笠間書院
平成24(2012)年8月15日第2刷発行
本書の前半では、代表的な作品を対象とした研究の成果とその手法のエッセンスが分かりやすく紹介されています。また後半では古典籍に関連する言葉の説明が解説されていました。どの項もだいたい12ページ前後とコンパクトにしかも読みやすくまとめられていました。本書のintroductionには
本書は何よりもまず、王朝文学研究に関心を寄せる若い世代の皆さんに手にとっていただきたい、ということで企画編集されました
と書かれています。国文科の学生さんを主なターゲットとして書かれた本なのでしょうが、私のような国文科とは縁のない、学生でもなく若者でもない読者でも楽しく読めました。どんな点が楽しく読めたかというと、たとえば土左日記(土佐日記ではなくむかしはこう書かれていたのだそうです)。
土左日記は、蓮華王院宝蔵に収められていた紀貫之自筆本を書写したとされる定家筆本がながらく最良のテキストとされてきました。しかし昭和初期以降、定家筆本と同じように紀貫之自筆本を写したと思われる写本や、 紀貫之自筆本を書写した写本から写した写本があいついで発見されました。それら為家書写本、松木宗綱書写本、三条西実隆書写本を定家筆本とを比較検討することで、紀貫之自筆本を再現しようという研究が行われて成果を挙げるとともに、国宝定家筆本にも異文、仮名づかい、漢字や仮名の別、踊り字の使用などの独自性があり、定家が書写に際してある種の改変を加えていたことが明らかになったのだそうです。
この項は論証も比較的ストレートですが、短いページの中でわくわくするような謎解きが展開されている項もたくさんあったので、数式や英語が苦手でもこういった研究ならできそうかなと感じたり、こういう興味深い研究の余地がある学問分野なら自分も身を投じてみたいと学生さんが感じてくれるようなら本書の編者の方々も大喜びでしょう。私は学生ではないので、残念ながらそうは感じませんでしたが、それでもこの項を読んでいて、疑問というか調べてみたいタネがいくつかみつかりました。
まず、蓮華王院宝蔵に収められていた紀貫之自筆本というのが不思議です。仏教関係の著作や勅撰集などは別にして、平安時代の文学作品で著者自筆本の残っているものはありません。そもそも各作品に著者による定稿が存在していたのかどうか自体にも疑問が残ります。紀貫之自筆本土左日記はその例外なんでしょうか?土左日記を発表後、貴族社会で評判が拡がり、天皇から自筆本を献上するようにという命令が下された時点で書き上げた本で、朝廷の図書収蔵庫(文殿?)に収められ、やがて蓮華王院宝蔵に移されて定家の生きた時代までのこったということなんでしょうか?それとも一度は誰か廷臣の手に渡り、それが後白河法皇に贈られて蓮華王院宝蔵に収まることになったんでしょうか?
鎌倉時代初期に土左日記がどのていど普及していたのかは知りませんが、もし貴族の蔵書としてあるていど普及していたとするなら、それら謂わば流布本とこの蓮華王院宝蔵の紀貫之自筆本との間には、きっとテクストの違いが生じていたでしょう。紀貫之自筆本は定家の記録によると比較的きれいな状態だったようですから、秘蔵されていたものと思われます。土佐日記執筆から約300年が経過した鎌倉時代初期の流布本にはそれなりの変化があったはずです。古写本で、この「流布本」の様子を伝えてくれるようなものがあれば面白そうな気がします。
源氏物語青表紙本や古今集などのように、藤原定家の書写した写本が現存するもっとも権威ある古写本として扱われている作品は少なくないのだろうと思います。定家本の尊重される理由の一つは、書写に際して元の本の本文に積極的に手を入れるようなことをしなかった点なのだと何となく理解していました。しかし、この土左日記についていうと、他の写本と比較して、定家筆本には独自性があり、定家が書写に際してある種の改変を加えていたことが明らかです。こういった改変は他の作品の書写に際しても積極的に行われたと考えるべきなのか、それともこの土左日記の書写にだけ特別な事情があってのことだったからなのでしょうか?などなど、きちんと勉強し始めれば考える材料がたくさんみつかりそうです。そういう魅力を伝えてくれる本でした。