旧事諮問会編 岩波文庫 本体760円 1986年2月発行
先月読んだ旧事諮問録の下巻です。御側御用取次・代官手代・町与力・外国奉行などからの聞き書きが収録されています。 興味あるエピソードのいくつかを以下に紹介します。
将軍の日常はかなり忙しかったそうです。 神棚参拝、奥儒者の講義、弓馬槍剣の武芸などの日課に加えて、毎日午後には大きな御用箱いっぱいの書類を決裁しなければなりません。「御用を御聴きなさる」ということで、御側御用取次が書類を読み上げるのを聴いて判断しました。
遠島以上の処刑の伺、役人の黜陟(地位変更)などなどこまごましたものがたくさんあって、「治平でいました時も、年末にでもなると、灯を執ってしばらく済まぬ位で、事務煩雑になっては、年末でなくとも、ずいぶん夜深になった事があります」とのことです。将軍に全ての決裁権限を集中する体制に無理が来ていたのでしょう。
代官手代だった人は、明治になって地租改正の際の調査に顧問として参加したそうです。検見などの実務に携わっていた役職の人の協力がないと、明治政府の末端の業務も回らなかったんですね。
江戸幕府の将軍のことを、現代の私たちは八代将軍吉宗とか十一代将軍家斉などと呼びますが、本書に出てくる旧幕府に仕えた人たちは有徳院様(八代)とか、文恭院様(十一代)と諡号で呼んでいます。
どの人へのインタビューについても言える事ですが、だいたい賄賂の話を尋ねています。まあ、どなたも役得があったとか、しっかりもらっていたなどとは答えないわけですが。
賄賂の話題のほかにも、旧事諮問会の人たちはかなりゴシップというか興味本意のところがあるような感じがします。例えば、「御庭番」だった人が呼ばれて隠密の探索の実際についてかなり質問されています。
また、 御側御用取次だった人に対して、十三代将軍家定は「或る書物では、御芋の煮えたもご存じないという位の人であったということでありますが」と尋ねているんですね。それに対する答えは、ひどく内気だけれども「一体の性質にはよほど善い所があった」なんて、ちょっと苦しそうな感じ。
敗戦後のインタビュアーで、大正時代の侍従かなにかをしていた人に向かって、大正天皇のお脳は如何でしたか?と尋ねた人は果たしていたのだろうかと思うにつけ、旧事諮問会の人たちの好奇心には脱帽です。
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