2008年1月4日金曜日
近世庶民の日常食
有薗正一郎著 海青社 本体1800円 2007年4月発行
江戸時代の百姓に対する私たちの常識を、「現代の日本人の多くは『近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった』と思っている」と著者はまず要約してくれます。本書はサブタイトルに「百姓は米を食べられなかったか」とあるように、その常識が本当かどうかを論じている本です。
明治10年代に農商務省が実施した統計によると「日本全体では米は庶民の食材の半分ほどを占めてい」ました。近世後半も明治初期と大きな差がなかったろうと思われますが、著者は江戸時代の農書や日記などの資料を多数提示して、その印象が間違っていないことを証明してくれています。近世の農民が一年間に食べる米の量は、却って現在の私たちよりもずっと多かったそうです。
それでは、どうして「近世の百姓は米を作りながら米を食べられなかった」という思いこみが生まれたのか。
この本のカバーには、米をキビ・ヒエ・ムギとそれぞれ半々ずつ混ぜて炊いた飯の写真があります。米は白くて雑穀は色がついているからなのか、上の図のように雑穀の割合がかなり多いように見えてしまいます。こんなことも、都会の人の残した見聞録に、百姓は米のとても少ない食事を摂っていると記録されたことの一因ではないかと著者は述べています。
また、近代以降に民俗学者などが食事の内容の聞き取り調査などをしていますが、戦後に実施された調査では第二次大戦中の米の不足の印象が被調査者にあったかも知れないとのことです。
さらに、私として興味深く感じたのは、伊賀盆地に関する記載です。伊賀盆地では穀物類の総収穫高に麦類が占める構成比は1877-88年頃に8%だったのが、1950年には23%にまで増加しました。このため、著者は「20世紀前半からの中頃の食生活を記録する『聞き書 三重の食事』と民俗研究者の報告は、麦飯の米麦の割合を半々ほどとしているが、これは20世紀に入ってからの水田二毛作による麦類の作付面積拡大後の状況を示しており、これらの資料が語る状況を近代初期まで遡らせることはできない」としています。近代以降に却って米食の比重が減ったことがあるかも知れないとは驚きです。
それと、日本全国どこでも農民が米をたくさん食べることが出来たわけではないことにも留意が必要です。稲の作付けの少ない地域では米の消費量が少なかった事情があります。特に西・南九州や沖縄では、サツマイモの比重がかなり高かったとのことです。しかも、「サツマイモを主な食材にする日常食の体系が普及した地域では、その時期に人口が著しく増加した」とも著書は述べています。
以上のように、近世の百姓も今の人たちが考えている以上に米を食べていた事は、まあまあ納得できました。ただ、本書で取り上げられている近世は、主に江戸時代中期以降の史料です。江戸時代前期や、それ以前の中世においては、どうだったのでしょう。
中世初期に開かれていた水田は小さな谷からの湧水で灌漑される小さな谷田(谷戸田、やとだ)が主だったはずで、ふつうの農民に米中心の食生活が存在していたとは思えません。戦国期から近世初期の大開墾時代が転機なのかな、やはり。
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