2008年1月5日土曜日
中国的天空 上 沈黙の航空戦史
中山雅洋著 大日本絵画 本体4300円 2007年11月発行
冬休みの読書の4冊目に、黎明期からの中国の航空戦史というマイナーな分野を扱った本を読んでみました。この上巻の前半には日独戦争での航空機の行動や軍閥の航空部隊などが記載されています。また、後半には日中戦争における中華民国の空軍と日本陸海軍航空部隊との戦闘の模様が、零戦の登場の時期まで記されています。
日中戦争での航空戦ですが、この上巻で扱われている時期では、必ずしも日本軍が優勢ではなかったという点が興味を引きます。戦闘機の護衛なしで出撃した爆撃機が多数落とされているだけでなく、九六戦などの戦闘機にも被撃墜が少なくなかったそうです。
どの程度の被害があったかは、部隊の戦闘詳報を調べれば分かるはずです。しかし、日本側の戦闘詳報はその多くが敗戦時に処分されてしまいました。また、処分されずに残されたものでも、苦戦の日・被害の大きかった日の記録のみが欠落していることが少なくないそうです。
この欠落は偶然ではなく、被害の隠蔽を意図したものと推定されます。軍隊というものは、被害を冷静に受け止めて対策を立てるべきことが厳格に求められるべき組織です。しかし、日本軍の「大本営発表」で知られる悪弊は、すでにこの時期からあったものなのですね。
また、以前興味深く読んだマンガの本に、宮崎駿の雑想ノートというのがあります。その中の第六話「九州上空の重轟炸機」の元になったエピソードもこの本に載せられていました。
1938年5月20日に寧波から2機で熊本へ飛び(Google Earthで調べると寧波・熊本間は約930キロメートルで、東京・熊本間とほぼ同じくらいの距離です)、4種類のチラシと1種類のパンフレットを撒いて帰還したそうです。日本では「九州上空に怪飛行機」と一部で報道されたとか。また、5月30日にも鹿児島へ飛来したそうですが、未帰還になったようです。
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