戦友会研究会著
青弓社
2012年3月14日 第1刷発行
私の親にも従軍経験はないので、戦友会というのは縁が遠い存在です。戦友会と聞くと、旅館で宴会する老人の団体さん、むかしむかし上野広小路の松坂屋の入り口のところでハーモニカを吹きながら物乞いしていた傷痍軍人さん、TVでみた寮歌祭みたいなものを思い浮かべてしまっていました。でも、軍隊体験者たちのうち、将官や佐官は別として尉官・下士官・兵は若い世代でしたから最初から高齢者の集まりだったわけではありません。また徴兵された人たちは、エリートまたはエリート意識をもち続ける旧制高校出身者とも違う存在で、私の連想がかなり見当外れだったことが本書を読んでよくわかりました。さらに、集まれば宴会になることが多いわけですが、
見た目は普通の宴会と特に異なるわけではない。事務報告や挨拶・スピーチがすめば陽気で賑やかな宴会風景となる。ただ歌のあいだも、献酬のあいだも、語り合いが続けられていく。宴会で、そして小部屋に分かれてから夜遅くまで語り合われるのは、もちろん共通の戦争体験である。そして、あの時だれがどうしたという話が繰り返しなされていくなかで、個々の記憶は寄せ集められて「集団の記憶」となっていく。その多くは悲惨な戦闘についての話であるが、どの戦友会にもそうしてできあがった「物語」がいくつかある。
とのこと。戦後の日本では軍・戦争に関することを表だって語る場がなかったから戦友会に寄り集まったというのはとっても説得的です。もちろん、私を含めた従軍経験のない人の高校大学のサークルの同窓会なんかにも似た点はありますが、死没者に対する慰霊の意識を持った集団である点が大きく異なるわけですね。
戦友会が政治化しなかった最も大きな理由は、戦友会に集う多くの戦闘・軍隊体験者が、政治家やいわゆる知識人に対して根強い不信感を抱いていたため
戦友会も、日本遺族会のような政治性の強い組織なのかと思っていただけに、多くの戦友会が政治から距離を置いていたという指摘はとても勉強になりました。また多くの戦友会が立ち上がってゆく際に、第一・二復員省、厚生省、防衛庁といったお役所の側からの積極的な援助がなかった点も意外でした。恩給受給者などのリストを役所はもっているでしょうに。あと、一般的に女性に比較して男性の中には、会合に出たがらない・群れたがらない人の割合が多い気がします。軍隊経験者はほとんど男性ですから、戦友会の存在を知らされながらまったく出席していない人たちがどのくらいいるのかも知りたいところです。
こうした団体は外国にも存在する(→アメリカの戦友会)。だが、その数や規模の点で、また、メンバーが戦友会にかけた情念やエネルギーの強さといった点で、戦友会は日本独特の現象であると言っても過言ではない。
本書には第一次大戦後のドイツやイタリアの退役軍人・復員兵団体がとても積極的に活動したことが触れられていて、そういう意味では敗戦国(第一次大戦のイタリアもちっとも得しなかった戦勝国)の方によりみられやすい活動なのしょう。ただし、戦間期とは違って、第二次大戦後は復仇を目的とすることの無意味さが軍隊経験者の間にも一般化していたから、日本の戦友会も旧領土の再獲得を目指したりはしなかった。それだけヒト種も賢くなったんだと思います。
私は仕事柄、これまでに4桁の数の患者さんのお宅を訪問(往診・訪問診療)しています。部屋に軍隊時代の写真や乗り組んでいた船(重巡高雄でした)の写真なんかを飾ってある患者さんがいて、その頃の思い出を語ってくれる人もまれではありません。内科医にとって患者さんのお話を傾聴することも重要な役目ですし、私はその種の話を聞くのが嫌いな方ではないので、時間に余裕があるかぎりお聞きしています。高齢になった方ですから同じ話の繰り返しが多く、 家族の人あいてだとまたその話かという反応をされるでしょうからね。