2009年2月4日水曜日

江戸時代論


佐々木潤之介著 吉川弘文館
2005年9月発行 税込み3150円

世直し状況論などで有名な著者の遺稿を本にしたものです。体調不良を自覚していた著者の近世像について骨格を示すつもりでパソコンに残しておいた原稿だったそうです。

著書は中学校の歴史教科書を執筆したこともあるそうで、歴史研究者として自分の学問の成果が教科書に反映することが一つの目標になると述べています。本書の冒頭には、検定を気にせずに中学校教科書の江戸時代の部分を書くとしたらこうなるという文章60ページほどが載せられています。ただ、読んでみると中学生には難し過ぎるような。例えば、「小農民の自立」の意味するところ、また歴史学的な概念としての含意まで分かるように説明するのは不可能に近い気がします。

本書の大部分は著者の江戸時代に関する見解が、時代区分・技術史・家族史・国家論などなど、平易な文章でつづられています。しかし、文章自体に難しさはないものの、おそらく著者は具体的に誰か・何かを思い描いて書いているものと思われます。そのあたりを分かった専門家が読むともっと面白いのでしょうが、素人の私にはその点の知識がないのが悲しいところ。
唯一、「もっとも、わが国の社会史にはアナール派のそれとは違って、権力論や階級的・階層的矛盾をぬきにした生活史・意識史・民衆史の色彩の強いものがあり、その観点からの国家史研究への批判もある。このことは多分、歴史学とは何かという問題にかかわることなので、別の議論を必要とする。すくなくとも私たちが肯定的にうけついだ歴史学の伝統は、このような歴史学のあり方が正しいとは考えない。本来のわが国の社会史は、この種の今様の社会史とは全く違ったものであった」という強烈な表現だけはなんとなく理解できました。

で、その他の著者の見解に対する違和感、例えば時代区分について。内藤湖南流に応仁の乱を境にして日本の歴史を二つに分ける考え方が主張されているがそれは正しくなく、日本の近隣地域のことも考えてみると16世紀末が時代の区切りになると著者は述べています。また、アジアでは近世以前の時代のあり方はたいへん多様なので、中世であるとも言えないし、ましてや一つの時代区分にまとめることもできず、せいぜい前近世とでもしておくしかない。さらに、日本もアジアの一員なので、日本だけがヨーロッパのような中世や近代をもつとするのは適当ではない。
それでいて「日本近世をどのような歴史時代と考えるか。国家史的基準からいえばアジア近世国家の一つであり、社会構成史的基準からいえば農奴制のうちの隷農制の時代であり、政治体制的基準からいえば封建制の時代である。そして文明史的基準からいえば、明治国家を近代国家というならば、その初期の時代であるといってもよい」とのことです。
著者は当たり前のように書いていますが、時代区分のメルクマールとしては現在一般的に何を使うのが常識なのか疑問に感じてしまいました。まあ、時代区分するということ自体が、社会構成史とか農奴制や隷農制という概念を使用することが前提になった作業ということなのかもですね。でもそれでいて、近隣の東アジアの状況との関連から時代区分するとはどいうことなのか、すっきりしませんでした。

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