2009年3月7日土曜日
銀山社会の解明
仲野義文著 清文堂
2009年3月発行 本体1900円
近世石見銀山の経営と社会というサブタイトルがついています。山師たちが間歩を請け負って鉱山経営する際の契約、現物徴収される税の収め方、労働者の勤務形態・賃金、毎年の銀の生産量、生産に使う栗の坑木や燃料の炭の供給地、職業病などなどいろいろ解説されています。職業病になって働けなくなった人に米や味噌が代官所から支給されたこと、江戸時代後期に人口減が問題化して子供の養育手当が支給されたことなど、初めて知ってすこしびっくりしました。
気絶(きだえ?とでも読むのか)という職業病については、粉塵の吸入の影響だけではなく、照明は電気ではなく何かを燃やしたのでしょうから煤や一酸化炭素の影響もあるのでしょう。また、坑道の規定の大きさは高さ四尺から三尺五寸・幅2尺から一尺八寸ということで、およそ高さ120と幅60センチメートル程度しかありません。押し入れならこの大きさの中にはいることも苦ではないけれど、何十メートルも続くこの大きさの暗いあなの中に入って行くのは私なら怖くてできそうにありません。
石見銀山は江戸の初めが最盛期で年間一万貫(38トン)以上の銀産がありましたが、その後衰退して江戸時代後半には年間百貫目(380キログラム)程度の産出になってしまいました。佐渡金山でも同じような経過があったと以前読んだ記憶があります。富鉱が枯渇したこと、地下深くまで坑道を伸ばさなければならず経費がかさむとともに通風・排水が困難になったことがその原因ですが、ほかに幕府の銀貨改鋳も影響していたとのことです。銀貨の改鋳で銀安銭高の相場になりますが、生産された銀は改鋳後の銀貨で買い上げられたのに対して、労働者の飯米など生産に必要な資材は銭で買わなければならず、山師たちの採算を悪化させました。そして、初期は山師たちによる請負で鉱山が運営されていましたが、採算の悪化・生産量減少から代官所による出資・経営の下で山師たちが下請けになるような形態に変化していったのだそうです。
内容から言って、この本は専門家向けではなく一般の人向けに書かれていると思われます。石見銀山は世界遺産に登録されて観光客も増えているでしょうから、銀山を訪れてくれた観光客にビジターセンターやおみやげ屋さんで販売するようにつくられたのでしょうか。でも、そうだとすると本書には大きな欠点があります。石見銀山に関して使われる特殊な単語の解説がないのです。間歩は他の鉱山の本でもよくお目にかかるのでいいのですが、それ以外にも鏈とか鉉とか金偏に外と書くMacでは扱えない漢字とかが頻出するのです。一般の人向けの本では、こういう特殊な単語は初出時に読み方と意味を示すのが作法だと思います。この著者はそういった配慮ができない人のようです。まあ、この欠点を除けば、値段に見合った価値は充分にある本です。
鏈・鉉の読み方と意味はたぶんこうなんだろうと思います
鏈 くさり 掘り出した銀鉱石
鉉 つる 銀の鉱脈
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