなことも、都会の人の残した見聞録に、百姓は米のとても少ない食事を摂っていると記録されたことの一因ではないかと著者は述べています。

また、近代以降に民俗学者などが食事の内容の聞き取り調査などをしていますが、戦後に実施された調査では第二次大戦中の米の不足の印象が被調査者にあったかも知れないとのことです。

さらに、私として興味深く感じたのは、伊賀盆地に関する記載です。伊賀盆地では穀物類の総収穫高に麦類が占める構成比は1877-88年頃に8%だったのが、1950年には23%にまで増加しました。このため、著者は「20世紀前半からの中頃の食生活を記録する『聞き書 三重の食事』と民俗研究者の報告は、麦飯の米麦の割合を半々ほどとしているが、これは20世紀に入ってからの水田二毛作による麦類の作付面積拡大後の状況を示しており、これらの資料が語る状況を近代初期まで遡らせることはできない」としています。近代以降に却って米食の比重が減ったことがあるかも知れないとは驚きです。

それと、日本全国どこでも農民が米をたくさん食べることが出来たわけではないことにも留意が必要です。稲の作付けの少ない地域では米の消費量が少なかった事情があります。特に西・南九州や沖縄では、サツマイモの比重がかなり高かったとのことです。しかも、「サツマイモを主な食材にする日常食の体系が普及した地域では、その時期に人口が著しく増加した」とも著書は述べています。

以上のように、近世の百姓も今の人たちが考えている以上に米を食べていた事は、まあまあ納得できました。ただ、本書で取り上げられている近世は、主に江戸時代中期以降の史料です。江戸時代前期や、それ以前の中世においては、どうだったのでしょう。

中世初期に開かれていた水田は小さな谷からの湧水で灌漑される小さな谷田(谷戸田、やとだ)が主だったはずで、ふつうの農民に米中心の食生活が存在していたとは思えません。戦国期から近世初期の大開墾時代が転機なのかな、やはり。

2008年1月3日木曜日

明治国家を作る 地方経営と首都計画


御厨貴著  藤原書店  本体9500円  2007年10月発行

本書は、1980年刊の「明治国家形成と地方経営」と1984年刊の「首都計画の政治」という、今では絶版になっている著者の2冊の著書を併せて新たに発行されたものなのだそうです。私は、その絶版になっている2冊を読んだことがないので、購入してみました。

第一部では、1880年代という議会開設の準備期を対象として内閣制度・官僚制度の形成されていく過程が、政治家同士の関係などに焦点を当ててつぶさに、とても読みやすく解き明かされています。正直、私には個々の内容をここで論評する能力はなく、ただただ楽しく勉強ができたって感じです。また第二部では、首都東京の都市計画をテーマに、各省・政治家・官僚・ジャーナリズムなどの対抗関係がやはり、分かりやすく説き明かされています。

同じ時期を対象にしている本でも、例えば 日本の百年2 わき立つ民論 1877-1889を読んでいると、政府は一枚岩としてしか見えてきません。しかし、政治史の専門書である本書では、藩閥の政治家一人一人が違った考え方・政治手法を持っていたことが非常に説得的です。

もちろん、歴史書にはそれぞれの性格によって、叙述の細かさの程度の違いがあるのは当たり前で、日本の百年シリーズも面白いから好きですし、どちらが良い悪いというものではありませんが。

また本書では、政治家達の書翰と書類、会議体議事録、ジャーナリズム報道をも併用しつつ、当時の政治家・官僚・議員らの発言が一貫したストーリーの下に組み合わされ、読んでいてとても面白い感想を持ちました。政治史の本というのは微に入り際にいると、こうなってゆくものなのかしら。

序で、「読んで楽しい物語までにあと一歩」と著者は書いているのですが、どうしてどうして、これにもう少し想像をふくらませた発言や状況を加えれば、優れた歴史小説としても立派に通用する作品だと思います。これ、褒め言葉です。

2008年1月2日水曜日

旧事諮問録(下)

旧事諮問会編  岩波文庫  本体760円  1986年2月発行

先月読んだ旧事諮問録の下巻です。御側御用取次・代官手代・町与力・外国奉行などからの聞き書きが収録されています。 興味あるエピソードのいくつかを以下に紹介します。


将軍の日常はかなり忙しかったそうです。 神棚参拝、奥儒者の講義、弓馬槍剣の武芸などの日課に加えて、毎日午後には大きな御用箱いっぱいの書類を決裁しなければなりません。「御用を御聴きなさる」ということで、御側御用取次が書類を読み上げるのを聴いて判断しました。

遠島以上の処刑の伺、役人の黜陟(地位変更)などなどこまごましたものがたくさんあって、「治平でいました時も、年末にでもなると、灯を執ってしばらく済まぬ位で、事務煩雑になっては、年末でなくとも、ずいぶん夜深になった事があります」とのことです。将軍に全ての決裁権限を集中する体制に無理が来ていたのでしょう。

代官手代だった人は、明治になって地租改正の際の調査に顧問として参加したそうです。検見などの実務に携わっていた役職の人の協力がないと、明治政府の末端の業務も回らなかったんですね。

江戸幕府の将軍のことを、現代の私たちは八代将軍吉宗とか十一代将軍家斉などと呼びますが、本書に出てくる旧幕府に仕えた人たちは有徳院様(八代)とか、文恭院様(十一代)と諡号で呼んでいます。

どの人へのインタビューについても言える事ですが、だいたい賄賂の話を尋ねています。まあ、どなたも役得があったとか、しっかりもらっていたなどとは答えないわけですが。

賄賂の話題のほかにも、旧事諮問会の人たちはかなりゴシップというか興味本意のところがあるような感じがします。例えば、「御庭番」だった人が呼ばれて隠密の探索の実際についてかなり質問されています。

また、 御側御用取次だった人に対して、十三代将軍家定は「或る書物では、御芋の煮えたもご存じないという位の人であったということでありますが」と尋ねているんですね。それに対する答えは、ひどく内気だけれども「一体の性質にはよほど善い所があった」なんて、ちょっと苦しそうな感じ。

敗戦後のインタビュアーで、大正時代の侍従かなにかをしていた人に向かって、大正天皇のお脳は如何でしたか?と尋ねた人は果たしていたのだろうかと思うにつけ、旧事諮問会の人たちの好奇心には脱帽です。

2008年1月1日火曜日

あけまして、おめでとうございます


年末来、寒い日が続いているせいか、今日は我が家からもとってもくっきりと富士山が見えました。真っ白で、かなり雪が積もってそうですが、元日にふさわしい姿ですね。

ふだんはスリープから起こして、そのまま使い続けるのですが、OS Xになってから初めてのお正月なので、MacBook Proを再起動してみました。やはりOS Xには特別なスタートアップスクリーンはありませんでした。少し残念。

かわりにMac OS 7.5のスタートアップスクリーンを。今年が良い一年になりますように。